嘲笑

 顔を向けると白い翅に黒い斑紋を散らしたチョウがふたり、ひらひらと舞い飛びながらあたしたちを眺めていた。

 どっちもおんなだ。

「きゃっ!」

 見慣れぬ来訪者に、彼女はびっくりしてあたしに抱きつく。

 連中は決して強い生き物じゃないけれど、あたしたちよりずっと大きい。

「安心して。取って喰われる訳じゃないわよ」

 向こうに聞こえないよう、耳元に囁く。うっかり近づきすぎたせいで息がくすぐったいのか、彼女は「きゃん」と小さな声を上げて身をよじった。

 身体がエッチ用に敏感になってるからって、感度よすぎ!

「ちょっとした事故でね。急いで故郷に戻らなきゃいけないの。今は、ちょっと休んでるところ」

 彼女に何か言わせると言葉足らずでややこしくなりそうだから、現状をかいつまんで説明する。別に教える義理なんかないんだけど、好奇心でしつこく絡まれたりしても面倒だ。

「あらあら大変ねぇ」

「そんな身体に生まれついちゃうと」

 チョウたちは楽しげに嘲う。

成虫おとなになってるって事は、もうすぐ死んじゃうんだよねぇ」

「世界には楽しい事いっぱいあるのに、かわいそぉ~」

 睨みつけたところで、あたしの視線は連中に何のダメージも与えられない。

 大きな翅でまたひらひらと遠ざかり、けらけらと笑う。

「そんな事ないよぉ。わたしたちだって、楽しい事は知ってるし、経験だってできるもんっ!」

 彼女も、頬を膨らませて反論する。

「例えば?」

「何ができるっていうの?」

 予め打ち合わせてるみたいに、ふたりのチョウは言葉を分担する。

「当然、エッチとか」

「あはははははははっ!」

「ばっかみた~い」

 返ってきたのは、これまででいちばん腹立たしい高笑いだった。

「あなたたちって時間ないから、焦ってよく相手も確かめないでセックスしちゃうんでしょ?」

「しかも、それしか楽しみがない。ホント、かわいそう」

 自分の優位を満喫するための、言葉だけの憐憫。

「あたしたちは、本当に素敵な相手をじっくり選ぶだけの余裕もあるし」

「こんな風に美味しいものだって味わえる」

 これ見よがしに大きなシオンの花に止まり、紫の花から蜜を吸い上げる。

「甘ぁ~い」

「これを味わえるのも、おとなになったからよねぇ~」

 顔を上げたふたりは、蜜で艶やかに塗れた口唇を嘗める。

 このふたりは、あたしたちともアリともまた違う。

 成虫おとなになるためにひたすら食ってはエネルギーを蓄える幼虫こどもの後は蛹になる完全変態だ。蛹の間は動かず、身体が一度ドロドロになっても、芯になる部分だけは残ってて成虫おとなへと作り替えられる。芋虫こどもだった頃の面影なんか完全に消えてしまう。

 美しく大きな翅を持ち、軽やかに優雅に飛ぶ。幼虫こどもの頃みたいに栄養優先の葉っぱをもしゃもしゃ噛むんじゃなく、甘くて喉ごしのいいーーらしい。あたしは知らない。知る術もないーー蜜をたっぷり堪能できる。

 成熟してからもニ、三週間は生きるし、もちろんセックスだってできる。何人ものおとこから好みを見定める余裕だってある。

 生き物としての完成度は、あたしたちよりずっと高い。

 連中からすれば、こっちが惨めで不完全で不格好な存在に見えるのも当然かもしれない。

 けどーー。

「それが何よっ!」

 彼女が叫んだ。

「あなたたちが美味しいもの食べたって、わたしのお腹は膨れない」

「そうよ」

「だから、かわいそうだって……」

「でもね。わたしがエッチしたくて気持ちが浮き立つのとか、実際にエッチして気持ちよくなるとか……それはまだだけどさ。この人と一緒に旅してきてワクワクしたりハラハラしたりした」

 立ち上がり、誇らしげに顔を上げる。

「それは、あなたたちには伝わらない、味わえないっ! わたしだけの悦びなんだもんっ! そっちが羨ましがれっていうなら、わたしを、わたしたちの方も羨ましがれっていうのっ!」

 気持ちよかった。

 種としての機能・性能の違いっていう絶対に覆せそうもないものを、彼女は個としての絶対性において対等だって言ってくれたんだ。

「何よ、それ? 訳わかんないよねぇ~」

「だよねぇ。あはは……ぐげっ!」

 小馬鹿にした笑いは、突然悲鳴に変わった。

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