共感
彼女があわあわ説明している間に、あたしは最後の脱皮を完了していた。
想像していたのとは違って、頭の中は亜成虫の時よりスッキリしてる。
もちろんヤリたい、男が欲しいって気持ちが収まった訳じゃない。ただ、頭の中でぐるぐるぐつぐつ渦巻き煮立ってるんじゃなくて、透明な結晶になって心の真ん中に突き刺さってるような感覚。
衝動というよりは、純化した命令。
完全に受け入れられる訳じゃない。自分自身の気持ちとは別に、気になる棘が刺さってるような不快感は残ってる。でも、前よりは突き合いやすい。
あのぐちゃぐちゃは、亜成虫っていう面倒で不完全な段階特有だったようだ。
「……あ、ありがとう。見逃してくれて」
身体が落ち着いて話せるようになったから、まずアリの隊長にお礼を述べる。
普通なら、殺されてバラバラに引きちぎられても仕方ないところだ。
それが、生き物として当然の振る舞いなんだから。
「そもそもは部下の誤解だ。それに、自分としてもあなた方には興味がある。テリトリー内で遭遇するのは初めてだからな」
小隊長が浮かべたのは、ほんの微かな見てわかるかわからないかの微笑。やっぱり彼女たちは、根っから生真面目で規律正しい。
「この娘の説明じゃよくわからなかったでしょ? あたしたちは、人間の魚取りに巻き込まれて、眠ってるうちにこの近くまで運ばれてきたの。だから、命が尽きる前に
囚われていた家を指差す。
結構な距離を飛んだつもりだけど、まだスタート地点が見える程度でしかない。
成熟したって小さな、頼りない身体だ。
「ね? 男の子たちが集まってるところ、知らないかな?」
「申し訳ないが、我が軍のテリトリーもこの住宅街一帯だ。山岳地帯の水系情報は有していない」
彼女の質問に、小隊長は首を振った。
「それじゃ仕方ないね。でも、わたし、負けないっ! 頑張って探してたどり着いて、絶対に男の子とエッチするんだもんっ!」
「エッチ……つまり、種の維持のための性行為という事だな。それは何より大切だ」
神妙で真剣な表情で、小隊長が頷く。
彼女と隊長。性格的には接点なんてなさそうなのに。
「……生き物としてのいちばん根っこの部分は一緒って訳ね」
「あ、いや。それはあなたの勘違いだ」
聞かせるともなく呟いたあたしの言葉を、アリの隊長は否定した。
「あなた方が目的にしている性交というのは、自分たちには無縁の事だ」
あ、そうか。
「えーっ? それってどういう事? 普通、誰でもエッチはするよね?」
あたしは気づいたけれど、彼女は知らないらしい。止める間もなく、失礼な事を口走った。
「自分たち兵士・労働者階級は生涯性行為とは無縁だ」
あくまでも真顔で、隊長は答える。気分を害した様子がないのは、彼女にとっては当たり前だからか。
「えぇ~っ! おっかしい~! エッチしたくないって異常じゃない? きっと気持ちいいよ。わたしもまだした事ないけど、絶対にそうに決まってる! わたしたちは、感じるようにできてるんだからっ!」
アホは、更に無礼な叫びを上げた。
相手は命の恩人よ?
彼女がこっちを尊重してくれたから、死なずに済んだのよ!
しかも大軍はまだ控えているっていうのに。
それに、そんなに真正面からセックスを全肯定しないでよ。
あたしは無条件に受け入れてる訳じゃないんだから!
「ご、ごめんなさいっ! この娘、何にもわかってないから! 頭の中、セックスの事しかないようなアホのポンコツだからっ! 許してっ!」
「むぎょむごむっ!」
アホの口を押さえて言葉を封じて、ひたすら頭を下げる。
身体が自由に動けるようになっていて、本当によかった、うん。
「いや。種が異なれば誤解もあって当然。部下もあなた方を別種と勘違いしたのだからな」
小隊長はそう言ってくれるけれど、目が笑ってない。
「……あ、あはは……どうも、ありがとう」
仕方ないので、こっちから先に笑ってみる。
真面目すぎるのが相手だと、平静なのか怒っているのかが見分けにくい。
「それって変っていうか、寂しくないの?」
あたしの手が緩んだ途端に、自由になったアホの口は不躾な質問を吐き出した。
それでも、小隊長の表情は変わらなかった。
「男の子とエッチして、子供を残すって……何ていうのかな……。うん、そう! 愛よ、愛っ!」
彼女は自信満々に断言する。
「わたしたちには、生まれた時から愛が刻みつけられている。愛に導かれて、愛に従って生きている。それって素敵な事じゃない?」
あー、もうっ!
あんたの言ってる「愛」っていうのはただの本能。生理現象の一種だっての。
それにそんな言い方じゃ、隊長には愛情がないみたいにも解釈できるじゃない。
この人が冷静で慎重な性分じゃなかったら、報復でブチ殺されても文句言えないよ。あ、どっちにしろ死んだら文句は言えないか。
幸い、これまでの対話で感じた通り隊長は感情には流されない人だった。
キレる訳でもなく、ただ諭すような淡々とした口調で説明してくれる。
「確かに直接自分が子を残す事はない。しかし、母であり姉でもある女王が子を成し、一族を繁栄させる。つまり自分と血の繋がった者が生き続けるのだ。自分たちの労働は、確実にその事に貢献する」
隊長の口元に、初めて笑みらしい笑みが浮かんだ。
「それは何よりも誇らしく、嬉しい事だし、自分たちにとっての--愛だ」
一瞬。
一瞬だけ羨ましいと思って、誤りに気づく。
確かに隊長は、あたしを苛む肉の欲望とは無縁に生きている。ただ
けれど、それは本能の束縛から解き放たれているって訳じゃない。
そういう本能に従ってるってだけだ。
生き物としてのあり方が、根本的に異なる。
「うーん。わたしにはよくわかんないけど、そういう生き方もあるんだね」
アホはアホなりに、理解はできないけど許容した模様。
ひょっとしたら、掘り下げるのを諦めただけかも知れない。
そんな会話をしてるうちに、あたしの翅も乾いた。ひとまわり大きくなった身体は快調。
「さ、そろそろ行くわよ。時間ないんだし。隊長さん、見逃してくれてありがとう」
彼女を促しつつ、改めてアリに礼を述べる。
カゲロウとウスバカゲロウの勘違いはさておき、本来なら餌にしても構わないあたしたちを助けてくれたのは確かだ。
「感謝には及ばない。旅の成就を祈る」
隊長に続いて、後続の隊員たちも一斉に敬礼する。
あたしたちは再び飛び上がった。
「うん。わたし、頑張る! 頑張って、絶対に男の子と素敵なエッチするからねっ!」
大きく手を振りながら、彼女が高らかに朗らかに叫ぶ。
あたしの顔が熱く感じるのは、決して成長に伴う生理現象じゃない。
アホが恥ずかしい言葉を恥ずかしげもなく口にするからだ。
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