軍隊
「来るなっ! バカっ! あっち行けっ!」
生け垣を昇ってくる軍服の一団を罵りながら、彼女はぱたぱた翅をはためかせる。
でも、それだけだ。
この肉体には、戦うための機能どころか、獲物を捕らえるための能力もない。
虚勢は威嚇にもならず、軍服の少女たちは無表情に近づいてくる。互いに似た端整な顔立ちが迫ってくる光景に、あたしの口唇が強張って震えた。
「きゃっ!」
先頭の数人が、彼女にとりついた。
怒りも憎しみも、何の感情も見せずに、彼女の両手両脚を押さえつける。
「うわぁあ~! 放して! 放せってばぁっ!」
必死に暴れる--暴れようとしてるけど、無駄だ。
相手はアリ。
サイズは似てても、あたしたちとは生まれ持った力が違いすぎる。しかも数が多い。
奴らは必要なら自分たちよりずっと大きい生き物でも引きちぎり、餌にする。
だから逃げろって言ったのに!
あなたが頑張ったところで、時間稼ぎにもならない。あたしも無抵抗のまま餌食にされて終わりなんだから、ひとりだけさっさと出発すれば、飛べないアリは追いつけない。
「おいっ! そこ、何をしている!」
絶望に震えるあたしの耳に、硬質なアルトが届いた。
列の後ろから、ひとりのアリが昇ってきた。
第一印象は顔も含めて他の連中と同じに見えたけれど、制服がちょっと違う。
「はっ! 小隊長どの。この者を発見いたしましたので、規定に従い捕獲・解体し、食料として拠点に移送しようかと」
彼女を押さえ込んでいたひとりが離れ、小隊長に敬礼しながら答える。
その代わりに、別の後続が彼女を押さえ込んでる。逃がさないけれど、上官から制止されたから作業は中断。
噂通り、アリのチームワークは完璧だ。
「本日朝期の、我が隊のノルマはほぼ達成している。そのサイズを一体二体持ち帰っても、作業に費やしたカロリーの方が多くなるのではないか?」
「しかし小隊長どの。この者らは我らが宿敵であります。ここで遭遇したは天佑。単に食糧とするだけでなく、確実に抹殺するのが祖国の利益に適うかと愚考する次第であります!」
駄目だ。
そう思われてるなら、もうどうしようもない。
せめて、声が出せたら--。
「違うよぉ。あたしたち、違うってばぁっ!」
あたしじゃなく、実際に叫んだのは彼女だった。
「違うとは何だ! 貴様のこの身体も、我らが同胞の犠牲によって作られたのだろうが!」
「いや、待て」
怒りを露わに腕をねじ切ろうとする兵士を、小隊長が留めた。
「……ふむ。なるほど、勘違いだな。彼女たちはカゲロウだ」
「カゲロウという事はつまり!」
「お前は勘違いをしている。我らが不倶戴天の敵たるアリジゴクが長じたものはウスバカゲロウ。彼女たちカゲロウとは姿形が似ているだけで類縁関係はない」
「そ、そーなのっ! あたしたち、本当は水の中で育ってるからアリとか狙わないしっ! それって風評被害っ! 濡れ衣で言いがかりなんだってば!」
ぶんぶん頭を振りながら、彼女は必死に訴える。
結構ありがちな勘違いだ。
ウスバカゲロウとカゲロウは、見た目が似てるだけ。まるっきりの別種だ。生態にも共通点はない。向こうは陸で育つし、亜成虫なんて変な段階はないし。
まあ、間違うのも仕方ない。
このケースはたまたま、他人の空似だけど、相手を騙すのも「自然」の中ではありふれた事だから。
毒がないのにハチっぽく見せかけて敵を脅す奴がいる。枝葉に化けて敵の目を逃れる奴だっている。逆に花の姿を装って、獲物をおびき寄せる奴さえ実在する。
「それはそれとして」
小さく咳払いして姿勢を正してから、小隊長は彼女に向き直った。
「このような人里でカゲロウを見かけるのは初めてだ。本来、お前たちのテリトリーはもっと山奥のはず。どうして、ここに?」
天敵でない事は納得したけれど、不審者扱いは変わらない。
そんな態度だった。
「え、えーとね。あたしにもよくわかんないんだけど、今朝目が覚めたら、魚と一緒にいたの。だいたいここがどこなのか知らないし、理由とかもよくわかんないし……」
取りあえず自由になった腕を大げさに振り回しながら、たどたどしく説明している。というか説明しようとしている。ていうか説明になってない。
「小隊長! はやりこの女、怪しいです! アリジゴクではなくとも、禍根を断つために始末すべきでしょう!」
「いやーっ!」
兵士の言葉に、彼女が叫んだ。
「どうしてここにいるのかなんてわかんないよっ! でも、どうしたいのかははっきりしてる! あたしは故郷に帰りたい! 故郷じゃなくてもいい! 仲間がいるところへ行きたいっ! 男のと出会って、ダンスして、エッチしたいんだもんっ! あと一日くらいで死んじゃうんだからっ!」
ああ、バカだ。
やっぱり彼女はバカだ。
そりゃあなたにとっては切実な事でしょうよ。けど、アリたちにとっては何の意味もない訴えでしょ?
「はぁ……」
上半身が抜けて、あたしはようやく声が出せるようになった。
この状況を抜け出すために、どうやって説得すればいい?
誤解は解消されても、それだけじゃ納得しない兵隊もいる。
交渉するにも、こちらから彼女たちに差し出せるものはない。
けど--。
「なるほど」
あたしが何かを訴えるよりも先に、アリの小隊長が納得した。
「詳細な事情はわかりかねるが、目的は理解した。一日で死亡する、か。確か、あなた方はそういう生き物だったな。うん」
小隊長が片手を掲げる。
「この者たちは、子孫を残すための旅の途中だ。我ら自身の存亡がかかっているのでもない限り、その営みは同じ生命として尊重すべきと自分は判断する。命令する。解放せよ!」
高らかな声に、他の兵士たちは一糸乱れず同時に敬礼の姿勢を取った。
同時に、彼女も完全に解放される。
「は、はは……あはは……助かっちゃっ……た」
へなへなとその場に座り込む。
拍子抜けしたのは、こっちも同じだ。
あたしが小賢しい知恵を巡らせるよりも、本能まみれの彼女が半泣きで訴えた方が、お堅そうな小隊長の心を打ったらしい。
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