第6話 圭菜の苦しい一日
*
ーーやってしまった。
ベッドに横たわる私の頭の中はこれと、
ーーさようなら。
このテルの言葉だけで埋まってる。
テルが先に帰ってしまった後、自分が犯した行為を何度も何度も頭の中で勝手にリフレインしながら家へ向かっていた。別のことを考えようともすぐに塗り替えられ、家に着くまで五十、もしかしたらもっと地獄を見せられていた。
ずっと心掛けていたテルとの距離感。それを私はいとも容易く自らの手で破った。しかも学校での立場を守るための自己防衛を……。
心の中の私が囁いてくる。
「何をしたの?」
「答えられない……」
「違うよ、答えられないじゃない。答えたくないだけ。ほら、また自己防衛」
「……うるさい」
「改めて聞く。何をしたの? テルに、輝希に」
「うるさい」
「答えないなら私が答えてあげる。あなたは愛しのーー」
「うるさい!」
「テルを傷付けた」
「っ!」
心臓を誰かに握られているかのよう締め付けられている。それに伴い、少しずつ鼓動が早くなるのを感じる。鼓動を落ち着かせるよう深呼吸をしようとするが、先ほどの言葉が悪意あるタイミングでリピートされ鼓動が更に激しくなっていく。
「苦しい? 苦しいよね。でも、テルの方がもっと苦しかったはずだよ」
心の中の私が嫌みたらしく囁く。しかし、彼女の言っていることは正しい。テルはこれ以上の苦しみを味わっている。自分ではなく他人の手によって······。
「楽にならない?」
それは人を狂わせる悪魔の囁き。決して聞いてはいけない、聞いたとしても聴き流さなければならない。人の身ではとてもながら抵抗は出来ない代物。
何も聞いていない、そう何度も自分に問い掛けるが、悪魔は永遠と囁いてくる。私を引き込もうと、だけどどこか寂しげに……。
「私は……」
ーーどうして苦しんでるの?
不意にそんなことを思ってしまった。
苦しいのは私がテルに犯した罪の罰。だから全て自業自得。そのはずなのに……。
ーー苦しめてるのはテルじゃないの?
「これは私の言葉じゃない! 悪いのは……全て、全て私がーー」
ーーそう、全部私が悪いの。何もかも、全部ね……。
その言葉は槍となってとてつもないほど、私自身に深く突き刺さった。起きることすら許されない杭となっているその槍を私は取り除くことすらままならなかった。
そして、睡魔によって私の意識は連れ去られた。
目が覚めると、窓から眩い朝日が差し込む。いつもなら清々しい気持ちになるはずが、今日は打って変わって鬱陶しさで気持ちがいっぱいになっていた。
その理由はすぐに分かった。未だに深く突き刺さっている槍のせい。杭としての役目はなくなっている。しかし、私の心はどこかポッカリと穴が空いていた。
部屋着のままリビングに行くと、そこには両親の姿はなくメモが置いてあった。
ーー今日から三日間ほど二人で旅行に行って来ます。おかず作って冷蔵庫に入れたから、ご飯でもパンでもいいからしっかり食べるのよ。ママより♡
そういえば旅行へ行くなどと言っていたことを思い出し、台所に向かい冷蔵庫の中を見る。すると、タッパに詰められたおかずがたくさん入っている。
「ママったら……料理名までにハートマークはいらないよ」
タッパに貼られている付箋には中のおかずの名前が書いてあった。ハートマーク付きで。
いい歳なんだから、と独り言を呟き適当にタッパを取り出す。
豚肉の野菜炒め、と書いてある付箋を剥がし、タッパごとレンジで温める。温め終わり、ご飯を茶碗によそって朝食を食べ始める。黙々と食べ進め知らぬ間に朝食は胃の中へ。少し物足りない気もしたが、食器をシンクの中に入れ部屋に戻る。
いつもならそろそろ学校へ行く支度をしなければならない時間だったが、今日は外へ出たくなかった。ベッドにまた横になると、掛け布団を頭まで隠すよう被る。
しばらくすると、スマホのアラームが鳴った。家を出る時間を示すアラームだ。しかし、私は家を出ない。そのためアラームは鳴り続ける。
うるさい。だけど、アラームは鳴る。その繰り返し。自分で消せばいいのに、その気力すらわかない。ベッドから出たくない。
「ああ、うるさい!」
ベッドから勢い良く飛び出しスマホのアラームを消すが、怒りがそれだけで収まらず手元の近くにあった写真立てを投げてしまった。
ガシャンという音で我に返り、壊しちゃった、と罪悪感を抱きながら割れた写真立てのガラス片を片付けるため、床に散らばったガラス片を集めていると投げた勢いで破れてしまった写真を見つけた。
「あ……」
その破れた写真を見た途端、自然と涙が溢れてた。
それは小学校の入学祝いで行った旅行先の旅館で撮ったテルとのツーショット写真だった。その写真はどれよりも私にとって大切で、テルの満面の笑みを最後に見た思い出の一枚でもあった。
涙が溢れたのは当時のことを思い出したからではない。写真の破れ方に悲しみを抱いたからだ。
その写真は私とテルを引き裂くかのように破れていた。
ーーあーあ、酷い有り様だね。
また現れた心の中の私が囁く。だが、それを無視するかのように破れた写真を無くさないよう、優しく左手で持ちながら床に散らばったガラス片を右手で片付ける。
「……イタッ」
見ると人差し指がガラス片で切れていた。眺めていると、傷口から少量の血だまりが溢れる。ガラス片はある程度片付いているので、持っている破れた写真を机の上に置き、傷口を洗うため洗面所へ向かう。
洗面所で傷口を洗い、棚から絆創膏を取り出し傷口を覆うように貼る。
「酷い顔……」
鏡で自分を顔を見たらそれはもう酷かった。
涙のせいで目は少し充血しており、頰もいつものようなハリはなく、顔全体で心身共に疲れているのが分かるくらい、げっそりとしている。
見るのがあまりにも辛かったので、一度顔を洗う。水の冷たさで少しは顔が引き締まった気もするが、それでもやはり根本的な疲れまでは誤魔化せない。
これ以上、自分の顔と向き合っているのに嫌気が差してきたので、濡れた顔をタオルで拭き部屋へと戻る途中、部屋に散らばった細かなガラス片を吸うために掃除機をリビングから持っていく。
掃除機で細かなガラス片を吸い、壊れた写真立ての片付けを終えると、脱力感と共にベッドへ倒れ込むように横になる。
「はぁ……」
ため息。幸せが逃げると言われているが、今の私に幸せなんかはどうでもいい。テルとの関係が前までと同じように構築さえしてくれれば。
同じでいい。高望みなんかしない。それ以上は何も望まないから……。もうテルを苦しませないから。お願い、お願いお願い。
私はあの日。テルが本当の意味で変わった日。心に誓った。
テルのことを一分。いや一秒たりとも忘れない。どんな関係でいようと、どんな形であろうと支え続ける、と……。
忘れない。あの日、テルが私に見せたあの笑顔。無理して作ったとバレバレで、顔が引きつっていたし、目に見えていた。安心させようとしていたことが。
苦しかったし、悔しかった。辛いのは自分なのに、私を心配してくれること。あんな目に遭う前に相談してくれなかったこと、私を信頼してくれなかったことに。
泣いた。泣きたくなかったけど、泣いてしまった。私は被害者でも何もないのに。
それからずっと、テルは私に対して本当の笑顔を見せていない。見せてくるのは作った顔。本人はもしかしたら笑っているのかもしれないけど、私にはハッキリと分かる。心の底から笑っていないということに。
だから個人的に目標を作った。
『テルが心の底から笑えるようにする』
成果は微妙。でも、かなり自然と笑顔が出てくるようにはなった。だから、もしかしたら後もう少しで達成出来る。そう思ったのが、気の緩みに繋がった。
全てが水の泡になった。完全な自業自得で。
部屋が暗い。窓を見ると、外は既に真っ暗になっていた。
つまりは寝ていた、そう判断して幾分か軽くなった体をベッドから起こして時間を確認する。
「え、もう夜の七時……」
衝撃の事実に素直に私は驚いた。
簡単な時間の計算を頭の中で暗算。そこから導き出された答えは……。
「……十一時間近く寝てた」
外がすでに夜という事実より、こんなに寝れること(十一時間睡眠)に対する驚きが勝っていた。
寝起きも原因の一つなのか、まだ少し頭がぼーっとするので目覚めさせる意味も込めて今から散歩するため、部屋着から動きやすさ重視の外出用の服に着替える。
「うぅ······さむ」
四月下旬の夜は意外と寒い。
上は半袖シャツに薄いカーディガンを羽織り、下はスポーツタイプのハーフパンツ。と、少し四月の夜を甘く見過ぎたことを否めない。それでも戻って上着を持ってくるのは面倒なので、この格好のまま我慢しながら散歩をする。
行き先は決めていない。ただ歩く。私の本能が赴くままに……。出来ることならここ数日のことを忘れるようになるまでずっと歩き続けたい。だが。
「あ……そ、そんな……」
神様は意地悪だ。
私の願いなど聞いてはくれなかった。いや、これは天罰なのだろう。
私にはもう既に彼の隣立つ権利などない。その権利は彼女にある。なぜなら、私に見せることがなかった彼の笑顔が彼女に向けられているのだから……。
全てを奪った彼女を見ながら一人、月に照らされることなく私は静かに泣いた。
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