プロローグ5
悶々とした感情を抱きながら過ごした午前中は授業の内容など入ってくるはずもなく、授業で指名されなかったことに安心するというこれまでにもない真新しい感覚に襲われ続けた時間だった。
椅子に座ったまま大きく一度伸びをし、なまりきった体を軽くほぐす。五分で済ませた昼食の弁当を片付け昨夜のメールに従うよう職員室へ向かうため教室を出る。
制服のズボンにしまってあるスマホを取り出し、担任の
どうしても昨夜のメールを無視したことに罪悪感があり、今朝謝罪のメールを送ったが一向に返事が返ってくる様子がない。もしかしたら気付いていないかも知れないが、朝のホームルールで一度も目を合わせてくれないところから完全にご立腹であることが分かってくる。
「行きたくねえ……」
ついつい本音が漏れてしまうがばっくれればそれはそれで、怒りを増す原因を作ってしまうだけなので結局、メールに従わないとならないのだ。
職員室近くの階段前まで何とかやって来た。が、心の準備が未だに整わないため、たったの一歩を踏み出す行為そのものが遠く感じてしまう。
どうにかして精神を落ち着かせるがそう簡単に僕が平常心を保てる者なら、こんなところでオドオドするはずがない。階段前で怪しげにモジモジしていると……。
「おい、どうした
背後から聞き覚えのある声で自分の名前を言われた。恐る恐る振り返るとそこには朝からご立腹な呼び出し人ーー幸田先生が一定の距離を保って立っていた。
「げーー」
ついつい口から出てしまった言葉を右手で強制的に塞ぐ。が、
「げ、とは何だ。その
もちろん口から出てしまった言葉から表情まで幸田先生に何もかも見られていた。
僕は直ぐに表情を作り直し、あたかもここで幸田先生を待っていたかのような表情を作った。しかし……、
「私を騙せる、とでも思っているのか?」
その一言で僕は敗北。その場では一言も喋らずに幸田先生の後を金魚の糞のように付いて行き、なぜかメールに書いてあった職員室ではなく生徒指導室へとそのまま牢屋に案内されるみたいにすんなり入ってしまった。
生徒指導室の電気を付けると、長机には既に幸田先生がいつも持ち歩いているはずのファイルが置いてあるのが目に入った。
そう言えば三限の時には持っていなかったような……。
曖昧な記憶に真剣になる必要はないので思い出すことをきっぱりと放棄。
アイコンタクトだけで座れ、と指示を出して来たので適当な椅子に腰を下ろす。幸田先生も座るかと思いきや、誰かを待っているようで腕時計で時間を確認しながら、苛立ちを組んでいる腕に人差し指で叩きながら隠していた。
あまりにも険し過ぎる眼差しに僕は声を掛ける勇気がなく、仕方なしにスマホをいじって時間潰しをすることに……。
アプリゲームをしようかと考えたが途中で遮られるのは後味が悪い。だったらニュースでも……と思考は働くがそこまで僕は世間に真剣な眼差しを向けることはないので、これも却下と自然的になる。あれこれ考えた末、今日の昼に新情報が公開となる新作アニメ情報のことを思い出し、早速公式サイトを検索する。
公式サイトを開くと第二弾のキービジュアルが公開されており、しかも追加キャストや主題歌情報など原作からのファンである僕にとっては感無量な新情報であった。
嬉し過ぎて思わず綻び、叫びそうになったが生憎とここは学校。しかも生徒指導室という生徒に悪印象を与え続ける部屋。そんな一室で叫ぼうとすれば僕はもう烙印を押され、キチガイな要注意人物として学校中ーー最悪、町中に僕の名が知れ渡ることであろう。もちろん、そんなことで有名になどなりたくはない。
まずは緩んだ口元をシュッとさせ、叫びたい衝動をグッと抑え、最後に軽く頰を叩いて煩悩の心から平常心を保つよう心掛ける。一連の動作中に……、
「気持ちわるっ」
と教師らしからぬ発言を生徒である僕に冷たい視線を向けながら、幸田先生がしたのは他の先生方に幸田先生のキャリアの問題もあるので今回は伏せて置こう。うん、全部僕が煩悩の心を持っていたのが悪いのだから……。
生徒指導室に閉じ込められてから何分経っただろうか。幸田先生の待ち人は一向に現れる気配はなく、もしかしたらこのまま昼休みが終わってしまうのでは……という可能性も十分にある。
幸田先生も僕と思考が同じようで、先ほどより人差し指の叩く速さが目の錯覚でなく確実に上がっている。つまりは苛立ちも増大しているということだ。幸田先生が苛立ちの鬱憤で八つ当たりするサンドバッグが僕にならないことを心から祈ろう。
本当に何もすることがなくなり、ただスマホで時間を確認することしか暇を潰せなくなった。
「はぁ……」
思わずため息が溢れてしまう。でも、こんな窮屈な空間に居たら吐いたため息が知らずのうちにまた吸ってしまいそうだ。いっそのこと、トイレに行ってくると嘘をついてここから逃げ出そうかな……はは。
こんな結果が目に見えたくだらないことを思い付いてしまっては僕もかなり精神的に限界のようだ。さて、本当にどうやってここから抜け出そうか……。
脱走常習犯の囚人の気持ちが分かった気がした。が、今は全く必要のない気持ちなど考える暇があるのであれば、ここから抜け出す方法を考えている脳に有り余っているエネルギーを存分に送り込もう。ここから出たらほろ苦なチョコレートでもご褒美に食おう。
真剣になって考えるのはいつ振りだろうか、というくらい頭脳を使っていなかったようで頭が少々痛い。自然と頭痛がする頭を抱える。
「ん? どうした輝希? 長い間閉じ込めて悪いがもう少しだけ待ってくれ」
お、これは使えるかも……。
「幸田先生、頭が痛いんで保健室に……」
「珍しいな……そうか、分かった。私も退屈だったからな、付いて行こう」
おいおい、まさかの教師同行とか予想外過ぎるだろ。流石に高校生だから保健室に行くと言えば、行って来いで返されると思っていたが……。
自分の首を自ら絞めた途端、背中にどっと冷汗が異常なほど流れ始めた。僕にとってこの判断の後は行けば地獄。行かなくても地獄。完全に詰んでしまったのだ。
「え、えーと……」
この時、僕は心から願った。今すぐ誰か分からない待ち人が救世主みたいに颯爽に現れて欲しい、と……。
ーートントントン。
「幸田先生? 居ますかー?」
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