騎馬戦

 ウリックは、単純に後ろに乗っていただけだから、気づかなかっただけである。

「御覧なさい、前から、駒が来ます」

 ルムネアが、か細い腕で、前を指差した。

「一騎ですかね?」

 ウリックも目を細めて、前を凝視する。

「強行偵察か、斥候でしょう」

 ウリックが、続けた。

「どうしますか?」

「一騎なら、やり過ごすし、復数でもやりすごしましょう」

 とウリック。これが、泥棒のやり方だ。

「どちらにせよ、やり過ごすんじゃないですか」

 ルムネアが大しておどろいてもいないのに言った。

「俺は、今まで、逃げに逃げてせいを絆いできましたから、日差しのせいでしょうか、まだこっちに気づいていませんね、馬に乗ってて、隠れたり、かがんだりするにはどうするんですか、マイ・レディ?」

「そんなことは、できません」

「バルドラ家のものですかね?」

自由騎士フリー・ライダーかもしれませんが、」

「ただの、盗賊上がりの傭兵かもしれません」

 しかし、突然、その騎士ライダーは、馬の腹を蹴った、蹴ったことだけは、見えた。

 まだ、距離があるため、小さいが、馬が跳ねたように見え、こちらに向かって全速力でやってきた。

「ごちゃごちゃ言っている間に、バレましたよ、マイ・レディ」

 ルムネアは、馬首を巡らし、直角に方向転換し、同じく、馬の腹を蹴った。

 元、裸馬だった、雄馬も立ち上がりそうになり、駆け出した。

 馬上は、ものすごい勢いで揺れる。あぶみに足をかけているルムネアはいいが、裸馬にまたがっているだけのウリックは、腰を尻を何度も馬の背で打ち付け、悲鳴を上げだした。

「俺を置いて、逃げてください!」

 ウリックが、叫んだ。

「うだうだ、言っていると、舌を噛みますよ。サー・ウリック」

 騎士ライダーも、ルムネアの進路変更に合わせて、曲がった、その距離、もう400メルドぐらいしかない。お互いの馬の方向は、並走になっている。

 騎士ライダーは、軽装だ。鎖帷子に小さなヘルム、ヘルムには、小さな両羽の頭立てが両側についている。

 そして胸当てだけ。短槍を馬の鐙の脇に装着している。紋章の付いたサーコートは着ていない。

 ウリックは、ももの内側の髀肉ひにくだけで、体を馬で挟んでいたが、もうこれ以上は、支えられなかった。

「もう無理です」

 ウリックは、できるだけ、受け身を取って、馬上から落ちた。

「ウリックっ!!」

 ルムネアが、振り向いて、叫んだが、ウリックは、きれいにかどうかは、わからないが馬上から、落下した。

 ルムネアが見たのは、ものすごい勢いでゴロゴロ転がる、小太りの男だけである。ルムネアの乗る、馬の馬速が急に上がった。

 それだけ、ウリックは、馬にとって負担だったのである。

 400メルドの廻いなど、馬で駆けると、一瞬である。羽の頭立ての騎士ライダーは、一瞬、落馬したウリックを始末するか、駆けている、ルムネアを追うか、躊躇したが、馬速を落とすことなく、ルムネアを容赦なく追いたてだした。

 ルムネアは、自分のほうが、遥かに軽いから、有利なことを認識していたが、どうして引き離せないか、分からなかった。

 所詮、<狼の遠吠え>城の郭や、城外の野原で王女パキアの乗馬の相手の噛ませ犬として、ちょっと駆け回った程度である、こんな全速力で、馬を駆けたのは、昨日に引き続き、二度目である。

 正直、この雄馬から振り落とされそうで、怖い。それも、おそらく死だろう。

 羽の頭立ての騎士ライダーは、どんどん差を縮めてくる。

 ルムネアは、どっちにターンして、逃げれば良いのかさえ、わからない。騎士ライダーの遠い方、遠い方に切り返して、逃げるが、馬の差だろうか、乗馬技術の差なのか、わからないが、引き離せない。

 羽の頭立ての騎士ライダーは、最短距離で、ルムネアの切り返しについてくる、最短距離どころか、内側内側とせめて来る。

 この騎士は、予想外に、手練てだれだ。

 ルムネアは、最初から逃げるあてもなかったのが、致命的だった。もう向かう先からして混乱していた。

 

 一方のウリックは、海草原シー・グラスの下生えの草を転がり終えると、体中が痛かったが、やおら、どうにかして、起き上がった。肋骨か、鎖骨ぐらい折れているかもしれない。

 永遠と続く、広い草原の中、馬の蹄の音で、どうにか、ルムネアの方向に感づき、見やる。

 ルムネアが、苦戦しているのは、一目瞭然だった。

 馬首を鋭角に切り返すたびに、どんどん差を縮められている。

 どうやら、騎乗の技術も、馬の能力も、あの単騎の騎士ライダーのほうが、上らしい。

 ウリックは、帯剣していた、長剣を抜いた。

 抜刀したのも、はじめてなら、長剣を振るうのは、人生はじめてである。また、人に向かって剣を抜くのも人生はじめてである。

 飲み屋での喧嘩でナイフを抜いたことはあったが、自分が斬りかかるより、先に、相手に拳に一撃され、気を失った思い出しかない。その時、自分が、酔っていたか素面しらふだったか、どうかすら思い出せない。

 ただ、ニ本歯を失ったことだけは事実である。

 ウリックは、ルムネアとは、全く関係ない、一方向をちらっと見ると、そちらに、すこし、体をずらし、それから、ルムネアに向かいあらん限りの大声で叫んだ。

「ルムネア!、こっちだっ!!」

 ルムネアが、馬上の馬の荒い息遣い、けたたましいひづめの音の中、ウリックの声など、聞こえたわけがないが、自然と、ウリックのいる方向に駒を向け、舞い戻ろうとしていた。

 そして、ルムネアが、何度めかわからないが、後ろを高速で駆ける中、振り変えると、もう騎士ライダーは、すぐ後ろまで、迫っていた。

 騎士ライダーは、片手で手綱を操り、片手で短槍の鞘を抜いた。具足のブーツで馬の腹に血が滲むほど、蹴りを入れている。

「お願い、もうちょっと早く走って」

 ルムネアも、馬の腹をパカパカ蹴り、片手で手綱、もう一方の手で、馬の首や腹をバシバシ叩いている。

 しかし、いかんせん、馬が早く走ってくれない。

「あなた、農耕馬なの?」

 もう、ルムネアの死が、短槍の穂先か、落馬か、というところにまで、迫っていた。

 死が、数メルドから、数フィルドの単位に切り替わった。

 ウリックが、長剣を抜いて、構えている。あの側を通れば、ウリックが追撃中の騎士か、その馬の足でも斬ってくれるかもしれない。

 やっぱり無理だ。

 ウリックは、なにか、明後日の方向を指差して、叫んでいる。

 全然聞こえない。相変わらず、サー・ウリックは、使えない、誓約の騎士スウォーンド・ナイトだ。

 悔しいから、ウリックをこの馬で轢き殺してやろうかと思う。

 しかし、そんなことしたら、ふたりと馬とともに、投げだされて、二人と一頭でもんどり打って団子になって転がっている所をま後ろから、短槍でぶすっとまとめて串刺しにされて一貫の終わりだろう。

 ルムネアはウリックのそばを駆け抜けるときに、ありったけの声で悪態をついた。

「このうすのろ!」

 貴族の娘としては、最大に汚い言葉だった。

 一瞬で、ウリックの横を駆け抜けた。

 ぱっと振り返ると、ウリックが、長剣を半身になり構えているが、半身になる方向が真逆である。

 あのバカは、振り向きざまに抜身で斬るつもりか。

 

 ウリックは、ルムネアがなにか、モゴモゴ言いながら、側を駆け抜けたときに、もう役目を終えていた。半身になったのは、追撃中の羽の頭立ての騎士ライダーに斬りかかるためではない。

 逃げるためだ、いや違う、避けるためだ。必死に騎士ライダーの馬のコースから身を避ける。小太りのウリックはヨチヨチという感じだったが。


 もう、ルムネアにも、分かっていた。ルムネアとその馬は、だーっと海草原シー・グラスを駆け抜けた。

 真後ろまで迫った、羽の頭立ての騎士ライダーは、短槍を引いて、構えた。

 が、すんでの所で、どわっとものすごい音をたてて、馬ごと転倒した。騎士は、鐙から脚が離れ、馬首を飛び越え、馬が転ぶ中、慣性の法則のまま、その速度を維持して、馬首をすり抜け、馬よりもはるか前に吹き飛んだ。

 騎士ライダーは、走狗猫そうくびょうが佇んでいた、大きな岩に蹴躓いて、転倒していた。

 騎士ライダーの馬は骨折し、悲惨な有様だった。騎士ライダーも同様だった。

 ルムネアは、数十メルド先で、馬を止め、大転倒した、騎士ライダーと馬の方を見ていた。

 

 ウリックが、抜き身の長剣を引きずりながら、騎士ライダーのところまで、歩を進めてきた。

 騎士ライダーは、ヘルムの庇で両目とその周囲を潰し、大出血していた。

 怪我はそれだけでなく、体の重要な部分もかなりの部分が傷んでいる様子だった。、

 ヘルムの両脇に付いていた、羽の小さいながら立派な頭立てはもう折れて無くなっていた。

 騎士ライダーは、立つことすら、できそうになかった。

 そこへ、ルムネアも、馬の轡を持って、とぼとぼ歩いてきた。

 ウリックが、言った。 

「レディが、見るべきものではないですよ」

「いえ、見なければ、なりません」

 ウリックが、尋ねた。

「口が効けますか、サー?」

 騎士は、失明した上でもしっかり口を聞いた。

「リアム・ブロウディッシュだ、サー・リアム・ブロウディッシュだ」

「見事な、騎乗マウンテッドでした」

 ウリックが言った。

 血の涙を流しながら、サー・リアム・ブロウディッシュは、答えた。

「冗談だろ、月のものすら迎えてそうにない娘っ子に落馬したデブ相手にこのザマで、嫌味か」

 サー・リアムの周りに出来る赤い海はどんどん広がっていった。

「言葉を残されますか、もしそれなら、伺いましょう」

 サー・リアムの声はどんどん小さくなっていった。

「お前らに残す言葉などない、どうせ、売女の息子に平民の娘だろ、それとも、ただの夫婦めおとの馬泥棒か」

「マイ・レディ、サー・リアムは悪態をついておられるのではなく、死を望んでおられます」

「分かっています」

 サー・リアムはもう息をするのすら辛そうだった。

「レディは、あっちを向いていてください」

 ウリックが言った。

「いえ、刀を振るう力こそ私は、持ちあわせていませんが、私は、すべてを見なければ、なりません」

ご命令どうりにアズ・ユー・ウィッシュマイ・レディ」

 そういうと、ウリックは、思いっきり、長剣を振り上げ、ほとんど、剣の重さだけで、サー・リアムの首を切り落とした。

 ウリックは、生まれて、はじめて、人を殺した。

 転がったサー・リアムの首がルムネアのブーツまで転がってきた。切り落とされた人の首とは、こんなに転がるものとは、ルムネアは知らなかった。

 ウリックもだ、ウリックは、王都で処刑を見たことがあったがその時は、首受けのバスケットが下においてあった。

「あの馬はどうしますか、マイ・レディ?」

「私達が、手を下す必要はないでしょう」

 朝出会った、走狗猫そうくびょうが、血の匂いを嗅ぎつけ、嫌な足取りで近寄ってきていた。

「これが、騎士ナイトの、、」

 そこまで、ウリックが言うと、ルムネアが遮った。

「言わなくても、結構です」

 ルムネアと、ウリックは、脚の遅い馬の轡をとると、とぼとぼと、<狼の遠吠え>城を目指した。

「サー・ウリック、内ももが擦れて、とても痛いのですが」

 ルムネアが言った。

「まだ、そのドレスでのブルマをしているんですか」

「他に方法がありません、それと、婚約前のレディの内ももを見ることは将来の夫が許しません」

「もう一騎と出会うと、終わりですね」

「そうですね、誰にも会わずに、王都にまでたどり着けることを大神に祈りましょう」

「そうしましょう、この雄馬もたぶん祈っているでしょう」

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