第4話「Cの福音」

 一


 目の前に化け物カレーが出現した。

 洗面器ぐらいある皿。

 半分は茶色い液体が、だぷんだぷん。顔を洗うのにちょうどいい量。

 半分は白いご飯が湯気を立てて。

 うわあ。となりのコップと比較するといかに化け物かがわかる。

 これが千四百グラムカレーだった。


「それでは挑戦者への説明を始めます」


 店員さんが神妙な顔つきで言った。

 ぼくは「や、やめときゃよかった」と思いながら聞いていた。


「制限時間は二十分です」

「ひい」

「一粒でも残したら失格になります」

「は、はあ」

「それでは健闘を祈ります」


 やるしかないのか。


「がんばるですよお!」


 向かいの席では、子供っぽいワンピースを着た、大きな丸眼鏡の女の子が嬉しそうに笑っていた。私服に着替えた松戸才子だ。


「スタート!」


 店員さんが、テーブルに置かれたキッチンタイマーを作動させる。

 ええい!

 ぼくは千四百グラムカレーに顔を近づけた。スプーンを突っ込む。

 食べる。また食べる。大食い早食いにはいろいろテクニックがあるらしい。ペースを一定にするとか味に変化をつけるとか……

 いろいろ考えていたはずなのに頭は真っ白、思い出せない。それどころじゃない。

 スプーンを往復させた。ご飯とスープを胃袋に押し込んでいく。

 ……ぜんぜん減らない!

 すくってすくって、確かに胃袋は内側から押し広げられていくのに、皿にこんもり盛られたカレーは相変わらず。このペースならもうなくなってるのが普通な のに端っこの方が少し減っただけ。せいぜい四分の一。

 なんて、化け物。

 そう思った瞬間、胃袋が「ぐりゅっ」と異音を発して身もだえした。

 混ぜてみる。ご飯をカレーに全部漬け込んでみる。あとで味なしご飯だけが大量に残るという悪夢のようなことだけは避けたい。生暖かい、ちょっと茶色く なっただけでほとんどなんの味もしなくなったご飯を、500グラムも1000グラムも食べなきゃいけないってことがどんなことか。考えただけで気が遠くな る。だからまだものを考えられるうちにやっておかないと。

 だけど、ああ、駄目だ。

 一瞬カレーを口にするのをやめたから、「ぼくは何をやってるんだ?」って体が思ってしまった。

 スプーンをカレーに突っ込んでみた。だが動かない。動かせない。

 水を一杯飲んで胃に刺激を与える。汗を拭く。そしてまた食べ始める。

 食べて食べて……まだやっと半分。


「はうー、あと九分しかないですよ半分過ぎちゃいましたよお、ペースアップするですよお!」


 才子が言った。冗談じゃない。そんなことできるか。

 ああ意識が遠のいてきた。なんで才子がここにいるんだっけ。何でぼくはカレー食ってるんだっけ。

 そうだ。才子にだまされたんだ……


 「才子の調べたところによると特技のある人ならモテのきっかけが作れるですよ! でもアニメに詳しくなっても逆効果だと思うですよ! 多久沢さんは勉強 も運動も駄目だから手近なところで大食いとかに挑戦してみるといい感じですよ! ほら商店街のカレー屋で大食い挑戦者募集してるですよお! たくさん食べてテレビに出るです!」


 なんていわれて、その気になって。

 ただ、たくさん食べるってだけのことがこんなにつらいなんて。


「才子さあ……」

「はう?」

「なんか薬ない? 胃袋をパワーアップできる薬とか」

「そんなの使ったらインチキですよ。自分の力でやるからいいんです! さあもう8分! ぜんぜん間に合わないです! もっと急いで!」


 ニコニコしながら、才子は言う。

 楽しんでるだろこいつ。

 無理やりスプーンを口に突っ込んだ。口のなかが、もう味も分からなくなった粘液とご飯粒でいっぱいになる。

 胃袋がぼくの意思に逆らってゴキュンゴキュンと異音を立てる。なにか重い塊が腹の中で転がってる。痛い。体が抵抗してる。水と一緒に無理やり飲み下した。

 苦しい……


「もうやめる……」

「駄目ですよお! 大丈夫です多久沢さんならまだやれます! 弱音を吐いたりできるうちはまだ余力がある証拠ですよお!」

「吐くとか言うなあ!」


 い、今の言葉で今の言葉で胃袋が大々的にポンプ活動を開始。

 立ち上がってトイレに駆け込もうとした。でも才子がぼくを見つめて、丸眼鏡を光らせながら言った。


「こらえるんですよお! 食べたらモテますよおー。食べモテですよおー。たっべモテ! たっべモテ!」


 ううう……


「商店街のカレー屋さんで爆発ピー事件起こしたなんて知れたらもう大変ですよ。学校中に知れ渡っちゃうですよ? カレーゲロッパーの十字架を一生背負うですよ? モテは永遠に不可能になるですよ?」


 そういわれると、もう少し粘ってやろうかって思う。

 大皿をにらみ付けた。

 8割は食べた。でもあとの2割を攻略するのがどんなに大変か。

 でも……


「食べればモテモテ食べればヒーロー食べればモテモテ食べればモテモテ」


 耳元で変なことをささやくな!

 ああ。

 食べたいのは山々だ。どうにかしてもっと食べたい。でも体が言うことを利かないんだ! 食べたい。でも食べられない。食べたい。食べたい。食べたい。

 ぼくはスプーンを持ったまま、震えながら、カレーをにらんでいた。

 食べたい、食べたい、食べたい……

 その瞬間だった。

 ぼくの中で、なにかが変わった。

 カチリと、スイッチが入った。

 胃袋の圧迫感が消えた。

 ちょっと動いただけで逆流しそうだったのに。

 逆にわいてきたのは空腹感だった。

 もっと。かれーを。くわせろ。

 鼻がピクピク動いた。腹が鳴った。よだれが口の中にあふれてくる。ほんの一瞬前まで、カレーはもう嫌だなんて思っていたことが信じられない。

 食った。食った。いくらでも食える。


「は、はう!! 凄いです!」


 これまでの何倍もの速さでぼくは千四百グラムカレーを平らげた。

 スプーンをえぐるように皿にこすり付けて、粒一つも残さず食べる!


「完食したです! わあ! 店員さああん!」


 才子が店員を呼んだ。

 だが、ぼくにとってはどうでもいいことだった。

 カレーがなくなってしまった! 食べたらなくなるのは当たり前? うるさい! ぼくはカレーが食いたいんだ。あの鼻腔をくすぐる刺激的な香りが、生命の 熱気に満ちたあの褐色の液体が! 


「カレー!!!!」


 やってきた店員に、ぼくは絶叫した。


「は……完食おめ……」

「カレー! カレー食わせろ! もっと! もっと! もっと! カレーを! 今すぐに! もってこい! 大量に! 無限に! 永遠に!!」


 店員は言葉を失った。


「もってこいといってるんだっ!!」


 ぼくはまた叫んだ。店員は慌てて走っていく。


「ど、どうしたんですか多久沢さん? カレーのうまさに目覚めちゃったですか? これで全国いけますね!」

「……」


 ぼくは返事をしなかった。

 それどころではなかったのだ。

 カレー。早くカレーをもってこい。もう三十秒経った。もうすぐ一分だ。あと何分かかるだろう。五分か。十分か。ダメだとても待てない今すぐ食べたい。

 食べたいカレーを食べたいカレーを食べたいカレーをおおおお!

 隣の席に座ってる奴に襲いかかった。張り倒す。皿を奪う。顔を皿にくっつけて、湯気を立ててるカツカレーを貪り食った。

 あっという間になくなった。

 まだだ! もっと! もっと!

 ぼくはその次の獲物を探した。悲鳴をあげる奴がいる。店員が血相変えて飛んでくる。

 邪魔する気か!

 カレーを食べることを邪魔する奴は許さん。

 ぼくは口からボタボタとカレーをこぼしながら立ち上がった。

 と、そのとき首筋に冷たい痛みが炸裂した。

 振り向く。

 才子が、ぼくの首に注射器をつきたてていた。


「あ……」


 体から力が抜けていく。

 あの気持ちも消えていく。カレー……カレーがなんだっていうんだ?なんでカレーがそんなに食いたくなったんだ? ぼくはなにを……


 二


 ぼくは才子の家にいた。

 居間のソファに腰掛けている。

 隣には才子。消化器みたいにでかい注射器を抱えている。向かいには彩恵さんと親父が白衣姿で座っている。

 ……いつも白衣なのか、この人達は?


「……つまり、ある瞬間、カレーが食べたくて仕方なくなったのね?」

「うん」


 彩恵さんは切れ長の眼を真剣な光で……警戒心で満たしてる。


「すごかったですよお。カレー食わさねば斬る! みたいなノリでしたよお!」

「それで襲い掛かってしまった」

「うん……」


 自分でも、なんであんなことをしたのか全然分からない。


「ひとつ原因に心当たりがある」


 さっきから尊大百二十パーセントで腕組みしていた親父が言った。


「君はもしかして、昔カレーを粗末にしたことはないかね」

「……カレーのバチが当たったんですか?」

「科学的に消去法で考えるとそうなる」

「そういうのを真っ先に消去してくださいよ!」

「だって……」


 彩恵さんは言った。うめくような声だった。


「もう一つの可能性は、あまりに恐ろしいのよ」


 彩恵さんの声は、震えていた。

 隣の才子が身をこわばらせた。


「……お、お姉ちゃん。もしかしてお姉ちゃんが言ってるのは……」

「そう、アレよ」


 親父が眼を「ぐわっ」と見開いた。怖い顔だった。


「ありえん。アレは完全に撲滅されたはずだ」

「ねえ、何の話してるの? アレって何?」

「……才子、あなたが説明しなさい。一番詳しいでしょ」

「はう……多久沢さんは、ある恐ろしい病気にかかっている可能性があるんですよお。その病気の名は……『印度人驚愕的激辛過食症候群』と言うです」

「い、いんど人……!?」


 彩恵さんがあとを続けた。


「ドイツ語では『カレークイスギリッヒ・クランクハイト』。19世紀の欧州で荒れ狂い、世界最悪の疫病と恐れられた病気よ」

「そ、そんなの聞いたことないよ!」

「そうでしょうね。カレークイスギリッヒ・クランクハイトの存在はすべての公式記録から抹消されているから。でも本当のことよ」

「この病気にかかったものは、カレーのことしか考えられなくなるんですよお。仕事もせず家族も友人も捨ててカレーカレーカレー……カレーを絶つと幻覚が見 えて錯乱して、泡を吹いて死んでしまうです。しまいには一滴のカレーのためなら平気で人を殺すように……」


 なんてバカな……でも恐ろしい病気。


「第一次世界大戦でマスタード・ガスが使用されたのは、いまだカレーの恐怖を忘れていないヨーロッパ人が黄色いガスにおびえることを期待したからだ、とも 言われている」

「間違いなくその病気だよ」

「だが、そんなはずはない。カレークイスギリッヒ・クランクハイトは根絶された」

「でも、げんに症状がそっくりだったですよお!」


 その時、来た!

 ぼくの中で、なにか熱い塊がはじけた。

 カレー! カレーが好きだ!

 カレーを! もっと!

 ぼくは立ち上がった。「カレエエエエエエ!!!」と絶叫した。


「はう! もう鎮静剤が切れたですか!」


 才子がぼくにしがみついた。だが、注射器を突き立てられるより早く振り落とす。

 駆け出す。台所。台所はどこだ。カレーはあるか。ないなら用はない。カレーだ。カレーだけがぼくの全てなんだ。


「ギル2、やりなさい!」


 彩恵さんの叫び。天井がパカンと開いて、少年型ロボットが上下さかさまで現れる。光線を撃ってきた。

 視界が真っ白になった。手足から力が抜ける。


「カレエエエエエエ!」


 うめいた。でも起き上がれない。


「カレエエ、カレエエ!」


 才子がぼくの背中に乗った。また首筋に痛み。頭の中に響いていた絶対的な命令が消えた。


「うむ、まちがいない」

「父さん……」

「これはカレークイスギリッヒ・クランクハイトの症状そのものだ。彩恵、才子。現実を認めようではないか」

「でも。どうして……!?」

「ワガハイの科学的推論によるとだ。どうしてもカレーを完食したい、という強い想念が時空を歪め、過去から病原菌を招きよせてしまったのだ」

「いいのか、そんなアバウトな科学で!」


 ぼくのツッコミを親父は無視した。


「そんなことより重要なのは、事態をどうやって打開するかだ。才子に頼るほかなさそうだな……」


 全員の視線を浴びて、才子はふるふると首を振った。


「そ、そんなの無理ですよお! 世界中の医学系マッドサイエンティストが力をあわせてやっと退治したんですよお! 才子ひとりじゃ……」

「一人とはいっておらん。応援は頼む。だが時間はなさそうだからな……」

「どういうこと?」


 不審げな彩恵さんに、親父は答えた。


「100年前より、格段に症状の進み方が早い。この病気がここまで進行するのは半年ばかりかかるはず」

「つまり……時空の壁を超えたショックで菌が突然変異してパワーアップしてしまったと?」

「おそらくそうだろう」


 だからいいのか、そんな説明で!


「この少年の症状が最終段階に達するまで、この分だとたった数日ということも考えられるのだ! 応援を待っていたら全てが終わってしまう」


 とても怖い言葉をきいた。


「最終段階? 最終段階って? ただカレー中毒になるだけじゃないの?」

「いや。それは第二期に過ぎない。その後に第三期がやってくる。内臓がすべてカレーに置き換わり……体中の穴という穴からカレーを噴出して絶命する!」

「そんなああ!」

「才子、治療できるか?」

「……第二期まで進行した患者の快癒率は40パーセントしかないですよ……パワーアップしてるならなおさらですよお」

「……彼だけじゃないわよ、多分」


 そういって彩恵さんはテレビをつけた。


「……臨時ニュースです。××市の商店街で、数百人規模の暴動が起こりました。現地からのレポートです。暴徒はカレー屋を襲撃しているようです。なぜカ レーなのでしょう。ありったけのカレーを持ち出しているようです。あ、店を破壊しています。鍋で店員を張り倒しています。以上、現地の……ああ。それにし てもなんていい匂いの……ああ! ああ! カレーエエエエエ!」


 画面が「しばらくお待ちください(熱帯魚の絵付き)」に切り替わった。


「あ、あわわわ……」

「……すさまじい伝染力ね」

「状況は一刻を争うようだな。才子、鎮静剤を大量に持て。行くぞ」


 三


 商店街は地獄絵図と化していた。

 男、女、子供、青年、中年、老人……あらゆる種類の人々が、カレーカレーと叫んで暴れていた。カレー屋はもちろん、レストラン、コンビニも襲われてい た。道端では一袋のレトルトカレーを取り合って少年たちが殴りあっていた。カレーを食った人間をみんなで蹴飛ばして吐かせようとしていた。

 そんな人達を、彩恵さんの連れた少年型ロボット数十人が捕まえて、注射していく。

 ばたばたと、気絶した人達が歩道に積み重なっていく。


「もう発症者は一万人を越えているわ。今の段階で食い止めないと本当に人類は滅亡するわよ!」

「はう! もう鎮静剤が底をつくです!」

「時間稼ぎにしかならんぞ。才子、早く特効薬を開発せんか!」


 自分は何もしてないのにどうしてこの親父はいつもこうなんだろう。


「はうー。今ちょっと調べてるけど資料が少なすぎで作り方よくわかんないですよお」


 才子がノートパソコンと格闘していた。眼鏡が不安に曇っている。


「しかし、不思議だよな。こんなにすぐ伝染するんなら、真っ先に君たちがかかるはずじゃないか。ぼくのそばにいるのに」

「才子たちマッドサイエンティストは普通じゃないですから。病気くらいでどうにかなってたらマッドサイエンス的実験には耐えられませんよお」

「鍛えられてるのよ。爆発とか暴走とか汚染とかで」

「そ、そう……」 

「いい考えがあるわ。なにも薬で治すことはないのよ」


 彩恵さんはそう言うと、少年ロボットに命じて、巨大なトランクを持ってこさせた。


「どうするですか?」


 トランクの中から現れたのは、上半身だけのロボットだった。タキシードにシルクハット、蝶のようなマスク。


「催眠術ロボット『クルクルさん一号』よ! さあ、お前の力を見せてやりなさい!」


 クルクルさん一号は白い手袋に包まれた手を突き出した。彩恵さんを指指す。

 指をグルグル回して、渋い声で言う。


「催眠強度四十パーセント! お前は鳥だ、お前は鳥だ、お前は鳥だ……」

「……!」


 彩恵さんはうっとりとした表情になった。両腕を伸ばし、甲高い声で叫ぶ。


「コケー!!!」


 そのまま腕をバタバタさせ、髪を振り乱し、眼鏡を落として走り去っていった。


「すげえ効き目!」

「これなら病気も治せるかもしれないです!」


 そのとき一人の男が、歩道からむっくり身を起こした。早くも鎮静剤が切れたらしい。


「カ、カレー……」

「よし、さっそく!」

「クルクルさん一号! あいつをカレー嫌いにするんだ!」

「了解」


 クルクルさんは腕で体の向きを変えると、そいつに向かって指を突きつける。


「催眠強度六十パーセント! お前はカレーが嫌いだ、お前はカレーが嫌いだ、お前はカレーが嫌いだ……!」


 男は全身を硬直させた。


「か……レー?」


 道路に突っ伏して、うめいた。


「なんでカレーなんか食いたがってたんだろう。あんなの見るのも嫌なのに……ああ! あんなとこにカレーが! あっちにもこっちにも! いやだああ!」


 男は泣きながら逃げ去っていった。


「やった!」

「よし! もっと催眠術かけまくるですよ!」


 クルクルさん一号は深々とうなづくと、まだ暴れている人達を指差して叫んだ。


「かしこまりました。……催眠強度八十パーセント! お前はカレーが嫌いだ、お前もカレー嫌いだ、お前も、お前も……みんなカレー嫌いだ!!」


 その言葉を浴びせられた途端、みんな悲鳴をあげる。


「うわああああ! カレーだあああ! やめろおおお! 俺にカレーを近づけるなあ!!!」


 一目散に逃げていく。服についているカレーの匂いに耐えられないのか。上着やズボンを脱ぎ捨てる人もいた。


「簡単だったね!」

「うむ。ワガハイほどではないが、さすが彩恵は天才だな。その調子でしっかり頼むぞ」

「はう……あれは?」


 才子が指で示したのは、最初にカレー嫌いの催眠術をかけた男だった。

 うつろな表情でブツブツつぶやきながら、半壊したカレー屋を目指している。


「……どうしてカレーが嫌いだなんて思ったんだ。食いたくないなんて思ったんだ。カレー最高なのに。カレーさえあれば何もいらない……!」


 も、戻ってる?


「どういうことだよ、クルクルさん一号!」


 クルクルさんは口元を歪めた。


「……私の催眠力とカレークイスギリッヒ・クランクハイトの症状が拮抗しているためです。振り子のように、嫌いになったり好きになったりするのです」


 さっき逃げていった人達も戻ってきた。口々にカレーカレーと叫びながら。

 かと思うと、またカレー食いに行った奴が「うわああカレー怖いー!!」と叫んで店を飛び出してきた。号泣している。


「一分おきに入れ替わるようです」

「これじゃますます厄介じゃないか」


 クルクルさん一号が唸った。


「ううむ。催眠強度を上げてみます。

 催眠強度百二十パーセント! 君たちはカレーが嫌いだ! 嫌いだ! 嫌いだ!嫌いだ! 嫌いだ! 嫌いだ! この世の何よりも嫌いだ! 憎んでいる! 敵だ! 敵なんだ! 滅ぼしてやりたい! そう思っている! 見たくない! 近くにあるのもいやだ! そのくらい嫌いなんだ! 断じて好きなんて事はない! さあ、嫌いになれ!!」


 見渡す限りの範囲にいたカレー中毒者が、全員その場にうずくまった。


「カレー嫌だああ!」


 ところが、そう叫んで立ち上がった次の瞬間にはこう叫んだ。


「カレー大好きー! カレー食わせろ!!」


 そういってカレー屋に駆け込もうとした。そこでまた切り替わった。


「カレー嫌だ! 助けてええ!」


 回れ右して、全力疾走で逃げさる。数歩進んだところでまたまた切り替わる。


「カレーハアハア!」


 全員がこんな調子だった。二秒くらいで大好きと大嫌いが切り替わり、その場を行ったりきたりしていた。


「サイクルが早くなっただけじゃないか!」

「うむ。催眠力が強くなればなるほど、それに抵抗して病気の支配力も強くなるということか。これぞ作用・反作用の法則だ。実に科学的である!」


 そうかなあ。


「はうー、こいつ全然役に立たないですよお!」


 その言葉にクルクルさんは反応した。


「や、役に立たない? 私が?」


 頭を抱えた。


「そ、そうか、そうだよな、役に立たない、わたしはぜんぜん役に立たない。私は無能、私は用なし、私はゴミ、私はポンコツロボット……」


 うわ! やばい! 自分の言葉で暗示にかかってる!


「私はダメ、私はダメ、私はダメ、私はダメえええええ!」


 ぼむっ!!

 クルクルさん一号は頭から煙を吹いて沈黙した。


「……クルクルさんが!」

「だらしのない奴だ」

「才子! もっと他の方法はないのかよ?」

「ちょっとまってくださいよお! やっぱり薬作るしかないですよお!」

「前回はどうやって治療したの?」

「結局薬では治せなくて、印度の山奥で修行してカレー奥義を会得し、それで治したです。修行の仕方を間違えてレインボーマンやダルシムになる人が続 出したです。レインボーマン・ダルシム大発生がドイツに神秘主義を流行させ、やがてナチスドイツ台頭に繋がったのですよお」

「修行なんかしてる暇ないよ!」

「だから他の手を探しているです……あ! お姉ちゃん!」

「コケーコココ!」


 まだ催眠術にかかったままの彩恵さんが、両腕で羽ばたきながら駆け寄ってきた。


「コケココココ」

「なに言ってるかわからないですよ!」

「コッコッコッ!」


 クチバシで……と言いたいところだけど体は人間のままだから顔面で、彩恵さんはクルクルさんの残骸を指し示した。


「はう? それはもう壊れてるですよ? だからお姉ちゃん元に戻れないですよ!」

「ココココ!」


 首を左右に振った。


「違う?」

「コッコ!」


 今度は少年ロボットの集団を指す。少年ロボットたちは光線を出して、暴れる中毒者たちを捕らえている。


「ギルたちがどうしたですか?」

「コココー!」


 またクルクルさんの方を示す。


「ロボット! ロボットって言いたいんですねお姉ちゃん!」

「コー!」


 ブンブンと首を上下に。

 そして口をパクパクさせ始めた。


「はう? 食べる? 食べるですか? 食べる……ロボット!? はう! お料理ロボットですね!」

「コケコッコー!」


 嬉しそうだ。当たったらしい。


「来るですよお!」


 才子はノートパソコンで何か操作をしている。

 すぐに、全身真っ白のロボットが駆けつけた。といっても白衣じゃない。コックの格好だ。帽子までかぶっている。


「究極コックロボ一号! これですね!」

「コココ!」


 上下にぶんぶん。


「料理には料理! カレーよりうまいものを作ってやればいいんですよお!」

「なるほど一理あるな! よしコック! お前に究極のハヤシライス製作を命じる!!」

「かしこまりました」


 コックロボの腹が開くと、中から腕が何本も生えてきた。すさまじい早さで料理を作り上げていく。

 黒い液体が完成した。ご飯にかけられる。カレーとは全く違う甘酸っぱい匂いが充満した。

 う、うまそう!


「さあ、食べるです!」


 患者の一人がギルによって連れてこられた。患者は抵抗した。


「い、嫌だ! 俺はカレー以外のものに興味はない! カレー以外のものを食べたら魂が穢れる!」

「いいから食べるです!」


 口に中に無理やりスプーンを突っ込んだ。


「……!!!!」

「どうですか?」

「おおおおお! うまああああい!」


 あとは、ガツガツと犬のように平らげた。


「カレーとどっちがいいですか?」


 才子は問いかけた。もう答えは決まっていた。男の目に、表情に喜びがあふれていたのだ。


「断然こっち! 最高だ!」

「カレーを食べたいとは思わないですかあ?」

「うまいほうがいいに決まってるじゃないか?」


 本当にうまいものの力なら、中毒をも打ち破れるのか!


「よし、他の患者にも食わせるのだ!」


 四


 治療は完璧にうまくいった。

 コックロボの作った究極ハヤシライスを口にしたものは、みなカレーの呪縛から解放された。カレーはたくさんある食べ物の一つにしか過ぎなくなったらし い。ロボットは商店街にいた人間全員に食べさせて回った。みんな治った。それっきり二度と症状は現れなかった。

 こんな治し方があるなんて、と才子は驚いていたが、現に効いてるんだから仕方ない。

 そして……


 五


 ぼくたちは松戸家の居間にいる。

 みんなでテレビを見ていた。


「……次のニュースです。ハヤシライス依存症が爆発的に増大しています。ついに痛ましい事件が起こりました。本日未明、××市××町のファミリーレストラ ンに、拳銃のようなものを持った四人組の男が押し入り、店のハヤシライスを全てよこせと要求しました。店長がメニューにないと応じると男たちは大暴れ、店を破壊して逃走。全国で同様の事件が続発しており……」


 ぼくは彩恵さんを見た。


「彩恵さーん!」

「お姉ちゃん!」

「彩恵!」


 彩恵さんは両腕を上げた。


「コケーコココ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る