第5話「タイム・ディープ」

 一


 たくさん本が入るリュックを背負って、買いすぎてそれでも容量が足りなくなったときのために紙袋を用意した。

 秋とは言え、会場はかなり暑くなる。だからPETボトル入りのお茶を用意した。


「母さん、行って来るよー」


 ドアを開けた。

 廊下に、ぶかぶか白衣を着た超小柄な女の子がいた。


「どこに行くですか!」


 松戸才子だった。丸い眼鏡がきらっと光る。


「な、なんで君が!」

「どこに行くかと訊いてるですよ!」

「えーと……同人誌を買いにいく。『琥珀さんオンリー同人誌即売会 あはっ出しちゃえ2003』っていう奴」

「それがいけないですよ!」


 才子は大げさに首をブンブン振った。


「ただでさえ多久沢さんはモテっこないのに自分からオタ全開してどうするんですか! モテ計画あきらめたですか?」

「い、いや、諦めてはいないけど……ほらぼくだって息抜きしたいことはあるし、こないだ才子はオタでもモテる人はいるって言ったから……」

「調べてみたけど、やっぱりアレは特別なエリートオタの話ですよお。多久沢さんは人よりずっと下だからそんな事できるわけないですよ!」

「でもほら、『自分の世界を持ってる人が好き』っていう女の子いるじゃないか? だから別にオタでも……」

「あれは女の子が『あなたはいい人』っていうのと同じ社交辞令ですよ! 実際には『いい人』じゃなくて『どうでもいい人』だと思われてるですよ!」

「え? そうなの?」

「まったく……とにかくモテない原因は一つでも少ないほうがいいです! いますぐオタをやめなきゃダメです!」

「それを言いたくてわざわざ来たの?」


 ヒマ人だなあ。


「口で言っただけでは無駄だって分かってるですよ。だからこれから才子と一緒に脱オタ特訓をするですよ!!」


 小さい手で袖をつかまれた。


「あんた何やってんの?」


 母さんが出てきた。


「あら松戸さん! あがっていって! ごめんねうちのバカのためにわざわざ」

「はう、ちょっとお借りするです!」

「優人! 松戸さんの言うことをよくきくのよ!」


 ……。

 ぼくは弱々しく首を振った。

 母さんは完全に才子をお目付け役みたいな感じで認めてしまってる。


「……行って来る」


 ドアを閉めると、ため息をついた。


「きみ、母さんに好かれてるね」

「生まれてはじめて息子にできた、女の友達だからじゃないですか?」

「女の!? 君が?」

「……人のことよく言えるですね! それより出発! 時間がないです! 症状はだんだん進行していくですよ?」


 才子はペタペタという変な足音を立てて歩き出した。ぼくはそのまま引っ張られていく。


「ちょ、ちょっと引っ張らないで。みんな見てるよ」


 住宅地だからそうでもないけど、やっぱり通りがかった近所のおばさんとか子供とかが見ている。


「多久沢さんが『ヤダ、オタ? キモ!』とかそういう目で見られるのは元からですよ!」

「……」

「まずテストをするです」


 才子は紙を何枚か出して広げた。


「テストっていうと?」

「オタ度判定テストです。まず多久沢さん。『マーク2』という言葉から何を連想するですか?」

「……そりゃもちろん、ガンダムマーク2」


 才子は立ち止まった。笑っているような泣いてるような微妙な表情をしている。


「違うの? じゃあエルガイムマーク2」

「……他に何かないですか?」

「……うーん、そうだ! これなら確実だ。レイズナーマーク2!!」

「……次の問題! 『Uー20』ってなんですか?」

「そりゃもちろん、名前からして潜水艦でしょ?」

「ああもう! それも間違いではないですけどおお! 『MS』は何の略ですか?」

「モビルスーツ」

「ATは! 」

「アーマードトルーパー以外に何かあるの?」


 才子は頭を弱々しく振った。


「ハイデッガーって?」

「勇者シリーズ?」


 才子はその場に座り込んで頭を抱えた。


「あああ……お姉ちゃん、才子はもうダメっぽいです……」

「どうしたのさ?」

「ここまで終わってる人だとは思わなかったです。この世にはコミケ会場と秋葉原以外の場所もあるんですよお!?」

「分かってるって。他の即売会もあるからね」

「ぜんぜんわかってないですよ!! そんなことで生身の女に相手にされると思ってるですか!?」

「君、今もしかしてすごいこと言わなかった?」

「真実ですよ! ちょっとこれをはめれば治ると思ったのに……」


 才子は白衣の「異次元ポケット」から金色の輪っかをとりだした。


「なにそれ」

「これを頭にはめると、オタっぽいことを考えるとギリギリ閉まるですよ! これをはめたまま秋葉原に放り込んで、しばらくのたうち回らせればたいていのオ タは治るですよ! でも多久沢さんの場合は治る前に頭がグチャッといっちゃいますから駄目です」


 才子は立ち上がり、腕を組んで考え込み始めた。


「オタの駄目っぷりをさんざん見せるのはもう慣れてるからムダですしぃ……うーん……やっぱりこれしかないですねえ……」


 ごそごそと、薬の入った巨大ビンを出す。


「それは?」

「多久沢さんはなんでこんなに終わってるのか? きっと幼い頃に人生が大変腐ってしまう感じの出来事があったに違いないです。それをもとから断つですよ!  オタ人生を変えるですよ!」

「じゃあ、その薬は時間を超えるの?」

「そういうことです。この薬を飲むと脳のある部分が活性化されて量子力学的な場が発生して時空を超えるですよ!」

「もしかして自分でも原理分かってないでしょ?」

「はう……物理学は才子の専門じゃないですよお。だから原理は今適当に考えました」

「え……?」


 ぼくは凍り付いた。それって……

 才子は薬のビンを両手で持って、とても嬉しそうに微笑んでる。

 才子が嬉しそうであればあるほど事態は危険であることを最近になってやっと学習した。


「……どういうこと?」

「用務員さんに悪いなーと思って水虫の薬をもう一回作っていたですよ。そしたら偶然この薬ができちゃって……」

「なんでそうなるんだよ!?」

「『おまたせしたですよ! これさえ飲めば水虫なんて一発ですよ!』とか言ったら大喜びでグビッと……そしたら用務員さんごとバシュッと消えたですよ!  父さんのタキオンレーダーで追跡したら八百年後の世界に飛んでいったらしいですよ。でも八百年後の科学なら水虫なんて簡単に治るから才子嘘ついてないです よ!」

「ぼく帰る!」


 そう叫んで帰ろうとした。くるっと回って早足で歩きだす。

 だって、今度こそ死ぬぞ。

 でもベルトのあたりをつかまれた。


「一生女の子とつきあえなくてもいいですか?」


 振り向いて、むっとした顔の才子にぼくは叫んだ。


「……時空のかなたに吹っ飛ばされるよりはマシだ!」

「その問題なら解決したですよお。用務員さんの尊い犠牲があったからいろいろ分かったです。もう制御できますよお!」

「……君の言うとおりやってうまく行ったことがあるかい!?」

「じゃあ自力でできたことがあるですか!?」


 今度はぼくが硬直した。


「い、い、言い過ぎ!!!」

「事実を認めるのは科学の第一歩ですよ!」

「そんな科学は嫌だ!」

「っていうか、こないだお姉ちゃんが活躍したから、才子も凄いことをやってお姉ちゃんをギャフンといわせたいですよ! マッドサイエンティストとして才子 の方が上だって分からせるですよ! ところでギャフンって何語?」

「結局、ぼくの事なんか考えてないんじゃないか!」


 才子はえらそうに腕を組んだ。


「それは仕方ないですよ。マッドサイエンティストは『マッドサイエンティスト三原則』に従わなければいけないんですよ!」

「……なにそれ?」


 才子は、異次元ポケットからプラカードをにょきっと出した。

 こう書いてある。


 『マッドサイエンティスト三原則

 第一条 マッドサイエンティストは周囲に迷惑をかけなければいけない。

 第二条 マッドサイエンティストは第一条に反しない限り、他人の挑発やおだてに乗らなければいけない。

 第三条 マッドサイエンティストは第一条および第二条に反しない限り、自分を守らなければいけない。』


 ぼくはわめいた。


「なんて迷惑な原則だああ!」

「でも、これはすべてのマッドサイエンティストが守らなければいけない絶対法則なんですよお!」

「知るかああ!」


 今度こそ才子から逃げようと、ぼくは走りだし……

 走ろうと思ったんだけど、そのとき何かがヒュンと飛んできた。

 首筋に鋭い痛み。

 手で首を探る。小さな注射器が刺さっていた!


「さあ、もう体内に薬がはいったですよお」


 才子はにっこり笑っていた。

 いつの間にかプラカードはしまわれていた。

 かわりにシャープペンシルみたいな極細の注射器が指の間に挟まれていた。


「そ、それって……」

「口から飲ませなければ効かない、なんて才子いってないですよ?」

「わあああ!」


 どうすればいいんだ。飲んだんなら吐けばいいかも。でも注射は……


「効果は一分以内に表れるです」


 そう言って、才子は自分の腕にも注射した。


「この薬によるタイムトラベルは強い思念によってコントロールできるですよ! つまり行きたい時代を力いっぱい念じればいいわけです! 五年前くらいがいいと思うですよ? さすがにその頃はまだオタじゃなかったでしょう? その頃から人生を修正すればいいわけですよ!」

「五年前……」


 もうこうなったら行くしかない。

 五年前、五年前。その単語だけを何度も念じた。


「才子も五年前に行きますから、勝手に時代を変えたら離れ離れになりますよ? 絶対ダメですからね?」

「わ、わかった」


 五年前、五年前。


「声優だれだれさんの若い頃に会いたいとか、有名漫画家が無名だったころに出してた同人誌が欲しいとか、そういう雑念はだめですよ?」

「いま君が言ったせいで雑念がうまれちゃったよ!」

「こらえるです!」


 五年前! 五年前!

 全身に、痺れるような感覚が走った。

 そして周りにある家が、道が、通行人が、空が、ぼんやりとかすんで消えていく。

 

 二


 しりもちをついた。

 道路の上だ。

 あたりを見回す。

 ぜんぜん変わったように見えない。

 さっきまでとおなじ、うちのすぐそばの住宅地だ。

 時刻も変わってない。

 あ、でも、よく見ればちがう。

 あそこには自販機があったはずなのに、ない。

 あの家も少し変だ。屋根の形が変わってる。たぶん建て直す前って事なんだろう。

 たしかに時間をさかのぼったんだ。


「はう……いたいです」


 声がしたほうをみると、才子が顔面直撃な感じで倒れていた。じたばたと起き上がった。不思議なことに、彩絵さんと違って眼鏡が落っこちてない。


「あ、ちゃんと時間戻ってますね」


 才子は腕時計を見て言った。たぶんただの腕時計じゃなくて超空間ナントカ、タキオンナントカなんだろう。


「五年じゃあんまり変わらないなあ」

「商店街のほうに行ったらちょっとは違いが分かると思うですよ」

「……でもさ、場所がまったく同じってのはどういうこと?」

「この薬には空間を移動する力はないです」

「だったらおかしいじゃないか。地球とか太陽とかは全部動いてるんだから、タイムトラベラーが止まってたら、宇宙に放り出されてしまう」


 すごくもっともな事を言ったつもりだったけど、才子は指を立てて左右に揺らした。


「ちがうですよー。『止まる』というのは『何に対して止まる』ですか?」

「宇宙そのもの、空間そのものに対して?」

「それは相対性理論に反してるからありえないです。運動の基準となる絶対座標は存在しないです。タイムトラベラーは『地球の慣性系の中で、地球に対して』静止しているのです。だから地球と一緒についてくるですよ」

「……あのさあ。どうしてそういうところだけ科学的なの?」


 才子は胸を張った。


「サイエンティストですから!」

「ウソだ! ぜったいウソだ!」

「まあ、そんなことより……」


 あ、逃げた。


「当時の多久沢さんはどこにいるですか? 早く人生を正してあげるですよ」

「いや、だからさ」


 ぼくはため息を付いた。


「ぼく転校してきたんだよ? この町には住んでなかったの!」

「じゃあどこにいたですか?」

「××県××市」

「半日はかかるですよ!」

「仕方ないだろ。今度から空間移動もできる薬を作るんだね」

「……駅に行くです」

「電車で行くの?」

「才子は薬が専門だから移動メカとか持ってないですよ!」

「電車で移動するマッドサイエンティストなんてきいたことないよ!」

「黙るです!」


 三


 やっと着いた。

 もう夜の八時になっていた。

 ぼくがついこないだまで住んでいた団地を見上げて、才子は言う。


「はうー、ここが多久沢さんの家。ここにはまだ汚染されてない、真人間の多久沢さんがいるですね」

「……君、オタに嫌な目にでもあわされたの?」

「内緒ですよ。さあレッツゴーです!」

「ちょっと! なんて言ってあがりこむんだよ!」

「そりゃもちろん、『ハイ、ぼくは五年後の君ですよー。アニメなんか見てたらこんなになりますよー、だからやめましょうね』」

「信じるわけないだろ!」

「子供は純朴だから信じるですよ?」

「だいたい、子供がアニメ好きなのは当然じゃないか。十歳で生身の女の子に興味ありまくりでモテたいモテたいって言ってたら、そっちの方がよっぽどおかし いよ!」

「甘いです! そういう常識論を言っていいのは普通の人だけです! 多久沢さんはそのくらい小さい頃から英才教育してやっと一人前なんですよ!」

「……!」


 ひどい。そう思ったけど言い返せない。

 と、そのとき……


「うちの前でなにやってるの?」


 子供の声がした。

 そこに現れたのは。

 五年前の……小学生のころの、ぼくだ!


「あ……」

「多久沢さん? どうしたですか? もしかしてこの子が……」

「うん」

「か、かわいいですよお!! 信じられない!!」

「お兄ちゃんたち、だれ?」

「えーと……」


 どう答えればいいのかわからない。

 そこにまた誰かがやってきた。


「おおい待ってくれよお! ゆうとー!」


 ゼエゼエと息を切らして、もの凄く太った男がやってきた。年は三十歳くらい。

 ……ぼくはこの人を知っていた。


「おじさん……」


 ぼくが子供のころになついていた、おじだ。今でも趣味が一致してるからたまに会う。

 才子はひそひそ声で話しかけてきた。


「……誰ですかこの人?」

「おじさん。アニメ雑誌とかで書いてるライターで、すごくアニメとかに詳しくて。この頃父さん母さんが二人とも働いてたから、ぼくの面倒はおじさんが見て くれることが多かったんだ。ぼくがオタになった原因の一つじゃないかな」

「じゃあ今すぐ抹殺しなきゃダメですよ!」

「才子、声が大きい!」


 おじさんが話しかけてきた。


「おいおい、ひとの家の前でなに物騒なこと言ってるんだよ。誰を抹殺するって?」

「あ……」

「才子黙って! あ、なんでもないです! 行こう!」

「モガモガ口ふさがないでモガモガ! 子供の頃の多久沢さんに警告モガモガ」

「……ちょっと待った、なんで君たち、この子の名前知ってるの? そもそも誰? 優一くん、この人達知ってる?」

「しらない」

「知らないってさ。君たちは誰だ?」

「才子たちはタイム……」

「わーわー! いや別にその、正体はあかせないのですが……」


 才子が耳元でひそひそと、


「どうして言っちゃいけないですか?」

「タイムトラベルが本当にあるなんて分かったら、ぼくは別の方向のオタクになってたよ! SFオタクか、科学オタクか、なにかの拍子にオカルトオタクって ことも……」

「それはそれでまずいですねえ」

「君たちさ、全部聞こえてるんだけど」

「はうー!!!」


 才子、ほっぺたを押さえて仰天。


「分かりました。ええと、ぼくたちは、未来からタイムトラベルしてきたんです。

 ぼくは、五年後の多久沢優一なんです。それからこいつが、タイムトラベルする薬を発明したマッドサイエンティストです」


 おじさんは驚かなかった。


「……嘘をつくならもっとマシな嘘をついてくれよ」

「うわ、全く信じてないですよ!」

「オタクって意外と、現実とフィクションを分ける人種だからね。超能力とか宇宙人とかは、あくまで話として好きなだけで」

「才子、フィクションじゃなくて現実ですよ?」

「いや、何かの悪い夢だったらいいなあと、ぼくはいまでも思う」

「ひどいですよ!」

「つまんないこと言ってないで! 君たちは何の誰で、何の用なんだよ?」

「正体は信じてくれないみたいだから目的を話すです。

 分かりやすく言うとですね!

 優一くんにオタク教育を施すのをやめてほしいですよお!」

「……オタクがどうして悪いんだい?」

「えーと……」

「非難するんなら、それなりに知った上でいってるんだろうね? まず訊くけど、ガンダムは何色?」


 才子は戸惑った表情を浮かべた。

 そりゃ戸惑うよな。

 ガンダムの色はだいたい白いけど、でも一言では表現できない。


「はう……ガンダム色?」

「そんな色があるか!」

「はう。だって空は空色で水は水色で灰は灰色だから、ガンダムはガンダム色です」

「ダメだ。君はわかってない!」

「その質問には、『どのガンダム?』って確認しなきゃ答えられないんですよね。あと、どの状態ってのも訊かないと」

「お、君はわかってるなあ! それにひきかえこっちの彼女は……」

「そんなことどうでもいいです!

 ずばりって、優一くんはこのままではアニメとかゲームとか漫画のことばっかり詳しくなって、一生現実の女の子と付き合えないですよ! それはあなたが原 因ですよ! いますぐ悔い改めるですよ!!」


 おじさんは「ふん」と鼻で笑った。

 この手のことはおじさん自身いろいろ言われてるから痛くも痒くもないんだろう。


「べつにオタクでもいいじゃないか。好きなもの、楽しいものがあるってのはすばらしいことだよ?」

「今はいいけど後がダメですよ! でもこの子の人生が台無しになるですよ!」

「そんなことわかりゃしない。恋愛でも何でもいいさ、本当にオタクであることを捨ててまでやりたいことがあるなら自分の意思で捨てるだろう、それをしない のは趣味のせいなんかじゃない、本気でやりたいと思ってないからだよ。趣味のせいにするなんて最低じゃないかな?」


 言葉が出なかった。ため息さえ。

 ……おじさんの言うこと、正しいかも知れない。

 才子も何も言い返せないらしい。


「さあ、分かったんならどいてくれ。ぼくはこの子に本当のガンダム色を見せてあげなきゃいけないんだ」


 そう言っておじさんは、紙袋を持ち上げて見せた。中にプラモがたくさん入っている。


「ちょ、ちょっと……」


 才子はまだ食い下がろうとしたけど、おじさんは無視してその脇を通り抜け、団地の階段を上がりはじめる。五年前のぼくが続く。


「ねえ! えーと多久沢くん!」


 今度は子供のほうに話しかける才子。

 こっちを説得できないかと思ったんだろう。

 でも。

 振り向いた「五年前のぼく」を見た瞬間、「ああ、ダメだ」とわかった。


「おじさんは、おまえたちなんかにまけないぞ!!」


 「おじさん」に対する本物の敬意が、その口調、表情、きらきらと光る目に満ち溢れていたから。


「……ゆ、ゆういちくん」

「なんだよ!」

「おじさんのこと、尊敬してるの?」

「うん! すごくいろんなこと知ってて面白いし、さっきの最高にかっこよかったじゃん! ぼくも大きくなったらおじさんみたいな立派なオタクになるん だ!」


 そう言うなり、階段を駆け上っていく。


「……」

「……」


 ぼくと才子は、しばらくその場に立ち尽くしていた。


「多久沢さん。もしかしてこれって」


 才子が、プルプル震えながら言う。 


「ああ。思い出した。ずっと昔、うちに変な人が来てアニメとかの悪口を言ったんだ。そしたらおじさんが凄くかっこよく言い返して、変な奴らを追っ払っ て……それでしびれて、ぼくもああなろうって……確かに思った」

「そ、それじゃあ……」

「うん。ぼくがオタクになったのは、ぼくたち二人がこの時代に来たからだね」

「いわゆるタイム・ループですかああ! ありがちすぎるですよ! 納得いかないですよお!」

「あのさあ、もう無駄なんじゃないかな、帰ろうよ」


 ぼくは才子の肩に手を置いてそう言った。


「いやです! まだです! こうなったら……こうなったらアレしかないですよお!」


 眼鏡が真っ白く光っていた。


「な、なにをするのさ!!」

「多久沢さんがオタであることを変えられないんなら! 世界の方を変えてしまえばいいですよお! メソポタミアとか古代中国とかに行ってアニメ・マンガを 教えて教えて教えまくるですよ! 直立猿人までさかのぼってもいいです! 人類がはじめて持った道具は棍棒じゃなくてGペンとトーンナイフだ、という風に 変えるんですよ! 人類の文明そのものをオタ知識で埋め尽くせば、すごいオタ=偉人という価値観になるですよ!!」


 才子の両手が閃く。次の瞬間には極細注射器が左右四本ずつ握られていた!


「うわああ! やめろお! そんなことのために人類文明をめちゃくちゃにするなあ!」

「才子やるですよ!!!」

「やめろおお!!!」

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