第2話「激突! とんがりVS丸」
一
ぼくはカバンを抱えて廊下を走っていた。
「待ってくださいよおっ」
背後から松戸才子の声。
「科学部に入ってくださいよおっ」
「いやだっ」
「どうしてですかあっ」
「モテるどころか犯罪者よばわりじゃないかっ」
「はう……今度こそきっとモテますよお! だから入ってくださいよおっ」
「他の奴に頼めばいいだろっ」
「だって他の人は、『科学部に入るくらいなら死ぬ』とか、『人間としてそれだけはできない』とか……みんなひどいです!」
「知ったことかっ」
息が切れてきた。階段を駆け下りる。そしてまた廊下を全力疾走。
「はあっ、はうっ、待つですよお!」
ぼくもスポーツは苦手だけど、才子はそれ以上に足が遅いらしく、まったく追いついてこれないでいる。
よし、このまま振り切って。
「はうっ」
びたんっ。ぶちゃっ。
今の音は。盛大に転んだ音だ。たぶん顔面から突っ込んだぞ。白衣を踏んづけたんじゃないか。
「はう……はう……えぐっ、えぐ。ふえええええん」
転んだくらいで泣くか? それも大泣き!
「ふえええええんっ」
回りの生徒たちが噂している。
「おい、小さい子が泣いてるぞ」
「小さい子じゃないよ。松戸だよ。科学部の部長だよ」
「えっ。アレが?」
ロリィな外見にだまされちゃいけない。あいつのせいでひどい目に遭わされた。今度は死ぬかも。
だからほっといて逃げようと思った。思ったんだけど……
気が付いたら、ぼくは才子にかけよっていた。そんなことするつもりは全然なかったのに。
「……大丈夫?」
「はうっ……」
才子はその場にうずくまって、眼鏡のあたりを両手でおさえて、鼻をすすりながら泣いていた。
「怪我をしたの?」
ぼくが彼女の前にしゃがみこんで、その顔をのぞいた瞬間。
彼女の手が動いた!
「異次元ポケット」から、小さな瓶が取り出される。目にも留まらない早業。彼女の手がまた閃いた。ぼくは得体の知れない液体を全身に浴びていた。
「なにをするんだっ」
才子は笑っていた。もうその眼に涙はない。いや、最初からそんなものはなかった。
「う、嘘泣きかーっ」
「引っかかりましたねえっ。頭脳の勝利ですよおっ」
「なんだよこの薬はっ」
「フェロモンの改良型です。今度は間違いなく、性欲と恋愛感情を刺激するように作り直しました。効果を確かめてくださいっ。うまくいったら入部ですよ おっ」
「……でも、効いてないみたいだよ?」
「はう? そういえば」
もし本当のフェロモンなら、目の前にいる才子が真っ先に影響をうけるはずだ。
ぶうううううん。
奇妙な音が耳に飛び込んできた。
「何だ?」
その音の正体を知った瞬間、ぼくは叫んでいた。
「は、蜂!」
ものすごい数のミツバチが飛んでくる! いや、蝿もいるし蛾もいるぞ! みんなひとかたまりになって、ぼくの方に飛んでくる!
「そういえば働き蜂ってメスですよね。昆虫にしか効かないみたいですっ。これは失敗ですねーっ」
「ですねーっじゃないっ」
「でもモテモテじゃないですかっ」
「虫にもてたってうれしかないわいっ」
「もう一度研究してみますねっ」
「みますねっ、じゃなくて……どうするんだよこれっ」
「こんな時はモスラも一撃の超強力殺虫剤で!」
ぶしゅー。
「全然きいてないぞっ」
「きっと多久沢さんのためにガマンしてるんですよっ。愛の力は偉大ですねっ」
「こんな愛いやじゃーっ」
と言いつつ、ぼくと松戸は逃げる。逃げる。だが二人とも足は遅いし、もう走りすぎてへろへろだ。すぐに足がもつれる。背後には、やかましいほどの羽音。
「ギル、やりなさい!」
突然、そんな女性の叫びがした。
才子とはまるで違う、大人びた、少しクールな声だった。
同時に、「ジャッ」という何かが焼けるような音。眼の前が白く染まった。
羽音が消えた。焦げ臭い匂いが廊下に充満する。
昆虫はいなくなっていた。なにか不思議な力で……レーザーのようなもので、一瞬にして焼き尽くされたのだ。
ぼくは周囲を見回した。
いつのまに現れたのか、そこには二人の人間がいた。
一人は白衣をまとった長身の女性。クールな印象の美女。ストレートのロングヘア。フォックスタイプというのか、つり上がった三角形の眼鏡。
そのかたわらには、整った容姿の少年が、片手をこちらに突き出していた。
なんだ? 手から光線を出したっていうのか?
「ひどい有様ね、才子」
ロングヘアの美女はこちらに歩みよりながらそう言った。
「はう……お姉ちゃん」
おねえちゃん?
才子と美女を見比べた。
どっちも白衣きてるし眼鏡かけてるけど、それ以外似ているところはない。顔も、雰囲気も。
「あ……あの。助けてくれてありがとうございました」
ぼくはその女性に頭を下げた。近くで見ると本当の美人だ。少しその眼に、他人を見下しているような、冷酷な感じの光が宿っているけど。
「あら、こっちの人が、才子の言ってた新しい部員さん?」
「部員になる予定の人、っていったほうが」
「ぜんぜん予定じゃないっ」
ぼくはあわてて口をはさんだ。
「なんか話が違うわね。こう言ってるけど」
「聞いてくださいよ。ええと……」
名前がわからないから呼びづらい。
「わたし? 私は彩恵。松戸彩恵。確かに、この子のお姉さんよ」
「聞いてくださいよ彩恵さん。この人は天才とかいってるくせに全然駄目なんですよっ。目的どおりの薬を作れた試しがない」
彩恵さんは少し大げさに溜息をついた。
「やっぱりね。ねえ才子、あなたはマッドサイエンティストとしての才能がないのよ。別の道を探したほうが私いいと思うわ」
「そんなことないですよおっ! もう才子は一人前ですよおっ、お姉ちゃんにも負けないマッドサイエンティストですよお!」
「あら、言うじゃない」
愉快そうに彩恵さんは微笑んだ。冷笑の色がまじった、でも基本的には暖かく見守ってる感じの、複雑な笑みだ。
「それじゃ勝負しない?」
「はう。いいですよお。どういう勝負? 才子が得意なのは薬の調合で、お姉ちゃんはロボット工学だから、あんまり勝負にならないと思うけど」
「ロボット工学……ですか?」
ぼくは尋ねた。じゃあこの少年はロボット!?
「ええ。ロボットに関しては世界一の天才と自負しているわ。もちろん才子とちがって、自分で言ってるだけの天才じゃないわよ。この子を見ればわかるでしょ う?」
彩恵さんが、さっきから彫像のようにピタリと止まっている少年を指さす。
やっぱり。金色の髪をしたその少年は、人間にしてはあまりにも顔が整いすぎていた。そしてまったく表情を変えない。
「私の作ったヒューマノイド・ロボットの一つ『ギル』よ。まあ私にとっては凡作でしかないけどね、ごらんの通り、完璧な二足歩行と言語機能、それから護身 用の光線兵器まで搭載しているの。あ、ギル、もう腕をおろしていいわよ」
「了解、マスター」
ギルと呼ばれた少年型ロボットが抑揚のあまりない声でそう言って、腕を下ろす。直立不動の姿勢で固まった。
「ぼく帰ります。なんか、巻き込まれると嫌なことになりそうだから」
彩恵さんは確かに美人だ。ちんちくりんの才子よりずっといい。でもやっぱり姉妹だし、マッドサイエンティストだから……嫌な予感がするんだ。
「待ってよ。才子から聞いた話だと、あなた、まったくモテない男の子だそうね」
「な、なんでそんなこと話すんだよっ」
「学術的に貴重ですよお、モテナイ率四〇〇パーセントなんて。天然記念物ものです。チャバネゴキブリだって三二〇くらいしかないんですよお?」
「ぼくはゴキブリよりモテないのかっ」
さすがに泣けてくる。
「あら、でもアメリカシロヒトリは三九八だから、かなり近い数字ね」
「はうー、なにか縁があるのかも知れないです」
「あってたまるかっ」
「とにかく人類の歴史に残るほどのモテなさっぷりなのよ、あなたは。そんな訳で……どう? それで勝負というのは」
「はう? 多久沢さんをモテさせればいいですか?」
「そうよ。あなたはもともとそうする予定だったんでしょ。成功すれば部員も手にはいるし。逆に私のほうがうまくやったら、研究やめてもらうわよ。あなたの 研究は危険すぎるのよ」
最後のは同感だ。
「そんな有利な条件でいいですかあ? ロボットじゃモテなんてどうにもできないですよお?」
彩恵さんは腕組みした。微笑みを絶やさない。
「大丈夫よ。あなたもいいでしょ、多久沢くん?」
「え、あ、はい?」
「本当にモテさせてくれるんなら文句はないわよね? 最終的にはあなたに審査してもらうわよ?」
「え、ええ」
「これで決まりね」
彩恵さんの黒い切れ長の眼が、あやしい光を放った。
二
「さあ、こっちに来るですよおっ」
「痛い、痛いっ」
さっそくぼくは、才子の手によって部室に連れ込まれていた。
「そこのベッドに寝るですっ」
「寝てどうするんだよ。モテモテ人間に改造でもしてくれるのかっ」
「鋭いですねっ。かなり近いです」
才子は白衣の『異次元ポケット』から、試験管を一本取り出した。
中には淡いピンク色の液体が。
「これはイタリア人男性三千人から粗びきネルドリップ方式で抽出した『モテ要素』です。これを多久沢さんの肉体に注入すれば別人に生まれ変わります」
「それはフェロモンとはどうちがうの?」
「フェロモンは身体の表面に塗りたくるだけでした。でもこれは身体の奥まで浸透して遺伝子レベルで身体を作り替えるんです。さあ、横になって」
「はあ……」
小さすぎるベッドに寝た。いきなり腕に注射器を刺された。冷たい液体が腕に入ってくる感覚。
突然、全身を激痛が襲った。
「ぐわああああああああっ」
「はうっ?」
「痛い! 痛い! 身体が痛いいいいいいっ」
「おかしいですね。そんなに痛いはずは。あっ、これは!」
才子の声がどこか遠くのほうできこえる。
「ものすごい免疫反応。多久沢さんの中の『アンチ・モテ要素』が、注入したモテ要素と激しく戦ってるんですよお」
「どうでもいいから早くとめろおおおおっ」
「確かに、このままでは死んでしまうです。えいっ」
もう片方の腕にまた注射された。
痛みが消えていく。
「これでモテ要素は体内で分解されます。モテ要素は、多久沢さんにとって『異物』以外の何物でもなかったんですねーっ」
「結局、ぼくはイタリア男のようにはなれないってことか?」
「まだ諦めるのは早いですよお。やっぱり元から断たなきゃ駄目なんですっ。いまやったのは、半年お風呂に入ってなくて体からネギが腐ったようなニオイ出し てる人に香水をふりかけるようなものでした。まず消毒するべきだったんですっ」
「生々しすぎるから臭いにたとえるのはやめてくれっ」
「今度は多久沢さんのモテナイ要素を消滅させる薬をうちますっ。また腕を出してくださいっ」
ぐさっ。
「なんか注射器が、さっきより遙かにでかいな」
「多久沢さんの中には膨大なアンチ・モテ要素がありますからね。残らず分解するには、このくらい薬品を大量に投与しないと駄目なんです。はいっ、終わり です。もうしばらくすると効いてくるはずですよお」
なんか寒気がする。
身体から力が抜ける。
手や足の感覚がなくなってくる。
ふと首をめぐらして自分の手足を見ると……げえっ!
「す、透けてる! 透けてるよおっ」
「はう? ほんとですっ」
ぼくの身体は半透明になっていた。こうして見ているうちにも、どんどん透明度が高まっていく。
「消えてる! ぼく消えちゃうよっ」
「これを打つですよおっ。中和剤ですっ」
三本目の注射器をまた腕に刺した。しだいに身体がもとにもどっていく。
「これはつまり……多久沢さんからアンチ・モテ要素を取り除いたら、何一つ残らないという……」
「あんまりだああああああっ!」
泣き叫ぶぼくを、才子はすまなそうな顔で見下ろしているばかりだった。
三
「どうすればいいんでしょうねえ」
学校からの帰り道、ぼくと才子は並んで商店街を歩いていた。
「そんなの知るかっ。やっぱり君の言うことを信じちゃいけなかったんだ。もう君の負けは決まってる」
「そんなことないですよお。お姉ちゃんだってできないかも知れません。だって、まさかここまでの……」
「言うなっ」
「あれ? あそこにいるのはお姉ちゃんじゃないですかあっ?」
「本当だ」
確かに、ぼくたちの歩いていく先に彩恵さんの姿があった。今日も白衣をまとい、長い髪を風に揺らしている。その両脇には二人の人間がいる。
片方は、「ギル」だろう。
もう一人は……
ぼくは自分の眼を疑った。
ぼくたちの姿を認めたらしい彩恵さんが、その二人を連れて足早に近づいてきた。
「あら、こんにちわ才子、それから多久沢くん。どう調子は?」
「はうっ。訊かなくてもわかってる……」
「ええ。その顔だとさっぱりみたいね。たぶんそうだろうなあと思って、ここで待ってたのよ。早く多久沢くんを喜ばせてあげたくてね」
そういって彩恵さんは笑う。自信満々のその笑みは、どちらかというと「才子に早く勝ちたくて」だろう。
ぼくは我慢できなくなって訊いた。
「その……彩恵さんの方法ってのが、ここにいるロボットですか」
「そうよ。私の最高傑作『ミリア』よ」
二体目のロボットは女の子だった。
「はじめまして。ミリアです」
やわらかく暖かい、聴いているだけで心が癒されるような声で、ロボットは言った。
「逆転の発想よ。多久沢くんがモテるようにするんじゃなくて、多久沢くんみたいな子でも好きになってくれるような人を作ればいいのよ」
「で、でも」
才子がほっぺたをふくらませて抗議した。
「そんなの反則ですっ。それじゃゲームのとかアニメの女の子相手に萌えーとか言ってるのと同じじゃないですかっ」
「それは本人に決めてもらいましょう。どう、同じだと思う? この子じゃ不満?」
「い、いや……」
ぼくは「ミリア」のそばに寄って、しげしげと観察した。
完璧だ。
息をのむぼく。彩恵さんが解説する。
「髪の色は緑! これは基本ね。それから服装はメイド服。これも基本よ。喋り方は『ですわ口調』に設定しておいたわ。声は癒し系の皆口裕子! アクセント として耳のあるべき場所には魅惑の突起物」
才子がぼそりと口を挟んだ。
「お姉ちゃんもしかして隠れオタクですか?」
「う、うるさいわね。私はロボットの天才よ、天才はあらゆる種類のロボットを完璧に作れなければいけないの。だからマンガやアニメについても研究したの。 それだけよ!」
「なんでそこまでムキになるですか?」
「ま、まあとにかく……多久沢くん、あなたこういうの好きでしょ」
脊髄反射なみのスピードで答えていた。
「うん、大好きっ!」
「……」
才子が軽蔑のまなざしを向けているのがわかった。でも、どうでもいい。
「嬉しそうね。ただ奇麗なだけじゃないのよ、この子はあっちのほうも完璧で、×××なんて××××××よ? しかも××だから××××もできるわよっ?」
「お、お姉ちゃん露骨すぎますよおっ」
「うっ、うおお鼻血がっ」
「あら、ちょっと刺激が強すぎたみたいね。さあミリア、あなたはこの男の子の恋人になるのよ?」
ミリアは小首をかしげた。
「コイビト……この男の子が、わたしのターゲットだということですか?」
「ターゲット? ええそうよ。いいことミリア、こんな奴とつきあうのはいろいろと耐え難いことがあるかも知れないわ。でも、耐えるのよ。どんな障害があっ ても、必ずやりとげるの。わかったわね」
「わかりましたわ。では殲滅します」
相変わらずの、柔らかくて明るい声で。
ミリアは殲滅と言った。
「は、はあっ?」
「お姉ちゃん、このロボット戦闘用です!」
「そんなはずないわよ。恋人用のロボットよ。どんなダメ男だって愛せるようにプログラムしたのよ。さあ答えてミリア、あなたの基本プログラムは『ラブ&ピース』よね?」
「『サーチ&デストロイ』です」
「あれえ?」
そう首をかしげた彩恵さんの仕草は。
恐ろしいことに、妹そっくりだった。
「ちょ、ちょっと違うわねっ!?」
「ちょっとじゃありませんっ! あなたは天才じゃなかったんですかーっ!」
「それはねえ……」
彩恵さんは眼を伏せて、モジモジと恥ずかしそうに言った。
「私、ロボット工学は天才だけど、プログラムのほうはさっぱりなの」
「それを先に言ってくださいっっ!」
ぼくはわめいてあとずさった。
ミリアは微笑を浮かべてスタスタと自然な調子で歩みよってくる。
「ちがう、ちがうんだ、ぼくは……その、そういう意味のターゲットじゃなくて……」
「殲滅しますわ」
「ミリアやめなさい。やめないと破壊するわよっ、ギル、このロボットを」
そこまで言った瞬間、ミリアの片手が流れるように動いた。ギルに五本の指が向けられる。閃光が走った。ギルが出したのとは比較にならない強さの光線だ。
ギルは跡形もなく蒸発していた。
「最高傑作だけのことはあるわ……やめなさい! それ以上さからう……」
ミリアの片手が、今度は彩恵さんに向けられた。光ではなく、「ばしっ」という音が弾けた。
「うっ」
彩恵さんは倒れた。
「マスターはおっしゃいました。どんな障害があっても実行しろと。だからそれを邪魔するものは、たとえマスターでも……」
「殺したのかっ!?」
「いえ、気絶しただけですわ。でも……」
そこでミリアは、満面の笑顔を作った。
「あなたは、確実に殺してあげますねっ」
「たすけてええええ!」
ぼくは叫び、振り返って逃げた。
目の前に何かが瞬間移動してくる。いや、そう見えるほど早く、スカートを揺らめかせてミリアが回り込んできたのだ。
「逃げてもだめですわっ」
「多久沢さん! これをっ」
才子がぼくに突進してきて、注射器で何かを突き刺した。
「走って! 逃げて!」
言われる通り走った。
才子が打ってくれたのは、足が速くなる薬らしい。それも驚異的に。ぼくのスピードはたちまち時速五〇キロを超え、百キロを超えた。
「わっ、わっ、わあああっ」
あまりのスピードに本人が驚いてしまうほどだ。
ぼやけるほどの速度で前方から飛んでくる歩行者や自転車。ぼくは商店街を飛び出し、大きな道路に出た。歩道からはみ出しそうになるのを無理矢理コント ロールして、超スピードで歩道を走る。
それでも後方から「スタタタタタタッ」という足音がやまない
このスピードについてくるよっ!
耳元で声がした。
「多久沢さん。多久沢さん」
「さ、才子っ!?」
間違いなく才子の超音波声だ。
「なんで名前呼び捨てにするですかっ」
「そんな事言ってる場合じゃないだろっ、どうして君の声がきこえるんだっ」
「こっそり多久沢さんの服に通信機をつけておいたんですよおっ。盗聴にも使えますしねっ。モテさせるためには情報収集は必要不可欠ですっ」
「で! この状況をどーするんだよおっ!」
「お姉ちゃんの目を覚まさせますっ。それまで逃げ回っててくださいっ」
「わ、わかったっ」
ぼくはさらに走るペースを早めた。
前方に交差点。もう止まるのは間に合わない。
えーいっ!
薬が運動神経まで高めてくれていることを信じてジャンプした。
見事、ぼくの身体は交差点の向こう側に降り立つ。
背後で「キキキーッ!」「グシャッ!」とか……ミリアはジャンプしなかったらしい。
やったか?
また背後に気配が出現した。
うわああ! ミリアは車をよけられなかったんじゃない、車なんかにひかれても平気だから、よける必要がなかったんだっ!
「無駄ですわ、必ず殺してさしあげますっ」
ぼくは振り向いて怒鳴った。
「どうしてだよっ! あんたはぼくの恋人になるため作られたんだろっ」
「あら、それはおかしいですわ。愛は死を超越するものですわ。だから殺すことと愛することは矛盾しておりませんわ」
「むちゃくちゃ飛躍してるよっ」
「愛しているからこそ殺す、という愛の形もあると聞きましたわ」
「あるかも知れないけど、そーゆーのしか知らないのかあんたわっ」
「とにかく殺しますねっ」
全く屈託のない笑顔と声。皆口さんの声で『殺す』とか言うな!
「才子っ! 彩恵さんはまだ眼をさまさないのかっ」
「はう。気付け薬が見つからないですよっ。これでもない、これでもない、これでもない、これも違う、これも、これも……慌てると全然関係ないものばっかり 出るんですこのポケット……」
「そんなところまで似なくたって!」
「あ、これかな? それっぽいですっ。えーい!」
「えひゃっ、はひゅーん、はらぴょほほほほほほっ」
「お、お姉ちゃんが壊れたですっ」
「はむんぺ。はらぱぺ、へひゃーっ」
「『気付け薬』じゃなくて『気が狂う薬』でしたーっ。惜しかったです」
「惜しくないわいっ!」
「ちんぴょろすぽーん!」
「はうっ、お姉ちゃんが大変なことにーっ!」
ど、どうなったんだ! 見たいぞ!
「とにかく、お姉ちゃんは駄目です、頼りになりません、ひどい有様ですっ」
「だから誰のせいだよっ。もう足がだめだよっ」
「……一つだけ方法があります。学校にいって、部室から薬をとってくるです」
「薬?」
「その薬の力で、ミリアを倒すですよっ」
四
さっき以上の速度で走ってきたせいで、もう心臓は破裂しそうだった。
昇降口から入る暇はなかった。ぼくはさっき同様、ジャンプして窓から科学部に飛び込んだ。
床の上を転げ回り、椅子を蹴倒し、ビーカーやフラスコを机からいくつか落として、それでようやく止まった。
「はあっ、はあっ……どの……薬……っ」
「右奥の机の、一番の左の引き出しですっ」
ぼくは急いでその机を探した。引き出しをあける。不用心なことに鍵はかかってない。
中には、カプセルが一つ。
「呑んで!」
言われるまでもなく呑み込んだ。
ミリアが窓を突き破って、両腕をいっぱいに広げて飛びかかってきたのはその瞬間だった。
全身に、痛みが生じた。
死んだのか。あの光線で焼かれたのか。それとも怪力でグシャグシャか。
いや……違うぞ。
全身の筋肉と皮膚が悲鳴をあげていた。ミシミシときしむような音がしていた。
ぼくは呆然と、自分の身体を見下ろした。
足。腕。指。肩。腹……すべてが、服を着ていたはずの部分まで、黒光りするプロテクターで覆われていた。いや、昆虫の外骨格みたいな、といったほうがい いかも知れない。
「……!」
ミリアはさすがにロボット、驚きもせず、無表情にぼくを観察。こっちに手を向けた。あの破壊光線がほとばしる。
だが、痛くもかゆくもない。
「ちゃんと変身できましたかっ! それを飲めば五分くらいの間、無敵の変身ヒーローになるですよっ。さあ、ちゃっちゃっと やっつけちゃってくださいっ」
勝手なことを!
でも、これ以外助かる方法がないとも思う。
ミリアが発した光線のせいで、ぼくの周囲でいくつかの発明品が燃えていた。
ここはまずい。ひとまず出よう。
ぼくは全速力で壁を突き破って飛び出す。時速100キロを軽く超えてる。
ミリアもついてくるが、あきらかにワンテンポ遅れている。
校庭に着地した。
くそっ、部活やってる奴がいるぞ。巻き込まないうちに早めに片をつけないと。
ソフトボール部の女の子が、ぼくを指さして何事かさわいでいる。まあ突然こんな『怪人』が現れたからそりゃ驚くだろう。
ましてそれが、メイドさんのロボットと戦っているんだから。
「必ず……殺しますわっ」
光線は効かないと悟ったからだろう、ミリアが突進してくる。
ぼくは身をかわした。やっぱり戦闘用に作られたわけではないから、ミリアの動きは少し単調だ。いまの身体ならよけられる。
だが。
勢い余って、ぼくのいる場所を通り過ぎて走っていくミリア。
その向こうに、練習中の女子が!
何事かと見に来たんだろう。超スピードで突っ込んでくるメイドロボに、ただ怯えている。だめだ。普通の人間の反射神経では絶対よけら れない。
できるか? 止められるか?
ぼくは走った。止めるしかないんだ!
そのダッシュは、変身後の肉体にとってもキツすぎたらしかった。あちこちで「ビシッビシッ」と関節のきしむ音がした。
だが、ぼくはミリアに追いついた。追いついて、後ろからタックルし、そして地面に組み伏せて……
頭を、両手でつかんで破壊した。
ごめんよ、ごめんよメイドさん!
爆発が生じた。
ギリギリのタイミング、ギリギリの位置だった。爆風と破片があたりに広がった。
炎のなかでぼくは立ち上がった。
ソフトボール部の女の子が、呆然とぼくの姿を見ていた。
五
「本当なんだって!」
「ばか、そんなもんいるわけねえだろ」
「ほんとだって」
「お前アニメの見過ぎだよ。メイドさんのロボットが襲ってきて、それで何だって?」
「真っ黒い変身ヒーローが助けてくれたんだよっ! 本当だって! あたしがそんなバカみたいな嘘つくわけないだろ、多久沢じゃあるまいし!」
「まあ、他にも見たって奴はいるけどよ」
「だろ? 誰なんだろうなあ、かっこよかったなあ……」
ぼくは机に突っ伏して、女の子たちの会話を聞いていた。
耳の中に才子が呼びかけてくる。
「はう? どうしたんですか多久沢さん? どうして名乗り出ないんですか、自分があのヒーローだって……そうすれば絶対」
「そんな馬鹿なことはしないよ」
「どうしてですかあ?」
「だって、ぼくみたいな奴が正体だってばれたら、あの子たちがっかりするじゃないか。正体は秘密のままでいいんだよ」
「はう……多久沢さん……」
「ところで、あの薬って何なの? どうせあれも、もともとは違う目的で作っていた薬なんだろ?」
「ああ、あれは水虫です」
ぽかんと口を開けた。
「水……虫?」
「そうですよお。用務員のおじさんに、水虫で困ってるから直す薬を作ってくれって頼まれたんです。それで、性質を調べるために水虫の菌をいじり回していた ら、特殊な性質の菌ができたんです。宿主の肉体と融合して、装甲のように全身を覆い、肉体を強化する水虫が……」
「じゃ、じゃあ……」
さ、さっきから妙に全身がかゆいのは。
「変身が解けたあとは、たぶん死ぬほどかゆくなると思いますよお。ものすごく強化された水虫ですからーっ」
「もう遅いっ! ひ、ひいいいいっ」
ぼくは上着を脱ぎ、上履きと靴下を脱ぎ、シャツやパンツの中に手まで突っ込んで、身体のいたるところをかきむしりはじめた。
かいかいかいかいかいっ。
「うわっこいつ汚ねえ!」
「水虫じゃねえの」
「ノミでもいるんじゃねえのっ」
「さっきからブツブツひとりで喋ってるしよお。電波?」
「電波で水虫でノミ? うわ、なんか人じゃねえって感じ!」
「うつったらやだぜっ。窓から捨てよう」
女の子たちの罵声を浴びながらぼくは思った。
ヒーローは辛い。
追記
彩恵さんは、まだ元にもどらないらしい。
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