嘘の子
漱之介。
嘘の子
電車が鉄橋を通過しようとしたその時、私は目を覚ました。音楽プレーヤーのイヤホンを外すと、ガタンゴトンという振動が音になってやってくる。窓越しに見える景色は、いつの間にか真っ白に変わっていて、それは自分の降りる駅が近づいてきたことを示していた。車内はがらんとしていて、既に殆どの乗客は途中の駅で下車してしまったようだった。足元の暖房が低く唸っている。
静まり返った空間を引き裂くように、スマートフォンが鋭く鳴った。慌ててマナーモードに切り替える。ヴヴンという振動が、再度メッセージが届いたことを知らせた。
『冬休み、みんなで遊びに行こうよ』
通知だけに目を通す。膝の上に置いていた鞄から、ペットボトルを取り出して残りを飲み干す。安っぽい紅茶の味が口を濡らした。ついでに鏡を取り出して髪を整える。誰に見られるという訳でもないのに。相変わらず窓の外は真っ白だ。
車掌のアナウンスが、私の降りるべき駅の名前を告げた。一時間半。田舎の高校から更に山の方へと電車を乗り継げば、まあこうなるだろうという風景が広がっている。私の慣れ親しんだ風景だ。制服のスカートを軽く払って、再び耳にイヤホンを突っ込んだ。乗車口付近の席には、キャップを深く被って居眠りをしている中年の男が座っていた。この人の帰る場所とは何処なのだろう。どうでもいいことを考えながら、私はドアが開くのを待った。
外は私を拒絶するかのような冷たさで満ちていた。足早に無人の改札を通り抜ける。駅の前の道には、やはり真っ白に雪が積もっていた。
「はぁ」
毎年のことだから慣れてはいるものの、家まではそれなりの距離があるわけだからやっぱり気が滅入る。電車の中と同じで、辺りは冬の静寂に包まれていた。その雰囲気とは似つかわしくない夏の歌を、女の子は歌い続けている。小さな駐輪場に停めてある私の自転車は、出番のないスポーツ選手のように物憂げな顔をしている。私が雪を踏みしめるザクザクという音が、身体の中を通って頭に響く。色のあるものは、私の首に巻かれた赤いマフラーだけ。遠くの山から滑り落ちてくる剃刀のような空気が、すれ違いざまに頬を撫でていく。ポケットの奥が小さく震えた。
『いいねいいね。冬休み長いし、旅行とか行こうか』
スマートフォンを手に入れてから、私たちの情報共有は濃密になった。いや、私たちに限ったことではなく、一度顔を合わせたことのある人々とは、端末一つでいつでも繋がれるようになった。それだけに留まらない。顔も名前も知らない誰かとだって、四六時中繋がっていられる。私たちのグループなんて、その最小単位程度のものだろう。
『四人で何処かへ出かけるなんて久しぶりだよね。楽しみだなぁ』
タッチパネルに指を滑らせる。
『ほんと久しぶりだよね』
生きにくい。
『私もすっごく楽しみだよ』
「君、嘘ついているね」
不意に背後から声がした。振り向くとそこには五歳くらいの男の子が立っていた。
「誰。ていうか、あなたが喋ったの?」
自分の発した声が耳に入ってこないことに気づいて、イヤホンを外す。あれ、何でこの子の声はあんなに鮮明に聞こえたのだろう。というか、本当にこの子が―
「君が嘘をついているとね、言ったんだよ、僕は」
「はぁ?」
こんな小さい子に対して使う言葉ではないな、と少し反省する。しかし、言い回しも、声のトーンも、子どものそれではないということは感じていた。こんなに寒いというのに、長袖のセーター一枚といういで立ちも、違和感を増幅させた。
「だからね、嘘。嘘ついたよね、君、今」
嘘とは何のことだろう。というか、私は何も喋ってはいなかったのだ。私の話したことなど、知る由もないというのに。スマートフォンの画面を見ていたのだろうか。あんな距離から。いや、そもそも嘘とは何のことなのか。
「意味わからないんだけど。嘘とかなんとか、からかいに来てるわけ」
白い息が、私の口からこんこんと湧き出てくる。そういえばこの子の息は、白く濁っていただろうか。
『楽しみだよね。旅行良いね。四人でお泊りしたら絶対楽しいし』
左手にバイブレーションを感じて、少しドキッとする。眉間に皺を寄せつつ、返信を打ち込む。
『せっかくだからさ、一週間くらい泊まっちゃうのはどうかな。四人だけで一週間、楽しそうでしょ』
「ほら、また噓をついたね」
どこからか風花がふらふらと飛んできて、マフラーの端にくっついた。男の子は、無表情のまま淡々と続けた。
「君が美しくない嘘をつくから、僕はここにいるのさ」
彼の瞳はまっすぐに私に向いていた。今にも射貫かれそうな、そんな目つきだ。つま先から冷気が這い登ってきて、背中にゾクッと悪寒が走る。そうだ、帰らなくては。こんな得体の知れないモノに付き合うなんて馬鹿馬鹿しい。
「分かった分かったよ。君も早くお家に帰りなよ」
踵を返して歩き出した。何が「美しくない嘘」だ。訳の分からないことを―
「嫌いなんだろう」
その言葉のせいで、私の足は歩くことを止めてしまった。「嫌いって、誰のことが」と振り返る私を、男の子の言葉が刺す。
「嫌いなんだよね。彼女たちのことがさ」
そうなのか。私はあの三人のことが嫌いなのか。ならなんであの三人といつも一緒にいるのだ。そんなはずはない、そんなはずはない。口に入りかけている髪が鬱陶しい。乱暴に髪をかき上げる。ならなぜこんなにも私は動揺しているのだろうか。張りつめた空気の中、再度メッセージが届いたことを知らせる振動を感じた。
『それ最高。いつにするいつにする』
端末の画面をじっと見つめる。風が強く吹いた。思考が追い付かない。返信するのか、しないのか。なんと返せばいいのだろうか。
「いいよ。返信しなよ」
ゆっくりと文字を打ち込む。
『みんないつがいい』
男の子は大きくため息をついて、「そうじゃないだろう。まだそんな嘘をつくのかい」と憐れんだ目つきで私を見た。見るな。そんな目で私を見るな。私は憐れみを向けられるような人間ではない。楽しく生きているんだ。友人にだって恵まれて…恵まれているのだろうか。
「分かったかい。君は嘘をつき続けているんだよ」
私は、私は嘘をついていたのか。
「君は、誰に対して嘘をついているんだい」
風が一段と強く吹いた。風花たちがゆらゆらと流れていく。スカートも、マフラーも、髪も、全てが白い風にはためいて染まっていく。
『この日程でいいかな』
気が付くと、既に何件ものメッセージが溜まっていた。私は画面に付いた結晶を拭き取って、人差し指で言葉をなぞった。
『ごめん、その日は予定があるから行けない』
男の子は少し笑っている。
「それでいいのさ。君の嘘、美しいよ」
私は凍えた指を、端末ごと息で温めた。『そうなんだ。じゃあいつにしようか』という文字が見える。そうか、本当の嘘って、こういうことなのか。
『ごめん。冬休みはずっとおばあちゃんの家に居ることになってるから、私は無理なの。みんなで楽しんできて。次の機会には絶対行くから』
一気にそこまで打ち込むと、送信のボタンを押した。そのままスマートフォンの電源を落とした。多分、次の機会なんてないのだろう。顔を上げると、男の子は既にいなくなっていた。辺りは薄暗くなり、気温も下がり始めてきた。
明日も雪が降るらしい。
「学校、休みにならないかなぁ」
白い息と一緒に、私の言葉は風に溶けていった。
嘘の子 漱之介。 @ariadone947
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