儚く消える

衣花実樹夜

儚く消える

 この世界には、『砕兎さいと』と呼ばれるウサギが存在する。出現した時代も、その理由も不明。気付いた時はもう、そこにいた。そんな妖怪じみたもの。

 奴らの厄介なところは、何であれ喰ってしまうことだ。食べ物はもちろん、建物、山、そして、人。だから奴らは最優先駆除動物に指定されていて、見つけたらすぐに警察を呼んで特殊部隊に駆けつけてもらうのが常となっている。

 だが、実際はそんなにうまくはいかない。

 こちらが奴らを見つけたとき、既に奴らに発見されていることが多いからだ。すぐに喰われ、警察を呼ぶことなど叶わない場合が多い。仮に奴らに見つかる前にこちらが警察に通報できたとしても、耳が極度に発達した奴らはこちらの声を聞きつけ、隠れていようがガラスでもコンクリートでも鉄骨でも何でも喰い千切って、警察が到着する前に食事を終えてどこかへ移動してしまう。

 奴らが現れてから早数十年が立っているが、一匹でも殺せたという報告は未だかつて聞かない。恐らくこれから聞くこともないんじゃないかと思う。


「えー、『砕兎』に殺されてしまった、更野恵瑠さらのめぐるさんの冥福を祈りましょう」


 クラスメイトもすでに何人かやられていて、僕のクラスも今回ので三人目だ。

 奴らの嫌な習性だが、自分が殺したもの、壊したものを見せつけるという悪癖が存在する。体の一部分だけ残し、身分証明書になるようなものはその場に残しておく。それ以外は全て喰ってしまって、何も残らない。

 恐らく奴らは、僕たち人間が『砕兎』に殺されたときに身元が分かるよう、DNAを生まれたときに保存していることに気付いているのだろう。体の一部分さえ残っていれば照合できてしまう今の技術で、却って奴らは自分たちがやったのだということを誇示できるようになってしまっている。

 全く皮肉な話である。


「ね、『砕兎』ってどういう時に現れるんだろうね」


 話しかけられた。右隣の席の女子。昨日席替えしたばっかり。僕は今日学校に来たばっかり。誰かもわからないのに話しかけられるというのは、気持ちのいいものではない。


「さあ」


 適当に返しておこう。

 相手の顔を見るでもなく、僕はそう答えた。

 奴ら、とさっきから言っているが、奴らは複数匹いる。これは確認済みだ。だって、俺は二匹の『砕兎』に遭遇したから。

 一匹の『砕兎』を見たとき、僕は絶望したね。まあでも、ああ僕は死ぬんだ、程度だったけど。右腕を喰われて、左足を持っていかれて。死ぬかもしれないと思ったけど、そこにもう一匹の『砕兎』が転がり込んできた。奴らは獲物を取られまいと思ったのだろう。奴らは互いに争いを始め、見事に相討った。

 発見された僕はすぐに病院に運ばれ、何とか一命を取り留め、三か月強の入院期間を終えて、来週から夏休みに入ろうという今週、見事に復帰を果たした。


「私も一回ぐらい見てみたいなぁ、生で。思わない?」


 顔がこっちを向いている。まだ諦めていないようだ。

 悪いことは言わないから、奴らに会おうとするのはやめておけ。そう言おうと思ったが、やめた。無難に返すのがベストだ。


「危ないから、やめた方がいい」

「やっぱそうだよねー。でも可愛いと思わない? ネットの画像とか見てみるとさ」


 思わない。あんな凶暴な化け物、僕は可愛いとは思えない。

 実際その怖さを身をもって体感しているのだから、洒落にならん。奴らを可愛いと思う心が知れない。知りたくもない。

 ちなみに、奴らを実際にこの目で見た僕の情報によると、奴らは普通のウサギに比べて耳がとても大きく発達している他、返り血かどうかは分からないが黒地に赤の斑模様が入っていた気がする。尻尾はウサギらしからぬ猫のような長い物を持っていた気がする。


「みなさんも『砕兎』には気をつけるように。では、これにて解散とします。号令」


 教師の長い話が終わり、やっと高校の長い一日から解放される。

 久しぶりの学校。来てみていかに面倒かが分かる。入院したら学校に行くのが面倒になるというのは、僕だけではないと信じたい。まあ、僕は特にやる気がないのだけれど。

 起立の令に従い、立ち上がる。気をつけで何も気をつけずに棒立ちし、令で「ありがとうございました」と言葉を発し、頭を軽く下げる。ちらっと周りを見てみると、言うだけ言って頭を下げていなかったり、頭だけ下げて何も言わなかったり、ひどい生徒は言いもせず、頭も下げず、号令を聞いて外に駆け出す者までいる。

 そいつらに比べたらまだいい方だと身勝手な自己満足をして、机の中に溜まっていたいろいろなプリントをリュックに詰め込む。


「ねえねえ。『砕兎』に喰われかけたってほんと?」

「どうやって助かったの?」

「今ある腕とか足とかって義手とかなの?」


 僕はその全てを無視する。別に構ってやる義理もないし。噂を聞いて集まってきた連中にたかられるのは大変気分がよろしくない。

 何でこう、僕みたいなやつに聞こうとするのかね。転校生にたかる高校生か、って高校生だな、僕たち。

 はあっと溜息を吐く。やっぱり学校は面倒だ、と思う。


「つーくんの溜息キャーッチ!」


 僕の溜息を両手で包んだこの女子生徒の名前は、あれ、何だっけ?

 確か後輩で、今年二年生になった、葉月だったっけか。


「はづきづき?」

「何だその呼び名! 始めて言われたよ! 首傾げないで! いつもそう呼んでたじゃない見たいな顔しないで! 私の名前は葉月はづき美海梨みみりだよ、つーくんは私のこと美海梨ちゃんって呼んでたでしょ」

「勝手に変えるなミミ」


 チョップをその脳天に振りおろす。

 まったく油断も隙もない奴だ。後輩で、幼馴染の葉月美海梨。背は驚異の百四十七センチだが、胸は驚異のFカップだと自称している(恐らく、というより確実に盛っている)。ちなみに、俺の誕生日は四月一日で、ミミの誕生日は四月二日であるため、生きている歳月はそう変わらない。


「久しぶりの学校はどう?」


 並んで歩くミミが僕にそう聞いてくる。

 僕は当たり障りなく、「普通」と答える。ミミはどこか不安そうに僕に言ってくる。


「本当に? 何か困ったことがあったら私に言ってよ? 何でもしてあげるから」

「何でも?」


 そういう物言いは勘違いされるぞ、と暗に言いたかったのだが、ミミはそれを確認だと思ったのか、言いなおした。


「うん、何でも」


 はぁ、とまた溜息。それをまたミミがキャッチ。いつも通り、何も変わらないなぁと思った。


「……つーくんなら」


 ミミが消え入りそうなぐらい小さく発した言葉に、不穏だなぁ、と人ごとのように思う。ミミが僕に好意を抱いているのは知っているけど、そこまでとは。

 まあ、別にどうでもいいかなぁ、と思う。


――だって、もう僕に時間はないから。


 学校に復帰したのは、学校で世話になった誰かに挨拶をするためだ。『砕兎』に一部でも喰われた人間は、そう長くもたない。

 僕の場合は、あと一週間だそうだ。夏休み入ると同時に、僕の命は潰える。一つの希望もなく、なんの間違いでもなく、僕の命は確実に、消える。


「部長は元気にしてる?」


 僕がそう尋ねると、ミミは驚いたようにこちらを見た。

 一体どうしたのだろう。まさかとは思うが、彼女もまた食べられてしまったのだろうか。

 そう思って尋ねてみると、


佐伯さえき先輩は……」


 そう、口ごもって話そうとしない。何か、悪いことでもあったのだろうか。


「よっ」


 肩に手を置かれ、振り返ってみて、僕は安堵のため息を漏らす。

 そこには佐伯その人が立っていた。

 ついてきてたのか。なるほど、だからミミも何も言おうとしなかったんだな。


「いつから?」

「君が教室を出たとき」


 そんなに前から。びっくり。気付きもしなかった。

 ミミの方を見てみると、笑いを堪えているようだった。ミミは最初から分かっていたのだろう。やれやれ、面倒なひとたちだ。


「ミミ、席をはずしてくれるか?」


 突然、佐伯がそう言った。

「何で?」とミミが返す。


「ちょっと二人だけで話がしたいんだ」


 佐伯はそう言って、僕を近くの階段の踊り場へ引っ張っていく。あまりに勢いが付いていて、階段で転びそうになったが、まあいいとしよう。というか、ミミが了承していないけどいいのか、と思ったら、やはりというかついてきていた。

 それに気付かず、佐伯は話し始める。


「あとどのくらいだ?」

「一週間」

「それまで出してもらえなかったことを見ると、君はかなりまずいということだな」

「うん。鎮痛剤を飲んでるんだけど、結構きつい」


 会話が止まり、重苦しい空気が流れる。階下で聞き耳を立てるミミが息を飲むのが分かった。彼女は何も、知らなかったから。僕らが何も、教えなかったから。


「もう、望みはないのか?」


 佐伯が俯きながら僕に尋ねてくる。見なくても、泣いていることが分かった。彼女が泣くのは、久しぶりだと僕は懐かしむ。一年の頃にいじめられていた時以来、彼女はその顔を見せなかったから。

 だから僕は彼女の顔を見なかった。佐伯とは、笑顔で別れたかったから。


「笑って」


 僕はそう言う。人の泣き顔というのは、見ていて気持ちの良いものではない。


「笑えるわけ、ないじゃん……!」


 佐伯は静かに、しかし激しくそう訴えた。


「……笑って」


 僕は繰り返す。それに意味がないと分かっていても、繰り返さずにはいられない。


「笑えないよ! 何でそんなことが言えるの? つーくんは、悲しくないの!?」


 階下のミミが出てきた。佐伯はそのことに驚き、呆然としている。

 泣きながら怒りの形相で僕を睨むミミ。僕を見ながら、呆然とする佐伯。

 僕はといえば、ただ、俯いて言うことしかできない。苦し紛れの、一言を。


「悲しくないわけ、ないだろ……」


 重苦しい空気がその場を支配する。

 その空気に耐えられなかったのかどうかは分からない。


 僕の意識は暗転した。


 そして僕は、永遠にその日に取り残された。

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儚く消える 衣花実樹夜 @sekaihahiroiyo

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