第18話 誰もいない森の中で木が倒れたら
「ここなら少しくらい大きな音も大丈夫だと思うわ……」
「王宮の中庭ほどはあるか。充分だろう」
フレアがあっさりと言ったが、庶民の晶にはこんな体育館のような建物が個人の家にあるというだけで驚きだった。
「父の武道場だけど、もう使ってないの。ここなら誰も来ないから」
伊東瑠砂の家は「邸宅」と称して構わないほどのお屋敷だった。
路地を曲がって延々と同じ色の高い壁が続くなと思っていたら、その一角が丸ごと瑠砂の家だった。辿りついた表門はまるでお寺の門のように大きく、インターフォンを鳴らして帰宅を告げると、門の脇の小さな扉が開いて髪が真っ白のヤギのような顔をした老人が「お帰りなさいませ」と瑠砂に向かって頭を下げた。
隣にいた晶に向かって眉を寄せ、ぶしつけな視線を投げてくる。
「絵のモデルに協力してくれることになったの」
「……左様でございますか。お嬢様がそうおっしゃるのでしたら」
瑠砂は、庭の一角にある竹林に囲まれた平屋の大きな建物へと晶を連れてゆき、中へと案内した。そこでようやく晶は宝石の中からフレアを呼び出し、ポンペは蕗の葉の下から姿を見せたというわけだ。
「考えていたのだが、おまえたちのやり方には根本的な問題がある」
「問題って?」
「貴様が──」
「ポンペだよ?」
「……ポンペが──」
「そこまで嫌そうな顔をしなくても」
晶はため息をついた。セントールと小人って、こんなに仲が悪いものだっけ?
「……ポンペがその娘の──」
「瑠砂ねーちゃんだよ」
「……瑠砂ねー、じゃない、瑠砂の心を動かしそうなものを伝えて、彼女がその絵を伝え聞いたとおりに描く。絵に描いたものが実体化したわけだが……」
「実体化」?
「おそらくは。あれから色々考えていたのだが……。我らの世界から呼び出しているわけではないと思っている。世界間の移動は簡単な
「今後の実験と観察っていうわけだね」
フレアが頷いた。
「だが、このやり方には欠点がある。既に瑠砂は自分で絵にしているわけだから、実体化したところで
「それは……そうだね」
「でも他にほーほーないじゃん?」
「ある」
「ほへ?」
「見た目しか考えないからいかん。たとえば、
瑠砂がこくんと小さく頷いた。
「実体化した生き物は元の性質通りに振る舞うのだ。我々の世界には主殿たちの知らない奇妙な振る舞いをする生き物たちが幾らでもいるではないか」
「《ヘベリッパ》とか?」
「なに、それ?」
「虫だ」
フレアが言った。
「むし?」
「《ヘベリッパ》は手のひらほどの大きさがあり、硬い鎧のような皮を持っていて、皮の下に柔らかい──」
「ああ、カブトムシみたいなやつかな」
「ヤビットをもっている」
「やびっと?」
「口だ」
「背中でものを食べるの!? ……想像できない」
「羽根を広げて、食う。バリバリと」
「バリバリ……」
「ネズミとか、ウサギとか」
「いやいやいや、さっぱり分からないよ!」
「主殿は妙なことを言う、分からないから良いのではないか?」
「……そりゃ、驚くかもしれないけどね!」
そんなの呼び出したら危ないんじゃないだろうか。思ってしまう晶である。
「で、具体的にはどーすんのさ、馬ねーちゃん」
「その馬ねーちゃんはやめろと言ってるのだ。わたしはフレアだ。フレア・アルトュース・アラトラールだ!」
「ふーちゃん」
「……」
「あれ? 文句を言わないんだ」
「う、馬扱いしなければ、まあ……」
気に入ったらしかった。
こほんとひとつフレアが咳ばらいをした。
「まずは、フクロドラゴンあたりからどうだろう?」
「フクロドラゴン?」
「有袋竜の一種で、草食性だ。背丈は我らの2倍ほどと小さい。雌はお腹にエプロンポケットのような大きな袋を持っている。鱗ではなく、毛足の長い毛皮で覆われており、脚の力は非常に強い。空を飛ばずに跳ねて移動する。飛ばないから、ここで呼び出しても安心だろう?」
「……それ、本当にドラゴンなの?」
「こんな感じかしら」
晶が首を捻っている間に、瑠砂はさらさらとスケッチブックに走り書きしていた。
見れば、トカゲのような形をしたドラゴンとカンガルーを足して2で割ったような生き物が描かれている。黒く丸いつぶらな瞳をしていて、お腹についた大きなポケットからは小さなドラゴンが顔を覗かせていた。
「へえ、かわいい……かも」
「じゃ、呼び出してみるね」
ポンペが瑠砂の膝の上に乗り、小さな手をスケッチブックに押し当てた。
「出てこい!」
武道場の中央あたりの空気が陽炎が立ったかのように揺れると、まばたきしている間にドラゴンが実体化していた。
キューキューキューキューキュー。
警戒するようにポケットから顔を覗かせている小竜が鳴いていた。
黒い瞳をキョロキョロと左右に振って、自分たちがいる場所を探っている。
キュウキュウ。
母竜が穏やかに鳴いて小竜を宥める。
小竜の顔を長い舌を伸ばしてぺろりと舐めた。小竜がくすぐったそうに目を細める。
「へえ……かわいいや」
草食性だと言っていたし、どうやら穏やかな種族のようだ。
晶は思わず前に出て小竜をもっとよく見ようとした。
カッと小竜が小さな顎を上下に開いた。
「……え?」
開いた顎から真っ赤な炎が広がった。
次の瞬間、晶は胴体に衝撃を受けて息を詰まらせた。フレアの
とっさにフレアが晶を抱えて跳躍したのだ。
それまで晶がいた真下をドラゴンの
武道場の床を焦がした炎の熱が飛びあがった晶にまで感じられた。頬が熱い。
フレアが着地。すぐに竜と距離を取った。
「迂闊に近づくと危ないぞ、と言おうとしたのだが」
「遅いよ!」
見れば、瑠砂とポンペはちゃっかりと武道場の隅まで避難していた。
「それにしても……子どものほうが狂暴だなんて!」
「? ちがうぞ、晶」
「へ?」
「あれは立派な成竜だ。フクロドラゴンの雄だ。彼らは一夫一妻であり、巡り合ったら生涯離れず、雄は雌の袋のなかで一生を終える」
「……え? あれ、が……雄?」
「体格と脚力以外には取り立てて強みのない雌を護るために、雄はああして炎の息吹を放つのだ」
「火炎放射器搭載の戦車なのか」
「主殿の例えはよくわからんが、たぶん、それだ」
そんなことを言っている間に、フクロドラゴンは陽炎に包まれて消えた。
「効果時間は短いな。鬼火のときはもっとあったように思えたが……なにか条件があるのかもしれんな」
「次は呼び出す前に、もっと詳しく教えて欲しいかも」
「それはできない。それでは瑠砂への
そう言われてしまうと反論できなかった。
隅に避難していた瑠砂とポンペが寄ってくる。
「すごかったねー!」
ポンペが妙にうれしそうに言った。
晶はフレアの腕のなかから床を見下ろし、黒々と焦げた跡を見つめた。ちょっとぞっとしてしまう。直撃していたら、かなりの火傷を負っていたのではないだろうか。
「この床……」
「そこの小人に任せればなんとかなるだろう」
「ボクの力だって無限じゃないんだよ?」
「私がなんとか誤魔化す……から」
「ボクがなんとかするよ! 任せて、瑠砂ねーちゃん!」
ポンペを見つめながらフレアが肩をすくめた。やれやれ、という感じ。晶も同感だ。
「で、どうだった?」
フレアに問われ、ポンペを撫でていた瑠砂が顔をあげる。
「ええ。……面白かった……と思う」
「ほう、絵に描いたのか」
フレアに言われて晶も気づいた。新しいページに先ほどのフクロドラゴンが描かれていた。小さな竜の炎の息吹を軽々と飛び越すフレアと彼女に抱きかかえられている晶も描き込まれている。晶の頬が熱くなる。確かにそれはファンタジー物語の挿絵にしたいような1枚だけれど、お姫様と騎士があべこべじゃないか!
晶はフレアの腕のなかから床へと降りた。
「本当に軽々だったわ。言っていた通り。すごい……」
「そこで感動しなくていいからね!」
「では、この調子で進めていこう」
フレアが言って、瑠砂の喰われてしまった夢の力を取り戻す活動が始まったのだ。
こうして晶たち4人の放課後の活動は、もっぱら瑠砂の「夢の力」を取り戻すことに費やされることになった。フレアとポンペの使命は夢喰いの怪物を見つけることだったが、だからといって、どうやって怪物を見つければいいのか分からなかったのだ。
できることからすべきだ、とフレアが言った。
毎日、瑠砂はフレアやポンペの語る生き物の絵を描き、それを実体化させた。
背中の星がすべて髑髏の形になっているテントウ虫は、背中の髑髏が見つめていると笑いだしたし、《死人蛍》は噛むとひとを麻痺させる蛍だった(そして、晶が噛まれた)。
陽は一日ごとに長くなり、夜を短くしていく。
瑠砂の家の武道場で4人は「実験」を行い続け、続けるうちに瑠砂の夢の力にも幾つかの
たとえば、瑠砂の夢の力は、フレアやポンペの故郷の生き物しか実体化させることができない。それもあまりに大きな生き物――体長が10メートルを越えるような――は、できないし、どういうわけか、きれいなだけの生き物やかわいらしい生き物は得意ではなかった。実体化できるのは、たいてい、どこかおかしかったり、不気味だったりする生き物なのだ。困ったことに。
また、呼び出したものが晶たちの世界にいられる時間は大きければ短く、小さければ長かった。これは晶の巨大化の力と同じだ。
さらに、もうひとつの
夢の力の効果は「観察者の数が多いほど短くなる」ようなのだ。
晶たちは、それぞれの家でも夢の力を試していたから、そのときに計った時間と4人で試したときとで効果時間が違うことに気づいた。
人の数が多いほど、時間は短かった。
「なんでだろう?」
晶の疑問に、フレアが推理する。
「たとえば誰もいない土地を考えてみろ、晶」
「誰もいない……砂漠とか?」
「そこに転がる石がとつぜん10倍の大きさになったとして、なにか問題があると思うか?」
フレアの思いもよらない問いに晶はしばし考えこんだ。
「誰にも見られない夢は、現実が変容しても誰にも影響を与えないから、永く残り続けるのだろう。反対に、大勢の者に見られると、効果時間はどんどん短くなる。万人が見つめる場所では、彼らは、石が巨大化するはずがないという現実を知っているから。そういうところでは、夢が現実を騙しつづけることは用意ではない」
サンタクロースが実在したとしても、誰もそのサンタクロースに出会うことがなかったら、果たしてサンタは実在していることになるのか、ということだと晶は理解した。
こうして晶たちは自分たちの持つ夢の力について詳しくなっていった。
ただ、瑠砂に劇的な改善が見られたかというと、それはあやしかったのだけど。
晶たちは、全ての日を瑠砂の家の武道場で過ごしたわけではなく、美術準備室に集まることもあった。瑠砂の家の髪が真っ白のヤギのような顔の老人(執事だった!)の篠崎さんの目が日々険しくなっていった為もある。もちろん、やましいことなどしてなかった。
その日は美術準備室で集まっていて、下校時刻まで今後の方針を話し合っていた。
春の大型連休が迫る水曜日。
「我ら《妖精郷》の住人は、種族ごとに固有の技を持っている。わたしは、ひと族の何倍もの力を持っているし、そこのちんまい――コロボックル族はひとの住む住居を家人に知られずに直すことができる。まあ、靴だけとか、匙だけとかしか直せない者もいるが……」
「じゃあ、ポンペって、けっこうスゴイってこと?」
フレアが顔をしかめ、嫌そうな表情をしながら、
「そう言って言えないこともない」
どや顔をしているポンペの頭を瑠砂が撫でている
フレアは、腕を組み、視線をちらっと瑠砂のほうへと送った。
「我らの相棒である夢使いも、たいてい1人1つの夢の力をもつ。瑠砂の力は描いたものを実体化させる力だし、晶は触れたものを10倍の大きさにする。だが、我々4人のもっている能力には足りないものがある」
「足りないもの?」
「このままでは、我らには《夢喰いの怪物》を探し出す方法がない。おそらく我々にはまだ出会っていない仲間がいるのだ」
フレアは、そう言いながら西の空を目を細めて見つめていた。春の宵のかすみにおぼろに浮かんで遠くの山々が見える。今日は晴れていて、夕焼けがきれいだった。大きな夕日が、真西の駅前の建物から少し南よりに沈んで行こうとしている。
日は少しずつ南へと沈む位置を変えていた。
珍しく、というよりも晶は見るのは始めてだったが、フレアがため息をついた。
「瑠砂を喰おうとした《夢喰いの怪物》は、おそらくどこかの人間の心に棲みついているはずだ。だが、わたしたちの使える力は、やつらを探すためには役立ずなのだ」
ポンペが真面目な顔をして首を縦に振って同意していた。
反論しないところを見ると、ポンペも前に同じことを考えたことがあるのだろう。
「だからボクは、瑠砂ねーちゃんの面倒をみることだけに専念してたんだ」
「だが、このままでは先がない。《妖精の女王》は、巫女の神託を利用し、必要な人材を必要な場所へと送る。ということは我らにはまだ会えぬ仲間がいるのだと思う。どうしたものかな……」
フレアのつぶやきは夕暮れの中へと溶けて消えていった。
その日は、それでお開きになった。
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