第16話 私は昔からその声に逆らえないのよ
晶たち4人は放課後の美術準備室にいた。
晶とセントール族の姫君フレア。
隣のクラスの美術部員である伊東瑠砂とコロボックルのポンペの4人だ。
「我々には達成すべき試練が3つある」
フレアが言った。
「3つの試練……なんかゲームみたいだね」
「……あるじど、いや、晶。これは真面目な話なのだが……」
「う、うん」
「馬ねーちゃん、意外とマジメなんだなー」
フレアが眉を吊り上げた。
「そこの小人族……」
「ポンペだよ」
「座れ!」
「座ってるよ?」
瑠砂の膝の上に。しかも、瑠砂に頭を撫でられながらだった。気持ちいいのか、ときどき目を細めて喉を鳴らしていた。
おまえは猫か。晶は思わず心の中で突っ込んでしまった。
「こうだ、こう!」
フレアが膝を折った。セントールは正座もできるらしい。
脚がしびれたりしないのだろうか。いや、馬が寝ているときと同じような格好だから、つらくはないのかも。セーターを着込んで学校の床に正座しているセントール娘というのも中々シュールな
ポンペに向いていた瞳が晶に向いた。
「あきら?」
「な、なに?」
どきりとした。
フレアが半目になって見つめてきていた。
「……正座します」
晶は正座した。
「私も……したほうがいい?」
「そんな! 瑠砂ねーちゃんはそのままでいいんだよ! そのままの君でいて!」
「……でも、私は前のように絵を描きたい」
「もちろんだよ! だから、ボクも頑張ってるよ!」
手のひらくるりんだな。
「なぜ?」
ふと、問いかけたのは、それが達成すべき試練だと言った当のフレアだ。
「……え?」
「あ、いや……わたしは──」
なぜと問いかけたほうのフレアが戸惑う。どうして自分はそんな質問をしてしまったのだろうと、そんな顔をしている。
「なぜ、おまえ……瑠砂は、以前のように絵を描きたいのだ」
考え考えフレアが喋る。
「そりゃ、失くなったものを取り返したいってのは、ふつーじゃんか」
ポンペが当然だろうという顔で言った。
「ああ……まあ、それは……そうなのだが。だが、絵が描けなくなったわけではあるまい……」
ちらりとテーブルの上のスケッチブックを見た。前に見せてもらったように、瑠砂は絵を描けなくなったわけではない。それどころか、晶が見るかぎり、充分に達者で綺麗な絵だ。
「我らの王国のように、世界そのものが喰われるならば分かる。夢喰いの怪物の
前にフレアが語った風景が思い起こされた。
夢喰いの怪物は、フレアの住んでいた街を喰ったのだ。どうやって、と尋ねられても晶には想像もつかない。煉瓦の道が断ち割られ、ケーキをスプーンですくったかのように、王宮を含む街の一角が消失した。
断ち切られた断面のこちら側に、フレアの父親の片腕が落ちていたという。
「夢喰いの怪物を放っておけば、この世界に住む全ての人の心は喰われる。それでも獣が生きていられるように、人々が死滅することはない。まあ──すぐには」
「私が絵を描くことができるように?」
瑠砂がぽつりと言った。
「そうだ。この世界はわたしたちの世界とは違う。夢の力はわずかにしか世界に影響を及ぼさないのだろう」
「フレアの世界では違うの?」
晶の問いかけにフレアが頷いた。
「違う。魔法的な存在である《竜》のような生き物は存在すらできなくなるだろう。世界の
「あなたたちの世界は、世界そのものが夢のようなものなのね」
瑠砂の言葉はまるで夢のような響きを持っていた。
「だが、この世界は違うのだ。夢がなくとも生きてはいける。かもしれない。夢喰いの怪物は恐ろしい敵だ。我らは妖精の女王から使命を託されてこの世界に来た。
フレアは迷うように視線を左右に振った。
それから、瑠砂を見て話した。
「──その戦いに引っ張り出してしまえば命の保証はできない。夢の力を失った相棒では歯が立たないだろう。取り戻す必要がある。ただ、それは取りも直さず、あなたを戦いの場に引っ張り出すことになる。だから……なぜ、あなたがそこまでして以前のように絵を描きたいと思うのか……知りたいと」
「私にも本当のところは分からない……ただ」
スケッチブックを手に取り、ぱらぱらとめくる。
瑠砂は鉛筆を手に取ると、さらさらと空いたページに絵を描いた。
大きな蕗の葉の下に身を寄せ合って縮こまる4人──晶とフレアと瑠砂と瑠砂の胸元に抱きかかえられているポンペだ。わずかな先にハンドライトの光が照っていることまで分かる。
身を寄せている4人の顔は、見つかることを恐れる表情だった。
殴り書きに見えるのに、あのときの夜が生き生きと思い出せる。
けれども、瑠砂は納得がいかないのか、ため息をついた。
「上手いのに……」
「見えたものを見えたように描くのは大切なこと。でも、それは終わりじゃなくて始まりなの」
瑠砂が言った。
「それでも、マシになったのではないか?」
こくりと瑠砂が頷いた。晶には違いがさっぱり分からなかったけれど。
「目に見えたものを描きたいわけじゃないの。心に見えたものを描きたいのよ」
瑠砂は晶を見て、フレアを見て、それから自らの相棒であるポンペを見た。
頭を撫でながら言う。
「夜の学校に忍び込んでいたことが見つかれば怒られてしまう。頭では分かっていたけれど、そんなに実感がなかった」
「実感が……ない?」
「晶、起こっていない出来事に実感を持つというのは、本来、とても難しいことなのだ。犯罪を起こせば罰せられると知っていても、ひとは犯罪を犯すだろう?」
確かにそうだ。晶は納得せざるを得ない。
「でも、あのときは皆がおっかない顔をしてたから、ほんの少しだけ怖かったし、みんなが何とかしようとしているのを見てて、ほんとうは少しだけ……ドキドキした」
フレアが苦笑のような笑みを浮かべた。
「まあ、冒険心もまた夢のもつ力だからな」
表情を変えない瑠砂だが、そのときフレアに釣られるように、ほんのわずかだけ口の端をあげたように見えた。
「でも、これじゃダメなの」
自ら描いた絵を見下ろしながら瑠砂が言った。
「みんなが見ても分からないかもしれない。でも、私には分かってしまう。誰かがこれで良いって許してくれても、頭のなかの誰かが言ってくるの。こうじゃない、違うって。何故かしら。私は昔からその声に逆らえないのよ」
「ボク、ねーちゃんの絵、好きだよ! これだって、とってもイイと思うけど、でも、もっとスゴイ絵が描けるって言うんなら、きっとそれはもっと好きだよ!」
ポンペが言った。
「貴様は調子が良すぎるぞ!」
「えー? ボクの嘘偽りない清らかな本心だってば!」
そう言って堂々と胸を張る。
「うん。ありがとう……ポンペくん」
頭を撫でると、嬉しそうにポンペが目を細めた。
ため息をつきながら、フレアがそっと言った。「まったく、その気にさせるのだけは上手いやつだ」と零した。
それがポンペと瑠砂が相棒な理由なのかもしれない。
「とにかく、その娘の喰われた夢を取り戻すことだ」
瑠砂へと視線を送りながらフレアが言った。
「3つの試練って言ったよね。伊東さんの心を回復することと、怪物を倒すことは分かるんだけど、あと1つはなに?」
「主殿……晶の夢の力を確認することだ。おそらく──」
フレアが晶を見つめながら言う。
「あの蕗の葉を大きくしたのは晶の力だと思う。だからそれを確かめよう」
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