第14話 セントールのお腹って、どこ?(考えちゃいけない)
「母さんは、強い感情が夢を育てるってことを知っているのかもしれないな……」
だから、驚異と恐怖と美しさに満ちた異世界を書こうとするのだろう。
その晶のつぶやきは、どうやらフレアには届かなかったようだ。
ふと横を見ると、フレアがうつらうつらと舟を漕いでいた。
ハードな夜だったし、久しぶりにお腹がいっぱいになって眠気を抑えられなくなっているのだろう。
食事の部屋はフローリングだったので、晶は「ほら」と声をかけてからフレアの手を引いて自分の部屋まで連れていった。母の部屋のほうが大きいのだが、山ほどの本で床が見えない程なのでフレアの大きな身体を入れる余地がない。他に選択肢がなかった。母の部屋は、勝手に片付けると泣くし。
カーペットのある晶の部屋に辿りついたところで、とうとうフレアは脚を折って床にうずくまってしまった。クッションを渡してみると、それを抱えて頭を乗せてくうくうと寝息を立て始める。
安らかな顔で寝ているフレアを見て、晶は思う。
宝石の中は、はたしてどんな風になっているのだろう。そこは、快適に眠ったりできるところなのだろうか。
そうでなければ……これからもそこに帰ってくれと言うべきかどうか。
フレアはなにも言わずに今まで黙って宝石に帰っていたけれど。そう、彼女はそういうことを自分からは言い出さない。不満や不平は──姫らしいというべきか。
セーターの胸の膨らみがゆっくりと上下している。それに合わせて、裾が持ち上がってしまい、お
「風邪、ひいちゃわないかな?」
上半身にはまだ服を着たままなので大丈夫だろうとは思う。セントールは裸が基本だって言ってたし。
──でも、お
しかし、馬の身体の部分の内蔵の位置を考慮すると……。もしかして、胃が2つあるのか? それとも、そもそも内蔵の種類や位置が全然ちがうのだろうか?
「か、考えないほうがいいかなあ……」
理屈で言うと、大きな馬の体の部分の血液を循環させるために、少女の身体の小さな心臓だけで足りるのか、という疑問もある。半人半馬の種族の骨格と内蔵を真面目に考察すると頭が痛くなってしまう。
それを言ったら、小人はどうなっているんだ、という話だが。
クッションを抱きかかえて寝るフレアの顔だけを見ていると、同じ年頃の少女のものと変わりはしない。
晶はフレアにそっと毛布をかけてやると、自分もとりあえず眠ることにした。
部屋の明かりを落とした。
ベッドにもぐりこむ。
傍らから小さな寝息が聞こえてきて、なかなか寝つけそうもない気もした。だが、そうも言っていられないだろう。
夜が明けたら、瑠砂とポンペから聞きたいことが山ほどあるのだ。
そう思って晶は目を閉じた。
💎 💎 💎
カタ、カタカタ……。
目が覚めると、彼女の耳にリズミカルな音が飛びこんできた。
まぶたを開く。明るい部屋の天井が目に入る。
また、明かりをつけている。もう真夜中なのに。
ベッドの上で寝返りをうつと、愛しいひとの背中が見えた。
ほんの腕1本分ほど先で、魔法の機械につながっている鍵盤を叩いている。
いやあれは魔法ではない。あれはパソコンとキーボードというのだ。あのひとが、そう教えてくれた。鍵盤を打つと、繋がっている機械の箱が何か色々なことをしてくれる。そして、結果をあのディスプレイと呼ばれる片面に絵の写る箱に映しだすのだった。
それはとても不思議なことなので、彼女には、魔法でないとは信じられない。
この世界には、彼女の知らないものが山ほどある。来る前に教わってきたとはいえ、なかなか全ては覚えきれない。
もっとも彼女にとって、こちらの世界の仕組みはどうでもよいことだった。
彼女の関心は、与えられた「使命」と愛しい「彼」のことだけ。
寝返りをうったときに、肩までかけていた毛布がずれて細い彼女の肩が覗いた。
体を起こすと、毛布が落ちて、かすかな衣擦れの音があがる。豊かな胸と形のよい臍が露わになった。その下の淡い陰りも。彼女の肢体は美しく若い女性そのものだった。機能は別として。
長い緑の髪が、わずかに遅れて腰へと流れる。
毛布は、そのままベッドの下に落ちて、カーペットに布の山をつくった。
ディスプレイに映った「彼」の顔が目に入る。
何かを睨みつけているように怖い。彼女の前では決して見せない顔だ。
それに、今日はなんだか泣いているようにも見えた。
その顔が穏やかなものへと変わる。
くるりと椅子を反転させ、彼は彼女のほうへと向きなおった。
「起こしてしまったようですね」
画面に映りこんだ彼女の姿が見えたのだろう。
にこりと微笑んでくる。
17歳だと言うが、彼女にはもう少し大人に見えた。
彼女は、椅子の肘掛に置かれている彼の手に自分の手を重ねた。それから語りかける。
「もう、中へと戻らないと……」
「気にすることはありません。このまま外に出ていてよいですよ。どうせ、私はひとり暮らしですから。それに
そう言って微笑む。本当だろうか。彼女は首を傾げてしまう。この世界には髪の色が緑の民族はいないと教えられたのだが……。
だが、それには答えずに彼女は話題を変えた。
「また、明かりをつけたまま起きていたのですね。ヒトは、ちゃんと眠らないといけないのでしょう?」
それは自分のためだろうと彼女は気づいていたが、言わずにはいられなかった。
明かりは彼女にとって重要なのだ。
光を浴びていれば彼女は生きていられる。
「そろそろ寝るところでしたよ」
「なにか、分かったのですか?」
彼女が聞いたのは、彼がそのときいつもよりも少し楽しそうに見えたからだ。
「ええ」
そう言いながら、彼は体を斜めにしてディスプレイを彼女に見せた。そこには色鮮やかな模様と数字が描かれていたが、その意味は彼女には欠片も理解できない。
「これは、街の地図にこの街のオンラインシステムの接続状況を重ねたものですが……」
言葉の意味が分からなくとも頷くことはできる。
「先日の交通管制システムのクラッキングは、『実験』だと思います。ここ半月の間に、この街のあちこちのオンラインシステムに同様の干渉が行われた形跡があるのです。それは少しずつ侵入が困難なシステムへと挑戦しています。まあ、このあたりのことはサイバー警察も突き止めているでしょうが」
彼の言葉は彼女には意味不明な単語の羅列に過ぎなかったが、彼女にとってそれは問題ではなかった。
「そろそろ、仲間を見つける必要がありそうです。
「では……もしかして」
「おそらく事件の犯人はもっと大きな事件を起こそうとしている。それはこの街に多大な被害をもたらすでしょう」
「誰がやっているのか心当たりがあるのですか?」
「私たちの界隈では有名なやつですからね……。彼は半年前から行方不明になっています。消える直前にはやたらと粗暴になり、塞ぎ込むことが多くなっていたと彼の少ない友人たちから聞き出しました」
「……喰われたのですね」
夢喰いの怪物に夢を喰われた。
「おそらく」
一瞬だけ、彼の目が痛みを帯びた。
「想像力の失くなった天才ハッカーが何を考えて何をしようとするかなんて、考えるだに恐ろしいことです」
夢喰いの怪物を倒す必要がある。
けれども、彼も彼女も怪物を前にして戦うような力は持ち合わせていなかった。
だから、仲間がいる。
この街には、神官の託宣を受け、《妖精の女王》の命を受けて遣わされた者が彼女以外にもいるはずだった。
「見つけられますか?」
「だいじょうぶです」
彼女は答える。彼女の持っている性質は、こういうことには向いているのだ。
世界が土の大地で覆われているかぎり、張り巡らされた植物の根は彼女の手であり目であり耳であった。
「お願いします」
そう言って彼は頭を下げた。
「いいえ。それはわたしの言うこと。お願いするのはわたしのほうなのに……」
言いながら、彼女は彼の首に両腕をまわした。髪をかきわけて、彼の頭のうしろで腕をくむ。
耳許で彼にささやいた。
「ありがとうございます。あなたに出会わなければ、使命も果たせずにあそこで朽ち果てていたと思いますから」
そう言いながら、彼の肩に自分の頭をこつんと乗せる。彼女は自分の弱さが嫌いだった。ひとりではなにもできないのだ。生きていくことさえ。種族的性質とはいえ、弱すぎる。
それを意識させられるたびに、彼女は自分が《妖精の女王》の指名によりこの世界に来たのは間違いなのではないかと思うのだった。
彼女の名はライラ・フローレン。
森の木々に宿るドライアードの一族だ。
ライラが生きていくには、水と光と、そしてわずかな栄養が必要だった。
ドライアードが生きていくのに必要な栄養――宿主の生気。
植物の精霊ドライアードは、依代となる宿主が必要なのだ。
『自分ひとりでは生きてゆけないのは、どの種族でも同じですよ』
そう彼は言うのだけど……。
「では、明日から仲間探しを始めるとしましょう。今日は私もこれで寝ますから」
「はい……」
彼は手にした小さな箱を操作して天井の明かりを消した。
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