第11話 毎日ミルクを3杯くれれば

「ここにいちゃまずいよ!」

 警備員に見つかったら、窓硝子ガラスが割れたのは晶たちのせいになってしまう。例え硝子が全て割れていたとしても。まさか鬼火ウィル・オー・ウィスプのせいとは思わないだろう。

 しかも、都合の悪いことは重なるもので、あれほど荒れ狂っていた鬼火たちは警備員が近づいてくるにつれて、ひとつ、またひとつと光を消していった。晶の目の前にいたあの小さな鬼火の子どもも、光が消え、直後に存在そのものも消えてしまった。

「還ったか」

 フレアが言った。

 ますます事態が悪化した。

「乗れ、晶!」

 フレアが背に乗れと促してくる。確かにフレアの脚の速さがあればここから逃げ出すことは容易たやすい。けれど……。

「だめだよ、ふたりは乗れない」

 どんな理由でここにいたにせよ、目の前の少女──瑠砂を放り出していくわけにはいかない。

「伊東さん、ここにいちゃだめだよ。逃げよう!」

「……え?」

 まるで初めて晶のことを認識したように彼女は目を見開いた。

 警備員の足音が聞こえている。手に持っている懐中電灯の光の輪が一歩ずつ晶たちのほうへと近づいてくる。先ほどまで乱舞していた鬼火に警戒してか、その歩みはゆっくりとしていたが、確実に裏庭のほうへと近づいていた。

「だから、逃げるんだってば!」

 瑠砂の腕を掴もうとして、晶は自分が何かを手に持っていることに気づいた。

 葉っぱだ。

「これ……もしかして、ふきの葉、か?」

 晶の思考がくるくると回る。『蕗の葉の下の人』という言葉がぱっと脳裏に浮かんだ。

 ──この小人って……コロポックルか!

 アイヌの伝承にある。蕗の葉の下にいると言われる小人だ。

 この小さな男の子がコロポックルで、さっきは葉っぱを頭の上にかざしていた。たぶん、だから僕からは見えなかった。

 晶は葉っぱを頭の上にかざしてみた。小人には傘になるほど大きい葉だが、晶にはせいぜい団扇ほどの大きさにしかならない。頭の上に団扇を乗せているヒトがどう見えるかと言うと。

「……晶、バカみたいに見えるぞ」

「わ、分かってるよ! ただ、これで隠れられないかって」

「姿を消せるのは、そやつの小人的特性だから、晶では無理だ」

「こ、こびと的とくせい!?」

 うむ、と重々しく頷くが、それで何かが分かるかというと、さっぱりだ。

「そいつが持てば、葉っぱの下のものは確かに見えなくなる。だが……」

「そいつ、じゃないわ。……ポンペ」

 小人の代わりに瑠砂が名を教えてくれた。どうやら、小人はポンペという名前らしい。

「ポンペ、おまえがその葉で我らを隠せないか?」

「そ、そうか!」

 それだ、と思ったのだけど。

「にーちゃんたちデカ過ぎるって」

 ポンペの答えに晶はいったんは失望し、それからはっと気づいた。

 ──大きすぎる?

 待て。いま、小人は「無理だ」とは言わなかった。晶たちが「大きすぎる」と言っただけだ。それはおそらくは、手にしている蕗の葉の下に隠れるには晶たちが大きすぎる、ということだろう。だとしたら、晶たちが小人サイズに小さくなるか、あるいは──。


「おい、そこに誰かいるのか!」


 中庭に向けて放たれた光が一瞬だけ見えた。

 ──どうしよう。間に合わない!

 光の輪が芝生の上を這い廻り、とうとう晶たちの元へと辿りついた!


  💎 💎 💎 


「……誰もいねえな。確かにこっちのほうから声が聞こえたんだが……」

 警備員は手にした懐中電灯を振って辺りを見回したが、芝生の生い茂る中庭には

「ってぇことは……」

 警備員は懐中電灯を校舎へと振り向ける。

「ありゃあ、いったい誰がやったってんだ……?」

 中庭に面する窓硝子ガラスがことごとく割れている。背筋を震わせながら、警備員は顔を顰めた。


  💎 💎 💎 


 足音と明かりが遠ざかり、晶はそっとため息をついた。

「伊東さん、大丈夫?」

「……へいき」

「ボクも平気だよ!」

「おまえはどうでもいい」

「おまえじゃないよ、ポンペだよ、バカ馬!」

「ま、まだ我らの一族をバカにするか! バカ小人!」

「ちょっとちょっと!」

 せっかく助かったのに、また声が大きくなっている。晶に諭されて、フレアもポンペも口をつぐんだ。

 晶は辺りを窺ってから、頭の上にかざしていた葉を下ろした。 

 それは10倍ほどまで巨大化した蕗の葉だった。

 どうしてこうなったのかは晶にもよく分かっていない。

 ただ、晶たち全員を隠すにはポンペの持っていた蕗の葉が小さすぎることだけは分かっていた。これがもっと大きければ……咄嗟にそう考えたのは覚えている。

 そうしたら、いきなり葉っぱが巨大化したのだ。

 重さに倒れそうになる蕗の葉を晶とフレアが支え、ポンペを両手で抱えた瑠砂が茎の中ほどに触れさせた。ほぼ同時に警備員のライトが晶たちを照らしたのだが、どういう理屈か分からないが、晶たちの姿は見えなくなっていたようだった。

「とにかくここを出よう。また警備員さん戻ってくるかもしれないし」

 いや、絶対、戻ってくるだろう。

 晶は校舎を振り返った。窓がほぼ全壊だ。警備員もそれは認識していたはずだ。

「それにしても……派手にやっちゃったなあ」

 こんなに大量の硝子を弁償すると幾らになるんだろう。

「窓硝子が割れたのは、あなたのせいじゃない、水瀬くん。私のせい」

 伊東瑠砂が言った。

「いや、このバカのせいだ」

 またも小人の襟首を摘みながらフレアが言った。

「でも、主は私」

 瑠砂の言葉にフレアが黙った。

 そういえば、いつもフレアも晶を主殿と呼んでいたと晶は思い出す。

「でも、伊東さんのせいってわけでもないでしょ」

 途中までは鬼火たちも大人しかったのだ。まさか夜の校舎の窓を端から叩き割る昭和の不良の真似事をするなんて思ってなかったに違いない。

 いわばこれは不可抗力なのではあるまいか。

「晶の例えはよく分からないが、そういうことならば、こいつに任せたほうがいいだろう」

「ボクを下ろせよ~~~~~!」

 襟首を掴まれたまま、ぶらぶらさせられながらポンペが言った。

「その子に?」

「できるな?」

 小人を目の高さにもちあげて言った。

「そーだねー。ミルクを毎日3杯くれれば──」

「できるな?」

「……じゃあ、1杯でもいいんだけど……」

「や・れ! いま! すぐ!」

「わかったよう」

 掴んでいた服を離され、ポンペが落ちた。

「我らは外で待ってる」

「え~~~~~?」

 まだ不満そうなポンペをフレアはぎろりと睨みつけた。 

「行ってきまーす!」

 とことこと短い脚で校舎に向かって駆けだした。

「そういえば、伊東さんはどこから入ってきたの?」

「……こっち」

 ポンペを見送っていた瑠砂は、晶の問いに、先に立って歩き始めた。

 裏庭の端にある弓道場だった。隣が墓場だ。さきほどの場所から、さほど離れているわけではないが、幸い生い茂る木々が影になって、校舎のほうからは直接は見えないところだった。

 ようやく一息ついた。晶は手に持っていた蕗をその場に落とした。ポンペの持ち物だったらまずいと思ったのだが、瑠砂によればいつもどこからか出してくるから大丈夫、とのことだった。どのみち10倍の大きさの蕗の葉を持ち歩けないだろう。朝になって誰かが見つけたら驚くだろうが……。

 弓道場と墓場の裏手が第2グラウンドになる。

 ただし、こちらには塀の高さよりも高くネットが張ってあった。

 第2グラウンドには、野球部の練習場がある。何年か前、墓場に飛びこむボールの多さに寺から文句がきて、ぐるりと防護ネットが張られたのだ。ネットと空との境は見上げると首が痛くなる高さだ。表門の塀の比ではない。フレアでも跳び越せそうもなかった。

 はるか上まで張られた防護ネットを見上げながら晶は途方にくれた。

「どうしよう……」

 どうして、瑠砂はこちらに連れてきたんだろうと思ったときだ。

「……こっち」

 不意に晶の手が引かれる。瑠砂だ。ひんやりとした彼女の手が晶を引き、防護ネットの一角を目指して連れて行った。ちょうど墓場と接しているあたり。校舎と墓場のあいだの、壁と緑のネットが互いにT字型に接しているところ。そこには丈の低い野バラの木が植えられていた。

「ここから抜けられるから……」

 ぽそっとつぶやくと、さっさと少女は先に立ってバラの茂みをくぐり始めた。

「我はいったん中に戻る」

 さすがにバラの茂みをくぐるのはフレアの大きさでは難しい。フレアが宝石の中へと戻った。

 ほかにあてもなく、晶は少女のあとに続いて茂みに潜りこんだ。よく見れば、学校の塀はお寺の壁にあたる手前で終わっていて、隙間がある。隙間にかかったネットは茂みの奥で細く破れていた。

 ──彼女、ここから入ってきたのかな?

 茂みの後ろだからこの穴は誰にも見つけられなかったにちがいない。晶は手足をひっかく棘に悩まされながらも瑠砂の後をついて行った。


 それにしても、伊東瑠砂はあの中庭でいったい何をしていたんだろう?

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