第9話 ねえねえ。もっと増やせる?

 お尻が痛い。

 フレアの背から地面へと落ちた直後は、晶はしばらく声も出せず、歩くこともできなかった。昔のひとはよく馬に乗って旅などできたものだ。おまけに速度をあげたときの顔にあたる風の強さ、塀を飛び越えて着地したときの衝撃ときたら!

 とにもかくにも、晶とフレアは校内へと入ることには成功し、校庭の片隅までやってきた。4階建ての校舎が向こうに見えている。


 校舎の中では鬼火が彷徨さまよっていた。


 教室棟には各階に10の教室がある。4階建てだから、4×10でぜんぶで40の教室があるわけだ。校庭からは、整然と並ぶ教室の窓が碁盤の目のように見えている。

 碁盤の左上、ぼうっとかすかな光があった。教室の明かりでもなければ、懐中電灯の明かりでもないことはすぐに分かる。青白い。そして人魂のように丸い。ゆっくりとその光は、左から右へ、部屋から部屋へと動いていった。まるで壁を突き抜けて明かりが動いているように見えた。


「ちがう……廊下を動いているんだ……」


 なにか、明るい青白い物体が、教室の向こうの廊下を動いているに違いない。その明かりが、教室にまで差しこんでいて窓越しに見えているわけだ。

「あれは鬼火ウィル・オー・ウィスプだ」

「鬼火……」

「そろそろ歩けるか?」

「う、うん」

「では行くぞ、晶!」

 フレアはすでに校舎へと近づこうと歩き出している。晶もしかたなくついて行くことにした。ひとりでここに残るのはどう考えてもイヤだ。

 校舎の左側を通り、反対側に回り込んだ。そこは裏庭になっている。さらに向こう、学校の壁を越えた先は広大な空き地になっている。そこは街の緑化地域に指定されていて家が建てられないのだった。空き地には、川が流れ、森が茂り――そのうえ墓場まである。一部は運動部のための土地になっていて、第2グラウンドの名前が付いていた。

 フレアは先に立って進んでゆく。きょろきょろと辺りを見回し、何かを探している。

 風が吹いて、草木がざわざわとざわめく音が聞こえてくる。墓場の、香の匂いだろうか、独特の香りも漂ってきた。

 裏庭へとやってきて、廊下側から校舎を見る。先ほど見えた青白い光は、4階の端にまで移動していた。そこでじっと動かないで漂っている。

 だが、鬼火はひとつではない。青白い光は先ほどよりもさらに数を増やしていた。

 新たに現れた光は、2階の一番真ん中から右へと移動を始めていたり、1階の数か所をゆらゆらと揺れていたり……。どれも大きさは、差し渡しが1メートル半はあった。かなり大きい。

 そうやって見ている間にも……。

 ──また増えた!

 今度は3階の一番右に光る玉が現れた。それは、今までのものよりも素早く左へと動いていく。その間に、最初に現れた光の玉は左から右へと動き出していた。

 見ていると、誰か意思ある者が、光る玉を動かしているようにも見える。あれほど怖かったくせにいつの間にか晶は見蕩れていた。

「すごい……なんか、きれいだ……」

 四角い盤上を青い光が明滅しながら複雑な動きを繰り返していて、まるで青い鬼火が舞踏を踊っているかのようだ。晶は立ち尽くしたまま見つめ続けた。

 隣で光を見つめていたフレアが口を開いた。

「今のところは……安定しているようだな……」

「フレア、あれってなんなの? 人魂みたいに見えるけど……」

「む? 先ほど言ったようにあれは鬼火だぞ。我らの世界ではよく知られた生き物だ」

「生き物……生きてるの、あれ?」

「うむ。いかずちを食べる。そして、食べたものを吐き出して、光るのだ。あれは我らの世界の生き物であるゆえ、どこかに呼び出した者がいるはずだが……」

 フレアが囁き声になったのは。晶の耳元に口を寄せて囁いてくる。


「晶、見えるか……? あの、茂みの手前だ。女がいる」


 フレアに言われて、彼女の指すほうを目をすがめて見た。

 裏庭には、背の低い茂みがあった。その手前の芝生のところに誰かが座って校舎を眺めている。

「よく……見つけたね」

 鬼火の明かりが裏庭まで照らしているとはいえ、それもさほど明るいわけではない。このあたりには街灯もない。晶には、それが女性だとまでは最初は分からなかった。

 だが、確かに誰かが膝を立て、膝の上に何かを抱えながら座っていた。

「それから、声だ。聞こえるか?」

 言われてしばらくは晶には何も聞き取れなかった。しばらくすると風向きが変わり、その声が聞こえてくる。

「わあ! すごいすごい! やっぱりルサっちは才能があるよ~~~~~」

 小さな男の子の声だった。

 男の子? だが、その人物の姿は見えない。ルサ、と相手を呼んでいた。ということは、あのシルエットの少女は──。 

「ねえねえ。もっと増やせる?」

 男の子の声が言うと、紙のこすれるようなかすかな音が聞こえた。

 膝を立てた少女の腕が動いている。

「見ろ、晶」

 フレアが茂みの手前の少女ではなく、校舎のほうを指さした。

「鬼火が……増えた!?」


 新たな鬼火が4階の端に生まれていた。


「やりすぎだ!」

「ちょ、ちょっとま……、フレアってば!」

 とっさにあげた僕の声の大きさに座っていた少女の顔があがった。

 そのときにはもう、フレアが飛び出していた。慌てて追いかける。

 茂みの前の人影が突進するフレアに気づき、身構えるように立ち上がった。ショートパンツにTシャツの、フレアの言うとおり女の子だった。ぎりぎり顔が見える。晶と同い年くらい。髪の短い少女だ。

 その顔は予期した通りに伊東瑠砂るさのものだった。

 

 ──いや、でも。

 ──明るく見えすぎじゃないか?


 廊下を彷徨う鬼火の数が矢継ぎ早に増え始めていた。

「な、なにが──!」

 起こっているんだ、と問いかける前に一足先に飛び出していたフレアが叫んでいた。

「すぐ還せ! バカもの!」

 セントールの姫が、伊東瑠砂の隣の空間に手を伸ばしたところだった。

 何かを掴む。

 目の高さまで持ち上げると、フレアは怒鳴りつけた。

「貴様があるじの魔力を暴走させてどうする!」

「きゅうううううう。くるし~よ~~~~~~~~~」

 フレアが小さな小さな男の子を足首を掴んで逆さづりにしていた。人間ではない。その男の子は小学生くらいの外見なのに、身長が30センチほどしかなかったのだ。


 童話に出てくるような小人リリパットだった。


 穴を空けた布から頭を出して、余った布を腰で縛る、いわゆる貫頭衣を着ていて、真っ赤な帽子を被っている。だらんと下がった両腕の片方には小さな傘のようなものを持っていた。その傘はよく見ると大きな葉っぱなのだった。

 パァン! と硝子の割れる音が響いた。

 驚いて晶がまたも振り返ると、それまで静かに光っていた鬼火が、ばちばちと周囲に紫色の放電を放っていた。鬼火同士の間に、幾つもの雷が伸びている。

 鬼火同士が互いに雷を撃ち合っているような感じにも見える。衝撃で、廊下側の硝子ガラスが次々と割れ始めていた!

「さっさと、と言ってるのだ! これ以上、被害を大きくするつもりか? 創造を司るべき宝石の夢魔が破壊に加担してどうする!」

 フレアは小人の両脚をつかんで、左右に振り子のように振っている。

「きゅ~~~~~~~~~っ」

 揺さぶられて、小人は目を回している。あれではろくな返事もできない。止めさせたいなら逆効果じゃないだろうか。

 声を掛けようとしたところで、フレアの腕に細い手が置かれた。

「離して、あげて。それじゃ、何もできないわ」

 それまでただぼうっと立ち尽くすだけだった少女──瑠砂だ。感情を見せない瞳でフレアを見つめながら言った。

「やめて、あげて」

「……おぬしがそういうのなら」

 小人が地面に落ちる。

「痛いー! 腰打ったー! うえええん!」

「泣くな! 晶は地面で腰を打ったくらいでは泣かなかったぞ!」

「2回とも落としたの、君だけどね!」

 僕は2人、いや3人に近寄りながら言った。

 瑠砂の瞳が僕のほうを向く。

「水瀬くん。来てくれたのね。では、あなたがピットくんと同じ妖精のひと?」

 感情の籠もらない声でフレアに問いかける。

 問いを予期していたかのように、フレアが重々しく頷いた。

「そうだ。我はフレア。フレア・アルトュース・アラトラール。セントール族の長の娘にして、はなはだ不本意だが、そのちっこいのと同じ、《宝石の夢魔》だ」


 背中では、次々と割れ続ける硝子ガラスと乱舞する鬼火の青い光の饗宴が続いていた。

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