第8話 つ、つかまるってどこに?

 もう夜の10時だった。

 駅から東に向かってまっすぐに伸びる大通りを20分も歩けば、都会から外れたここ東雲しののめ町では車の流れも途絶えてしまう。通りの脇の森を渡る風の音だけが聞こえてくる。どこかで犬が遠吠えをあげていた。

 街灯も少なく暗い通学路を晶は歩いていた。それだけで充分怖い。おまけに今夜は月もない。肝だめしするにはもってこいの条件で、そして晶は肝だめしが苦手だった。

 夜道を歩きながら、晶は胸元に語りかける。

「見えてる?」

『充分だ、主殿。感謝する』

 とぼとぼと歩く晶の傍らには誰もいない。晶の呼びかけに応える声は、晶の胸元から聞こえていた。

 春とはいえ4月の夜はまだ少々肌寒い。晶は、セーターの上にジャケットを羽織っていて、胸ポケットにはボールペンが差してあった。そのボールペンのクリップの部分には大きな赤みがかった橙色の宝石が付いている。

 インペリアルトパーズ。

 セントール娘フレア入りの宝石だ。

 安物のボールペンのクリップに瞬間接着剤でまるで飾りのように留めるという、宝石のマニアが聞いたら卒倒しそうな細工だった。

 

 宝石の中を覗き込まれたら、動くセントールの娘が入っているのが見えてしまうのだけれど、それでも実物大のセントールが晶の脇を歩いているよりは誤魔化し易いだろう。

 ──こういうおもちゃだと言えば通りそうな気もするし。

 ポケットの中に入れておいたほうが安全だろうが、そうするとフレアには外界の様子が一切見えなくなってしまう。それは嫌だった。

 だからこその苦肉の策だ。宝石の接着にはもちろんフレアの許可を取った。

 本当は石の外に出してあげたい。鳥籠の鳥のような状況にフレアを留めておくことを晶は良いとは思っていない。なんとかしたいと考えてはいるのだが……今のところ手段が思いつかない。


「でも、ほんとうに、その……伊東さんの夢が食べられちゃったの?」

 晶の問いかけに、胸元の宝石の中からフレアが答える。

『おそらく』

 ──夢喰いの怪物、かあ。

 フレアが言うところの「敵」にはそんな名前が付いているらしい。


 伊東瑠砂は確かに「待っている」と言った。「今夜も練習がある」とも。何の練習かまでは分からないが。


 そして、彼女は晶と同じような宝石を持っていたのだ。黄昏の淡い光の中でも鮮やかな緑色をしていた石。瑠砂はペリドットという宝石だと言っていた。

『あれは《妖精の女王》から賜る夢魔の宝石だ。宝石を持っているということは、あの娘も主殿と同じように夢使いなのだろう。だが……』

「夢を食べられちゃった?」

『そのように見える。実際に喰われたヒトを見るのは初めてだが……』


 通りの下り坂を降りきると、左手に少し高台になった一角がある。フェンスが張られていて、その向こうに校庭が見えた。

 晶の通う東雲西高だ。

 学校の正門の前までやってきた。そこで晶は困ってしまった。大きな門には、がっちりと鍵がかかっていた。よく考えてみれば、こんな時間に高校の門が開いているわけがない。

 左右に続く壁も2メートル以上の高さがあるから、晶には昇れそうもない。手を伸ばしてようやく縁に手がかかるくらいなのだ。

 どこか低くなっているところはなかっただろうか? 晶は学校の構造を思い出そうと記憶をさらう。

 フレアが訊ねてくる。

『どうした?』

「どうやって中に入ろうかと思って」

『この塀を越えればいいではないか』

「無理だよ。足をかけるところもないんだよ?」

『飛び越せばよい』

「そんなジャンプ力なんてないから!」

『……しかたない、力を貸そう』

 ちょっと不満げなのは、晶ならできると思っていたということだろうか……。言い終わるとともに、晶の横にフレアが現れた。

 街灯に赤い髪と小麦色の身体が照らされている。漆黒の毛で覆われた馬の半身は闇に沈み、暗闇の中に白い女の子の上半身だけが浮かびあがって見えた。

 宝石の中、小さくなっているときには人形みたいで気にせずにいられる姿が、等身大になるだけでドキドキしてしまう。上半分だけを見ればクラスの女子たちと変わらない姿──つまり同じ年ごろの少女──なわけで。それでいて裸なのだ。気にならないなんて無理なのだ。

 どうしてフレアは気にしないでいられるんだろう?

 セントール族だから、裸が普通の種族だから?

 考えても無駄だろう。セントールの思考はセントールにしか分からない。それにもうこの辺りならば人目を気にする必要もなかった。

「はい、これ」

 手提げの袋に入れておいた着替えを渡す。宝石の中には、元の世界から持ってきたものしか持ち込めないらしかったので、晶が紙袋に入れて持っていたのだ。


 着替え終わった──ニットのセーターを着ただけだけど──フレアが言う。

「では、乗れ!」

「へ?」

 間抜けな声をあげてしまった晶に、フレアが自分の背中を親指で指して、もう一度同じセリフを言ってくる。それでようやくフレアが自分の背に乗れと言っているのだと気づいた。文字通りに馬乗りになれと言っているわけだ。尻尾でパタパタと背中を叩いて促していた。

「こんな塀ごとき、わたしなら飛び越せる」

「飛び越すー!? ……ん? わたし?」

「あ。ちがう。わ、わりゃなら──あう」

 我なら、と言おうとして、思いっきり顔をしかめて四本の脚を折ってうずくまる。舌を噛んだらしい。

「なんだ、ふつうにしゃべれるんじゃん」

「お、おかしいな。翻訳魔法の齟齬が……」

「……魔法使えないって言ったの、君だよね?」

「ぐ」

「わたし、じゃダメなの?」

「おかしいだろ。姫として!」

 ──そうかなあ。おかしなところに拘りがあるんだな、と晶は思う。異世界の姫君の思考は謎だ。

「でも、無理しなくてもいいと思うけど」

「う、うん?」

「かわいいし」

 ぼっ、と暗闇で見ても分かるくらいに赤くなっていた。

「我はそのように思われたいわけではない! それより早く乗るのだ!」

 口調が元に戻ってしまった。ちょっと残念だ。

「でも、僕は馬になんて乗ったことないよ」

「は・や・く!」

「で、でも」

「さっさと乗れ! さもないと主殿を蹴り飛ばして壁の向こうへと飛ばすぞ!」

 フレアの顔には冗談めかしたところはなくて、真剣そのものだった。抑えていたはずの声の大きさも、徐々に大きくなりだしている。高校の周りは緑化地域で畑だらけとはいえ、さすがに大声が過ぎる。

「わ、分かったってば」

 おずおずとフレアの背にまたがろうとした。だが、予想以上にフレアの背は──。

「高いよ!」

「……こうか?」

 後ろ脚を曲げて腰を落としてくれたが、そうなると、今度は背にとどまり続けることができずに、フレアが立ち上がる前にすべり台よろしく晶が落ちてしまう。

「やれやれ……踏み台が必要か」

 歩道と車道を分ける石の上に立ってようやく晶はフレアの馬体の背に腰を乗せることができた。

「わ……っ!」

 腰を落ち着かせてから辺りを見回すと、思ったよりも目線が高くなっていて恐い。

 フレアが、いきなり2、3歩、後ろへと下がる。馬になど乗ったことのない晶はフレアの動きについていけず、またもあっさりと転がり落ちた。

「い、痛ぁあ」

「……わたしは上に乗れと言った。なぜ落ちている」

「ぼくだって、乗ったままでいたいよ!」

「主殿は、もしかして、少し鈍いのではないか?」

「そりゃ……運動が得意とは言わないけど。でも、セントールに乗ったことのあるヒトなんてそう多くないと思うぞ……あと、いいかげん、その主殿って、やめてくれないかな。ぼくには、晶って言う名前があるんだから」

 フレアが目をしばたたたいた。

「む? しかし、我は……」

「そっちも「わたし」でいいから! で、名前は晶で」

「あ、あきらどのは……」

「殿もいらない」

「……あきら」

「うん」

「うう、しかし、姫として──」

「いいからいいから。それよりここで騒いでいるとマズいと思うんだ」

「……分かった」

 今度は黙ったのはフレアのほうだった。

 ふたたび背に跨る。

「しっかり、わたしにつかまるのだ、あるじど──晶!」

「つ、つかまるってどこに?」


 晶の目の前には、フレアの白い背中しかなかった。


 赤い髪がその背中の肩甲骨のあたりを揺れている。彼女が身動きするたびに、髪が背骨の上をはねまわる。セーターで隠れているものの、それでも彼女が身体をねじるたびごとに、腰の辺りの肌色が見えてしまったり見えなかったり。なんというかとても……目のやりどころに困る。

 どこにつかまれって言うのか。

「こうだ、晶」

 腕をつかまれ、彼女のお腹へとまわされた。

「両腕でつかまるのだ、しっかりとな」

 バイクのふたり乗りをするような格好になる。もっとも晶は女の子とふたり乗りなど生まれて初めてだった。顔が背中にくっつきそう。晶の息がかかって、彼女の赤い髪が目の前でかすかに揺れる。息を吸ったときには甘い香りがした。自然と頬が熱くなる。なのにフレアのほうは身じろぎひとつしなかった。フレアのおなかの前のほうで組んだ手に、ときおり上着がずれて、下の素肌が当たってしまう。柔らかかった。春の夜風にうたれて、彼女のおなかはひんやりとしている。おなか、冷やさないといいんだけど、などと思考が横道に逸れる。

「行くぞ!」

「ま、待って!」

 晶は気づいた。正門の上についている、あれは監視カメラだ。ここからでは、あのカメラに捉えられてしまう。

「まわりこまなくちゃダメだよ。もうちょっと、壁にそって移動しよう」

 カメラは門のところだけに付いている――ように見える――のが幸いだ。

 壁を造った者も、まさかセントールに乗って2メートルを超える壁を飛び越す者がいるとは思ってなかったのだろう。

 壁沿いに沿ってフレアの背に乗ったまま移動した。門から30メートルほど離れた辺りで、向こう側が芝になっているところを見つける。

 フレアに告げると、彼女は少しだけ助走を取ってから壁に向かって走り出した。

 ぐんぐんと壁が迫ってくる。思わずフレアのおなかに回した腕にぎゅっと力を込めてしまう。

「手を放すな! しがみつけ!」

 目をつぶってフレアの背に自分の身体を押しつける。

「はっ!」

 掛け声とともにたわめた脚が伸ばされ、晶は自分の身体から重力が消えたかのように感じた。

 耳元で風が唸る。着地の瞬間に、フレアが脚を曲げ、衝撃を吸収してくれた。それでも、慣れない馬の背の上で晶は尻を何度も打った。

「いたたた」

「目を開けてよいぞ」

 つぶっていた目を開けると、晶とフレアは校庭の端の芝生の上に立っていた。


「始まっているな」

「へ?」

「晶、見ろ!」

 校舎を指差してフレアが言った。

 細長い校舎の窓の向こうを左右に行きかう幾つもの青白い光の玉が見えた。

「なに、あれ! ……ひ、人魂?」

「あれは鬼火だな。しかし、あんな危険なものをあんなにたくさん呼び出すとは……探すぞ、晶!」

 そう言って、いきなり走り出そうとしたものだから、


 晶はふたたびフレアの背から転げ落ちた。

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