第4話 主殿、どこから見ておる?

 駆け込んだ男子トイレの個室の中。

 今朝の出来事を回想し、そういえば家を出るときに咄嗟に制服のポケットに入れたんだっけ、と手の中の宝石を見つめながら水瀬晶は思い出した。


 赤みがかった橙色レディッシュオレンジの宝石──インペリアルトパーズ。


 手のひらに転がるうずらの卵大の石の中に、小指の先ほどの大きさのセントールの姫がちょこんと立っていて、晶を見上げている。時々、きょろきょろと首を振ってあたりを見回していた。

 このサイズだと、かわいいな!

「何をニヤニヤしておる? 我は真剣な話をしているのだが」

「あー。さっきの、『世界を救う仕事』とか言ってたやつ? って、その前に君ってなに?」 

「自己紹介はしたはずだが?」

 問いに問いで返されてしまった。

「セントールのお姫様っていうのは聞いたけど……。僕、そんなのはお話の中にしかいないって思ってたから」

 今でも晶は信じ切れていない。

 例えばこれが出来のよいゲームかおもちゃの可能性だってあると思う。試しに宝石をひっくり返してみたが、不思議なことに中のフレアは宝石をどんな角度に傾けても、同じポーズで立っていた。手で撫でてみる。石に仕掛けのようなものも付いていない。結論としては、単なる宝石に思える。ただ、生きて喋るセントール入り。

 ふと思いついて、晶は宝石を目の高さよりも持ち上げて、下から覗いてみた。

 馬の身体の腹の部分を見上げる形になった──ちょうど四本脚のテーブルの下に潜り込んで見上げるような感じ。馬身の漆黒の毛並みの為か、小さすぎるからか、細部は見て取れず、黒い毛並みの腹が見えるだけだったけど。

 ──なるほど。馬って、下から見上げるとこんな風に見えるのか。


「主殿、どこから見ておる?」


「えっ、あ──み、見てないよ!」

「主殿なら見られても構わぬが、我の身体にそのような興味がおありか?」

「そ、そのような?」


「性的な、という意味だが」


 慌てて宝石を手元に引き寄せた。ぶんぶんと首を振って否定する。ちがう、そんな気はなかった。嘘じゃないってば。

「だから主殿なら構わぬと……」

「僕が構うの!」

 素直に謝ることにする。セントールの倫理感や羞恥心なんて、人の僕の勝手な思い込みで図って良いものでもないだろう。宝石をふたたび手の上に戻して、その手を僕は膝に置いた。

「で、話を戻すけど。君のさっきの言ってた事なんだけど……」

「うむ。判りやすく簡単に言うとだな」

「お願いします」


「主殿は『夢使い』として『妖精の女王』に選ばれたのだ。その使命は我らと共に、を退治することだ!」


 いきなりスケールが大きくなった。

 しかも、知らない単語が幾つも出てきた。『夢使い』『妖精の女王』それから……。

「世界を……喰らう魔物?」

 晶は戸惑いつつも、話に引き込まれてしまう。

「そう、『世界を喰らう魔物』だ。世界は狙われておる。奴らによってな。エルフの神官たちによると、次に狙われるのが、この街だと託宣があった」

 きっぱりと言われ、晶は思わずごくりと唾を呑んだ。信じられない話だ。だが、そもそも目の前の宝石の中にセントールの少女が居て、その女の子が喋っていることが不可思議なのだ。

「怪物に狙われてるって……、なんで僕たちの街なの!?」

「それを詳しく話したいが、その前に主殿、もう少し広い部屋に行かないか。ここでは出られん」

「で、出る?」

「我は宝石の外に出て話したい。会話というのは顔を向き合わせてするものだ。大事な話なのだ。我は主殿ときちんと向き合って話したいぞ」

「それは……」

 確かにそう言われると反論はできない。目の高さまで宝石を持ち上げればいいじゃないか、と反論するのは何か違うと思う。フレアの言っているのはそういうことではないだろうし。それに小さな宝石の中のセントールは如何にも窮屈そうだった。

「それに暗い処だと、我はすぐに眠くなる」

 そこであくびをしなければ、晶は感心したままでいられたのだが……。

 あと、時折、ちらっちらっと晶を見上げては、晶に見つめられる度に不機嫌な顔になるのは、それだけなんだろうか、と晶はちょっと不審に思った。

 ──訊いてみるほうが早いか。

「それだけ? ……他には?」

「見下ろされてると気分がわるい!」


 ──姫だな! このひと!


 しかし……。言っていることはもっともだ。

 晶はトイレの個室を見渡した。それから朝見た彼女の姿を思い浮かべる。確実にトイレの個室よりも彼女の身体のほうが大きい気がした。

「君の大きさじゃ、トイレが壊れちゃうね」

「トイレ? なるほど、ここは厠であったか。主殿の個室かと思ったが」

「難しい言い方知ってるなあ。……君たちの世界だってトイレくらいあるでしょ?」

「もちろん」

「よかった」

「我らの国は50を超える種族が住んでおる。多様な種族の多様な性に対応するために、あらゆる設備はどれもそれなりの大きさがあって、このような狭い厠はないのだ」

「多様な……って?」

「巨人から小人まで同じ椅子に同じ寝台ベッド……というわけにはいかんだろ? 当然、厠も風呂も同じようには使えぬ」

「あー」

 そういえばそうだ。当たり前だ。晶の知っている妖精物語では、どれもそんなことまで書いてなかったけど。

植物系種族プラントイドたちの様に排泄をほとんど行わない種族もおるが、不定形種族アモルフたちの様に体内に取り込んだ無機質はほとんど体外に排出してしまうものもおる」

「不定形……」

「スライム、と言えば知っておるか? 確かその言葉のほうが有名だな。まあ、王宮にあがれるほどの知性をもつ輩はほとんどおらんのだが」

「むしろ、少しはいるの!?」

「いるぞ。それどころか、王にまでなったスライムもおる」

「……すごく気になるけど、それはそれとして、その話は今すぐ聞かないとだめ?」

「そのほうが望ましい」

「で、でも、君は目立ちすぎるよ!」

 セントールの娘が廊下を歩いていたら、と想像してみる。

 明らかにパニックが起こるだろう。

 その子が、「主殿」なんて言いながら、僕をお姫様抱っこしていたら……。

「いやいや、そこはどうでもいいだろ、僕!」

 しかも、なぜ抱っこ前提で想像するのか。そして何故、晶が抱かれるほうなのか。まあ、腕も腰も脚も晶よりは頑丈そうだ。胸は柔らかかったけど、筋肉は発達しているように見える──って、考える方向が違う!

「主殿、何を悩んでおる」

「屋上だったら……いやだめか、僕、屋上の鍵もってないし。どこかの特別教室が空いてれば……」

「おーい。あーるーじーどのー」

「……なに? いま、僕は君をどうするかで悩んでいるんだけど」

「それはとてもありがたいが、何か聞こえるぞ」

「へ?」


 四時間目の授業開始を告げる鐘が鳴っていた。


「やばっ! ごめん、フレア、話はまた後で!」

 宝石を握りしめると、そのまま朝のようにポケットに突っ込んだ。

「え? あ、おい! こらまたまっくらにしおって! こらああ!」

「お願い、声が聞こえちゃうから静かに!」

「……むう」

 小さなつぶやき声にまで収めてくれたようだ。心の中で謝りながら、個室を飛び出して晶は教室に走る。

 ぎりぎりで教師の来る前に滑り込んだ。

「お帰り、ずいぶんとゆっくりだったな」

 船山が何かを誤解しているような笑顔で言った。

「はあはあ。ああ、うん。ただいま」 

「息を切らせている所に残念なお知らせがある」

「……なに?」

「鬼崎は休みだそうだ。自習だと」

 晶はそのまま机に突っ伏してしばらく顔を上げられなかった。

 全力で駆け戻ってきたのに……。

「焦って損した」

「理由はお前と同じだそうだぞ」

 顔を跳ね上げる。

「えっ、それって……」

「登校中、いきなり点滅しだした信号のせいで、交差点で追突されたんだと」

 晶は息を呑んだ。

「ああ、大丈夫。鬼崎は軽傷だそうだから。ただ、今日は休むってさ」

「それ、も、さっき言ってた……」

「街の交通管制システムをクラッキングされたのは間違いないらしい。少し前から警察では話題になってたらしい。この街のシステムはそいつらに狙われている、らしい」

「らしいらしいらしい、って」

「そりゃ、ぜんぶ噂だからな」

「そいつらって、誰?」

「そりゃ、いわゆるハッカーってやつだろ? いや、クラッカーかな? まあ、名前はなんでもいいけどさ。今は何もかもネットに繋がってるからな」

 船山の言葉の後半は晶の頭には入っていなかった。 


『この街は狙われているのだ!』

 

 耳許で蘇ったのはフレアの言葉だった。

 こっそりと宝石をポケットから取り出して覗いてみた。

「……寝てる」

 あんなに力説してたくせに、とがっくりとうなだれてしまう。

 そういえば暗いとすぐに眠くなると言っていたっけ。

「草食動物って、こんなにぐっすり寝ていいんだっけ?」

 それともセントールは草食とは限らないってことだろうか。脚を丁寧に畳んでごろりと横になり、両手を重ねて頬の下に枕代わりに入れて寝ていた。寝姿が意外とかわいい。

「そういえば、中は真っ暗だとか言ってたっけ」

 ということは、朝にポケットに入れてから、ずっと彼女は暗闇の中にいたわけだ。

 晶が取り出すまでずっと。

 言葉をかけることだってできたのに、勝手に喋りだしたのは船山の話を聞いたあのときだけだ。あれだって、思わずだったのだろう。

 宝石の中で寝入るフレアを見つめながら、どうしたら出してやれるだろうかと晶はようやく真剣に考え始める。


 その機会は意外に早く、五時間目の終わりにやってきた。

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