解答篇


解答篇


 「幽霊なんかどこにもいなかったんです。いたのは、徹頭徹尾、ただの人間。そして、難しい仕掛けなんか何もなかった。あったのは、上着の交換ということだけ」


 ソファーで足を組んで、馨先輩は聞いているんだかいないんだかわからない無表情さで爪を磨いている。


 「先輩、さっき言いましたよね? “市内の中学でブレザーはジッチューだけ”だって。それは、たしかにそうなんだと思います。知ってる人がどのくらいいるかは別にして。だけど、変なんですよ。それじゃ」

 私は自分の着ているブレザーの上着を脱いで、シャツだけになった。

 「ブレザータイプの制服って、上着脱いじゃうとどれも似たようなデザインになってるじゃないですか。特に上半身はシャツだけですし、細かい校章だの刺繍だのは遠くからはよく見えません。ましてや、演技に集中しなければならない状態で、ステージから体育館最後部の距離ではね」

 相当視力が良ければ見分けるのも不可能ではないだろうが、常識的に考えてそれはまずない。

 「つまり、こういうことです。あのとき、先輩はブレザーの上着を脱いでいましたよね? いくら春だといっても、まだ肌寒い時期なのに、シャツ一枚でした。そして、ぎちぎちの体育館で、先輩の隣に立っていた人は、ブレザーの飾りボタンまで押さえつけるようにして上着を着ていました。それって、なんか変じゃありません?」


 古びた木枠の窓から吹き込んでくる風は、まだ、冷たいと言えば冷たいけれど、三月下旬の晴天、しかも人いきれが満ちた屋内がそんなに寒いものだろうか? 逆に、今日はそんなに暑いだろうか?


 「装飾的な文章は嫌いなんで、単刀直入に言います。あのとき、先輩の隣に立っていた人が、“幽霊”です。そして、他の人は“幽霊”を“見なかった”のではない。“見えなかった”んです。なぜなら、制服が違ったから」


 「続けて」

 冷徹にすら聞こえる声がうながす。


 「ジッチュー以外の中学の女子制服は、おおざっぱに言って、セーラータイプです。ただ、本格的なセーラー服ではなく、シャツの上からセーラータイプの上着をかぶるものもあります。対して、この学校の制服はブレザータイプです。ということは、上着さえ取り替えて、なおかつ、上半身しか見えない状態では、その人物が新入生か在校生か見分けることはできない」


私は、私以外にもブレザー姿の新入生を一人見かけている。しかし、先輩は言った。“ジッチュー以外にブレザーはいない”と。それが本当ならば、あれは誰なのだ? そして、それが本当ならば、なぜ私と同じような結論が即座に出されないのか? なぜ、幽霊が出たなどという話と結びついたのか? なぜ、正しく整列された状態で数えの食い違いが起きたのか?


 「つまりですね、“幽霊”は、新入生には在校生だと思われていたし、在校生には新入生だと思われていただけなんです。私がそうだったように」


 「それだけじゃ根拠が薄くない?」

 「いいえ。根拠はもうひとつありますよ」

 頬杖をついて上目遣いに言う先輩に、私はゆるく首を振る。


 「なぜ、在校生は、“それ”を“幽霊”だと思ったのか? もっと言うと、クリスティーヌ役の先輩は、そう思ってあれほどにおびえたのか?」


 「たぶんですけど、同じ顔だったんでしょ。その人」



 静寂。

 寂滅。

 滅実。



 「ご明察!」


 ぱあん、と大きな破裂音をさせて先輩は両手を打ち合わせた。


 「同じ顔ていうか、近くでよく見ると違うんだけどね。でもまあ、似てる。姉妹だから。疚しい者は、暗闇に自ら鬼を生じたんだよ」


 ブレザーの襟に留められた校章のバッチを中指でひと撫でして、先輩は笑った。そして、急に無表情になり、言う。


 「状況証拠は十分だったけど、立証根拠が足りなかったんだよね。だからさ」


 頼まれたってのもあったけどね、と、つぶやく。


 「ひとつだけ、いいですか?」

 「なに?」

 「あの子は、“本物”の四百人目なんですか?」

 「そだよ。だから」


 あいつにとっちゃ、あと一年、地獄だね。


 にこっと笑った先輩に、私は少し顔を歪める。

 「悪趣味です」

 「なに他人事みたいなこと言ってるんだか」


 笑ってるくせに。


 「さすがジッチュー上がり。喉仏の道成寺、だっけ? 前評判通り、根性の悪さは最高だね。いいよ、いいよー。ソーアンの第一条件は、“その年一番性格が悪そうなヤツ”だからね」


 「私が言うのもなんですが、あなた、ほんと嫌なヤツですね」


 「お互い様だよ」



 そして先輩は立ち上がると、右手を胸元にあて、軽く膝を折って大仰にお辞儀した。

 「柚木 馨。十六歳。第百二十二代ソーアンとして、キミを歓迎します」

 私は座ったまま淡々と応じた。

 「道成寺 葵。十四歳。タダなら歓迎されましょう」


 「十四歳?」

 「ええ」

 早生まれである私の誕生日は、明日だ。

 そう告げると先輩は笑顔で「かわいそうだね」と言った。

端的に言って、なんかすごくムカついた。



こうして、私は馨先輩と出会い、散々な目にあいまくるのだが、それはまた後日の話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かくて卯月のアリスは落ちる 吉柳葵緒 @Kokutoh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ