Chapter:4

 11月も近いというのに、やけに蒸し暑い夜だった。




 パトカーらしいサイレンが、風に乗って流れてくる。1つや2つではない。

 公人でも警官でもない、かつては軍属だったが、今はただの民間人に過ぎない。火の粉を浴びないよう、祈ることにしか興味はない。


 ダグラスは、営業時間外のほの暗い店の灯りを頼りに、M29リボルバーを分解整備していた。ブラックホークも毎日、整備を怠りはしないが、それは昼間に済ませた。

 輪胴を、エジェクターロッドを、グリップを、丁寧に…マグナム弾は高圧で発射されるため、銃身内に鉛のかすがこびりつきやすい。清潔なタオルを慎重に動かし、M29をクリーニングしていく。

 銃なんて、使われないのが一番いいに決まっている。だが、それはダグラスにとって整備を怠る理由にならない。


 いざという時に弾が出ない銃。

 ―想像しただけで、鳥肌が立つ。




 サイレンが鳴り止まない。カウンターの壁に掛けられた時計を見ようとして、今朝外したことを思い出す。針が止まってしまったのだ。ダグラスも簡単な修理はできるが、中を覗いたくらいでは不調の原因はわからない。

 また時間のある時に、ヘンリーの店にでも持っていこうと―。


 舌打ちし、20年来のに目を落とす。かなり長い間、使い込んでいるが、目立った故障のない腕時計―のはずだった。

「…!」

 針が動いていなかった。午後8時35分。急いで携帯電話のディスプレイを点ける。午後9時2分…まる30分近く、止まっていたことになる。


「…なんのつもりだ?」

 妙な胸騒ぎがする。腕時計を外す。軍で培った―強制的に培われたといってもいい“勘”が、ダグラスにM29の整備を終わらせた。

 ブラックホークも手元に持ってくる。ひとまず、息を吐く。




 今夜、

 証拠はない。

 しかし、確信はあった。









「なんだッ!?」

 突如、表で轟音が響いた。銃声ではない。衝突音だ。

 衝突音の前に、甲高い擦過音―おそらく、タイヤのスキール音―が耳に届いた。

(…事故か?)

 ダイナーの前は、片側一車線の緩くカーブした道路だ。角度はきつくないが、道の両端に生える雑木による圧迫感がドライバーの心理に働き、結果、スピードの出し過ぎの抑制に繋がっているはずだ。夜間、稀に接触事故や道路脇への脱輪は発生するが、さっきの音は尋常ではない。


 M29を掴み、慎重に扉を開ける。片手のLEDライトで前方を照らす――。




「な…!」

 白いダッジが、店の前の電柱に激突して止まっていた。




「ヘンリー!」

 斜面を駆け下りる。ボンネットと車体前部がひしゃげたダッジ・ダートのボディには、いくつかの弾痕が認められた。ほぼすべてのガラスが、粉々に割れていた。

「大丈夫かヘンリー!!」

 ダッジの運転席に、蹲るヘンリーが見えた。腹のあたりが血に濡れている。

「ヘンリー!おいっ、しっかりしろ!おいっ!!くそっ…」

 シャシーが変形しているせいか、助手席のドアが開かない。M29を引き抜き、ドアと車体の接合部を撃ち抜いた。

「これで…!」

 無理矢理、車からドアを引き剥がす。

「ヘンリー!無事か、しっかりしろ!!」

「うう…」

 助手席のシートに、S&Wのチーフス・スペシャル38口径が転がっていた。薬莢は空―全弾、撃ち尽くしたのだ。

(誰だ…)

 ヘンリーとりあった人間がいる。ヘンリーは鈍間なデブだが、誰かの恨みを買うような真似ができるほどの度胸はない。

「…ヘンリー、立てるか?」

 苦痛に顔を歪めながらも、ヘンリーは頷いた。変に動かさないよう、慎重に、ヘンリーの体を店の中まで運び込む。



 救急箱エイド・キットを取り出し、手際よく応急処置を施していく。予想よりも酷い。射入創が複数、一つ一つの傷口は小さい。散弾によるものだ。

 この州では違法の鎮痛剤と、軍用の栄養剤を注射する。

 皮膚の下に弾が潜り込んでいる。下手にナイフで取り出すことはできない。それなりの医療機関で診てもらう必要がある。

「すま、ない、ダグ…」

「しゃべるな!」

「いや…」

 口を動かした途端、ヘンリーは血交じりの咳を吐いた。拭いても拭いても、脂汗が噴き出てくる。

「もういい!」

 ダグラスの制止も振りほどき、ヘンリーは口をぱくぱくさせた。震える顔をどうにか抑え、視線はしっかりとダグラスを見据える。

「聞い、て、くれ」


「俺、は、きょう…あ、の、警察に、通報、し、ようと、して…車、で、署に向かったんだ…お、俺は、あの、日…あそこで…銀行で、強盗を、見た、んだ…れ、連中は車で…散弾銃と、見たこともねえ銃を…持って…俺、情けねえけど…怖くって、動けやしなかったんだよ…そ、れで、やっと、逃げ、出そう、って思ったときは、警察と、強盗の、やつら、とで、銃撃、戦、が…始まっちまって…俺は、わけ、わかんなくなって、必死ん、なって、逃げたんだ……あ、後になって、警、察、に…見られたら、どうしようって…そしたらよ、家から、工房の間に、パトカーが…そのあとはあんたも知ってのとおり、さ」

 そこまでしゃべると、ヘンリーはかなり落ち着いたようだった。回復したわけではない、鎮痛剤が効き始めただけだ。もし効果が切れれば、銃創の痛みがせきを切ったように押し寄せる…。

「でも、あんときの、やり取りで…警察は俺を疑ってるんじゃないって気付いた…だから今日…通報、しに行こうと、して…したら、やつらがいたんだ…」

「……」

 強盗団のことだろう。

「俺は、あの、ダッジで逃げたよ…でもやつら、車で追っかけてきてあの見たこともない銃…たぶん、AKカラシニコフかな、やけに短かったような気がするけど…そいつで俺を撃ってきた…最初はそれだけしか持ってないと思ってた、でも…散弾銃を持ってたんだ…俺は車を捨てようとした、間抜けにも外に出ちまって、そこをやられた…このざまだ……それで、やっぱりダッジに戻ったよ、車でここから、一刻も早く逃げないと、って…でも…そっから先は…あんまり覚えてない…気が付いたら、あんたの店の前でぶつかってた」

「…わかった」

 車で行けば、薬が切れる前に州立の総合病院に着くことができる。トラックのキーを引っ張り出す。ヘンリーに肩を貸した―。




「ッ!?」

 店のガラスが割れた。反応が一瞬遅れた。ヘンリーの巨体をかばい損ねる。結果、椅子から転げ落ちたヘンリーに無数のガラス片が降り注いだ。

「ヘンリー!」

 叫ぶ。途端、銃声が轟いた。無数の弾丸が、空気ごと粉々に砕くが如く、唸りをあげて乱舞した。

 PP-19――サムが言っていた、


「くそおっ…!」

 微細なまでのガラス片が、身体に細かな傷を走らせていく。一つ一つは大した痛みではないが、それが十となり百となり、確実に行動を阻害してくる。

 銃声が止んだ。60発以上もの弾丸が撃ち尽くされたことを意味する。

 は今しかない。

 渾身の力を込め、床に落ちたキーを拾う。

「ヘンリー!立てるか?急げ、ここは―」

 ハッとする。ヘンリーの身体の下、新しい血だまりが出来ている…。

「今の…!」

 。拳銃弾なら、どうにか手術で摘出し、元の生活を送るくらいには回復するかもしれない。だが、彼は時計職人だ……に支障をきたすことは

「…よくも!」

 銃火の止んだ虚空を睨む。



 時間との勝負だった。閃光弾を一発、撃ちこみ、敵を撹乱、その隙に裏口からヘンリーを連れて逃げた。

 辛苦の末、車に辿り着いた。助手席にヘンリーを乗せる。口の端から涎を垂らし、意識はほとんどない、時折苦しそうに呻く。鎮痛剤の効果はもはや期待できない。

「待ってろヘンリー、お前はまだ…まだやることが山ほど残ってるんだ!!」



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