Chapter:3
車のエンジン音。
ここは私有地だ。許可なく、友人や仕事仲間以外が入ってこられる場所ではない。
腰のM29に手を伸ばす。音を立てずに振り返る。
車のエキゾーストが接近してくる。
それに伴い、身体が、筋肉が臨戦態勢へと移行するのを感じる。
車が見えた。
見覚えのある、日本製の小型車だった。
M29から手を離す。同時に、全身の緊張が一気にほぐれた。
短くホーンを鳴らしながら減速する車のその主に、溜め息交じりの声をかける。
「アメリア!ここに来るときは連絡よこせって言ったろ!!」
「ごめんなさい。でもあなた、店に携帯忘れてたわ」
マツダのバッジがついたハッチバックから姿を見せた女性は、”仕事仲間”のアメリア・ティロトソンだった。
歳はダグラスとそう変わらない。しかし、往時を思わせる美貌は健在だった。皺の数こそ少なくないが、笑うとできる笑窪はチャーミングだ。化粧にも下品さがなかった。
服のセンスも悪くない。張り艶の衰えぬもち肌の顔と相まって、映画のポスターから飛び出してきた女優のようだ。
この老美人のアメリアは、ダグラスがこの町に住むようになってからのビジネスパートナーだった。主に海外向けに木材を売る貿易企業との取引を斡旋してくれたうえ、ダイナーのメニューの半分以上の考案に携わった、いわばダグラスにとっての恩人だが、付き合いが長いのでこのとおりあまり遠慮がない。
アメリアの手から筐体をひったくる。なるほど、新着メールが2件。いずれもアメリアのアドレスからだった。
「お前に合鍵を渡したのは失敗かもしれんな」
「あら」
アメリアがくすくすと笑う。
「私が鍵を持っていなかったら、あなたには何度となく税金の督促状が届いていたんじゃないかしら?」
「今のは忘れてくれ」
頭を掻く。どうも、こいつにはペースを奪われやすい…。
「何しに来た。からかいに来たわけじゃないだろ?」
「業務連絡よ」
アメリアの表情が、真剣なそれへ変わった。
「値段をひと月あたり、60ドル上げてもいいそうよ。強盗、まだ捕まってないんでしょ?」
「リスクを考慮して、というわけか。もう少し上乗せしたいところだな」
「無茶言わないで。向こうにだって色々あったのよ」
「他には」
「木材の買い付け、向こう何年かは価格の推移が不透明になる。昨日まで懇意にしてたブローカーが急に手を引いたりするかもしれない」
「ふざけるな」
「今は世界的に景気が良くない。日本向けの輸出も市場価格が安定してないの。だから…」
「相場の変動にも我慢しろってのか?やだね、俺は慈善でやってるんじゃない。あのちっぽけな店だけで食ってけるほど裕福じゃねえんだ」
「…あなたの気持ちも汲んであげたいけど、こっちも間で色々あるのよ…」
アメリアはかぶりを振った。
「…あなたの店に寄っても?お昼がまだなの」
「…ああ」
アメリアのマツダを引き連れてダイナーに戻ると、駐車場にウィリス・ジープ――のレプリカが停まっていた。
「サムかしら」
「十中八九な」
頭を抱えるダグラスとは対照的に、アメリアはどこか嬉しそうだ。
「見てダグ、助手席にヘンリーもいるわ!」
「聞きたくねえ、やめろ!」
ベレーを振って顔を綻ばせる旧友に、てめえの昼飯はタバスコライスだ、と心のうちで毒づいた。
「そんでよぉ、ジミーの奴ときたら…」
赤ら顔も相まって、到底酒が入っていないとも思えない。サムを放っておくと、出典も真偽もわからない話が永遠に続く。今いる客は三人だけではなく、後から来たこの町のごろつき…と呼ぶにはややおとなしいが、あまり行いのいいとはいえない男どもがたむろしている。儲け話、といえば食いついてくるような連中だ。そいつらがサムの弁舌に油を注いでいるのだ。
アメリアは酔い潰れて眠っている。サムと同様、酒にはかなり弱いうえ、自分の立場をお構いなしにジョッキをあおるので、始末に負えない。あとで車のキーを渡してもらわなければ。起きなければまさぐるまで。
ヘンリーはサムの冗談に付き合いながらも、時折腕時計を見やり、時間を気にしている風だった。その腕時計も、おそらく自身が組んだものだろう。
そろそろか、と予想していると、ヘンリーが荷物を手に立ち上がった。
「悪い、先に帰るよ」
「おいおいヘンリー、お楽しみはこれからだぜ?こっから、ついにジミーの嫁さんが…」
「…今度聞かせてもらうよ」
急な仕事でも入ったのだろうか。
「…ヘンリー」
「ダグ?なんだい」
「お前、車はどうした。ダッジは?故障か?」
ダグラスの問いに、ヘンリーはああ、と苦笑いをこぼす。
「俺はこのとおりの太っちょだろ?痩せなきゃまずいと思って、
「なんだよ、それじゃあダイエットの意味がねえじゃねえか」
サムの野次に、あちこちのテーブルに散らばった男たちもそうだそうだ、と笑いをあげる。
「だから、帰りは歩いていくんだよ。ダグ、お代はカウンターの上に置いとくよ。それじゃあ」
ダイエットというのはあながち嘘でもないらしく、1人前のホットドッグとペプシだけの代金が、きっちりカウンターに置かれていた。
ヘンリーはヤンキースの野球帽とオーバーグラスを着け、ダイナーを出ていった。
「なんでえ。付き合いの悪い」
「てめえの話は真っ昼間からじゃあ胃もたれすんだよ」
サムが大げさに肩を竦めた。
微かな振動に目を覚ます。瞼が開いて意識が覚醒するにつれ、自身の置かれている状況が徐々にはっきりしてきた。
愛車の助手席だ。
「うーん…」
「起きたか、アメリア」
運転席から、ダグラスの声が飛んできた。よく眠っていたという自覚はある。軽く肩を回し、ええ、と答える。ついでに欠伸を一つ。
「ごめんなさい。車で来ておいて酔っぱらうだなんて」
「勘弁してほしいところだがもう慣れたんでな」
言葉の端々から諦念が滲み出ていた。申しわけないとは思いつつ、ついその厚意に甘えてしまう。
窓の外を流れていく景色を眺める。元から山間部に位置する町で、特別いい景観を持つわけでも、なにか観光名所があるわけでもなかったが、アメリアはこの町が好きだった。
「ねえ、ダグ」
「なんだ?」
―喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。いつもすげなく拒否される。
しかし、これに関しては、アメリアも譲ることが出来なかった。
「―あのね」
ゆっくりと、言葉を紡いでいく。ダグラスはハンドルを握りながら話を聞いていたが、あまりいい顔をしなかった。
「―却下だ」
案の定。
「…どうして?」
「俺が気に食わん」
「でも―」
「着いたぞ」
車がスピードを落とす。アメリアの自宅のある区画だった。
ガレージに車を入れてもらい、キーを受け取った。よって、ダグラスは徒歩で帰ることになる。
「ごめんなさい、その…迷惑を」
去っていく背中に、声をかける。でも、その先が出てこない。
「いいさ」
抑揚のない声音だったが、とても落ち着いたそれは。
「―お互い様だ」
アメリアに、微笑みを与えてくれた。
今日の客も、例によってバックパッカーの若者だった。ラテン系だという。
「あの広告、いいね」
注文したコーンスープを口に運びながら、若者が東側の壁を指差した。
「字体も色合いも…1920年か30年か、そのあたりの雰囲気だ。俺はなかなか好きだよ、ああいうの」
「そうか」
「カートライト時計店…時計の修理請け負います、か。今度またここに寄る機会があったら、話だけ聞いてみてもいいかもしれない」
「何か直すのか?」
「故郷の―といっても、大西洋の向こうだけどね。妹が成人の祝いに貰った置き時計の調子が良くなくって」
「…言っておこうか」
若者は、目を丸くした。
「いいのかい!?」
「あいつも客が増えるのは大歓迎だろう、連絡はつけとく」
ヘンリーの時計工房の住所を走り書きしたメモを、若者に渡す。
「ありがとう…恩に着るよ!」
「奴に言ってやってくれ…ヘンリーに、な」
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