1D5 クリミナルメイズの主(後編)
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目の前で起こっている事が理解できなかった。高い金を払って雇った護衛の元傭兵たちがたったひとりにやられていく。情報ではただ見た目がいいだけの平人のガキだったはずだ。親がやっている商会の規模だって大したことはない、せいぜい一般人よりは多少儲けているだろうという程度だった。今までやってきたことに比べても大した事ない依頼だったはずだ。
なのに何だこの状況は?あの出鱈目な強さは何なんだ?あれは本当に平人か?
そんなことを考えている間に、目の前で護衛のリーダー格だったボウドがやられた。十人以上いた護衛がいつの間にか全員やられていた。
そしてヤツと目が合った。全てを魅了しそうなほど整った顔が、吸い込まれそうなほど美しい瞳が、今は何よりも恐ろしく感じる。得体が知れない、何か別の化け物のように映る。その口が小さく開閉する、何か言ったようだが小さすぎて聞き取れなかった。
ヤツがこちらに歩き出す、それを見て無意識に後退ってしまった。それが恥とは感じなかった。相手は十数人を無傷で倒す化け物だ。自分も弱いとは言わないが、先ほどヤツに倒されたボウドといい勝負だったろう。真っ当に戦っても勝ち目などない、今考えるのは如何にしてこの状況を切り抜けるかだけだ。
出入口にはドス・ディオロンがいる。それ以前にヤツを掻い潜ってそこまで走るのは不可能だろう。万が一に備えて緊急脱出口は作ってあるが、そちらもこの状況では無意味だ。護衛が残っている間ならそいつらを囮にして逃げられたかもしれないが、ありえない光景に動転して完全に機を逸してしまった。ここから無事に脱するには、ヤツをどうにかするしかない。ほかに方法も無い、使いたくはなかったがこうなっては仕方がない。俺さえこの場を凌げれば後はどうにでもなるのだから。
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「君が強いのは十分理解した。俺では君に勝てないだろう。今回君に迷惑をかけてしまったのも謝罪する。本当に申し訳なかった。言葉だけでは足りないだろう、十分な慰謝料も支払う。君が望むものがあれば手に入れよう。これでどうか許してもらえないだろうか?」
突然チャックがそんな事を言い始めた。正直僕はすでに誘拐されたことに対して、特に何も思うところはなかった。ただ人を誘拐するような組織が自分の住む街の地下にあるのは嫌だなと思っただけだ。
「謝罪はいらないよ。充分暴れられたし、役に立った。だから今からやるのは仕返しじゃなくて…駆除…かな?」
「…駆除…だと?」
「うん、駆除。自分が住んでるところに毒虫や蛇が入ってきたら嫌でしょ?それと同じで、自分が住んでる街の地下に人を誘拐するような人たちが居たら嫌だなぁと思うんだ。だから僕が排除する、それだけ」
僕が言い終わると、チャックの雰囲気が変わった。先ほどまでの胡散臭い笑みではなく、完全に敵意むき出しの目でこちらを睨んでいる。まぁさすがに害虫扱いをされれば怒りもするだろう。
「ふざけたガキだ。この俺を怒らせたこと、後悔しやがれ!」
そう言った次の瞬間、チャックが腰の長剣を抜いてこちらに突進してくる。だが、その動きはやはりドスよりも遅い。せいぜい先ほどいた護衛たちと同程度だろう。フェイントも何もない直進による接近だ。これならカウンターを合わせるのも楽だろう。
そう考えてチャックが攻撃のモーションに入るのを待ち構え…
「っ?!」
チャックが射程に入るよりも先に何か硬い壁にでもぶつかったような衝撃が僕を襲った。予想外の事に踏ん張りが効かず体が宙に浮く。その隙を見逃す事無く、チャックが凶悪な笑みを浮かべて剣を振るうのが見えた。
強引に体をひねって躱そうとして、それは失敗した。予想よりも早い剣の振りに対応が追い付かず、辛うじて刃の部分から逃れはしたものの、柄の部分が思い切り頬に突き刺さった。
僕の身体は勢いよく床に叩きつけられ、床に敷き詰められた石材を割り、軽く地面を抉る。そこに間髪入れず容赦のない鋭い蹴りが腹部を襲った。
まるでボールのように部屋の端まで蹴り飛ばされ、態勢を立て直す間もなく今度は壁に叩きつけられる。ドスにやられた時よりも数段上の痛みを感じた。
それでもなんとか態勢を立て直そうと目を開けた瞬間、映ったのは赤、真っ赤な炎だった。眩い赤が視界を覆い、続いて熱と爆発音が襲う。反射的に目を閉じ、腕で顔を庇った。
熱風に晒され、体から水分が奪われる。肌を焼かれる感覚は精神を削る。爆発音のせいで耳に違和感まで感じている。今までで一番の痛みが僕を襲っていた。
衝撃は一度で止まらず、二度、三度と連続して飛来した。四度目の衝撃が来る頃にはすでに衣服が燃えたのか、破れて吹き飛ばされたのか、肌に直接炎がぶつかったのがわかった。
一体何が起こったのか、気付くまでにそれほどの時間はかからなかった。こんな事ができるとすれば、それはおそらく「魔法」だろう。店によく来る冒険者さんたちに何度か見せてもらったこともある。
だが、それでもこんな連続して放てるものだろうか?疑問に思った僕は、熱でヒリヒリと痛みだした瞼をうっすらと開けて様子をうかがった。
着弾後、次の炎弾が飛来するまでのわずかな間に辛うじて見えたのは、長剣の鞘をこちらへ向け、口の端を釣り上げたニヤけ顔のチャックだった。
チャックは魔法使いだったのだろうか?近接戦闘もこなせる魔法使いと言うのは少ないと聞いたことがあるが、少ないだけで居ないわけではない。だが、僕にはそう思えなかった。僕の知る魔法使いと目の前のチャックとは明らかに「何か」が違うのだ。感覚的ではあるものの、僕の中ではあいつは魔法使いではないという確信があった。
そうだとすれば、今使っている魔法は「魔道具」によるものだとしか考えられない。魔法を学んだ者でなくとも簡単に使用できる魔法の力が込められた道具。作れる者が少ない上、ひとつ作るのにも膨大な時間がかかってしまうらしく、需要に対して供給が全く追いつかない。そのため非常に高価で一般人では目にすることさえ稀だ。
すでに十以上の炎弾を吐き出したにも関わらず、魔力切れを起こさないところを見るとかなり容量の大きな魔道具らしい。チャック自身も疲れた様子は一切なく、豪奢な鞘から炎弾を吐き出し続けている。
初めての体験に驚きはしたものの、既に心は落ち着いた。魔道具による魔法の連射攻撃は素直に凄いと思うが、放たれるペースが一定である事にも気付けた。
何故だかわからないが、僕の身体は魔法に対しても高い耐性を持っているようで、衝撃や痛みは感じるものの、外傷という意味ではほとんど無傷だ。今は便利だからいいが、人前で露見したりしないよう今後は一層注意するべきだろう。
わからないのはチャックとの接触時にぶつかった不可視の壁だ。あれも魔道具なのだろうが、もしあれが常時展開型のものだとすると少々突破に時間がかかるかもしれない。身体能力も強化しているだろうから、現在の出力のままでは苦戦は間違いない。…まぁ格上を想定したいい練習台にはなるか。
考えながらずっとタイミングを計っていた。そして炎弾が着弾する瞬間、壁から抜け出しチャックへ向かって突進する。
それも想定していたのだろう。チャックは驚くことなく僕へ向かって鞘を向けてきた。しかし、炎弾が放たれるタイミングも炎弾の形状、大きさ、速度も既に把握している。あとは冷静に見極めて、最小限横にズレてしまえば当たることなどない。今の僕の速度なら二度ほど炎弾を避ければチャックへ届く。
そうして一度、二度と危なげなく躱しきった。計算通りにチャックの元まで到着し、今まさに次弾が放たれるという瞬間、チャックが左手に持っていた鞘を蹴り上げた。
チャックの手元から離れた鞘は発動途中だった炎弾をあらぬ方向へ吐き出し、放物線を描いて飛んでいく。
僕は鞘を蹴り上げた勢いのまま飛び上がり、空中で体をひねって横回転に変え反対側の足をチャックの頭部へと振り下ろす。
しかし、チャックの右手にいくつもつけられたゴツい指輪のうちひとつが光り、例の壁が僕とチャックの間に出現し、攻撃が阻まれてしまった。その隙に合わせて攻撃が来るかと身構えるが、どうもチャック自身は今の攻撃に反応できてなかったらしく、慌てて剣を振ろうとしていた。
僕は危なげなく後方へと下がり、改めて突進を仕掛ける。不可視の壁を警戒して少し早めに拳を突き出すと、腕が伸び切った所でコツンと拳に何かが当たった。僕はそのまま不可視の壁に手を当てたまま、チャックの周りを半周して背後を取る。
そうはさせまいとチャックが剣を振り下ろしてくるが、それを再度後方へ飛んで躱す。今ので不可視の壁の凡その発生範囲が理解できた。どうやらあの不可視の壁は一面を守る物ではなく、半球、もしくは球状にチャックの身体を守っているらしい。そして、それを発生させているのは右手親指にはめられた指輪だろうという事もわかった。
不可視の壁が発生している間はあの指輪が光っており、脅威が遠ざかると光が消える。しかもチャック自身が任意で発動させているわけではなく、おそらく自動防御だ。あの強度と発動時間、持続時間、効果範囲など合わせて考えると相当な値打ち物だろう。遺跡で発掘される古代の遺物か有力貴族が隠し持っているようなお宝レベルの品物だ。
とはいえ、魔道具である以上は蓄積した魔力を放出し終えてしまえば使い物にならない。任意の発動ではないのだから発生させる壁の強度も一定のはずだ。あれほど硬い壁を作っているのだから消費する魔力量はかなりのものだろう。どれだけ容量の大きな魔石媒体を使っていようと、それほど長い時間発生させ続ける事はできないはずだ。
ならばと再度接近し、壁の発生範囲に向かって攻撃を仕掛ける。当然だが、硬い壁に向かって全力で攻撃を叩き込むようなことはせず、当てるだけに留める。発生を維持させるだけならそれで十分だった。
もちろんチャックが反撃してくるが、こちらはそれほど問題にならない。身体強化の魔道具は確かに脅威だが、何度か攻防を繰り返して、どの程度の動きができるのかは理解できた。チャック自身の技量も把握し終わっているので躱すのに苦労しなくなったのだ。あとは壁の魔道具さえどうにかすればチャックを倒すのは難しくない。
他にも特殊な魔道具を隠している可能性もあるが、そちらもしっかりと警戒している。
そして何度目かの攻撃を加えた時、フッと今まで触れていた壁の感触が消えた。僕が接近しているにも関わらずチャックの指輪からも光が消えている。
魔道具の燃料切れに気付いたチャックが焦った表情を浮かべ、僕と目が合う。なにかされる前に攻撃を加えようとして、一瞬の逡巡。
チラリと見えた淡い光で僕は後退を選択した。
次の瞬間、閃光が炸裂する。熱も音も無い眩い光に視界が奪われそうになった。それでも後ろに下がっていたおかげで反応できた僕は目を庇い、視覚へのダメージを最小限にとどめられた。
僕に接近する音に気付き、直感に従って左側へ飛ぶ。すぐにブワリと何かが僕の居た場所を通り過ぎた。
片目だけ薄く開けて目つぶしの効果が和らいでいるのを確認すると、今度こそ本当に驚いている様子のチャックへと距離を詰める。
低い姿勢で一気に駆け寄ると、まずは足払いで完全に体勢を崩し、腹への一撃を叩き込む。身体強化は防御面にもある程度効果があるらしく、少しだけ硬い感触がした。もちろんそんな程度で支障など出るはずはなく、くの字に折れ曲がって下がってきたチャックの頬へとどめとばかりに拳を叩きつけた。
しっかり意識がなくなっているのを確認して、ほっと一息吐く。
「やっと終わりだね。思ったよりも時間がかかっちゃった」
「…いや、十分だろう」
戦闘が終わったのを確認したドスが僕の横に来て呆れたようにそう言った。
「そうかな?まぁいいや。あとの事任せてもいいかな?」
「あ?いや、任せるって言われても、どうすりゃいいんだよ」
「んー、人攫いが居なくなればとりあえずそれでいいよ。ここにあるお金とか価値のありそうな物とかはドスの好きにすればいいんじゃないかな」
「お前…コレ見ろよ。下手な貴族の資産なんか目じゃねぇくらいの額になるぞ?そんなもん俺の好きにさせるとかどういう神経してんだよ」
「あ、もちろん悪いことに使っちゃダメだよ」
「それ言って俺が約束守ると思うのかよ…」
「え?守るでしょ?」
ドスは何とも言えない表情で何度か頭を振ったあと、深いため息を吐いて頷いた。
「わかったよ。とりあえず『ブロブ』の資金は俺が預かる。さっきの言い方なら俺が贅沢するのに使うのは構わないんだよな?」
「それならいいよ。好きにして」
「お前の取り分はどうする?」
「人を攫って集めたお金なんて欲しくないし…あ、そうだここに出入りするための鍵があるんだよね?チャックが持ってるやつを僕が貰って、あとチャックが使ってた魔道具も調べてみたいからそれも貰うよ。あとは…そうだな、他に魔道具があったらそれも残しておいてもらえる?それも調べてみたいから」
「…本当に変な奴だな。まぁいいわかった。俺とチャックに勝ったんだ、お前の好きなようにしたらいい。勝者のお前に俺は従うよ」
そう言ってドスは倒れ伏したチャックへ近寄り、ゴソゴソと何かを探す素振りをしたあと、こちらに向かって何かを投げてよこした。
文字のようなものが刻まれた青みがかった銀板だ。
「それがココに出入りするための鍵だ。それを扉にかざせば開く」
ドスに言われて改めて銀板を見る。青みのある銀色はミスリルという希少金属が使用されている証拠だ。魔法との親和性が高く、魔道具にも多く使用されるという。それに刻まれた文字は魔法文字だろう。こちらも魔道具の製作には欠かせないもので、かなり複雑な物なので習得するのはかなり難しいらしい。
新しい玩具を手に入れられたことに喜びながら、帰り道を教えてもらいドスに別れを告げてその場を後にした。途中で自分の衣服が消失している事に気付いて、適当な布を探すというアクシデントはあったものの、無事に外へ出ることができたのだった。
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クリミナルメイズは転換期を迎えた。
ヴェルンによって頭を失った人身売買の『ブロブ』は、暴力の『キクロプス』に吸収されることになった。
その報は瞬く間に他組織の耳に入る事になった。
これはクリミナルメイズの中でも資金力が高かった『ブロブ』と資金力は乏しいものの戦闘能力という一点でトップを誇っていた『キクロプス』がひとつの組織になるという事であった。
もちろんヴェルンによって人身売買が禁止された以上、これまでのように資金が潤沢になるはずもなく、人員もドスに従わない者がほとんどなため、一時的なものでしかない。
しかし、クリミナルメイズに潜む他の組織長はそうは思わない。巨大なふたつの組織がひとつになった。それはこれまで保たれていた均衡が崩れるということだ。
『ブロブ』のように『キクロプス』に呑まれるかもしれない。そんな不安が生まれたのだ。現状最大の組織となった『キクロプス』に恭順するのか敵対するのか、敵対するならどう対処するのか。組織の主達がそんな思考に行きつくのは当然の帰結だったのだろう。
ハザールの裏社会、クリミナルメイズの主の座を巡る闘争の火蓋が今まさに開かれようとしていた。
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