1D3 目指すもの
完全に沈黙した敵の姿を見て、僕はようやく力を抜いた。
仰向けに倒れる大男との戦闘内容を考える。
全力ではなかったとはいえ、速度も単純な力も僕の方が上だっただろう。では何が足りなかったのか。あとは…やはり技術や実戦経験に基づいた駆け引きとでも言うべきものの差が苦戦した要因だと思う。
こればかりは実際に経験して培っていくしかないので、あまり悩むのは逆効果だろう。ある程度の経験差なら力押しで十分勝てる。
それに、ここなら対人戦を大いに経験できる。活かさない手はないだろう。ひとつ気がかりなことがあるので、それは確認しておかないと。
そう考えて僕は目の前で倒れている男を見る。あれだけ派手に一撃を与えたにも関わらず、いまだに息がある。皮膚の一部が鱗に覆われているところを見ると、彼が蜥蜴人だというのがわかる。彼らの鱗は防御力に優れ、筋肉も相応だ。獣人族というのは相当手強いようだ。
とはいえ、生きているなら都合がいい、僕は軽く蜥蜴人の男の頬を平手で打つ。一度で起きないようなので、二度、三度とくりかえしたところで、大男は目を覚ました。
「…あ、あぁ?」
「目、覚めたかな?」
「…っ?!」
「あ、動かないでね。抵抗するなら…えっと、手足折るよ?」
「くそが!やれるもんならっがぁ!!」
眼を覚ました大男が抵抗しないように声をかけたのに、結局僕の身体を跳ねのける様にして起き上がろうとしたので、大男の右腕に乗せていた足に力を入れて、踏み抜いた。
肉の潰れる音と骨が折れる音がほぼ同時に響き、大男が痛みに呻く。さすがに不快感があったが、できるだけ表情に出ないように心掛けながら、大男を威圧する。
今ので僕の本気が伝わったのか、大男は少しだけ大人しくなった。
「…ちくしょうが、てめぇ一体何もんだよ」
「んー、わかりやすく言えば、誘拐の被害者かなぁ」
「は?」
「人攫いに遭って、気付いたらここに連れてこられてて、今は外に出ようと出口探してるところだったんだけど」
「ふざけるな!お前みたいのをどうやったら誘拐できるんだよ?!」
「ふざけてないよ。全部本当」
「……っ…チッ」
僕は至極まじめな顔で目の前の大男を見る。しばらくすると男はあきらめたように僕から視線を外してしまった。
「誘拐…な。お前の言うことが本当なら、たぶん犯人は『ブロブ』だろうな」
「ブロブ?」
「あぁ、ブロブのやつらは攫った人間を売りつける…まぁ人身売買ってやつだな。それを生業にしてる。お前も見た目は良いみたいだし、それで目ぇつけられたんだろ」
「ブロブの『やつら』ってことは人の名前じゃないんだね」
「あ?…あぁ、そうだ。『ブロブ』は個人じゃなく集団の名前だよ。取り仕切ってんのは『チャック・ラッセル』って名の平人の男だ」
「ちなみに…あなたも『ブロブ』?」
「んなわけねぇだろ!俺はドル・ディオロン。『キクロプス』って組織の頭だ。クソッほんとになんも知らねぇ奴にやられたのかよ。情けねぇ…」
「へぇ…」
「へぇってお前なぁ…」
なぜか呆れたような顔を向けられても困る。組織名とかどうでもいい、というのが本音なのだから。
◆――――――――――◆
それは第三者が見れば異様な光景だっただろう。先ほどまで相手を殺すことも厭わなかった凶悪な犯罪者が、自分を打ちのめした相手に対して、普通に会話をしているのだ。
「キクロプス」も「ブロブ」も関係性は決して良好とは言えないが、普段ならその情報を敵に流すような事はしなかっただろう。
ドル本人も気づいていないが、彼は確実にヴェルンの「協調種族魅了」の効果に毒されはじめていた。
結果ヴェルンは「クリミナルメイズ」とそこに存在する八つの犯罪組織、その頭領と縄張りなどの情報を得るに至った。
話が進めば進むほど、ドルはヴェルンに対して敵疑心が消えていく。もともと獣人種は強い者こそ偉いという風潮が強い。忌み子として扱われたドル自身の根幹も例外ではなく、さらにヴェルンの物怖じしない態度も相俟って、完全に反抗の意思はなくなっていた。
「それで、どうするんだ?お前が帰るつもりなら適当な扉を開放してやるけど」
「んー、話を聞く限りだと、この『クリミナルメイズ』が町中の地下に広がってて、僕を攫ったヤツらもここを利用して人を攫ってるんだよね?」
「そうだ」
「…よし、じゃあそこも潰そう」
「は?あ、いや…もう、好きにしろよ」
「とりあえず、その『ブロブ』ってヤツらのところに連れて行ってくれる?」
「これからすぐか?」
「うん、遅くなると父さんと母さんが心配するし」
「……」
ドルはもうそれ以上何も言わなかった。ヴェルンの言葉に呆れたというのはもちろんあったが、ヴェルンの行動を見るのが楽しくなってきたというのが大きかった。
ドルに連れられるままにヴェルンは迷路の中を歩く。意外にもその道はヴェルンが無作為に駆け抜けてきた道だった。ドルは複雑そうな表情で地面に転がる多数の犯罪者たちを視界の端に入れつつ先を進んでいく。
特に問題なく歩いていると、ヴェルンが捕まっていた場所が見えてくる。そこを通り過ぎて進めば、小部屋の多い区画があるのがわかった。
「もしかして、あれって」
「たぶん、お前の考えてる通りだよ。ありゃ捕まえた奴らを閉じ込めておくための小部屋だ」
それを聞いたヴェルンは意識を集中して気配を探る。小部屋のいくつかからは人の気配がする。
「まだ捕まってる人…結構いるみたいだし、ここ潰したら…この人たちどうしよう?」
「どうするってお前、解放してやるんじゃねぇのかよ?」
「まぁ帰るところがある人はそうするけど、そうじゃない人の面倒なんて見られないし、僕も面倒なんて見るつもりないし」
さして悪気もなくヴェルンはそう言い切った事にドルは驚いた。てっきり妙な正義感を出して後々面倒な事になるだろうと考えていたのだ。
「くくっ…いいなお前。おもしれぇわ」
「よくわからないけど、楽しそうでなにより」
そんな事を話している間に小部屋から出てくる影があった。それがすぐに『ブロブ』の人間だと気づきドルが身構えようとした瞬間、先んじて動いていたヴェルンの蹴りが炸裂した。小部屋から出てきた男は何もわからず意識を刈り取られた。
その後も敵との散発的な遭遇戦を行いながら進むと、『キクロプス』の時よりも豪華な扉があった。見張りは四人ほど居たが、それもヴェルンが一瞬で制圧した。頭領の部屋だというのがわかりやすいのはヴェルンにとって有難いが、こうもあからさまだと困惑する。
とはいえ、今更かと思い直して間を置かず豪奢な扉に手をかけ、止まる。鍵がかかっていたためだ。鍵穴を覗いて確認してみるが現在のヴェルンの斥候技能では開けることは困難なように感じられた。
念のためドルにも目を向けてみるが、無言のまま首を左右に振られてしまう。仕方なく、最初の部屋と同様に蹴破る事にした。
◆
『ブロブ』の主な収入源は人身売買である。見目麗しい者、珍しい人種を攫っては奴隷として売りさばく。平人が支配する国では奴隷の需要は高く、一部貴族階級の者とも取引があるほどだ。
そういった背景から、資金力だけで言えば『ブロブ』は『クリミナルメイズ』内で頂点に立っている。
それを取り仕切るのは平人の男。名をチャック・ラッセル。平人にしては大柄でがっしりとした肉体をしている。
彼は普通の家庭に生まれ、裕福というほどではないが、食うに困るほど困窮していたわけでもない。家庭もその周囲もなにもかも普通の環境で育った。
なにかキッカケがあったわけでもない。強いて言えば彼は他人よりも欲望に忠実な平人だった。自身よりも弱い者、劣る者は平然と虐げた。自分に都合のいいように動かした。
逆らえば容赦なく暴力に訴え、従順になるまで追い詰めた。それができるだけの体格、力に恵まれ、他人を虐げ支配する才能も持っていた。
いつしか小さいながらもグループを形成し、チャックが十八の頃、『ブロブ』の原型とも言うべき組織が誕生した。
最初のうちはスラムに住む孤児が対象だった。身寄りがなく食うにも困り、居なくなっても誰も気にしない。そんな少女らはチャックにとって格好の獲物だった。
幼いころから暴力によって従順になるよう調教を施し、春を売らせ金を稼がせた。
だが、そういった行為は裏社会から目を付けられる。短期間ならまだしも、長期間同じような事で金を稼ぎ続けていれば、もともとそこで商売していた者たちとの小競り合いも起きる。
このまま行けば長くは続かない、チャックにはそれがわかっていた。だから、ある程度まとまった金が集まったとき、方針を変えた。
孤児たちを攫うのは変わらなかったが、そこから攫ってきた子供たちを売るようになったのだ。小競り合いをしていた組織に交渉を持ち掛け、ビジネスパートナーとして成立させた。少女は娼館へ、その中でも見た目の良い者は金持ち連中へと売り払う。少年も注文があれば特殊な性癖を持つ連中へ流す。
そこからチャックはどんどん取引先を増やした。噂を耳にした貴族などにも「商品」を卸すようになった。
そこから得た資金によって驚異的な速度で勢力を拡大し、孤児だけでなく、様々な場所から種族を問わず攫うようになった。逆らう者は自身の力と膨大な資金によって作り上げた組織力でもって叩き潰す。そしてたった十年ほどで今の規模にまで至った。
大規模な人身売買集団『ブロブ』。その首領であるチャック・ラッセルは、豪奢に設えられた自室で優美に腰を下ろし、美女を侍らせていた。
周囲には彼を守るように十数名の戦士が控える。それだけの人数がいてもなお余裕のある広々とした空間に、所狭しと豪奢な装飾品や美術品が並ぶ。この部屋自体が『ブロブ』の資金力を物語っていた。
部屋の鉄製の扉は特殊な魔法錠が施してあり、チャックの許可が無い限り入室することはできない。たとえ力に優れる大鬼族であろうと破る事はできないだろう。
チャックは上機嫌に高級な酒を煽った。上機嫌の理由は簡単だ。今までにないほどの大口の取引が成立したからだった。
依頼主はここユゼル王国の大貴族だ。依頼内容は『天使』と住民たちから呼ばれる子供だ。大層整った容姿をしているらしく、不運にもその貴族様の目に留まったらしい。チャック自身もかなり前から目を付けていた人物だったため、話が来てからすぐにピンときた。
親が冒険者向けの商売をしている関係上、『天使』の周囲には戦闘力の高い冒険者がウロついていたため、なかなか手が出せずにいたのだ。アレを攫うとなると、結構な損害が発生する。高くは売れるだろうが、支出と合わせるとあまりメリットは無いように思えたのだ。
しかし今回は手間賃を含め前金として結構な額が支払われている。さらに成功報酬は目が飛び出るほどの額だったのだから、引き受けないわけにはいかないだろう。こうして、チャックはこの依頼を受けるに至った。
先ほどその『天使』を攫うことに成功したと報告を受けている。あとはその『天使』とやらを貴族に引き渡せば、一気に他の組織に差をつけることができるだろう。そうなれば『クリミナルメイズ』を統べるのは自分だと、チャックはほくそ笑んでいた。
しかし、その愉悦はドガンッという不躾な音に水を差された。
「なんだ?」
「確認いたします!」
そう言って護衛のひとりが扉へと近づき、誰何の声を上げようとした瞬間…けたたましい破砕音と共に魔法錠の扉が吹き飛んだ。
吹き飛んだ扉に巻き込まれ、扉へと近づいていた男も一緒に後方へと飛ばされる。その衝撃はすさまじく、壁と扉に挟まれる形になった男は何が起こったのかもわからず意識を失った。
扉のあった場所にはふたつの影、ひとりは大男。チャックも知っている『キクロプス』のドス・ディオロンだ。そしてもうひとりは大貴族からの依頼品である『天使』だった。
◆
「どういうつもりだ?『キクロプス』ディオロン…」
大柄な平人の男が椅子から立ち上がり、ドスを睨みつける。どうやら彼はこの状況をつくりだしたのがドスだと思っているらしい。まぁ体格のいい蜥蜴人と幼い子供が目の前に現れて、どちらが脅威かと問われれば、答えは明白だろう。
「どういうつもりも何も、俺はただの道案内だよ」
肩を竦めながら冗談ぽく返答するドス。明らかに挑発しているように見えるが、片腕が折れているのでどうにも格好がつかない。
目の前の大男、チャック・ラッセルもドスの負傷に気付いたらしく、自身の優位を確信したのだろう、ドスを嘲るように笑みを浮かべた。
「ふん、どれだけ粋がろうがその腕でこの人数は相手できまい。何のつもりかは知らんが丁度いい機会だ。お前の『キクロプス』は俺がもらってやろう」
チャックはそう言い放つと、自身の護衛に合図して一斉にドスに向かわせる。ドスを取り囲むようにして襲い掛かる。だが、その行為はチャックたちの思いもよらぬ場所から妨害されることになった。
先頭をきってドスに襲い掛かった護衛の一人が突然後方へと吹き飛ばされたのだ。しかし、ドス自身は一切動いていない。では誰がやったのか…、言うまでもなく僕、ヴェルン・アンバー(五歳)である。
「少し僕の調整に付き合ってね?」
町人たちから『天使』と呼ばれる少年が浮かべる笑顔は、怖気がするほど美しくチャックの目に映り、ゾクリと背筋に冷たいものを感じた。
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