1D2 はじめてのじっせん

 どうして僕は捕まっているのか。


 疑問を抱きつつも、僕はおもむろに力を入れる。体全体に激痛が走る…が、我慢できないほどじゃない。先ほどに比べて痛みが弱くなったとか、そういったことは一切ない。

 だけど今はそれが耐えられる。僕はそのまま無理矢理ロープを引きちぎり、自由になった手で頭にかぶせられていた麻袋を取り外した。


 口に入れられていた布も取り、足の拘束も取り払う。手足にロープの跡はついているものの、この程度ならすぐに治るだろう。持ち物も取られたり、落としたりはしていないようだ。


 それよりも、僕は本当にどうしてしまったのか。それが不思議でならなかった。いつもならきっと先ほどの事態にも対処できた。手を掴まれた瞬間に振り払うことだって問題なく実行できただろう。

 けど、それができなかった。あの時の僕は何もかもが全部『いつも以下』だった。いつものように力が入らず、いつものように思考が働かず、恐怖という感情に対してとても弱かった。


 ひどく制限された状態。まるで僕が普通の子供のようだった。このまま母さん父さんに会えなくなるかもしれないと思った時の不安は相当なものだった。何もできない無力感に心が折れかけた。一体アレがなんなのか…気にはなるが、今はさっさとここを脱出することに専念しよう。


 改めて僕は周囲を見る。そこは一面壁に覆われた窓もない小さな部屋だった。床はシミだらけでとても汚れているし、匂いも酷い。

 おそらく僕の前に攫われた人たちも、先ほどの僕のように拘束されたまま放置でもされたのだろう。血のような跡もある事から、その扱いの粗さは相当なものだったのだと判断できる。


 出入りができそうな扉はひとつだけ。木製のドアの淵に金属が使用されたものだ。こちら側には鍵穴は無く、拘束された状態の子供では普通に考えてどうにもならないだろう。

 僕は扉に近寄って耳をあて、周囲の音を探る。少し離れた場所にひとり。他にもいくつか物音が聞こえる。ここから判断できる人数は凡そ三人。


(…問題ない)


 僕は思い切り扉に向かって蹴りを放つ。バキンッという音とともに木製部分に子供が通れるほどの穴が開いたので、すぐさまそこから部屋を脱出する。

 音に驚いた様子でこちらを茫然と見る髭面の男と目が合った。


「…なっ?!おまヴぇ!!」


 男が大声を上げる前に床を蹴って急接近。そのまま腹に頭突き、続いて半回転して相手の腹に足を当て、顎を蹴り上げて完全に意識を刈り取る。

 何の抵抗も許されず、白目をむいた男が固い床に倒れ伏した。


 すかさず周囲に気を払い、ほかに敵がいないかを確認する。鍵のついた部屋が三つあり、ひとつは僕が出てきた部屋。ほか二つの部屋に気配がひとつずつ。弱弱しい息遣いから、どうやら見張りはこの男ひとりで、残りは誘拐された人のようだ。


 頭に血が上って、短絡的な行動をとっている事を自覚する。普通ならもっと静かに扉を開けることだってできただろう。先ほどまでの自身の不甲斐なさからくる怒りが原因で、ほぼ八つ当たりと同じだが、それをぶつける相手が凶悪犯なら心も痛まない。


(どうせなら全力で思う存分大暴れしてやろう)


 この瞬間、僕の中で何かが大きく変わった気がした。


◆———————————◆


 ハザールには一部の犯罪者たちだけが知る秘密の地下通路があった。

 「クリミナルメイズ」と使用者たちから呼ばれるその場所は、誰に見つかる事もなく、長年にわたって少しずつその規模を拡大し、まるで蜘蛛の巣のように複雑にハザールの地下に張り巡らされている。


 入り口は至るところに存在し、民家のような場所から路地裏の石畳の下、果てはゴミ溜めの中など、あらゆる場所に存在している。

 そうなれば稀に迷い込む一般人もいただろう。事実、年間数名が自らこの「クリミナルメイズ」に迷い込む。

 では、なぜその存在が表に出ないのか?


 それは、高位の魔法による鍵があったからだ。入る際には必要ないが、出る場合はその鍵がなければ決して開くことはない。一方通行の牢獄。


 出口を探して、入り組んだ地下通路を彷徨い歩けば、そこをねぐらにする犯罪者に見つかる。もし一時凌げたとしても、出られぬ以上いつかは疲弊し捕まる。

 もし鍵を持つ者に会えたとしても、入手は非常に困難だ。なぜなら鍵を持つのは「クリミナルメイズ」の中でも特に力を持った者だけ。


 鍵の数は八本。それを持つ八人の凶悪犯。それぞれが特色も何もなく、ただ快楽を貪るように犯罪に手を染める。

 欲望の赴くままに行動するだけの力を持つ彼らに惹かれて、人が集まり、派閥が生まれ、対立する。組織化された彼らはより広範囲に、より凶悪に、地上の人々を脅かすようになった。


 ここは「クリミナルメイズ」犯罪者たちが住む、もうひとつの商業都市。


 しかしこの日、不落の「クリミナルメイズ」は不測の事態に陥っていた。

 そこかしこで悲鳴が上がり、続いて鈍い破砕音が轟く。迷路のように入り組んだ通路の中を縦横無尽に小さな影が駆け巡り、見敵必殺と言わんばかりに出会う犯罪者たちを一撃の下に沈めていく。


 犯罪者たちにとって悪夢としか言えない事態。敵の正体を知る前に意識を刈り取られる。

 何より恐ろしいのは、これだけの猛威を振るいながらも誰一人として『死んでいない』ことだ。壁面が抉れるほどに強かに打ち付けられようが、骨格が変わるほどの衝撃を顔面で受けようが、絶妙に加減された一撃に命を落とすものが誰一人いない。

 彼らの敵がそれだけ熟達した技術の持ち主であり、手加減していても問題ないという傲慢な考えができる強者だという証に他ならない。


「ひゃはっ」


 襲撃者である小さな影、ヴェルンの口からおよそ子供に似つかわしくない笑いが漏れる。

 「クリミナルメイズ」内を駆け抜け、ずば抜けた知能と五感を駆使して敵と自分の位置情報を脳内で簡易マップ化する。

 巨人をも凌ぐ膂力と完璧な肉体操作能力によって加減された攻撃で、遭遇した敵を一瞬のうちに無力化する。


 この時ヴェルンは生まれて初めて全力で能力を使っていた。日々の訓練のおかげで、大した違和感もなく全力で動くことができる。それが楽しくなってしまったヴェルンは、出口探しを半ば後回しにして、出会う犯罪者たちを襲っていった。


 通路内を駆けては出会う犯罪者たちを沈めるという行為を繰り返していたとき、ヴェルンの視界に他の物とは明らかに違う造りの扉が映った。

 華美な装飾が施され、ギラギラとした欲望が透けて見えるような金属でできた重厚な扉だ。


(罠か、そうじゃなければ犯罪者たちの頭の部屋か)


 少し集中してみれば、扉の向こうから人の気配。ヴェルンは少し考えた後、ゆっくりと扉へと歩き出した。



 「クリミナルメイズ」にある一室、他の粗末な部屋とは違い、広い空間に多くの豪奢な装飾品が並ぶ室内。その部屋の主である隻眼の蜥蜴人が貴族が座るような豪奢な椅子に腰かけていた。


 蜥蜴人とは獣人族に分類される種族である。多くの者は二息歩行の蜥蜴、小型の恐竜のような容姿をしており、平人などは彼らに嫌悪を寄せる者も多い。

 だが稀に彼らの中にも人間に近い容姿を持つ者も生まれる。人間の外見に首や胸、手や足の先などが蜥蜴人特有の硬質な鱗に覆われているという特徴を持つ。


 平人は蜥蜴人を忌み嫌い、虐げる。蜥蜴人たちは自分たちを差別する平人を嫌う。その結果、人間に近い容姿を持つ同族に対して、蜥蜴人は嫌悪を抱くようになり、平人も忌み嫌う蜥蜴人が自分たちに近い容姿をしている事に殊更忌避感を覚えた。


 誰もが嫌悪する忌み子。それが人間に近い容姿を持ってしまった少数の蜥蜴人に対する常識となった。


 そして、この特別な部屋に座する蜥蜴人の男も、忌み子の特徴を有していた。黄土色の鱗を持ち、左目に大きな刀傷がある。

 彼の名はドル・ディオロン。「クリミナルメイズ」の犯罪者たちを束ねる派閥の一角「キクロプス」の頭領である。



 ドルはふと視線を上げ、この部屋の出入り口である扉を凝視する。彼の感覚が、何者かがこの部屋に近づいていることを告げたのだ。

 ほどなく、ノックもなく扉が開く。そこに現れたのは小さな少年だった。


「子供?…いや、小人か?」


 ただの子供にしては、妙な威圧感を感じる。ドルは相手の事を、おそらく小人族だろうと予測を付け、油断なく様子を伺った。

 金の髪と金の瞳を持つ美しい平人の子供。ドルの目から見てヴェルンはそう見えた。そしてそれはドルにとって何よりも憎たらしい存在に他ならない。


 神から祝福でもされたような整った容姿、それは多くの人々に愛されるものだろう。同族から嫌悪などされることなく、惜しみない愛情をもって育てられたことだろう。

 この場に疲弊した様子も傷を負った様子もないところを見れば、外にいた者たちなど相手にならぬほどの力も持っているのだろう。


 容姿に優れ、才気に溢れ、何不自由なく暮らす目の前の相手の姿がありありと浮かぶ。こいつを今すぐ地面に這いつくばらせたい。あの綺麗な顔がボロボロになるまで殴りつけ、醜く命乞いする姿が見たい。皮を剥いでやればより醜悪になるだろう。耳や鼻をそぎ落としてもいいかもしれない。一体ここに何をしにきたのか知らないが、小人などに自身が負けるはずがない。

 長い間、大罪人として指名手配されながらも、これまで捕まることなく力だけでのし上がった事による自身の力への絶対の信頼が、彼から逃げるという選択肢を奪った。


 ドルの中で欲望が膨らむ。感情に呼応するように筋肉が膨張し、190近い身長が一回りほど大きくなる。ギチギチと音を立てて尖った爪が両手から伸び、傷のない右目の瞳孔が爬虫類らしくギョロリと動いて獲物であるヴェルンを睨む。


「ねぇ、どうやったらここから出られるか知ってる?」


 一触即発。そんな張り詰めた空気の中、ヴェルンは笑う。子供らしくない、どこか邪悪な笑みを浮かべて相手を見て、言った。


 だが、ドルは応えない。凶悪な笑みを浮かべたまま、なんの躊躇もなくヴェルンに突進した。


 その巨体からは考えられないほど俊敏な動き。部屋の外にいた犯罪者たちなどとは隔絶した身体能力をもって、一気に距離を詰めて長い腕を横に薙ぐ。


 音が遅れて聞こえるほど高速で振られた腕をものともせず、ヴェルンは姿勢を低くして躱す。そのまま地面を蹴って前方へ飛び、お返しとばかりにドルに向かって拳を振った。


 対するドルは鱗に覆われた腕を出し、受け流す。上手く攻撃を流されたヴェルンは体勢を崩し、一瞬の隙が生まれる。


 そこを見逃すはずもなく、ドルの強靭な拳がヴェルンの小さな体に激突した。


 すさまじい衝撃に、体重の軽いヴェルンの身体は吹き飛び、室内にあった装飾品を巻き込んで、盛大な音とともに壁へと叩きつけられた。


 ドルはそこで止まらず、吹き飛ばしたヴェルンを追って跳躍。未だ壁に張り付いたままのヴェルンに強烈な蹴りを叩きこんだ。


 蜥蜴人の脚力は獣人族の中でも上位に位置する。さらに彼らの身体は固い鱗に覆われており、そこから放たれる蹴りの威力は一、二を争うレベルだろう。種族特徴のみで十分なソレに、長年鍛えられたドルの能力が加われば、その威力は筆舌にしがたいものになるだろう。


 そんな一撃をまともに受けて、無事であるはずなどない。


 だが、ドルは勝利を確信することができなかった。長年、犯罪者として追われる身であった彼の直感が、警鐘を鳴らすのだ。


 そしてその直感通り、壁にめり込んだ状態で、金色の相貌が色あせることなくしっかりとこちらを見ていた。


 追撃をかけても良かったが、ドルは再び跳躍して、一旦ヴェルンから距離を置いた。


 蹴りの衝撃で服がはじけ飛び、ヴェルンの幼い容姿が露わになっている。しかし、彼の身体は全くと言っていいほど傷ついていなかった。


「…油断したかな?次は僕から行くよ」


 そう言って、今度はヴェルンが跳躍し、ドルとの距離を詰める。一瞬で互いの距離をゼロにして、拳を振るう。


 しかし、先ほどと同じように拳を受け流され、ヴェルンの身体が勢いに流れる。ドルはそれを見て嗤う。実戦経験の伴わない、手本のようなヴェルンの動きに自分の勝利は揺るがないと確信できたからだ。


 今度は首を掴んで地面に叩きつけてやろう。ドルはそう考えてヴェルンの首へ手を伸ばす。


 だが、そこまでヴェルンは甘くなかった。


 実戦経験の少ないヴェルンは先ほど、自身の拳が受け流された事でしっかりと学習していた。同じ手を何度も食うわけがないのだ。


 ヴェルンは伸ばされた手を掴み、それを起点にして体を回転させて反転。不意打ちで引っ張られる形になったドルの顔面を迎え撃つようにヴェルンの小さな拳が叩き込まれた。


 ベキリと鼻骨が折れる音と共にドルの頭が跳ね上がる。完全に体勢が崩れたドルの腹に前方回転を加えた強烈なかかと落としが突き刺さった。


 盛大な破砕音を立てて、頑丈なはずの床板が割れ、攻撃を受けたドルの腰が地面に埋まる。たったの二撃で「クリミナルメイズ」最大派閥の一角「キクロプス」頭領は戦闘不能に陥る事となったのだった。

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