第一話 霧島十歩の混乱 ⑧

 沈黙する一同を前にして、霧島十歩はぐいっと鹿撃帽を持ち上げた。


「さあ、推理ショーを始めましょうか」


 篠田警部は不機嫌そうにとんとんと靴を鳴らした。


「御託はいい。さっさと始めてさっさと終わらせてくれ」


「まあまあ」

「一応聞いてあげましょうよ」

「間違ってるかも」

「しれませんけど」


 双子が十歩を微妙に庇う。十歩はごほんと一度咳払いをして、話しはじめた。


「まず前提として、富士家に飼われていた三匹の猫、イヌ・ギョーブ・ガミは三匹で一つの名前だったんです」


「一つの名前? どういうことです?」


 そう聞き返す省吾に、十歩は懐から一枚の紙を取り出した。


「これです」


 十歩が皆の前に掲げたのは『隠神刑部』と書かれた紙だった。


「これはイヌガミギョーブと読みます。四国の有名な化け狸の名前です。イヌ・ガミ・ギョーブ。三匹の猫の名前はこの化け狸からつけられていたんです」


 なるほど、そうだったのか、と一同は顔を見合わせる。十歩はさらに話を続けた。


「猫たちは三匹で一組の名前を付けられていた。そしてそのうちの二匹に暗号がくくられていた」


 次いで取り出したのは例の暗号の紙だ。


「暗号がくくられていたのはイヌとガミ。だから省吾さんが持っていたこの紙切れは、本来は、殺された猫、ギョーブの首輪についているはずのものだったんです」


 十歩は三枚の紙を机の上に並べた。


「イヌの紙にあった暗号は『カタネ・(タ)オマ・イタサ』。ガミにあったのは『タハキ・エタニ・タンハ』。ギョーブは『フシタ・タヤル・ナタイ』。この暗号をイヌガミギョーブの順に一列ずつ読み上げると『カタネ・タハキ・フシタ・(タ)オマ・エタニ・タヤル・イタサ・タンハ・ナタイ』となります。


 これだけでは意味不明ですが、イヌガミギョーブは化け狸。つまり、この暗号から「タ」を抜けばいいんです。


 するとこうなる。『カネ・ハキ・フシ・(タ)オマ・エニ・ヤル・イサ・ンハ・ナイ』」


 ――金は寄付した。お前にやる遺産はない。


 この場にいる全員が省吾の方を見た。省吾の顔色は一気に赤黒くなっていた。

 十歩はそれを気にせず、さらに話を続けた。


「さて、ここからが本題です。省吾さん。……殺されたギョーブの首輪についていたはずのその暗号を、どうしてあなたが持っているんですか?」


 省吾の顔色は今度は一気に青白くなった。篠田警部は周囲の警察官たちに目配せをした。


「そ、れは……」


「ギョーブは連続殺人事件の第二の被害者、宮森さん宅で飼われていたはずです。そんなギョーブを何故あなたが――」


 十歩の言葉は途中で遮られた。省吾が犯行を認めたのだ。


「くそ、くそくそくそ! こんなことでバレるなんて!」


 警察官たちが省吾の周りを囲んでいく。十歩はさりげなく省吾から距離を取った。


「捕まってたまるかよ……俺は親父の金でやり直すんだ……」


 省吾に警察官が飛びかかろうとしたその時、省吾はポケットからナイフを取り出した。


「事業に失敗して、妻にも子供にも逃げられて、俺にはもう親父の遺産しかねえんだよ!」


 そうやって吠えた直後、省吾は警察官のいない場所に向かって猛烈な勢いで駆け出した。省吾の進路には、不幸にも秋月いちが立ちすくんでいた。


「どけえええ!」


「姉さん!」


 省吾の咆哮と十一の悲鳴が同時に響く。いちは表情を変えないまま姿勢を低くし、右腕をぐいと引いた。


「ヤッ!」


「ぐはっ……」


 腰をひねるようにして左腕を引き戻しながら右腕を突き出す、体重を乗せた一撃。


 ――見事な正拳突きだった。


「フー……」


 省吾はその場に崩れ落ちる。いちは拳を腰に構えたまま、油断なく残身した。


 その場にいた誰も、声を発することができなかった。しかしただ一人、十歩だけは片手で額を押さえて嘆息していた。





 昼下がり、霧島十歩の事務所は差し込んでくる日の光によって、穏やかな空気に保たれていた。


 秋月姉弟は、床に散乱する書類たちを器用にひょいひょいと避けながら十歩の仕事机に辿りつき、書類の陰で俯く十歩の顔を覗き込んだ。


「十歩さんったらまた寝てるわ」


「思索を深めてるんじゃないのか、知らないけど」


「起こすのも悪いからそっとしておいてあげましょ」


「そうだな、今回ばかりは十歩も活躍したからな」


「その上依頼人が逮捕されて報酬なしだもの」


「落ち込むのも仕方ないな」


「今日のところは大目に見ましょう」


「今日のところは大目に見よう」


 ちょうどその時、ボーンボーンと掛け時計が三時を告げた。二人は顔を見合わせた。


「お茶にしましょっか」


「そうしよう」


 いちは給湯室に向かい、十一はお茶菓子の棚に向かう。給湯室から顔を覗かせたいちが、十一に尋ねた。


「そうだ、『星空もなか』は?」


「大丈夫、まだある」


「残りいくつ?」


「二つ」


 二人は同時に、にやりと笑った。


「食べちゃおっか」


「そうだね、食べちゃおう」


 湯呑にお茶を用意し、菓子置きにもなかを乗せて、二人はソファに座った。そうしてから豪快に包装紙を破って、二人は大きく口を開けた。


「いただきまー……」


「ごめんくださーい!」


 戸口から響いた声に、二人は不機嫌そうな視線を向ける。


「はーい!」


「開いてまーす!」


 言いながらも二人はお茶の準備を片付け始めた。ドアの向こうにいるのが依頼人なら、もなかが自分たちの腹に収まるのはまたしても先のことになるだろう。二人は内心、地団太を踏んだ。


 そうしている間にも、ドアの向こうにいる訪問者はがちゃがちゃとドアノブを動かして、ドアを開けようと悪戦苦闘していた。


「あれ、開かない……」


 二人は、ああ、と声を上げて、ドアに駆け寄った。


「ちょっと待っててくださいね」


「今こっちから開けるので」


 いちは足首を回し始め、十一はドアノブを掴んで持ち上げた。

 その時、ふと十一はいちに声をかけた。


「姉さん、気付いたんだけどさ」


「なあに、十一」


 十一は今自分が握っているドアノブを、ひどく歪んでしまって立てつけの悪くなっているドアを見下ろした。


「このドア……姉さんが蹴り続けてるからどんどん歪んでるんじゃ……」


「…………」


「…………」


「セイッ!」


 誤魔化した……!


 十一は心の中ではそう思ったが、言葉にすることはなかった。懸命である。


「うわっ、なんだここ」


 ぎい、と開いたドアをくぐってきた訪問者が、事務所の中の惨状にドン引いている。

 双子は顔を見合わせてごほんと一回咳払いをすると、ドアに向き直り、顔を引きつらせる訪問者に対して、恭しく一礼した。




「いらっしゃいませ」

「ようこそ、霧島探偵事務所へ」





第一話「霧島十歩の混乱」(完)

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