第15話 突如として吹いた暴風
お茶を淹れるためにヤカンのお湯を沸かしながら、ヨウについて考えた。
奇妙な少女だ。彼女がなにを考え、どういう原理で行動しているのか想像ができない。
不意に、彼女をこのアパートに連れてきたのは間違いだったのではないだろうかと思った。僕が彼女について唯一分かることは、彼女が正しい人間ではないということだ。公正な人間は図書館から本を盗まない。
戻ってみると、ソファに姿はなく、本が投げられていた。ヨウはベッドに横たわって、天井の木目を眺めていた。その瞳に僕はしばらく見惚れた。彼女の魅力的な瞳は、一度惹きつけるとなかなか離してくれないのだ。
「ねえ」と彼女は急に口を開けた。「カーテンを閉めて。それから電気を消して」
「どうして?」
「寝るために」とヨウは言う。「私たちは、これから寝るの」
「寝る?」と僕は聞き返した。
「そう。二人で抱き合って、一緒に寝るの」
僕は仰々しくため息をつく。
「なあ、もし疲れているなら帰ったほうがいい。もう夜になる。つい最近、この辺で不審者が出たばかりなんだ。帰りが遅くなればきっと誰か心配する。もし家が遠いなら、タクシー代も渡す」
「私と寝るのは嫌?」
ヨウは寂しそうに言う。
「そういうわけじゃないよ」
胸の中の動揺を悟られないように、もう一度ため息をつく。
「なあ、僕には付き合ってる女の子がいるんだ。もう一年近く付き合ってる。他の女の子を泊めたなんて知られたら、きっとただじゃすまない」
ヨウの瞳は僕を見つめていた。彼女は僕に何かを訴えかけているようだった。それがどんなものなのかは判断できない。それでも、彼女の美しい瞳に宿っているのは間違いなく強い力で、少しでも気を抜けば、どこまでも引きずり込まれてしまいそうだった。
「帰る場所なんてないの」とヨウは言った。
「そんなわけないだろ」
「嘘じゃない。本当に帰る場所がないの。もしあなたが私と寝てくれないなら、私はあのほらあなで一晩を過ごすのよ」
長い時間悩んだ末に、僕は諦めて言われた通りにカーテンを締め切り、部屋の灯りを全て消した。彼女の言葉を信じたわけじゃない。ただ、他にどうすればいいのか分からなかったのだ。
「こっちに来て」とヨウは言う。「私の隣」
僕はベッドの横に立ち、彼女を見下ろした。その時、彼女の口元にはかすかに笑みが浮かんでいるような気がした。なにせ部屋は暗いのだから、もちろん見間違いかもしれない。けれど、僕には彼女が薄っすらと笑っているように見えたし、それは僕が初めて目にした彼女の微笑みだった。
僕はベッドに身体を滑り込ませて、ヨウを抱き締めた。彼女の身体は、服を着ているときでは想像できないほどに痩せ細っていた。ちょっと力を入れてしまえば、脆い氷像のようにバラバラに砕けてしまいそうだった。
「キスをして」
「キス?」
「おやすみのキス」
暗闇から聞こえる声に応える。僕は彼女に口付けをした。彼女の唇は誰のものとも違って、ひたすらに柔らかかった。彼女のことを抱きたいと思った。強くそう思った。そうしなかったのは、頭の片隅に舞の姿がよぎったからだ。
「朝まで眠るの」とヨウは言った。
「眠れるかな」と僕は言った。
「腰に腕を回して。脚を絡めて。大丈夫、そうすればすぐに眠れる」
早くなる鼓動に耳を澄ませながら、彼女の言葉に従った。服の上からわずかに胸の膨らみを感じた。絡められた脚が太もものあたりに擦り付けられる度、身体が熱を帯びた。
ヨウの言った通り、眠気は突然やってきた。それは平原で突如として吹いた暴風のように、どんな手段を用いても抵抗できない類のものだった。目を閉じる。
思考が沈んでいく中で、ヨウはおやすみ、と言う。
おやすみ、と言い返そうとするのだが、言葉は出ない。
僕は暗闇の中で、ひたすらにその幼い身体を抱きしめる。
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