第13話 『魔女たちの夜 後編』

 ヨウコが男に恋に落ちるのは、共同生活を始めて一年が経とうとした頃だ。その頃にはヨウコの傷もある程度は塞がったようだった。もちろん、元どおりとはいかない。相変わらず男を怖がるし、いつも優子の姿が見えなくなると困った顔になる。それでも、仕事の予定が無い日には、二人で街に出かけるようになった。人混みや男の多い場所は避け、個人経営の小さなレストランや寂れたバーなんかに通った。

 ヨウコは外の空気に触れるに連れて、少しずつ本来の姿を取り戻していった。笑うようにもなったし、ちょっとした冗談も言うようになった。それは優子にとってわずかに悲しいことでもあった。優子は子供のように甘えきったヨウコが好きだったからだ。しかし、だからと言って、その愛情が変わることは無い。

 変化に気付いたきっかけはある夜の出来事だった。彼女たちは年老いたバーテンダーがいるボロボロのバーでいつものように酒を飲んでいた。バックに流れるバラード調の甘い音楽が流れている。

「私、そろそろ優子を卒業しなければいけないと思うの」とヨウコは切り出した。「この一年間、ずっと優子に迷惑をかけてきたわ。私のせいで漫画を諦めたわけだし」

「気にすることはない」と優子は言う。「私はね、一度たりともあなたを迷惑だと感じたことはないの。嘘じゃないわ。それに漫画なんて切り捨てて良かった。無茶な締め切りに追われることもない。編集者の顔色を伺う必要もない。ずっと私の元にいていいのよ」

「ありがとう。ごめんね」とヨウコは悲しそうに笑う。「あなたが男だったら良かったのに。そしたら明日にでも市役所に走って行って、婚姻届を出せたのに。子供だって産めたのに」

「そんなものはいらない。私はあなたを愛している。誰よりも愛してる。それでいいじゃない。それ以外になにが必要だっていうの?」

「私も優子のこと大好き。ポジティブな考え方とか、その気の強そうな話し方とか」

 帰ってすぐ、優子はヨウコをソファに押し倒した。

 シャワー浴びたいわと言う優子を黙らせるように、その唇を塞ぐ。何度かキスした後、服をするすると脱がせて、美しい身体に舌を這わす。耳や首を念入りに舐める。甘い喘ぎ声がひたすらに欲望を駆り立てた。しかし、どれだけ時間をかけようとも、彼女は濡れなかった。

 心配そうに顔を覗き込む優子にヨウコは切り出した。

 「好きな人ができたの」

 優子は思わず顔をしかめる。

 相手は彼女たちがよく行くレストランのウェイターだった。彼は親切でモデル顔負けの格好良い男だった。困ったことがあると、呼ぶまでもなく声をかけてくれた。彼を目当てに通う女もいるぐらいなんだと、店長が苦笑いしながら話していた。

 やめたほうがいい、と優子は言う。彼も男なのよ。君を襲った奴らと同じなのよ。考え直したほうがいいわ。

「それでも私は彼が好きなの。自分でも不思議なぐらい彼のことを愛しているの。彼にだったら、なにをされたっていいわ。本当にそう思ってるの。ねえ、私が男性に対して愛情を抱くのは間違っていることかしら」

 優子にはどうすることもできなかった。それは宿命づけられていてことなのだ。鳥が木陰で羽を休めるのは、また飛び立つためなのだ。ヨウコは日々回復に向かっていたし、飛び立つべき方角にも目星をつけていた。そう遠くない日、ヨウコは優子の元を離れてしまうだろう。もしそれを止めたいのならば、大木は鳥を殺してしまうしかない。

 優子はヨウコを抱きしめながら、いつものように夜を過ごす。愛くるしい寝顔にそっとキスをする。そうしながらも、ヨウコを呪わずにはいられなかった。彼女が幸福になれば、孤独になるのは自分の方なのだ。

 ヨウコが深い眠りについたあと、優子は重い頭を抱えたままベッドから起き上がり、カーテンを開ける。そこには一つの月が浮かんでいる。どこも欠けることのない、言葉通り完璧な満月だ。

『醜いものだね』

 月は静かな声で言う。ベッドで眠るヨウコを起さないように気遣っているのだ。

「みんな醜いわ。私だけじゃない。みんな醜いのよ。醜くて汚いわ」

優子はその場に崩れ落ちる。ボロボロと涙が流れる。どうして泣いているのかわからない。ただ、とめどなく溢れてしまうのだ。

 孤独に怯える彼女に月はこう告げる。

『月は欠けるし、太陽は沈む。雲が空を覆い、冷たい雨が打つだろう。そして醜い君は孤独になる。致命的なまでに傷つくはずだ。もう立てなくなるかもしれない。それはどうやっても避けられないことだ。それでも、もし救いを見出したいと思うなら夜空を眺めてみるといい。たとえ暗雲立ち込める空だったとしても、その向こうでは必ず星は輝いている』


 破滅の暗示なのか、せめてもの慰めなのか、分からない。

 それが我々に知らされることはないのだ。

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