第3話 年齢というのは重要な事柄ではない
大学生の僕が住んでいるそのワンルームのアパートに三人も入ると、部屋はすぐに窮屈に感じられた。僕と先生と琴音さんは小さな炬燵に足を入れて、ケーキを食べ、シャンパンを飲んだ。琴音さんは他の部屋に遠慮して小声でハッピーバースデイと歌った。
シャンパンを飲みながら先生は「これでおおっぴらに酒が飲めるな」なんて言い、「でもあんまり飲みすぎちゃダメよ」と琴音さんは口を尖らせた。
僕たちは時間をかけて甘ったるいホールケーキを食べきった。実のところ、僕が誕生日にケーキを食べるなんて久しぶりのことだった。小学生の時までは誕生日の度に家族で菓子屋からケーキを囲い、仰々しく歌を唄ったものだが、中学に上がり、高校生になり、そうなる度に我が家は誕生日というものに特に関心を示さなくなった。その時は何故だか心のどこかホッとしている自分がいた。
だが、こうやって誰かに誕生日を祝われるというのは、とりもなおさず嬉しいことだ。
一口だけと言い、グラス一杯のシャンパンを飲んだ琴音さんは、すぐに顔を赤くして、壁にもたれたまま寝てしまった。押し入れから出した毛布を彼女にかけた後、僕と先生はしばらく語り合った。
彼は僕の学校で起こったことを聞きたがった。「それほど面白い話はないよ」と僕は言い、「構わないさ」と先生もいつものように応えた。僕たちは十歳ほどの歳の開きがあったが、お互いフランクな口調だった。僕たちにとって年齢というのは重要な事柄ではないのだ。
僕は同じ学部の知人が一年生に恋をしたことを話した。ちょっと影のある綺麗な女の子だったと彼は言った。下を向きながら歩いて、常に何かに思い悩んでいたそうだ。
彼に言わせれば「過去のイジメにトラウマを抱えつつも、ひたむきに生きる健気な女の子」ということらしい(どこまでが正しいか宛にできないが)
その知人は思い切って女の子に声をかけることにした。その結果、帰り際に学校から駅まで歩くことになったのだが、彼はひどく緊張してしまったらしい。結局のところ、冴えた話も出来ず連絡先も交換できずそれっきり、というものだ。
僕の説明が終わると、先生は情けない男だねと彼を小馬鹿にした。
「女の子を口説き落とすというのはね、それほど難しいことじゃないんだ」と先生は言った。
「どうするのさ」
先生は人差しの関節の辺りを指を前歯で噛んだ。それは彼がなにか思案するときの癖だった。
「具体的に説明するのは難しい。それは蛇に歩き方を説明するようなものなんだ。ちょっとコツがいる。できる人間はすぐできる。できない人間はいつまでもできない。でも、本当はとても簡単なことだ。きっと、海を泳ぐよりはずっとね」
「作家なら、それぐらい言葉にしてみてよ」
彼は三十秒ほど考えてから、こう言った。
「相手が求めているものを適切に与えるんだ。それは足りなくてもいけないし、多すぎてもいけない。ましてや、求めることなんてもっての他さ。けれどね、もし適切にその何かを与えることができるなら、どんな女性も簡単に口説き落とすことができる。人間っていうのはね薄情だから。分量さえ間違えなければ、人は簡単に人を操れる。唯一の問題はね、相手の欲求を見極められる人間は一握りだということなのだけれど」
「なんか抽象的な話だね」
「俺が説明できるのはこれぐらいだな。もしこれを正確に伝えることができたら、もっと有意義な人生を送っていただろうさ」
彼は大袈裟に肩をすくめる。
「じゃあ、あんたならどうしたんだ?」
「その女の子をここに連れてきてくれれば、どうとでもできるさ。まあ、俺に言わせれば、そんなつまらない女に四苦八苦するなんて時間の無駄でしかないけどね」
僕が先生の求めに応じて何かを喋ると、彼はその説明を求め、そして最後に自分の意見を述べた。それは普段、僕の周りで交わされる会話とは本質的に違うものだった。
彼はびっくりするぐらい多くのことを知っていた。ドミニカ共和国がどこにあるのかと尋ねれば、正確な位置とその特色を教えてくれた。立ち寄ったバーで音楽が流れていれば、その作曲家の悲劇的な人生ついて語ることができた。そしてその知識を、面白く、うんざりしない適切な分量で与えてくれた。
彼と知り合って一年ほど経つのだが、まるで師が弟子に技術を残すように、僕は多くのことを彼から教わった。
その内容に実用性があるかどうかは、また別の話として。
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