第2話 美しい小さな共同体
その二月三日の日、つまりは僕の誕生日なのだが、都内では一日中パラパラと雪が降っていた。街中で人々が白い息を吐きながら歩く様を覚えている。灰色の街に降る白い雪は、時間をかけて眺めれば、なかなか情緒溢れるものではあったが、この街でのんびりと空を見上げるのは恐らく僕の他にいなかったのではないだろうか。この街はちょっとばかり忙しすぎるのだ。
アルバイトから帰ってきたとき、二人は僕の部屋の前で手を繋いでいた。先生は黒いロングコートを羽織り、琴音さんは白いセーターを着込み、遠くから見ればそれは見事なまでに対称的な二人だった。異なる色と形を持つ、美しいその二人は、すれ違う人々の目を留めたはずだ。
彼らは服装に限らず、共通点よりはむしろ相違点を多く持っていた。例えば身長一つとってみたって、先生は長身だが琴音さんは百五十センチほどだ。もうすぐ三十歳に差し掛かろうとする先生と、まだ二十三歳の琴音さん。どことなく不器用で時にはひどく冷たくなる先生と、ただひたすらに優しい琴音さん。そんな風に、二人は多くの点で対照的なのだ。
それでも、どうして彼らが仲の良い夫婦でいられるのか、判然とはしない。釈然ともしない。けれど、その二人のチグハグさは、どこか心地の良いものでもある。
あるいは、こう考えることもできる。二人のもち合わせる相違点は、ジグソーパズルの凹凸のようなものではないのだろうか。彼らはその異なる性質を、一つの美しい小さな共同体として形作っているのではないもだろうか、と。
「お誕生日おめでとう」
一人で走り寄ってきた琴音さんは、そう言ってロゴのデザインされた紙袋を掲げた。それからとても嬉しそうに笑う。
「ケーキを買ってきたんだけど、よかったら一緒にどうかしら」
「ケーキを買ってきた」と僕は繰り返した。
うまく返事ができなかったのは、目の前に琴音さんの顔が迫っていたからだ。
「そう。大っきいホールケーキ。シャンパンもあるの。せっかくのお祝いだものね。気にしないで」と琴音さんは言う。「どうしたの、そんな顔して。ねえ、もしかして、これから誰かと出掛ける予定でもあるの?」
そのとき、僕はこれがどういうことなのかうまく飲み込めずにいた。僕の意識は、絶えず降り続ける雪と、琴音さんの美しさに奪われていた。頭の中で、今日は僕の誕生日で、彼らがそれを祝うためにこうやって待っていてくれたのだと理解するまで、少し時間がかかった。
「時間ならあります」と僕は落ち着いて言った。「でも、急にびっくりした」
「ミツキくんの誕生日って、あの人から聞いたの」
彼女の視線の先では、不貞腐れたように先生が白塗りの壁にもたれ掛かっていた。
「適当な贈り物だけすればいいなんてあの人は言うんだけどね。でも、どうせなら三人でパーティをした方が素敵だと思わない? だから、そうね、これはささやかなサプライズだと、そう思って」
僕の顔が自然と綻ぶ。
どうしてこの人たちはこんなにも親切なのだろう。
ありがとうございます、と僕は言う。
どういたしまして、と琴音さんはお辞儀する。
そんな仕草までもが、彼女がすると愛らしい。
「いつまで雪の中でお喋りしているつもりだ」
そう言ったのは先生だ。彼はこれ見よがしに僕の部屋の扉をノックした。
「こんなところにいつまでもいたら凍えちまうよ。さっさと部屋に入れてくれ。なんだよ、受け取るもんだけ受け取って、俺たちとはサヨウナラなのか?」
琴音さんは口元を押さえてくすくすと笑い、僕の耳元に顔を近づけた。
「あの人、照れているのよ。可愛いでしょ」
僕も笑いながら、しばらく彼女の指先に見とれた。寒空にさらされ続けただろう彼女の指は、恐ろしく美しかった。長く、繊細で、氷細工のように儚く、見るだけで理不尽に胸を締め付けられた。
「寒くなかったですか?」と僕は訊いた。
「大丈夫よ。あの人がずっと手を握っていてくれたから」
彼女の薬指にはいつも結婚指輪がはめられている。それは決まって僕を複雑な気持ちにさせたるのだ。
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