家飲みのススメ(彼氏編)


 強い日差しを避けるために引いたカーテンを揺らして。流れ込む熱気を帯びた風は、扇風機に巻き取られて部屋に涼しく広がる。


 静かな部屋には、かりかりと紙がこすられる音が響いている。


 真っ白な原稿用紙の上にすべらかにペンを走らせて世界を描き出す。黒いインクがひとコマを切り取り、場面を映し出し、キャラクターを活き活きと動かすのだ。


 軽快に描き続ける俺の隣では今日も、愛しの千子ちこさんが絨毯じゅうたんの上にちょこんと座り込み、ぽちぽちとスマートフォンをいじっている。またライブ仲間と、SNSでの会話に華を咲かせているのだろう。



 俺よりも数ヶ月先に生まれた小柄な彼女はしかし、口をひらけばよく喋り、身振り手振りもちょこまかと可愛く、どう見ても歳下なのだった。





 つむぐストーリーはどこまでも続き、とめどなく。想像した物語を正確に紙に乗せるのは難しい。

 

「ちょっと、一服してきます」

「はーい! いってらっしゃ〜い」


 座椅子を引いて、立ち上がった俺を見上げる千子さんにそう告げると、ひらひらと手を振って見送られた。



 息抜きに、煙草をふかしがてらトイレに座る。すぐにガチャ、とすとすとす、と、ドアの開く音に続いて階段を降りて行く音が聞こえた。

「おっトイレ〜とっトイレ〜」と、千子さんのよく分からない歌声と共に遠くなる。

 うちは二階と一階にそれぞれトイレがあるのだ。


 彼女が動くと何かしらの音がするのですぐに分かる。


 部屋に戻りまたペンを手に取る。暫くすると、千子さんも戻って来てまた隣にちょこんと座った。いつの間にか手にしていた単行本を開く。

 今度は漫画を読むようだ。暇があれば息をするかのように漫画を読んでいる。そのジャンルは少年誌、青年誌を問わず、料理漫画に医療漫画、恋愛もの、ファンタジーやら現代劇やら実に幅広く様々だ。父親が漫画好きで、週に何冊も買ってくるのだそう。それは漫画好きにもなるというものだろう。


 描く事は俺のライフワークである。最近は特に出版社に持ち込みはしないのだが、千子さんが喜んで読んでくれるので嬉しい。ちゃんと単行本を出せていたら、もっと読んでもらいやすかったんだろうな。



 ペン入れも終わり一区切りがつく。


 ついつい丸くなっていた背筋を伸ばすため、両腕を突き上げて伸びをした。めいっぱい開いた手のひらを、そのまま千子さんの頭に着地させる。

 艶のあるさらさらの髪を撫でると、とても触り心地が良い。


 しばらく撫でていると、手のひらの下で頭が回転する。視線を向けると、じっとこちらを見ていたらしく目が合った。

 瞬間、細い眼をさらに細めてにっこり笑顔になる。


「良いね。撫でられるの。好き」


「千子さんは可愛いねぇ」


 素直な気持ちを伝えると、もぐもぐと何も入っていない口を動かし、身体を上下させてうごうごする。

 頭をぐりぐりとこすり付けて近寄りながら全身でり寄ってきた。


「嬉しいの〜ありがとう〜悠一郎ゆういちろうさんもかっこいいの~」


 そのまま、胡座あぐらをかいている俺の上にこてんと倒れ込んで、膝枕のようになった。

 まるで猫のようだ。可愛い。なでりなでり。


『愛している』という表現は、言葉でも行動でも積極的に伝えることにしている。いとしいと思うのに、それを伝えない意味がわからない。




「お昼も過ぎたし、そろそろ何か作りますか? 朝も食べなかったしね」


 その問いに、ぎゅおぉと2人同時に腹の音が返事して、声を上げて笑い合った。



 テーブルの隅にあったからのステンマグカップを片手に、千子さんと一緒にキッチンに向かう。


 冷凍庫から氷をカップへ。そこに2.7Lペットボトルで2000円という、破格のウィスキーを半分注ぐ。


「わたしも飲む〜」


 千子さんが氷を入れたロックグラスを持ってきたので、そこにも半分より少ないくらいいであげる。


 手を洗って来てからひとく口、あおる。


 独特の燻した香りが鼻に抜ける。深みのある甘さと、きりっとした辛味、柔らかい苦味が舌を滑り、喉の奥へと落ちた。

 彼女もグラスをくるくる回しながらちょびちょびと舐めていた。


 空っぽの胃にアルコールが染み渡る。



「千子さんも何か作る?」


 ニンニクを取り出し皮を剥きながら、千子さんに尋ねた。


「んーモッツァレラトマト。あ、アボカドがあるからそれも入れよう!」


 冷蔵庫をのぞきながら答えが返ってくる。ふむ、そうすると先に作ってもらった方がいいな。

 鍋に湯を満たして、塩を入れ火にかける。


「お。例のアレ、作るの?」

「そだよ。でも千子さんの料理が先ね。まな板、使っちゃって」


 ニヤニヤしながら覗き込み聞いてくるので、こちらも流し目にニヤリと笑いながら返す。


 例の、とは数日前に動画で見た料理の事だ。



 とりあえず、おもむろにじゃがいもを取り出して、皮付きのまま綺麗に洗って芽を取っておく。


「ポテトも揚げるの?」

「そ。でも、これは夜にね」


 こくこく、と、よく分かっている千子さんは頷いた。


 ぐらぐらと湧いた塩湯に、皮付きの縦割り8つに切ったじゃがいもを投入する。固めに茹でて水気を切り、これは冷凍しておいて後で揚げる。

 色々と試して、美味しいフライドポテトの作り方で辿り着いたのがこれ。簡単で、美味い。


 隣では、千子さんがようやく皮を剥き終わったトマトと、アボカドを切っている。上の戸棚から、ボウルを取り出し置いてあげると「ありがとう!」と、見上げて笑顔をくれた。



 ステンマグの氷がだいぶ溶けていた。持ち上げるとカロリと音を立てる。ひと口、ふた口と進める。頭が少し、ふわふわとしてくる。


 暇だったので後ろから抱きついてみる。小柄な彼女の体はすっぽりと腕の中におさまった。頭に軽く顎を乗せる。


「ちょっと邪魔だのー」


 振りほどくわけでもなく、のほほんとした声がする。


「でも、こういうの良いね〜悠一郎さんと一緒に料理するの好きよ〜」

「俺も千子さんと料理するの好きよ〜良いねぇ」


 2人でニコニコとする。ゆっくりとした時間が流れる。素晴らしい。


 モッツァレラチーズも切り終わってボウルに移し、塩胡椒とオリーブオイルで和えたら彼女の料理は完成だ。

 俺は空いたまな板でニンニクと鷹の爪を刻む。


「ニンニクは粗微塵あらみじん切りだよね〜」

「そうそう。適当に切るのが良いんだってさ」


 ざくざくと刻む。鷹の爪は辛くなり過ぎないように種を取り除く。


「これも、入れない?」


 そう言って上目がちに差し出してきたのは、彼女が燻製した自家製ベーコンだった。


「いいだろう!」


 応えて受け取り、小さな短冊に切る。ちょっとテンションが上がってきた。


 フライパンにたっぷりのオリーブオイルをひいて、熱する。十分に温まったら刻んだニンニクと鷹の爪、ベーコンを入れてよく炒め香りを引き出す。

 油が跳ねるので千子さんは遠巻きに眺めている。


 ニンニクと、燻製の香りがぶわっとキッチンに広がった。良い匂いだ。食欲をそそる。

 


 千子さんが新しく、塩を入れた熱湯を用意しておいてくれたので、そこにパスタを2人分投入する。

 茹で汁をフライパンに混ぜて、乳化させる事も忘れてはいけない。換気扇が立ち昇る湯気と煙を巻き取って行く。



 茹で上がったパスタをフライパンに移して塩胡椒し、手早くよく絡める。うむ。完璧だ。


 絵皿を用意して、出来上がった自家燻製ベーコン入りペペロンチーノを取り分ける。飾り皿だとそれだけで色を添えられるので便利だ。

 白い小鉢にアボカドトマトモッツァレラも盛り付ける。彩りに乾燥パセリ粉末も少々。


 テーブルに運んで、フォークとグラスにお水も用意する。

 空になったステンマグに、再び氷とウィスキーを入れて、千子さんの飲みかけのグラスと乾杯をした。


 スマートフォンで写真を撮ってから、お皿に顔を近付ける千子さん。パスタ、髪の毛が先に食べてしまいそうですよ?


「いただきま~す! 良い匂いだねぇ!」


 きらきらと目を輝かせてフォークを手に取る。そんな千子さんを眺めながらウィスキーを口にする。きっと俺も笑顔なんだろう。


 アボカドモッツァレラトマトは、安定のいつもの彼女の味だった。絶妙な塩胡椒は、少し濃いくらいの味付け。

 彼女はこれでもちょっと薄いと言う。


 モッツァレラ単体で食べると味気無いのに、トマトと合わせると何故にこうも美味くなるのだろうか? アボカドのクリーミーさと相まってさらに美味い。

 トマトの酸味と甘さ、アボカドの野性味、モッツァレラの乳製品の旨さ。それらをまとめるオリーブオイルと塩胡椒。

 うむ、良い。酒も進む。



「これは美味いペペロンチーノだのー! 悠一郎さん美味しいよ〜!」


 もぐもぐと口いっぱいに頬張って、美味しそうに食べる千子さん。


「ニンニクざく切りなのがまた良いよね! しっかりニンニクの味! 塩加減も丁度良いの〜」

「千子さんが提案してくれたベーコンも良い風味出してるよ〜やー自家製ベーコン美味いね〜」

「カリカリも良いアクセントだよ〜悠一郎さんありがとうだの〜」

「こちらこそだの〜」


 食事中に料理や食材の話が出来ない人は、意外と多い。彼女は、食事中にきちんと食事についての会話が出来る人だ。そんな所も素晴らしいと思う。


 美味しく食べてもらえて何よりだ。


 俺はどうやら、彼女の食事してる姿が結構好きらしい。



「ごちそうさまでした!」


 ぱん! と手を合わせて食事が終了する。油の一滴も残さないくらい綺麗に平らげた。

 初めて作ったにしては上出来だった。簡単だし美味しいので、定番メニューになりそうだ。


 食休みにスマホをいじる彼女を横目に、食器をささっと片付けてしまう。おそらくさっきの写真をSNSに上げているのだ。

 あれは彼女のライフワークなのかもしれない。料理の写真、というか食べ物も飲み物もだいたい撮っている。



「洗い物ありがとう!」


 食器を洗っていると千子さんが駆け寄って来て、仕上げの水洗いをしてくれて片付けを終えた。




 部屋に戻ると、彼女は早速、敷きっぱなしになっていた布団にごろごろし始めた。これはこのままお昼寝ですね〜。

 案の定、数分も経たないうちにかすかな寝息を立て始める。昨日のライブの疲れも残っているのだろう、ゆっくり寝かせてあげよう。


 俺は原稿の続きを描く事にした。





 3時間ほどして、ベタ塗りも終わったのでとりあえず今日は終了とする。墨汁が乾くまで次の作業は出来ないしね。


 マッチと煙草を手に取り、千子さんの足元、大きな窓際に腰を下ろした。ベランダの手すり越しに入道雲を眺めながら、煙草を取り出し火を点ける。


 りんの良い香りと、紅茶に似た少し甘い香りが辺りに漂う。


 ふぅと吐き出した煙は網戸を抜けて、青い空に消えて行った。



 俺は、本来なら人を好きになることが殆どない。まあ嫌いになることも少ないのだが。ともかく、そんな俺がここまで好きになれた人は稀だ。


 また、酒を飲むのも本当なら独りで飲みたい。周囲に気配りできなくなることが嫌なのだ。独り、家で飲めば気兼ねしないし、眠くなっても布団はすぐそこなのも良い。






「おはよう。よく眠れたかな?」

 もぞもぞと動き出した彼女に向き直り声をかける。


 千子さんは、むくりと上半身だけ起こすと、獲物を見つめる猫のように眼を大きくして、じっと俺の顔を凝視した。

 そしてにっこりと口角を上げるとこう言った。


「おはよう! 鼻毛ちゃん!」


 なんてこった!


 ひくひくと鼻の穴を動かして見せると、彼女は大いに笑ってくれる。そして、にじり寄って来て「抜く? 抜いても良い?」と言ってくるので丁重にお断りした。

 別に、抜いても良いけど。痛いし。と、苦笑い。いつもこんな調子だ。



「ささ、お風呂でも入って来ちゃいなよ。汗かいたでしょ?」


 なおも顔を覗き込んでくる彼女に向かって、そう促した。その隙に鼻毛はしっかりと処理しておく。



 さて、夕飯は何にしようか。




「千子さん何か食べたいものある?」

 扇風機の前で涼みながら、髪を乾かす彼女に向って聞いてみる。


「んー冷蔵庫の中、野菜とか少なかったし買い物行こうよ」


 俺はその案に乗って、2人で散歩がてら、近所のスーパーまで出る事にした。






 買い物をして帰り、夕飯の支度をしていると姉が帰ってきた。

 冷凍しておいたポテトも揚げて、姉が買ってきてくれた焼き鳥とお酒も並べて、3人で宴会が始まったのは言うまでもない。

 千子さんは、夜には実家に帰るのでお酒は飲まなかった。しかし幸いなことに、姉とは気が合い楽しそうにしていた。何よりである。






 外はすっかり暗くなり、昼間の熱気も落ち着いてきた。お酒も回って赤ら顔の俺を横に、帰り支度を整える千子さん。週末になればまた遊びに来るとは言え名残惜しくはある。


 それは彼女も同じようで、俺が寝る時間を気にしつつも大体いつも「帰る」と言ってからすぐに帰ったためしはない。


 彼女の車が停めてある近所の路肩まで荷物を持って一緒に歩く。


「悠一郎さん、大好きだよ〜。ずっと愛したいと思うよ〜」

 愛っていうのはよく分からないけど、と彼女は言う。でも、だからこそ愛し続けたいと思うという事が、大切なんだと思う、と。

 それはもう愛してるっていう事だよね! と。


 そんな彼女の頭を撫でる俺はきっと笑顔だ。


「ずっと仲良しで、一緒にいられたら良いね〜」

「俺も、千子さんとずっと一緒にいたいよ〜」


 車の窓越しに繋いだ手のひらと指先を互いにもてあそぶ。ニコニコと俺の顔を眺める彼女を見て、改めて出会えて良かったと思う。愛しい。





 彼女が帰ったあと、独りのんびりとグラスを傾ける。静かになったその部屋で、今日1日を振り返り表情を緩めた。


 千子さんと飲むのは楽しい。彼女とは、飲みたいと思うのだ。週末にはまた、美味しいものを作ってあげよう。



 邪魔するもののない空間で、こうして浸るのもやはり良いものだ。




 琥珀色のウィスキーがゆっくりと氷を溶かし、思考をぼんやりと薄めていく。


 ふわふわとしあわせな気分のまま、俺は、心地よい眠りに落ちていくのだった。





 夢の中でもまた、彼女と一緒に飲めるかな?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る