燻し飲みのススメ


 もくもくと、白い煙が立ち昇る。ゆるい風に揺らめきながら。


 田んぼと数件の住宅に囲まれた一軒家。その二階にある一室のベランダから。



 空は快晴。少し低い土地にあるこの家の二階からは、河川の土手沿いの道が目前に見える。裏道になるそこは、抜け道として利用する車や、犬の散歩、ランニングする人などが時折、行き交っている。



 PCでゲームする悠一郎ゆういちろうさんを遠目に、わたしはのんびりと、この時間を楽しんでいた。

 ゆっくりと空中に消えていく煙。窓越しに漏れ聞こえてくる、鳥のおしゃべりと道行く人の気配。車の音。そして大好きな彼がゲームする音。

 穏やかな土曜日。いつもの週末。彼氏の家でのんびりと。


 何気ない日常の時間が流れる。




 布団の上で寝転がって、少しうとうとする。来週末にはライブと飲み会の予定だ。それまでに、お土産とおつまみを用意するのだ。ふふふ。



 比較的涼しい今日だが、夏の蒸し暑さに扇風機の風は微力でしかない。しかし緩やかな時間にいつの間にか眠りに落ちていた。





 燻製くんせい。古来より燻煙くんえんすることで保存性を高め風味を付加するため、主に食材に用いられる加工方法。特に熱による乾燥、脱水が保存効果を高めているらしい。

 桜やブナ、クルミなどの木を燃やしていぶすのだ。煙のコーティング。魔法のように美味い風味が加えられる。


 わたしの場合は桜とウィスキーオークというものの、チップではなくウッド。火を点けると、ずっともくもくしててくれる塊を使っている。

 それから、最近はピートと呼ばれる黒い粉。泥炭でいたんというものらしいんだけど、これも使っている。とてもスモーキーな香りが短時間で付くのだ。



 わたしは、もう10年以上も前からこの趣味を続けている。


 あれはまだ社会人2年目ぐらいだったかな。専門学校を出て就職せず、2つ目のバイトをしてる時だったと思う。


 家でとっていた新聞が出している小冊子に、ベーコンの作り方が載っていた。昔から料理には興味があり、特に珍しいものは試してみたくなる。

 それで近くのホームセンターで筒形の小ぶりな燻製器を買ってきて、早速作ってみたのだった。美味しく出来たという事だけは覚えている。




 最も一般的な燻煙法で、30〜60°Cほどの煙で燻す温燻おんくん。燻煙時間は、数時間から1日程度で、一般に燻製という場合は、この温燻を指す事が多いようだ。長時間、比較的高温で燻す為に水分が減少し、本来の保存食という意味での燻製ができるのである。



 今回燻してるのは、まずチーズ。スモークチーズって言ったら最近じゃスーパーでもけっこう売ってるし、居酒屋でも時々あったりするよね。下処理もいらないし、お手軽の代表!


 それからジャイアントコーンにミックスナッツ。これも何か容器にあけて燻すだけだから簡単! 適度に塩味も付いてるし、まず失敗しない。乾物だから持ちも良い。


 そして自家製のベーコンと市販のソーセージ。


 ベーコンの方は4日前、豚バラのブロック肉に塩と香辛料を擦り込み、2日前から脱水シートに包んで水分を抜いておいたものだ。

 塩抜きとかいう工程は何度かの試作の末、塩分量を調節する事で省けると確信した! ザ・手抜き!

 市販のソーセージはその時点で美味いわけで、もう「美味くなる」しかないよね!


 そしてそして、大抵びっくりされるマヨネーズ! よく、溶けないの? って聞かれる。

 だがしかし! 私が使ってるのは腰丈くらいまである箱なんだけど、その燻製箱、燻煙方法で最上段ならば40度前後まで上がっても大丈夫なのは確認済み。まあちょっとは溶けてるのかもしれないけどね。バットに広く絞り出して燻すだけだから、意外と簡単なのだ。


 SNSで仲良くなった子に、今度あげる約束をしている。出来上がったら早速送ってあげなくちゃね!



 実は10年続けていると言った燻製だが、本格的に木製の箱を買って始めたのは悠一郎さんと出会ってからのここ数年の話なのだ。

 他人ひとの家のベランダで燻製するとか、普通は怒られそうなものだけど。快く協力してくれる寛容な彼氏で良かったと、本当そう思う。

 そうじゃなかったらわたしはここまで燻製を続けていなかったかもしれない。





「おはよう。そろそろ良いんじゃない?」


 ゆっくり目を開けた私の視界に、悠一郎さんの笑顔が飛び込んでくる。次に窓の外に視線を向けると、成る程、煙はもう立ち昇ってはいなかった。



「まだまだかかりそうだねぇ」


 ベランダで煙草を吸いながら、私の動作を観察する悠一郎さん。


 燻製箱の扉をそろりと開けると、中ではまだスモークウッドがくすぶっている。灰が飛び散らないように、ウッドを入れている古鍋にそっと蓋をして取り出した。

 木箱ごと室内に取り込んでしばらくしたら扉を開け、ゆっくりと温度を下げていく。急な温度差は水滴を呼ぶからね。



 悠一郎さんはいつの間にかタバコを吸い終わって、手にしていたグラスから、おそらくウィスキーを飲んでいる。


 そんな彼に、箱の中からソーセージを1本取り出して口元に差し出す。あぐ、と咥えられてもぐもぐと吸い込まれていくソーセージ。わたしも1本かじる。

 最下段で燻していたためしっかりと火が入った。まだ温かいソーセージはジューシーで、ガツンと燻製の香りがして美味しかった。

 出来立ては煙がこなれてなくて、渋さやエグ味、酸味があり美味しくないと言われるが、わたしは割と美味しいと思っている。


「う~ん! 美味いねぇ! さっすが千子ちこさん!」

「良かった良かった。出来立ては美味いよね~もう1本食べちゃお~♪」


 いる? と、差し出してみるけど、なくなっちゃうからまた後でね、と笑顔でやんわりお断りされる。




 燻製には風乾という工程がある。風にさらして落ち着かせるのだと認識しているが、その間はまたちょっと暇だ。


 どうしてようかと思っていると、悠一郎さんが机に向かって紙とペンを執り出した。


「お絵描き楽描き私もやるー!」


 グラスを傾けながらさらさらと描く彼を見て、私も何かお酒を飲もうと思った。梅酒? ウィスキー? うーん。


 きょろきょろと部屋を見渡す。ふと、棚にあるカシスリキュールが目に入った。冷蔵庫に、スパークリングワインを冷やしてあったのだと思い出す。そうだ!

 いろいろと思い立って、燻製箱から出来立てのベーコンを手に取り、1階に降りる。



 炊飯器の蓋を開けてご飯があることを確認してから、まな板と包丁を取り出し、フライパンをコンロに乗せ火を点けた。

 まだ温かいベーコンをまな板の上、正面に据えて、出来るだけ薄くスライスしていく。中までは火が入っておらず柔らかい肉質は、なかなか上手く薄くなってはくれない。しかし、厚切りのベーコンも美味しいので、それはそれで良しとする。


 程よく熱したフライパンにベーコンを並べて、片面を焦げ色が付くまで焼いたらひっくり返す。ぱちぱちと脂が跳ねる。自身の脂でこんがりと揚げるように焼ける。良い匂いがして思わず唾を飲んだ。

 円形に並べ直し2つ場所を作ったら、そこに卵を割り落として中火くらいにする。


 透明な白身が濁って来たらフライパンの縁にひと回し水を注ぎ、すぐに蓋をする。蓋越しにぐつぐつと沸騰する鈍い音と振動が伝わってくる。

 その音が、少し乾いたかりかりという固い音に変わって来たら火を止め、待つこと暫し。


 燻製香る自家製ベーコンエッグの完~成~! 固さはお好みで。わたしは半熟が好き~♪


 大きい平皿に、洗って適当にちぎったレタスを敷く。そこに2人分のベーコンエッグを盛り付けて、軽く塩胡椒する。


 ご飯をお茶碗によそって、箸と飲み物用に背の高いガラスコップとスパークリングワインのボトルをお盆に乗せる。あ、別の器に氷も。




 料理を乗せたお盆を手に2階に戻ると、悠一郎さんはまだ黙々とお絵描き中だった。机の上には十数枚もの紙が散らばっていて、そのどれもに様々なキャラクター、構図が描かれていた。

 うーん、凄い集中力だね。



 悠一郎さんの前にあるステンのマグカップに氷を半分移す。


「お、ありがと〜う」

 お礼を言って机の上をささっと片付けてくれる。

 無造作にまとめられて傍らに積まれる楽描きの紙。彼は自分の描いた絵にさほど執着しない。これ、そのうち捨てちゃうのよねー。

 勿体無いから気に入ったやつを後で貰っておこう。



 ウェットティッシュで机を拭いたら料理とグラスを並べる。


「やぁ~美味しそうだねぇ! 千子さんは何飲むの?」


 そう聞いてくる悠一郎さんに、にっと意味深な笑みを送って棚からカシスリキュールを持ってくる。


 ワインの栓を、噴き出さないように気を付けながら慎重に引き抜くと、ぽんっと小気味よい音を立てて軽く煙が立った。

 コルクに鼻を近づける。甘酸っぱい良い香り♪


 グラスの半分くらいまでスパークリングワインを注ぐ。しゅわしゅわと音を立てて小さな泡飛沫あわしぶきが散る。


 次いでカシスリキュールをグラスの縁から静かに流し入れると、少し緩やかに歪みながら落ちていった。底に溜まったガーネット色から僅かにシャンパンゴールドへと滲む。


 キールロワイヤル。それがこのカクテルの名前。


 昔、友達の誕生日会を家でやった時に、弟の友人が作ってくれたお酒だ。わたしが唯一、昔から作り方まで知っているカクテル。ちなみにその当時まだ高校生だったのは、まあご愛敬である。

 スパークリングワインとカシスをだいたい7対3で作る。改めてレシピを調べたら分量はまちまちだった。白ワインで作るとキールと呼ばれるカクテルになるらしい。わたしは勿論、甘めで作った。


「凄~い、綺麗だねえ! 二層に分かれてる!」


 悠一郎さんが珍しく身を乗り出してグラスを眺めてくる。


「糖分が多いから沈むんだよ! 比重の違いだね!」

「千子さんは色々なことを知っているねぇ」


 どや顔で説明するわたしの言葉も、ニコニコと聞いてくれる優しい彼氏に、今日もたくさん感謝する。


 ステンマグにウィスキーを注いだ彼と乾杯をして、熱々の特製ベーコンエッグに箸を入れる。とろりと半熟の黄身が流れ出て広がった。

 ベーコンをひと口大に切り黄身を絡ませ、白身とレタスと一緒に口に運ぶ。

 シャキッとレタスに濃厚なベーコンの脂身肉と黄身が、白身が、燻製の香りと混ざり合う。口の中いっぱいに美味しいが溢れて、ご飯も一緒にもぐもぐと頬張る。


 あああぁ美味しい! 市販のベーコンだってもちろん美味しいけど、この出来たて自家製のベーコンの美味さったら!

 自分で作ったという達成感、満足感も相まって美味さもひとしおである。



「いや〜美味いね! 安定の美味さだよ〜!」

「美味しく食べてもらえて何よりだの〜♪」


 美味い美味いと食べる悠一郎さんを眺めながら、またベーコンエッグとご飯を頬張る。


 もぐもぐしながらずっと彼を見ていたら笑われてしまった。


 あっという間に食べ終わり、食器を1階へ片付けに行く。悠一郎さんもついて来て一緒に洗い物を片付けて2階に戻る。



 お絵描きしようと思ったけど描きたいものが思いつかないし、おとなしく燻製を片付けることにした。

 全て箱から取り出して綺麗に並べる。写真を撮って、燻製完成! と、SNSにアップする。これも、もう、いつもの事。



 チーズはラップに包んで元の箱に戻す。ベーコンは、クリスマスプレゼントに彼から貰った真空パック機で包装する。半分は冷凍しよう。


 1番大変なのがマヨネーズ!


 バットからボウルに移してヘラで滑らかになるようによく混ぜる。で、何かプラ容器か瓶にでも詰めれば良いんだけど、わたしの場合は利便性を考えて元のマヨネーズ容器に戻してしまうのである。

 馬鹿じゃないの? ってちょっと自分でも思いながらやってる。でも全部綺麗に容器に戻せると気持ちいいんだよね!

 使う時に出しやすいし、もちろん保存性も良いし。それに、頑張って容器を潰したり膨らましたりして吸ったり、ヘラで押し込んでみたりしてるとけっこう楽しかったりするのだ。

 オススメは、絶対しない……。


 そうそう、マヨネーズはおすそ分けで送る用に1つ、ラッピングするのも忘れちゃいけない。こちらは流石に、100均で売ってる丸っこいプリン容器に詰めた。包装して小箱に詰めれば可愛いものである。



 食材を全部包み終わって、燻製箱の棚にある網や、スモークウッドの受け皿にしている古鍋などを洗って干す。

 早朝から始めて、全て片付け終わるのには、早くても丸々1日かかってしまう。のんびりやっていると片付けなど翌日に持ち越したりもする。

 我ながら気の長い趣味だ。




 部屋の中はスモーキーな香りで満ちていた。日はとっぷりと暮れ、涼しい風が網戸越しに入ってくる。

 干していた燻製網とその他燻製道具を燻製箱の中に仕舞い込み、ビニール袋でしっかり覆って縛り部屋の隅に追いやる。

 また取り出すのは一か月後か二か月後か。寒い時季なら二週間に一度くらいのペースでやるのだが、暑い時季は食材が傷みやすい。それに、温度が上がり過ぎるので出来ないものもある。


 時間もかかるし制約もあるが、美味いものを自分好みに、自分の手で作り出せるという実に充実した良い趣味だ。晩酌も進むというもである。

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