前飲みのススメ


「終点、上野~上野~。車内にお忘れ物等ありませんよう……」



 ゆらゆらと心地良い微睡まどろみから、車内アナウンスと人々のざわめきでゆっくりと覚醒する。車窓からの足元を照らす陽射しは強く明るい。歩く人々の濃い影が視界に映る。

 居心地が良いとは言い難い座席に、うずくまって丸めた背中と首が少々痛かった。


 ローカル電車を乗り継いでのんびり揺られること1時間弱。


 ホームに降り、人の列かられて階段脇でのびをする。短時間ながら座って仮眠が取れた事で多少なりとも睡眠不足が緩和された。

 小さい身体をしっかり起こして、さて、行きますかね。


 お気に入りの白と灰のしましまワンピースに肩掛けバッグを提げて、愛用の木の簪で髪もくるっとまとめ上げた。気分は上々。

 肩掛けとは別に、手提げには自分で漬けた梅酒と自家製の燻製おつまみ各種が入っている。


 今日は飲み会&音楽ユニットのライブを観に行く日! ばっちり取った有休を存分に遊び倒すべく。


 準備は万端整っている!



 世間はプレミアムフライデー。時刻はもうすぐ11時。いつもならライブ自体は夜からで、先行物販の時間ぎりぎりに並びに行く。

 今日はさらにそれよりも早い時間、存分に飲んで食べて良い気分で行こう、という計画なのだ。


 照りつける日差しは強く、流れる風も熱気を纏って身体を撫でて行く。

 真夏の上野に降り立ったわたしは、意気揚々に人混みへと繰り出した。




 改札を抜け不忍口しのばずぐちを出て目の前の、広い横断歩道を渡ると、アメ横商店街の入り口がある。飲食店、雑貨屋、ゲームセンターや洋服に靴に露店もたくさん。海産物を売っているお店は店頭で鮪の頭を焼いていたりして磯の香りが漂っていた。

 アメ横に来るとついつい買いたくなるパイナップルを割り箸に刺したやつ。冷たく甘くてジューシーで美味しい!


 でも今日は眺めるだけで我慢して、目的のお店まで一直線。


 そのお店は、お酒も飲める魚屋、とうたうオープン立ち飲み屋。

 店頭に広いひさしがあり、その下にテーブルを並べてあって、そこで飲むスタイルだ。正面の壁に魚や詩などの本がディスプレイされている。天井には紐が渡されており、お酒の名前が書かれた紙がピンチに挟まれて吊るされていた。

 表には氷が詰まったスチロールの箱。牡蠣や蟹、お酒の瓶などが詰められて、魚屋さんらしい雰囲気だ。春に来た時は店の真ん中にどーんと八重桜が生えているかのように置いてあった。


 ここ数年、上野に来ると必ずと言っていいほど立ち寄るお店だ。

 まだ開店直後でお客は無く、店先で見覚えのある長身のお兄さんが呼び込みをしている。


「こんにちは~」


 見上げながら声をかけると、「お! どうも! お久しぶりですー」と笑顔が返ってくる。


「お独りですか?」

「いえ、後から3人ほど、待ち合わせなんです」

「わ~かりました、ではでは奥の方どうぞ~」


 ちょっと軽い感じのノリが良いお兄さんは、そう言ってショットグラスのお水と共に席を案内してくれる。


 頑丈な丸太を縦割りにした、分厚い木のテーブルの下は荷物置きスペースで、プラの箱が無造作に置いてある。手提げだけ置き、とりあえずお水を口にする。

 メニューは魚中心でお酒とのセットもあり、だいたい500円か1000円と勘定しやすいのだ。ちなみに前払い制で、頼んでしまえばあとは出て来たものを楽しんだら好きな時においとま出来るのも魅力である。


「今日ってモウカありますか?」

「ありますよ~」


「じゃあモウカと純米大吟醸の何かオススメお願いします! 甘いやつ!」

「わ~かりました〜1000円ですね! 少々お待ち下さい」


 注文と同時に会計を手渡す。にっこりと笑顔を残して店の奥に通しに行くお兄さん。すぐに一升瓶とショットグラスを持って戻ってくる。

 

「店長おすすめ純米大吟醸のにごりです」


 説明しながらグラスの縁ぎりぎりまでお酒を注いでくれる。表面張力で盛り上がった薄白色うすはくしょくの液体が、あふれそうに揺れていた。

 ここのお酒はいつもこうだ。口で迎えに行ってあげるのである。

 そろりとすすり口に含むと、お米の香りと軽やかでこくのある甘さと、ほのかな酸味が広がった。

 好みを言えば良さそうなお酒を選んでくれるのだ。日本酒好き店長のおすすめだけあって流石に美味しい。


 ほどなくして、簡素なスチロール皿に盛られた、赤い生肉のおつまみが目の前に置かれる。


「お待たせしました、モウカです」


 モウカの星。そう呼ばれるこのメニューは、モウカザメの心臓の刺身なのだ。

 わかめの上に赤桃色に艶めくモウカの心臓の薄切りが並べられ、胡麻油がかかっている。見た目は生の鶏レバーのようできめが細かい。

 添えられたすりおろしのにんにくと塩でいただく。


 臭みもなく優しい磯の風味、驚く程に癖がない味とは対照的に歯応えある、しかし柔らかく滑らかな食感。ものによっては少しこりっとした感触があり面白い。

 にんにくの風味も良く、胡麻油と塩は反則的な組み合わせだ。ポテチが美味い理由である。つまり油と塩で美味くならないわけがなかった!

 この店でお気に入りの、素晴らしいメニューの一つだ。


「ん~美味しい! やっぱり不思議な食感だなぁ」


 誰にともなく感想が漏れる。


 お酒を飲み、モウカを口に運ぶ。わかめも塩と胡麻油で食べる。美味しい。美味しい美味しいと交互に口に運びあっという間にグラスは空になった。


 自慢じゃないが、わたしは甘いお酒しか飲めない。そしていつも2口目以降があまり美味しく感じられなくなるのだ。なんというか、甘さを感じにくくなるようなのである。

 日本酒ならそう、それこそ水のようにすっと入ってくるようなものが良い。カクテルや梅酒ならより甘いものを求めてしまう。だから自分で漬けてしまった方が早い。


 わたしはお水を半分だけ飲み干すと、テーブル下に置いた手提げからルビー色の綺麗な液体が入った、750mlのラベルが無い瓶を取り出した。


 このお店のもう一つ個人的に素晴らしいと思う点は、大々的には言っていないが持ち込みもOKである事だ。好みの範囲が狭いわたしにとってはとても有難い。飲み屋さんに限らず、飲食物の持ち込みが可能なお店というのはあまりないと思う。


 アルミキャップを開けてグラスに注ぐと、ゆっくり底に沈み、もやもやと水に混ざり合う。そのさまでどれ程の糖度であるかがうかがい知れるであろう。あ、これ笑うところだよ? 自分で漬けるから氷砂糖をたっぷりと使うのです。通常レシピの軽く倍くらいは使っている氷砂糖の甘さは、お酒なら大抵なんでも好きな彼氏がドン引きするレベル。


 これは約1年ほど前に赤ワインで漬けた梅酒。梅は香りが強く華やかな南高梅なんこううめを使用したもの。赤ワインは酸味も渋みも強くて苦手だけれど、梅と氷砂糖を漬ける事で渋みが無くなり甘くまろやかに美味しくなる。


 綺麗な赤紫色に透けるグラスを眺めながら、そろそろみんな来ないかなぁと思っていると外から声がかかった。


「やぁ。ちょこちゃん、お久しぶり~」


 見れば、ぽっちゃり癒し系眼鏡男子が、軽く手を上げながらのんびりと歩いてくる。その後ろから女性が2人顔を覗かせる。


「おー! にったん! ミコりんもお久しぶり~!」

「ちょこさ~ん! お久しぶりです~!」

 語尾にハートが付きそうな調子で元気に抱きついてくるミコりん。

 ショートの髪は栗色に染めて、パンツルックに身を包んだボーイッシュな彼女。


「そしてyumoさん、はじめましてですね~!」

「はじめまして。SNSではよく絡んでもらってますね、ありがとうございます」

 こちらは大人の女性の立ち居振る舞いで、装いもシックに纏めている。


 それぞれに挨拶を交わしテーブルに着いた。にったんが目の前で右隣に落ち着いた雰囲気のyumoさん。わたしの左隣にお化粧ばっちりのミコりんだ。

 皆ライブ仲間で、SNSで繋がっている。


「アラサー女子に囲まれるアラフォー男の図」

「あたしまだ20代ですけどー?」

「両手に華で感謝してくださいね」


 おちゃらけるにったんにジト目で抗議するミコりんと、にっこり笑顔のyumoさんにわたしは声を上げて笑ってしまう。


「注文しちゃって~! はい、メニューこれね! 牡蠣あるよ! 生牡蠣!」

「あ、私は牡蠣ダメなので皆さんでどうぞ」


 メニューを見せると、yumoさんが申し訳なさそうに断りを入れる。


「お~う! そうなのか~! そんなyumoさんには自家製の燻製あるから出しますね~モウカもあるよ、わたし先にいただいちゃった!」

「え、自家製ですか!? ありがとうございます」

 言いながら早々に燻製ナッツを取り出すわたし。


「モウカ良いね~頼もう頼もう」

 のんびりとした調子で笑顔のにったんがメニューを眺める。


 呼び込みをするお兄さんを手招きし、1人は生牡蠣3つとお酒のセットで1000円なのでそれを。あとはわたしオススメの馬肉のぬた、オーロラサーモンの生ハムとにったん希望のモウカの星、2人分のお酒を注文する。

 店内は数組の客が案内されて活気立ってきていた。



 ショットグラスに一升瓶の、なみなみと注がれたお約束のお酒が出揃ったところで乾杯をする。

 勿論、持ち上げられないのでみんなひと口飲んでからだ。


 暫くするとのっぽの兄さんが注文の品を運んでくる。


「あいよ、生牡蠣3つと馬肉のぬたにモウカお待ち。サーモン生ハムは、もうちょいお時間ください」


 テーブルに所狭しと並べられた肴たち。ぷっくりと身の張った生牡蠣にはレモン氷が輝き、赤に酢味噌を纏って桃色に濁る馬肉の美味しそうなことと言ったら! いや、美味いんだよ!


「いただきま~す!」

 言うが早いか、思い思いに箸をのばす。


 わたしも早速、生牡蠣を。適度な弾力を持った白い身に歯を立ててぷつりと噛み千切れば、とろける濃厚な牡蠣の味。滑らかに喉に落ちていく。

 海のミルクと呼ばれるのは栄養価だけの話じゃない! どうよこのクリーミーさは!

 新鮮で良い牡蠣だということは、生臭さを一切感じさせず、口にした時のその豊かな風味で十二分に理解できる。

 レモンの酸味が少しのアクセントを加え、より美味しさを引き立てている。


「モウカはやっぱり美味しいねぇ。胡麻油とにんにくがにくいやね」

 眼鏡の奥でふにゃりと目尻を下げて頬張るにったん。


「馬肉のぬたも初めて食べたけど美味しいです~!」

「癖が無くて食べやすいですよね。さっぱりしてる。この酢味噌がまた、酸っぱ過ぎず絶妙に美味しいですね!」

 ミコりんもyumoさんも満足そう。


「ね! 美味しいよね~」

 わたしもその柔らかな肉をもむもむと咀嚼する。すぐに口の中から無くなった。


 少し遅れて運ばれてきたオーロラサーモンの生ハムは、ローズマリーを使用しているとのことで、口にすると爽やかにふわっと華のある香りが広がる。絶妙の塩気は棘がなく適度な濃さで、ねっとりと絡みつく身質は歯も舌も、喉をも楽しませてくれる。

 これはまさに肴になるために創られた逸品としか言い様がない美味さだ。


「これも美味しいですね~!」

「いや~美味いね。美味い。美女にも囲まれて酒も美味い!」

「にったんのお肉も美味しいと良いね~」

「二田水さんは食べられませんよ」

「ちょっ! 本名! あ、俺、自分で言ってたわ」


 気の合った仲間同士、冗談も弾むしお酒の楽しさに盛り上がる。



 自分が美味しいと思ったものを、同じく美味しいと感じてもらえるのはとても嬉しい。味の感じ方は人それぞれ。好みの話にもなってくるし、どう美味しいかはその人しかわからない。


 それでも、美味しいということが一緒だと嬉しい。

 嬉しいとテンションも上がってくるし饒舌にもなる。もともとおしゃべりではあるけどね。


 そんなことも話しながら。楽しい前飲みの時間は過ぎて行った。







 終電の座席に荷物と共に腰を下ろす。昼間の熱気を残した空気と、緩い冷房の風が混じって肌を撫でられる。


 少し軽くなった荷物を膝の上に抱え、一日を振り返る。ライブ後にも飲み会はあったが、前飲みの楽しさの方が勝っていた。


 前飲み途中で独り抜けて飲みに行った2件目では、頼み過ぎた肴をカウンターで見知らぬおじさんとシェアし話が盛り上がった。

 マフラーみたいなのをねじねじしてるあの某芸能人にちょっと似てた。本人には言わなかったけど。

 独り飲みだとこういう出会いがあるのも面白いなと思った。


 時間通りに入場したライブ会場では、前飲みした人とはまた別のライブ仲間と一緒に、客席後方中央で。少し押した開演時間まではのんびりと談笑。

 まだお酒が残っていたようで身体全体が少しうわついていた。

 大好きなアーティストの近くで、気の合う仲間と。酒に揺れ、音に揺られて良い気分でライブを楽しむ事が出来た。


 正直、滅多に酔わない、すぐ醒めると豪語している私だが、最近はお酒ではなく場の雰囲気に酔えるんだなぁと実感する。そんな時は普段苦手な辛口のお酒でも美味しく飲めるから不思議だ。

 酔いを引きずったままにライブを楽しむと、ふわふわと夢見心地になれるのでとても気持ち良い。これはしばらくハマりそうだ。



 目を閉じて今日一日に想いを巡らせているとやがて地元の駅に着く。終電に加え田舎駅なので人影は殆どなかった。

 改札を出てロータリーに向かう階段を降りる。立ち飲みにライブと一日歩いたので脚がくたくただったけど、楽しい余韻で幸せでしかない。



「や~千子ちこさん、お帰り。楽しめたかい?」


 車の中から笑顔で出迎えてくれたのは彼氏の悠一郎ゆういちろうさん。

 電車の時間を連絡していたのでばっちりの時間に待っていてくれたようだ。さすが出来る男!

 私の名前は飯野千子、35歳。酔わないお猪口でも気分はヨイヨイ♪


 飲みとライブの楽しさに加え大好きな人のお迎えに、テンションが上がったわたしは身振り手振りも大袈裟だ。

 助手席に乗り込みながらシートベルトを締めつつ今日の出来事を語る。


「いやー楽しかったよ~! ライブもだけど、前飲みで途中単独行動だったんだけど知らないおじさんと意気投合しちゃって、あ! 結局行きたかったお店一軒行きはぐっちゃった、おでん食べ放題! 悠一郎さんは何食べた?」


「千子さん、今ひとつの吹き出しの中で随分喋ったね」

 ニコニコと笑顔を崩さぬまま、即突っ込みを入れる悠一郎さん。


「俺は遅めのお昼食べてからまだ食べてないんだ。千子さん、お腹の空き具合はどうですか? 良かったら帰って飲み直しましょうよ。唐揚げ揚げるよ」

「わ~い! 食べる~飲む~♪ もうすっかりお酒抜けちゃったもんね! っていうかもっとお酒廻る酔える体質に生まれたかったよ!」


「さっすが、酔わない千子さん」

「まあね~」


 このドヤ顔である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る