2.新聞部
「事件」
――キーボードを叩く部員の手が一瞬止まり、声の主へと視線は注いだ。
「じ・け・ん」
強調して繰り返したが、部員はむしろ呆れた顔をしている。
「事件事件事件事件事件事件」
「副部長、手動かしてください」
部長の
「動かす?」
カチンときて、十束を睨む。
「ネタもないのに? どうやって記事書けっての、私たちって創造主だっけ? “事件あれ――そこに事件があった”?」
「ネタはあるんです」
「いやいやいやいや」
力の入ってない手を顔の横で振ったが、十束の顔は真剣なまま、副部長の顔を見据えていた。それを確認してまた同じように、
「いやいやいやいやいやいやいや」
と手を振った。
「たしかに、羽原副部長の望むような、でっかい事件はないですよ」
でしょー?! と言いかけた羽原を「でも」と掌を立てて制した。
「——でもですよ。それでも日々のなかに、小さい事件はあるんです。あるんだから、それを拾ってください」
「ボランティア部の環境美化じゃないんだよ」
「そういう小さな記事が街の美意識をつくるんです」
十束の言葉を鼻で笑い、
「そんなちまっちまちまっちました記事を誰が見るの誰が。もっと、んっ! ばーんとでっかい目玉記事があって初めて新聞部の存在が注目されるんじゃない」――そもそもそんな毒にも薬にもならない記事だけでやり過ごそうって魂胆が気に入らないの新聞発行だけしてればオッケー♪ じゃないでしょ! もっと自己言及的かつ批判的にだよ活動はあるべきだしそれじゃないと誰も見向きもしないただの自己満足! 実際いまの新聞部はまさに自己満足的で一応新聞作ってますって体裁繕ってさ廃部を免れる口実作りに徹してさ節穴どものクラブ活動活性表とかいうくっだらないシステムすり抜けるためのそれだけの記事でしょ?! スッレスレの低空飛行を打開の兆しもなしにだらだらだらだら続けてるだけ! それのどこに喜びを感じてるの?! あんたらそれでみんな満足してるの?! してるってんなら意味不明だししてないんだったらもっと活動を見直して充実を図ろうよ! それがほんとうの活性化でしょ?! ――殆ど一息にまくしたて、息を荒げる羽原の肩を、十束が叩く。
「羽原さん、あなたのその情熱には正直感服してます。ただ、ただね。再三繰り返してることだけど――それがために風紀が部の動向を警戒していることも考慮して、しばし穏健にやっていくって話もしたし羽原さんもそれに――」
「バッ――」
「部長、風紀の話は火に油……」
「――ッキャロー!」
「きょうは店仕舞いだな」
パソコンをシャットダウンしながら雉谷が立ち上がる。
「帰ろ帰ろ」
「おおい新入部員、記事はフラッシュメモリに保存しとけ。副部長に全部消されるぞ、忘れずに持って帰れ」
部員たちは口論が苛烈を極めていくふたりを背に、足早に部室をあとにした。
「むかつく」
眼をギラギラさせて羽原はひとり廊下を歩いていた。部室を飛び出してきて、まだ口論で煮えたった腹は冷める様子がなかった。くちの中で鬱憤が罵倒になってわだかまっている。十束の穏健な方針を覆すには、大きなネタを物にして新聞にするしかないと考えて、そのネタを仕入れるために校内をうろついているのだ。
「そもそも、十束のバカを筆頭にいまの新聞部は足を使わなさすぎる。スマホいじったってうちのこと書いてるはずもないのに、部室で呑気にネタ探しして、生徒の暇潰しのために新聞作ってるとでも思ってるんじゃない。子供だましのネタに笑ってるほど暇じゃないんだよ、生徒も私らも」
窓から校門に視線を投げると、部員の姿がちょうど見えた。数人が束になって帰っていく。
「通り魔じゃないんだよ、なに集団下校してんだあいつら」
ぼそっと声にすると、燠火になりかけていた憤りがまた爆ぜた。と思うと一気に炎上した。抑えられない気持ちで乱暴に窓を開け放ち、
「なにがしたくてお前ら部活やってんだボケー!」
爆音に彼らの肩がビクッと跳ねあがった。が、校舎に振り返ることはなかった。——むかつく、むかつく、むかつくと歯軋りしながら窓を閉めロックをおろし、階段を降りていった。
「いまの声、あんた?」
踊り場に現れた男が羽原を見上げていた。
「だれ」
男を見下ろしながら、苛立ちと警戒心とで眉間にしわが寄る。
「一年の飯田。新聞部の羽原副部長ですよね」
「そうだけど」
「風紀に目をつけられてるっていう」
「初対面の先輩に失礼ね飯田くん」
「部室から声が聞こえたもんで」
「忙しいの、冷やかしならどっか消えてくれる」
「いや、ネタを提供しようかと思って」
「――ネタ?」
羽原の表情が変わる。
「そう、ここではなんなので、場所変えませんか」
「わかった。ひとの時間を奪うんだから詰まらなかったとき、どうなるか承知してるんでしょうね」
「まあまあ、外行きましょう」
「文芸部?」
上着のボタンを外しながら羽原は腰かけた。ふたりのほかに客のいない喫茶店。
「そう」
向かいに座った飯田が返す。
「俺は部外者だけどね。寺井ってやつが発起人」
「待って、どういうこと。文芸部はもうあるでしょ、ただの入部って話をあんた勘違いしてんじゃない」
「一応俺も一枚噛んでるから」
「なのに部外者なの」
「そう」
飯田は胸のポケットから、折り畳んだ紙を取り出し、羽原の前に広げた。
「申請書?」
――文芸部の腐敗は著しく看過するに耐えないものだ。それは部誌『火矢』だけを見ても明らかだ。にも拘わらず、部員は勿論のこと風紀委員会、教師連中まで見渡しても、これを指摘する者はいない。現状をみるに、文芸部に留まらず校内全域において腐敗は蔓延しているらしい。文芸部においては、「文芸」を名乗るのもおこがましい惨憺たる状態であり、部内からの再建を図る時期はとおに逸していると判断した。誰かこれを断罪しなくてはいけない。よって、第二文芸部を設立したいと望む。第二文芸部は活発に活動する。第一に独自の部誌を発行し、批評空間を構築する。第二に文芸部の腐敗をその苛烈な批評活動によって壊滅させ、正当で唯一の文芸部となって優れた文筆家を輩出していく組織になっていく。
文章は罫線を無視して裏面にまで続いていたが、羽原は読むのを中断した。奇妙な揺れをもった、しかし揺れには規則性のある、不気味な印象を与える字体をしている。
「いや、通らないでしょ」
へえ、と飯田は感心した。
「羽原先輩でもそういう判断ってできるんですね」
「あんたバカにしてんの」
「いや、先輩にも同じものを感じたので、まさかその口からそういう言葉が出ると思わなかっただけで」
「おもてへ出るかこら」
「殴り合いはしません」
「殴り合わないでいいのよ一方的に殴らせてちょうだい」
「ご勘弁」
飯田は恭しく頭を下げた。
「でも、いいネタじゃないです?」
顔をあげて羽原の目を見た。
「もちろん、このままではまさか出していません。俺が丸い表現に訂正して、健全な部活動の申請として提出しました。寺井は不服そうでしたが、事がまだ小さいうちに消失するのは彼も本意ではない、俺も楽しめませんし」
羽原がじとっとした目で飯田を見る。
「性格歪んでそうねあんた」
「そうですかね」
飯田は飄々としている。
「人に転がされるのは嫌いなの」
「まさか転がしませんよ。俺が手を貸すのはこれっきり、部が発足するまでのあいだの期間限定で。あとは勝手に転がって周りを巻き込みながら大きくなっていくだけです。俺、部外者だから」
「……これ、貰ってもいい?」
「どうぞ。でも、しばらくはポケットにしまっててください。先輩が公表したらその時点でおしまい。ネタは風紀に渡って反乱の若芽を摘むことになり、しょぼい記事だけが残ることになります」
「わかった」
羽原と別れた飯田疾平は校門まで戻り、腰を下ろしていた。寺井が現れるのを待っているのだ。
「長引いてる」
羽原を外に連れ出した理由のひとつには、話の内容や寺井版申請書のことが、審査する側の者に万一にも漏れることを危惧したため、というのもあるが、本来の目的は、羽原が単独でこの事態を嗅ぎ付けることを恐れたためだった。動向が新聞部にばれるのは問題ではなかった。が、このタイミングで、加えてきょうの彼女の気迫でこの一件に遭遇したら、どんな行動に出るか火を見るより明らかというものだ。風紀にマークされた羽原の後方射撃は、風紀の脇を掠めて第二文芸部に当たるだろう。それならいっそ、ネタは提供して口止めしておいたほうがマシだと考えたのだった。
羽原は飯田の話で気が紛れたらしく、そのまま帰っていった。あとは寺井がうまく風紀に判を捺させるだけだった。
「……うまくやってくれてるといいけど」
羽原と寺井には似たところがある。自分の信条とするものに背を向けない、強情さと言い換えてもいい。ときとして……いや、往々にしてそれが周囲との衝突を招く。その剛直さゆえに狡猾な発想を持ち合わせない彼らのような者を自己実現させるには、周囲の者がその狡猾さ、柔軟性を補う役回りを担う必要がある。
「今回は迷ったな。羽原先輩を欺くべきか、寺井の援助にあたるべきか」
羽原を選択したのが正しかったのか、飯田にもまだ判らなかった。
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