失言工房
湿原工房
序章
1.申請書
「委員長、部活の申請出てるんで、見といてください」
相田瞳が風紀委員会室に入るなり、松村が席に伏せられたB5用紙を指して彼女に言う。カバンをおろしながらもう一方の手でそれを掬い上げる。
「第二……文芸部?」
お世辞にも読み易い文字とは言えなかった。奇妙な揺れがあり、居心地の悪い気分にさせる――にも拘わらず、揺れには規則性があり、それだから一層奇妙な感覚をもよおす文字だった。
「文芸部ならもうあるじゃない、部員が多いってこともなかったと思うけど」
「僕に言われても。そこに書いてあること読むか、本人に聞くかしてください」
松村は苦笑いしながら首をすくめた。
――部 名
第二文芸部
――代 表 者
1年B組 寺井学
――構 成 員
1年F組 飯田大輔
1年B組 多田正
1年A組 森野明
――活動内容(具体的に)
部名の通り文芸活動を主とし、
小説等執筆、部誌発行し作品
発表の場を設け、また既存の
文芸部との競合関係を構築す
ることにより、批評空間を形
成し、相互に活動を高揚する
ことで、より精神的豊かさを
育てるとともに、活動の意義
を深める。
……
「これ、今ある文芸部内でできないこと?」
「と、言われても」
紙面から視線を上げた先で、松村はやはり首をすくめて苦笑いを浮かべた。活動内容をまた一瞥しながら相田はわずかに沈黙したあと、また松村を見た。
「この寺井って男子、まだ残ってるかな」
知る由もない松村はどうでしょうとしか言わなかったが、それも聞かないうちに相田は廊下に消えていった。
「……荒れるやつ?」
棚の資料を整理していた國脇が手を止めて、ぴしゃりと閉められた戸に目をやった。
「わかんね」
言葉を返しながら松村は立ち上がり、申請書を拾い上げる。
「実態、委員長が言ったように、いまある文芸部内でやってくれれば済む話だし、むだに部活動が増えてもねえ――」
「その寺井って生徒、文芸部に所属してたみたいだね」
國脇が棚から取り出した部活動関連のファイルを捲って言う。
「退部届が3日前に出てる」
「揉め事」
「噂は聞かないけど」
「文化系の、それも小さいクラブだし、些末すぎて話題性にも欠けて、——ま、広まらんよな」
申請書を委員長の席に戻し、文鎮をのせて、それに目を落としたまま松村はなにか思ってる風にわずかに静止したあと、
「部活の申請って、あるんだな」
とこぼした。
「そりゃあるでしょ。まあ俺も知らなかったけどさ、却下された申請の数は思ったより多いんだね」
と國脇は過去の申請書の幾つかを見て言う。
「去年なんかはオカルト研究、落語研究、郷土研究、宗教ってのもある」
「宗教」
「まあ研究会。既存の諸宗教を研究して、対外的には偏見と偏重のない宗教理解を推進するって感じ」
「フィールドワークしてるうちに取り込まれたりして」
「そういう懸念はあったのかもね、却下された理由に。申請者からしたら、その意見自体偏見かもだけど。部外で特定の宗教信者の生徒との衝突を恐れたとか。それか建前はこうだけど、実際は特定の宗教の末端活動の疑いをかけられたとか」
「建前と実態のギャップはどこでもあることだしな」
「公式には認められてないけど、潜在的な同好会的集まりも校内にはあると聞くし、もしかしたらこの却下された部も実質的には存在してたりして。おもて立った活動が見えない分、うちらとしては逆にやりにくかったり」
「逆に公式より活発だったりして、健全かどうかは知らんけど」
「――どうなるかな、今回は」
「さあ」
「雑談終わったならちょっと手伝ってね」
黙々と雑務を処理していた八重野が静かに言った。
「寺井って男子いるかな」
教室の戸を開けて相田が言った。教室には数人の生徒がまだ残っていた。
「もう帰ったんじゃない」
と、ひとりが言う。
「あれのこと? 部活」
机に腰を掛けて雑談していたらしい。
「そう、あなた連名した誰か?」
「いや違うけど、話は」
「そう、どんな話」
「あれでしょ、文芸部つくるんでしょ」
「そうだけど、文芸部はもうあるのは知ってる? もうひとつ文芸部をつくるって言ってるのね。ちょっと意図が掴めないし、むやみに部活が増えるのは良いこととはいえないじゃない? それで、いくつか質問したかったの」
「そう。あしたまた来るか、呼び出すかしてよ。変なやつだけど、面白いやつだよ」
「ありがとう。えっと」
「飯田」
「ありがとう飯田くん、あした話してみる」
と相田はきびすを返しかけたが、はたと申請書を思い出して踏み留まり、また言葉をついだ。
「あれ、飯田くんって連名にいなかった?」
「ああ、あれはいとこ。俺は疾平、あいつは大輔」
「なにか聞いてない?」
「いや、特には」
「そう、ありがとう。あと用が済んだら放課後は速やかに下校するようにねみんな」
そう言って相田は教室をあとにした。
「どうなるかな」
「俺、おまえほど変なやつではないぞ」
「程度の問題じゃなくってさ」
飯田は背後で突っ伏していた寺井は起き上がった。
「なんで隠した」
「出し惜しみしたほうが面白いじゃない。主役は最後に登場、って。演出演出」
「意味のない演出」
「いいのいいの。ややこしくなったほうが楽しいんだから。それに事態が発展しないうちに鎮火されちゃったら、もともこもないからね。俺が書き直さなかったら、申請書の時点で却下食らってるよ。設立までは手伝ってやるから、おまえは静かにしてるの」
「勝手」
「知ってるでしょ、そんなこと。野次馬だもん、事件を作っていくのはおまえら」
飯田はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ごめん遅くなっちゃった」
上履きから靴に履きかえながら、柱に身を凭れかけた来夏に声をかける。ふり返った来夏は相田に微笑した。
「お疲れさま。風紀委員大変そう」
「大変だよ」
爪先をとんとんと打ちながら、来夏のほうへ駆け寄った。
「慣れたかなって思ったらまた知らないことができるんだもん。行こっか」
相田の袖が触れると来夏も足を動かした。
「新作できた?」
相田が尋ねる。
「現像してみた、けど、んー……イマイチ」
と来夏は臆病そうに笑った。
「見せて見せて」
「恥ずかしいな」
鞄に手を入れて、入れたまま出し渋ってもじもじしている。
「いいじゃんいいじゃん、いつも見てるじゃん」
相田がさらに押すと、来夏はおずおずと鞄から腕を抜き出した。手に何枚かの写真を持っている。
「え、おお、人物?」
「そう、ちょっと、撮ってみた」
何かをごまかすように笑う。
「えー、いいね」
日が落ちてうす昏いなかに、ぽつりぽつりと立っている外灯のひとつに来て止まる。
「野球部だ」
「人前でカメラ構えるのもだし、人にカメラ向けるのもちょっと恥ずかしかったから、なんとなくそれが出ちゃってるよね。ほらこれ、ぶれてる」
「そうかな、いいんじゃない。いいと思うよ」
「……そう? ありがとう」
はにかみながら来夏は言う。
「今まで風景ばっかりだったけど、ちょっと人物も撮ってみたくなって。でもやっぱ難しい」
「風景とは違う?」
「……うん、風景は私しだいだけど、人物はその人のタイミングを掴まなきゃいけないんだなって。反省点いっぱい。でもまた撮ってみようかな」
「いいねいいね」
「瞳はどう」
返された写真を受け取りながら、来夏がきく。
「え、私? 私なんか撮っても——」
「あ、じゃなくって、風紀委員」
「あ、そっちか」
早とちりした恥ずかしさを取り繕って笑い、歩き出しながら相田は言葉をついだ。すこし速足の相田に来夏は慌ててついていく。
「きょう部活の申請があってさ」
「新しい部活ってこと?」
「そう。でも文芸部なんだよね」
来夏は「文芸部」と呟いたあと、はたと視線をあげてうろうろさせた。
「だよね、文芸部はもうあるんだけど、それと別に文芸部をもうひとつつくるって言ってるみたい」
「んー? なんで」
「きょう発起人の話聞こうと思ったけど、掴まんなくて。わかんないまんま。あしたまた聞きに行くつもりだけど」
来夏は視線を相田に落として話を聞いていたが、あいかわらず腑に落ちない顔をしている。
「写真部ではなんか聞いてない?」
「ううん、なんにも」
「そっか。写真部にさ羽原って来てるでしょ」
「羽原ちゃん? ……うん、ときどき」
「あいつなら知ってるかと思ったけど」
「今度聞いてみる?」
「あ、いい、いい。羽原苦手でしょ」
「苦手っていうか……流れ全部もっていくよね羽原ちゃん」
と苦笑いする。言葉で濁しても態度に出てるよ、と思いながら、
「なんか羽原、新聞部に入ったばかりくらいらしいけど、風紀委員に自分の記事を注意されたらしくてさ、うちらのこと目の敵にしてるの」
「うん、そうだね。写真部辞めてすぐのことだったから覚えてるよ」
「風紀委員の引き継ぎにもさ、新聞部の羽原の動きには注意が必要って。あんま外に漏らす話じゃないけど」
「でも最近、静かにしてるんじゃないかな。暗室も最近使ってないし」
「そっか。文芸部の話、羽原にしちゃダメだよ。焚き付けるだけだからね、秘密ね」
念を押すまでもなく、来夏が種を撒くことはないだろうが、羽原が情報提供を強要しないとも限らない。言葉にしておけば来夏の口も、しぜん硬くなると思ったのだ。
「第二文芸部の件は、あした寺井って発起人に訊かないと結局何にもわからないか」
「風紀委員ってそういうのも動かないといけないんだね。朝の挨拶と服装チェックくらいしか、私たちに見える活動ってなかったから」
「わかんない。もしかしたら判子捺して、先生まで回せばあとは教師で判断するものなのかもだけど」
「真面目すぎ?」
いたずらっぽく笑う。
「よく言われる」
相田も笑った。
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