第3章 180度方向転換

第14話 話し合い

二〇一三年十月二十四日午前七時十五分


「さすがにまだ誰も出勤していないかな?」


 そう呟きながら軽快な足取りで自社ビルに入っていった。つい半日前までは完全に落ち込んでいて、次の日会社に出勤できるかどうかわからないような感じだったけれど、今は全く違う感覚がする。

 それこそ相手との状況は全く変わっていないのにも関わらず。

 ということは、やっぱり状況が自分の感情を左右していたのではなくて、自分の現状を受け取る姿勢が状況を好き勝手に変えてしまっていたのかもしれない。


「だいたい一番早く来るみなみちゃんが八時頃だから、それまでに昨日話し合った資料をもう一度整理し直そうかな……うん、そうしよう! それと、今日のみなみちゃんや部長たちの予定を確認して、とにかく今日中に少しの時間でも話す時間を作ってもらえるようにお願いしないと」


 自分の机の前に座って、早速PCの電源を入れてみんなの予定を確認した。どうやら自分も含めて午後からなら都合が付きそうだ。


「じゃあ定時になる前に部長たちに直接会って、もう一度話し合う場を作ってもらうとして……まずはその前にみなみちゃんと話し合う時間をつくらないと」


 みなみちゃんや部長たちのことを考えると、正直申し訳ない気持ちとまだモヤモヤする気持ちが共存している感じがする。

 ただ、今回はそれをどうにか解決しようとするのではなくて、この気持ちを正直に相手に伝えてみることに決めた。


「うん、そうしよう! それからだよな」

「何がこれから何ですか?」

「!?」


 急に後ろから声がしたから振り向いてみたら、みなみちゃんが笑顔で立っていた。


「おはようございます、仁さん! 随分朝早いんですね」

「あ、あぁ。みなみちゃん、おはよう! 今日はいろいろあってね。そういうみなみちゃんこそ、いつもこんなに早かったっけ?」

「い、いえ、いつもはこんなに早くはないんですが、その……」


 彼女らしくなく、珍しく動揺しているようだった。

 当たり前だ。

 つい昨日あんなことがあった後だから。


 とはいえ、このまま黙っているわけにはいかない。


「みなみちゃん、俺から一言いいかな?」

「えっ!? あ、はい!」


 彼女より先に俺が伝えたい。

 今感じていることを。


「昨日は本当にごめん! 正直自分でもよくわからないまま愚痴ばっかりこぼしてしまって。あれから色々考えていたけれど、支社長や部長たちの気持ちどころか、自分の気持ちすらよくわからなかったんだ」

「仁さん……」


 とにかく上半身を九十度曲げて最敬礼の姿勢をとりながら、仁は彼女に謝罪をする。

 そんな彼に対して、佐倉はどう反応した良いかわからなかった。


「要するに、勝手に相手を悪者にしてしまっていて、自分が正しいようにしようとしていたようなんだけど……わかったのはそれだけなんだ。ひとまず関係者のみんなには一人ずつ謝りにいって、その上でもう一度話し合う場を作ってもらえるように懇願してみるつもりなんだ。けど、その前に……」


 コミュニケーションのプロだと自負していた自分が恥ずかしくて、彼女の顔をまともに見れそうもない。

 でも……


「みなみちゃん、今日おれの想いを聴いてもらえるかな? そして、おれの話を聴いた上で、もしよかったらみなみちゃんの話も聴かせてほしいんだ! どうかな?」


 最後だけはなんとか顔を上げて彼女を見て言葉を言えた。でも、今度は彼女の方が両手で顔を隠して下を向いて黙ってしまった。


(げっ、なにかまずいことを言ってしまったのか!? いや、変に言い訳ばっかり言っても仕方ない! でもでも、突然すぎて説明が足らなかったか!?)


 お願いをしたものの、それから高速であれこれ思考がめぐりすぎて、しだいにオロオロと。そんな状態がお互い続いていたけれど、だんだん間が耐えられなくなってしまった頃、彼女の顔から涙がこぼれ落ちた。


「み、みなみちゃん? ごめん、何か失礼なこと言ったかな!?」

「あ、ご、ごめんなさい、仁さん! 全然失礼なことは言ってません! その……仁さんからご自身の想いを話したいって言ってくれるなんて、これまで一回もなかったので、嬉しくて……」

「そう、だっけ?」

「そうです! どれだけ待ち望んだことかわからないんですから!」


 俺の目を見ながら真っ直ぐ感じていることを伝えてくれる彼女を見て、申し訳なさとそんな風に思っていてくれたことに喜びを感じる。


「ごめん、みなみちゃん。そして、ずっとおれから話すのを待っていてくれてありがとう。

 自分に向き合うのを怠って、それでいて相手と向き合うことをスキルやテクニックを駆使すればできなくはなかったけれど、それはどこまでいっても自分自身ではないんだって気が付いたんだ。おれはおれでありたい、そのためにはまずは自分の想いを自分が知っていたいし、それを大切な人たちと分かり合いたいんだ」


 そうだよ、俺はそうしたいんだよ。

 どうやったらいいかなんてこれっぽっちもわかっていないけどな。


「うふふふ、なんか出会った頃の仁さんに戻った感じがします」

「えっ!? 当時はどんな感じだったの?」

「そりゃあ、もう熱かったです!」

「熱かった!?」


 当時のことを思い出しているのか、彼女は天井を見つめながら、なぜか嬉しそうにクスクスっと笑っている。


「そうです。最初の研修のときには「あっ、珍しくなんかクールな青年が来たな」と思ったんです。が、そのあとの懇親会で話したときには、ご自身の想いをありったけ熱く語られていたんですよ!」


 今度は俺も当時のことを思い出そうとする……が、そのときのことは鮮明に思い出せない。懇親会に参加したことはさすがに覚えているけど。


「そう……だったような。楽しかったという記憶は残っているんだけど、それ以外は思い出せないかも」

「それでいいんだと思います。こんなにストレートに想いを思って仕事をする方にこれまで出会ったことがなかったので、わたしは一人で感動していたんですよ」


 佐倉は視線を天井から仁に戻す。そして、両手を胸の前で組んで、目をつぶる。

 そんな彼女からは、まるで喜びのオーラがあふれてきているように仁は感じた。


「そうだったんだ!? 一度スイッチが入ってしまうと後先考えずに行動しているから、全く周りが見えなくなることがあるんだ……って、そっかぁ。だから、それで今回は周りどころか自分も見えなくなってしまっていたんだなぁ、おれ」

「いいと思います、仁さんはそれで!」


 そう言ってくれた彼女はものすごく素敵な笑顔で、一瞬ドキッとした。


「今感じたことを話してくださると、私はもっと嬉しくなるんだけどなぁ♪」

「!? なんでそうわかるの!?」


 とても本人を目の前に伝えれないことを本人にバレてしまい、一人焦る仁。


「うふふ、だって仁さん冷静を装っていても、すぐに顔に出るからバレバレですよ♪」

「そうなの!? でも、前の職場や知人たちからは落ち着きすぎて何を考えていたり、感じているかがわからないって言われてきたけれど」


 これはよく言われる。

 『梅里は何考えているのかわからん』

 って、学校の先生から言われたことも少なくなかった。


「それはきっと表面上の表情を見ているからですよ。でも、仁さんの内面から溢れ出ててくる表情を感じていると、表面上とは全く違うんですよね。だから、それを感じられることは嬉しくもあり、「本当の気持ちは話してくれていないのはなぜ?」って悲しくもなってしまうんです。きっと奥様もそんな感じなのではないでしょうか?」


 (奥様……咲夜かぁ)

 確かにな。

 いつも俺が話すのは会社での出来事ばかり。俺がその時々でどう感じているのかなんて、話した記憶は少なくとも俺にはない。


「なるほどね、そんな風に思ったこともなかったし、気付きもしなかったよ。やっぱり相手よりも自分のことがそもそもわかっていないんだなぁ。みなみちゃんにまずは話してみて正解だったよ、ありがとう」

「どういたしまして、仁さん! こちらこそありがとうございます」


 相手の想いを知りたいと思って、これまでは人間観察に磨きをかけてきたつもりだったけれど、それはどこまでいっても独りよがりだったかもしれない。

 自分が相手に確認することなくそう感じたことに満足している自分がいて。

 でも、こうやってお互いの想いが共有できる感覚って今までにほとんどなかったように思う。これが繋がっている感覚なのかもしれない。


「え~、ごほんっ! 良い雰囲気の中悪いんだけど、仁くんちょっといいかな?」

「「!?」」


 二人して、パッと部屋の入口の方に振り向いたら、そこに近藤部長と飯塚部長が気まずそうに立っていた。


「い、いつからそこにおられたんですか!?」

「そうですよ、なんで私たちに声をかけてくれなかったんですか」


 仁と佐倉は顔を真っ赤にしながら、二人に問いかけた。そんな二人を見て、ますます困惑してしまう近藤と飯塚だった。


「なんでって言われてもなぁ、近藤さん」

「ああ。え~、とにかくすまん。二人が沈黙している辺りからいたんだが、なかなか割り込める雰囲気がなくってね。二人ともあまりにも良い雰囲気だったから、気が付いたら自分たちもその場にずっといてさ。盗み聞きするつもりは全くなかったんだけれど、事の成り行きを見守ることになってしまってね」

「「//∇//」」


 見られていたことよりも、そうやって感じていてもらえたことが嬉しくもあり、とにかく恥ずかしかった。


「でも、そうやって仁くんが仕事以外で自分の想いを熱く語っているのを初めてみたよ」

「そうそう。どんな話題になっても、なかなか仁くんの想いが聞けなかったから」


 二人は照れくさそうに、本当はどう感じていたかを自分に伝えてくれた。

 そのことが何より嬉しい、と俺は感じる。


「やっぱり、そうなんですね……先ほど佐倉さんと話していたのを聞いておられたなら話は早いのですが。昨日の会議は何も進めれず、何も語れず申し訳ございませんでした! その上で、お二人にお願いがあります。お二人にも是非今日お時間を作っていただき、想いを共有させていただきたいのですが……お願いできますでしょうか?」


 (前回までは上手くお互いの意思疎通ができなかった。でも、話し合う機会さえ作れれば、何度だってチャレンジすればいいんだ)


 そう思うと、今この瞬間もとても大切な時間だと仁は思った。


「ああ、もちろんだよ! おれたちもそのことを君に話したくってね。実は会議が終わったあと、君の態度に二人でイラついて飲み屋で愚痴を言い合っていたけれどね。

 でもさ、お互い家に帰って寝て起きたら、無性に「仁くんともっと色々話をしたい」って思ってね。それで朝早く飯塚さんに電話で連絡したら、飯塚さんも同じ想いだったみたいで」

「そうなんだよ。状況は近藤さんと似ていて、自分も朝早く近藤さんに電話しようと思ったタイミングで着信があったからビックリしてね。で、二人で話し合って、就業時間前に仁くんにお願いにいこうってことになって、今があるんだ」

「そう……だったのですね」


 二人の話を聴いていたら、さっき彼女と話していたときのように仁の瞳から涙が自然と溢れてきた。


「おいおい、仁くん泣くなよー。おれたちまでグッときちゃうじゃん!」

「えっ!?」

「そうそう! でも、ありがとう仁くん!」

「いててて! ちょっとお二人とも痛いですって!」


 そう言いながら近藤部長と飯塚部長がぼくに近づき、腕でぼくの首や腕を笑いながら締め上げてきて……痛いんだけどなんか嬉しそうに接してくれる二人の愛情を感じて、また涙が一粒ポロリと落ちてきた。


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