第9話 楽しむってどういうこと?

二〇一三年十月二十三日午後七時


 秋葉原駅より乗車して、横浜駅を経由して総武本線に乗り換えて西谷駅で下車。


「あっ、まだお客さんがいるなぁ。もうちょっと待ってよっかな」


 歩いてすぐのところにある辺見薬局の中を覗いてみると、まだお客さんの対応をしている賢さんが見えた。

 賢さんのお店は家族経営をしている規模としては小さな店。それでも、そこには西谷駅周辺以外からも神奈川県内、そして九州からも定期的に来店する顧客がいるとアニキから聴いたことがある。

 実際にアニキ自身も東京出張がある度に、健康管理も兼ねて賢さんのお店を訪れているし、自分自身もアニキと同行して賢さんのカウンセリングを受けて以来、時々カウンセリングに訪れるようになった。

 でも、実際にはアニキと賢さんは十年以上の付き合いがあり、二人が中心となって薬局業界でスタートした人材育成プロジェクトが世界的に注目を集めた。そんな経緯があったから、現在でも相談役として立志社の仕事をサポートしてくれている。


「ご来店ありがとうございました! またのお越しをお待ちしています! おっ、仁くんじゃないか!? 久しぶりだね、元気してた? って、なんか元気無さそうだね。ひとまずお店に入って入って」


 そんなことを思い出していたら、お店の外に出て威勢の良い声で挨拶をしている賢さんと遭遇。特に理由を聴かれることもなくお店に入れてもらえた。

 お店の中には漢方以外にも、いろんなジャンルの本やCDが棚にならんでいたり、天井からアンティークな飾りもさりげにぶら下がっている。音楽はJAZZ系のゆったりできる音楽がいつも流れていて、いるだけでとても落ち着く自分にとってはパワースポット的なお店である。


「仁くんはいつも通りお茶でいいよね? ……はい、熱いうちに飲んでね!」

「いつもありがとうございます、賢さん! いただきます!」


 ふ~

 いつも通りここのお店でのんびりお茶が飲めると、本当に気持ちが安らぐ。


「賢さん、定時後に押しかけてしまいごめんなさい! 本当はもっと早く賢さんに会いに行きたかったのですが、なかなか都合を付けれなくて」

「いいよいいよ! 今は一番お仕事も正念場でしょ? 状況はどんな感じなのかな? 状況が良い悪いだけで悩んでいる感じはしないけれど」

「よく……わかりましたね。実はコミュニケーションのプロとしてお恥ずかしい限りなのですが……妻と職場での人間関係に悩んでいまして。といっても、職場での話は今日の話のことなのです」

「そうなんだね。ひとまずそこに座って落ち着いて話を最初から聴かせてもらえるかな?」


 お店の奥の方にある椅子の一つに荷物を置き、空いている椅子にお互い腰掛ける。


「ありがとうございます。賢さんもご存知だと思いますが、三ヶ月前新しいプロジェクトが試行する前に妻とちょっとした会話がキッカケで喧嘩しまして」

「咲夜ちゃんと!? それはまた珍しいね。何が原因だったの?」

「そのときは怒らせてしまった理由を聴こうにも話してもらえなくて、その後結局光恵さんの仲裁のおかげで話せる機会ができ、『いつも仕事の話ばかりで、わたしの話をしっかり聴いてもらえていない』ことが毎日積み重なったことが原因だったようでして」


 聴くプロとしては、まったくもって情けない話である。


「そっかぁ、仁くんにとってはちょっとしたことだと思ってたけれど、咲夜ちゃんにとってはそうではなかったんだね。職場では? 佐倉さんがいるから職場では上手く人間関係も円滑にいっているような感じはしていたけれど」

「はい、これまでは確かに佐倉さん……みなみちゃんのおかげで他部署との連携も上手くいっていたのですが、今日たまたま彼女がいないときにあった社内会議で他の部長や支社長とぼくが揉めてしまいまして……」


 思い出したら、また腹が立ってきた。


「支社長とも!? それはまた何があったの?」

「もしかしたら支社長からも賢さんのところにご連絡があるかもしれませんが、事の発端は新しいプロジェクトに対する受注がまだ一件もないことがキッカケでして。それで他の部長同士が責任の擦り付け合いを始めたので、ぼくが仲裁に入ったら、逆に今度はぼくが責められる側になってしまい……」

「なるほどね~、そのとき仁くんはどう思ったの?」

「正直みんな無責任だなって思いました。一緒に始めたプロジェクトなのに、始まってから「あーだこーだ」文句を言うだけ言ってきて。しかも、支社長も他の部長を援護するような感じで……で、その後、そのときの鬱憤を外出先から帰ったばかりの彼女にぶちまけしまって……」


 愚痴を言ってても仕方ないのはわかるけど…わかるけど、やっぱり納得がいかない。


「今度はそれが原因で佐倉さんとも?」

「はい……お恥ずかしい限りですが。そこで彼女から最後に言われた『仁さんは相手の気持ちをちゃんとわかろうとしてますか?』という一言にまたグサッときまして」

「そんなことがあったんだね~」

「妻との関係はひとまず良くなったのですが、今度は職場での人間関係が上手くいかなくなってしまって。さらに、新しいプロジェクトも全然上手くいっていないから、もう考えれば考えるほどどうしたら良いかわからなくなってしまい。

 それで、ふっと賢さんに会いたいと思い、勢いで来た次第です」


 いつもなら咲夜か佐倉さんなら話を何でも聴いてくれていたけれど、そのどちらとも険悪な感じになってしまって、もう打つ手なしだ。


「そういう経緯があったのかぁ、仁くんもいろいろあったんだね。仁くんからしか経緯を聴いていないので、ぼくからは何とも言えないけれど、一つだけ仁くんに確認したいことがあるんだけど、いいかな?」

「えっ、あ、はい! もちろんです! なんでしょうか?」


 賢はまっすぐ仁の瞳を優しく見つめ、仁が受け取れる間をとってくれた。そして、意を決して、今の仁に対してとっておきの言葉を届けることにした。


「仁くん、今楽しんでいる?」



***


「仁くん、今楽しんでいる?」


 賢さんにそう聴かれた瞬間ドキッとした。

 ここんところいろんな人にドキッとさせられる。異性としての魅力にならまだしも、どちらかというと図星的な話をされてそうなるので、嬉しいとは言い難い。


 楽しかったこと、楽しかったこと、楽しかったこと……

 あっ、過去のことを思い出そうとしているってことは、すでに今は楽しくないんだな、自分は。

 でも、仕事は楽しんでいるつもりだったのに。そんなことを思ってたら、ちょうど三年前にアニキの紹介で賢さんと出会った日のことを思い出した。


 三年前、まだ大阪の本社に在籍していて、これから東京支社を立ち上げようと動いていた時に、アニキの紹介で賢さんとご縁をいただき、「これから一緒に仕事をやっていくパートナーの一人だよ」と教わった。

 そのとき、本社で研修業務は任せてもらえるようになったものの、研修以外にも立ち上げに必要ないろんな手配や、挨拶回りなどSE時代には経験できなかったことをいきなり実践することに。

 わからないことだらけで、毎日忙しかったけれど、任せてもらえていることの充実感以上に、何か新しいことを学べたり、新しい人と出会えることの嬉しさもあったりで、毎日が楽しかった気がする。


 そして、東京支社ができ、東京に戻ってきた当初、まだまだ初級者向けの研修しか満足にしたことがなかったので、賢さんと光恵さんが一ヶ月間も付きっ切りで指導してくれた。

 今思い出しても、ものすごく贅沢な時間だったと思うし、前線で活躍していた二人の時間をぼくのために使ってくれていたので、一日でも早く成長して、二人と肩を並べて現場で活躍できるようになりたかった。

 だから、ものすごく気合も入っていたし、実践型の研修だったから最初のころは失敗しかなかったけれど、だんだんできるようになってきて、社内だけではなく社外の人からも認められていく感覚に、やりがいと充実感がして毎日が楽しくなっていった。

 そんな頃に妻の咲夜と出会って、デートもして、結婚もして。出世もして、給料もグッと上がって、好きなことが好きなだけできるようになって、あの頃は幸せの絶頂期だったかもしれない。


 しかし、いつの間にか仕事を楽しくやっていたはずなのに、認められたいという気持ちが大きくなり過ぎて、別の自分を演じていたかも!?


 んっ!?


 というか、自分ってどんなときに今楽しいって感じるんだろう?

 どんなやつなんだろう?


 仕事が成功していたり、人間関係が円滑にいっていたり、お金や地位、人脈があったり、他人から認められたりして、そういった条件付きでないと楽しめないの?


……

……

……


「どう、仁くん? 今楽しめているかな?」


 過去を回想していた仁の意識が今に戻ってきたのを、まるで見計らっていたかのようなタイミングで賢は仁にもう一度質問した。


「正直楽しめていないようです。しかも、上手くいっていた自信があったから、自分がどんなときに楽しめて、どんなときに怒ったり、悲しんだり、喜んでいるのかをこれまで向き合ってこなかったこともありませんでした」

「そっかぁ。なら、もしかしたら、今がちょうどそれらに向き合うタイミングなのかもね♪」


 と言って、賢さんはゆっくり席を立った。そして、お店の後片付けを始めた姿を見て、ふっとボズに言われたことを思い出した。



 ねぇ? 相手のコトより、そもそも自分のコトをわかってる?



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