第5話 あれから4年
二〇一三年七月二十四日午前八時
「咲夜、それじゃあ会社いってきます!」
「いってらっしゃい、仁! 今夜は早く帰ってくる?」
「ん~、確か今日は残業の予定がないからそのまま帰る予定だったけど、なにかあったっけ?」
予定を思い出してみる。
けれど、思い出すのはどれも自分の仕事の予定ばかり。
なんか咲夜との予定はあっただろうか?
「あれ? 言ってなかったっけ? 今夜は光恵さんとデートの約束してるって♪」
「あ~、今日だったね! そういえば、久しく光恵さんに会えてないなぁ。よろしく伝えてな!」
大阪でアニキから立志社に誘われてから四年が経過した。もうあの誘いを受け入れた瞬間からこれまで何も変わらないと思っていた状況が一気に急展開!
というより、事態が変わったと気付いたのはだいぶ月日が経った後だけど。
あれから大きく変わったことと言えば、大きく分けて四つある。
一つ目は職場が変わったこと。二つ目は、それに伴い引っ越したこと。三つ目は付き合う人が変わったこと。そして、最後にあの後から付き合った彼女と結婚したことだ。
一つ目は本当に大きく変わった。大阪から帰ったあと、早速次の日に辞職願いを課長に提出。その後、課長や人事部との話し合いの機会もあったけれど、そのまま押し通して辞職届を正式に提出することに。誰にも相談なしで辞める流れになったので、親にも事後報告。辞めたあとだったので反対のしようがない分呆れ返っていた。
「そりゃあ、自分が逆の立場でも呆れかえるよなぁ」
自宅のある御茶ノ水の高層マンションの十一階からエレベーターに乗っているときに、当時のことを思い出しながら僕はそう呟いた。
住む場所も吉祥寺の寮から出てからは、まず一旦アニキのいる大阪に引っ越した。そこで、身近でアニキの仕事を見させてもらいながら仕事を覚えつつ、いろんな素敵な人たちと出逢わせてもらった。
今夜妻が会う望月光恵さんもそのうちの一人だ。彼女は立志社の創立メンバーの一人で、アニキの片腕でもある。
アニキが一人で仕事をするときにはいつも光恵さんが代わりに面倒を見てくれた。東京支部設立にあたり、人脈作りから会社設立の手続きまで同行させてもらい、その時の経験が今になってとても役立っている。
直接会わせてもらう人たちは、とても前職では出会えないような役職(代表取締役や会長、官僚など)の人ばかり。そういった人たちとご縁が繋がったことがすごく嬉しくて、まずは名前を覚えてもらうために必死に仕事をしながら設立準備をする日々がそれから一年続いた。
そんな設立準備に明け暮れていた頃、出逢ったのが妻の咲夜だった。
光恵さんの知り合いの人が企画した合コンに参加したのがキッカケだった。正直当日も乗り気はしなかったけれど、当日になって「人数合わせのためにどうしても来て欲しい」と光恵さんに頼まれてしまっては断れない。
乗り気がまったくないまま合コンに参加。会場に着いた頃には八人中六人が来ていた。男性も女性も光恵さん以外は知らない人ばかり。男性三人はスーツをバッチリ着こなしていて、いかにもできる感じのサラリーマンだった。女性三人のうち光恵さん以外は看護師で、さすが光恵さん繋がりだけあってみんな美人揃いだった。
「光恵さん、遅れてごめんなさい!」
「ううん。急なお誘いでごめんね、仁くん! もう一人で揃うけど、ひとまず始めましょう」
「それでは、ひとまず……」
「「「「「「「かんぱ~い!!」」」」」」」
飲み始めて三十分くらい経った頃、個室のドアが軽く開いて一人の女性が入ってきた。
「ごめんさい、今到着しましたー!」
「遅いよ、咲夜! もうみんな揃ってるよ~」
「ごめんごめん! 急な誘いだったから、なかなか仕事が丁度良く終わらなくて」
そう言って後から遅れてきた女性が自分の前に座った。髪はちょっと黒みがかった茶髪で、長さはセミロングくらい。笑顔がとっても素敵で、一見大人しそうに見えるけど口調からすると活発そうな感じ。見とれていたら、丁度咲夜と呼ばれていた女性と目が合って、優しく微笑んでもらえた。
(モロに好みだ!)
一目惚れもあったけれど、一緒にいれたらすごく楽しいだろうなって直感がした。
たまたま席が目の前になったことをいい事にたくさん彼女に話かけたのがキッカケで、同じ年だったりお互い自然や神社仏閣が大好きだったりですぐに意気投合。
合コン後も一緒に遊んだりするようになり、恋人になり、つい二年前に結婚することができたのだ。
『結婚する人とはお互いを高め合う関係になりたい』とぼくは付き合う前から常々思っていたので、結婚してからもお互い成長するために好きなことに挑戦していた。
その分一緒にいる時間は少なくなったけれど、今月の人事異動で東京支部の新しい部門である人材育成部門の部長を任してもらえるようになり、もうその喜びで胸一杯だった。
しかも、その部門が中心となり、来月から立志社が全社をあげて取り組もうとしているプロジェクト『自立協育プログラム』の総責任者として指名を受け、そのことで今月は頭がいっぱいで妻のことを考えている余裕もなかった。
「だけど、それも妻との今後の生活をより良くするために今は仕方ない!」
という大義名分を立てて、今日も自分に言い聞かせながら会社のある秋葉原へ歩いて向かっていった。
「おはようございます、仁さん!」
「佐倉さん、おはよう! 今日も早いね。朝早くから何かあったっけ?」
「いいえ、昨日早く上がらせてもらったので、昨日やり残した分を今やっている感じです」
会社に入ってすぐに挨拶をしてくれたのは、自分と同じ部署の佐倉みなみさん。
立志社東京支部二年目の二十九歳女性で、ぼくの直属である人材育成部門のリーダーを務めている。黒髪のショートカットがとても似合う子で、いつも笑顔を絶やさず、明るく素直な性格でみんなから好かれていて、東京支部の癒し的存在だ。
前職は秘書をやっていたこともあり、サポート力と適応力が半端なくて、新しい部門の設立にあたり真っ先に彼女を部門リーダーに推薦した。実際に彼女が入社してからは自分がずっと仕事を教えてきたこともあり、ぼくからの推薦が採用になり、今では二人三脚で新しいプロジェクト立ち上げのための準備をしている。
後から聞いた話だと、彼女も自分と同じ部署に入りたいと言ってくれていたようで、それを知ってさらにやる気が出た。
(やっぱり男って単純だよなぁ。まっ、だからすごく楽だけどさ)
とそのときの感情を思い出して、クスッと笑ってしまった。
「仁さん、何か面白いことでもあったんですか?」
「ううん、何でもないよ! さぁ、あさっての全体ミーティングに向けて今日も資料作りを頑張ろう!」
「はい!」
佐倉さんの元気な返事にますます上機嫌になり、自分も資料作りに取り掛かることにした。
「そういえば、仁さん。今日の昼頃光恵さんが来社されるそうですよ」
「そうなん? じゃあタイミングが合えば3人で食事に行こうな!」
ピンポ~ン
「……と思ったら、ナイスタイミングで来られたみたいだね。じゃあ一旦休憩して、光恵さんのタイミングに合わせてランチにでも行きますか」
「そうですね! じゃあ光恵さんをお迎えにいってきまーす」
そう言って、彼女は素早く受付のある入口に向かった。
「仁くん、昇進おめでとう! 新しいプロジェクトの進行状況はどうかな?」
お祝いの言葉を言いながら、光恵さんはぼくらが働いているフロアに来てくれた。
「ありがとうございます、光恵さん! 佐倉さんが手伝ってくれているので、何とかあさっての全体ミーティングまでには原案は完成しそうです」
久しぶりの光恵さんなので、現状を報告する。
というよりも、これまでの習慣で光恵さんと会うと逐一報告する癖がついていたので、自然と話してしまう。
「そうなの!? あいかわらず二人とも仕事が早いね~。仁くんはともかくとして、佐倉さんうちに来ない?」
「お誘いありがとうございます! でも、まだこの会社でやりたいことがありますし、何より今私がいなくなると、仁さんが完全にフリーズしてしまいますので(笑)」
「あははは、な~るほどね! 確かに! じゃあ、これからも仁くんのバックアップをよろしくね、佐倉さん!」
「はい、承知いたしました!」
光恵のお願いに、佐倉はビシッと敬礼で答える。
「あの~、自分の目の前でその会話はあんまりでは?」
「仁くん、そう思うならもっと彼女に感謝しつつ、まずは二人で仕事を楽しむことね♪」
あいかわらず光恵さんは思ったことをスパッと言ってくれる。
温和な性格な反面、必要なときには社長だろうとお客様だろうとビシッと注意したり、アドバイスしたりしてくれるため、社内外の人たちからの人望も厚い。
そんな光恵さんは一年前に独立されたけれど、現在はエステ会社を経営しながら、こうやって時々東京支部に顔を出しては全体のフォローをしてくださっている。
その後、十一時半頃に三人で昭和通り沿いで近くにある手打ちそばを食べにいった。
「そういえば、仁くん。今夜は咲夜ちゃんとデートさせてもらうね!」
「はい。妻のことをよろしくお願いします。今朝も光恵さんと会えるのをもの凄く楽しみにしていましたので」
「ほんとに!? 有難いね~、あんな可愛い妹が私に会うのを楽しみにしてくれているなんて」
そうなのだ。
自分も光恵さんにもの凄く可愛がっているが、それ以上に妻は可愛がってもらっていて、今では一緒に歩いている姿を見るとまるで姉妹のような感じがするくらい打ち解けあっている様子。
ぼくには言えない悩みとかを、妻は光恵さんには相談しているらしく、本当に光恵さんには頭が上がらない。
「仁さんは奥さんと光恵さんに合流しないんですか?」
「少なくとも今日は合流するつもりはないかな。女性ならではで楽しめるところに行くみたいだしね」
「そうなんですね……」
そう言ったまま佐倉さんは黙ってそばを食べ始めた。
「そうそう、前に咲夜ちゃんに会ったときに仁くんと一緒に遊べないことをとっても寂しがってたよ? たまにはどこかで彼女のために時間作ってあげなさいね」
「はぁ、わかってはいるのですが、なかなか最近忙しくて時間も作れず、休みの日はゆっくりしたくて……」
「返事は、仁くん?」
(やばい! この笑顔は!?)
この笑顔だけど、その裏側にある雰囲気は半端ないことをぼくは知っている。
以前、まだ大阪にいた頃、アニキが奥さんとのことを光恵さんに話しているときに、ついうっかり発言をしてしまったアニキを一時間以上も延々と説教したことは、立志社の中でも語り草になっている。
「わ、わかりました! 今夜咲夜とそのことで話してみます!」
「わかればよろしい♪ さて、冷めないうちにわたしたちもそばを食べましょう♪」
「はい……」
当然師匠と同様、光恵さんには一生逆らえないだろうと改めて確信するのだった。
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