第6話 ボズとの出逢い
二〇一三年七月二十四日午後十時
「やばい、やばい! 結局また夜遅くまで仕事しちゃったな~。咲夜はもう寝てるかな?」
光恵さんとランチをした後、結局佐倉さんと一緒にあさっての会議資料作りに没頭してしまい連日の残業。
ふらふらになりながらも、やりたかった仕事を任されていることと、任せてもらえていることの充実感に浸りながら家路を急いだ。
「ただいま~! ってもうさすがに咲夜は寝てるかな?」
そう言いながらそ~っと家の中に入っていくと、リビングでテーブルに顔を伏せて寝ている咲夜がいた。とっても気持ち良さそうに寝ていたので起こそうか迷ったけど、さすがにそのままにしておくわけにもいかないので起こすことにした。
「さくや~、起きろー。こんなところで寝てると風邪引くぞ~」
「えっ、あっ、ああお帰り~、仁。ううん、むにゅむにゃむにゃ……」
可愛い顔をして寝ているから、顔をぷにぷに突いても手応えなし。
体を揺すって彼女を起こそうとするが、それでもまったく起きる気配がない。
「……って、こらこらまた寝たら変わらないっしょ!? 起きないと先に寝ちゃうぞー」
「ちょ、ちょっと待って~。折角帰ってくるまで起きてたんだからさぁ~」
「寄りかかるなって! というか、けっこう酒飲んだのか~?」
咲夜の口からはお酒を飲んだにおいがして、ウッと一瞬顔をしかめてしまった。
「ん~、大して飲んでないはずー。というか、今夜も仕事遅かったねー」
「あ、そうなんだよー。あさっての会議の資料作りがなかなか完成しなくってさ。でも、佐倉さんがいつも助けてくれて、なんとか明日までに出来そうなんだ! そうそう、光恵さんが今朝直接会いに来てくれて、ランチまでご一緒してくれてさ!」
「ねぇ……」
「今回は会えないと思ったからお話できて嬉しかったよー。それでさ――」
「ねぇ! 仁!」
「えっ!?」
突然彼女が大きな声を上げるから、びっくりした。
「なんでいつも仕事の話ばっかりなの!? なんでいつも他の人の話ばっかりなの!? なんで私の話はないの!?」
さっきまで笑顔で迎えてくれたのに、一転して険しい顔で彼女が詰め寄ってきた。
「ど、どうしたんだ咲夜! いきなり怒ってもよくわかんないよ。少し落ち着いて話そうよ、なぁ?」
「…………先に寝る、じゃあね」
「ちょっちょっと待てよ、咲夜! まだ話は!?〈バタン! カッチャ!〉って。」
制止する声も聞かずに咲夜は怒った表情のまま寝室に入ってしまった。
しかも鍵まで内側から閉められてしまっては、たとえ外側から開けることができたとしてもきっと話は聴いてもらえないだろうし……。
……
……
……
「とにかく明日も朝早いからひとまず風呂に入って、すぐに寝ないといかんな。ご飯もまだだけど……。それにしても、俺が咲夜のために仕事をしていることを、なんで咲夜はわかってくれないのかなぁ~。それに……」
と、ぶつくさいいながら風呂に入って、寝室には入れないから普段仕事をする別室で寝ることにした。
そして、部屋に入ろうとしたまさにそのときにどこからともなく声が聞こえてきた。
『ねぇ? 相手のコトより、そもそも自分のコトをわかってる?』
「誰だっ!? ……って誰もいるわけないよな」
辺りを見渡してみてもやっぱり誰もいない。
聞こえてきた声は若い男性の声だったから、もしかしたら隣の部屋からのテレビの声とか聞こえてきたのかも。そんなことを考えながら、改めて部屋の中に入り、そのまま寝ることにした。
「そんなことわかってるよ。でも、今俺が頑張ってるのは会社のためでもあるけど、妻のためでもあるんだし。そのために仕事を頑張って稼げるようになったから、こうやって高級マンションにも住めるようになって、不自由なく過ごせるようにもなったんだし……そうだよ、全然自分は悪くない! 咲夜が勝手に逆ギレしただけだから、彼女の方が何とか変わってもらわないと……」
でも本当は、仁はどうなりたいの?
そう横になりながらまた独り言をつぶやいていたら、だんだん眠たくなってきた。かなりうとうとしてきたとき、またあの声が聞こえたような気がした。
***
二〇一三年七月二十五日午前六時
♪♪~ ♪♪♪~ ♪ ♪~♪♪
「あれ? もう朝かぁ、いつの間に寝てしまったんだろう」
朝六時にセットした携帯アラームで目覚めた。
でも本当は、仁はどうなりたいの?
寝る寸前に聞こえてきた声をふっと思い出した。
「本当はどうなりたい、かぁ。正直特に最近は仕事のことに夢中になり過ぎて自分のことを考えたこともなかったかなぁ」
「そうそう、あなたは全然自分に向き合ったことないですよ」
「そんなことないはず……だけど。面接対策として自己分析とかしたことあるし」
「それは入社するために都合の良い感じにやっただけだったでしょ? も~、その状態があまりにもずっと続くから気になって直接会いに来ちゃったよ」
「えっ!?」
なぜか独り言のはずなのに、話が続いたから驚いて振り返ってみたら、寝ていた部屋にある机の近くにあった椅子に一人の青年が笑顔で座っている。
青年の体格は細身で、緑色のローブを羽織っていた。右手には魔法の杖のようなものを持っていて、左腕には赤いバンダナを付けていた。
「君は誰!? どうやって俺の部屋に入ったの? 咲夜の親戚か誰か??」
「いえいえ、咲夜さんとは直接面識はないですよ。どういった方かはよく知っていますが。それでも、あなたのことはあなた以上に知っていますよ、仁♪」
い、一体こいつは何を言っているんだ。
「って、俺たちも今日が初めてだよね!? なんで俺のこともよく知ってるの? 名前は? どこから来たの? 目的は何?」
「質問攻めですね、仁。まぁ、今のあなたでは確かに自分のことは知らないということになりますね。じゃあ、改めて自己紹介を! 僕の名前はボズ、十八歳。ハーバード・クゥ星二百五十六代王様の第二王子で、現在魔法修行の旅に出ている最中。趣味は歌うこと。特技は合気道。
今回仁に会いに来た目的は、『あなたの物語はまだ始まっていない』ということを伝えること」
自信満々に自己紹介するボズ。
「ハーバード・クゥ星ってどこ? というか地球人ではないってことは、君は宇宙人なの!?」
「う~ん、宇宙人というと合っている様で合っていないかな。オレは仁が認識しているこの世界とは異なる異世界から来た存在でもあり、仁の潜在意識でもあるんだ」
「潜在意識? あのよく氷山で例えられて、意識できるのは氷山の一角(表層部分)で、残りの大半のこと?」
指で空中に山の線を描き、山頂部分とそれ以外の部分を示して確認をしてみる。
「意識しようとして認識できない、という意味では正解かな。でも、意識できないだけであって、正確には感じることで認識できるんだよ、オレらは♪」
「感じる?? う~、まぁよくわかんないんけど……要するに俺は君で、君は俺っていうこと?」
再び確認をとりながらも、まったく実感がわいていない。
「そうそうそんな感じ♪ あ、オレのことはボズって呼んでね!」
「ああ……って和んでる場合じゃな~い! いろいろ突っ込みたいところが多すぎてどこから突っ込んだらいいかわかんないけど、まずはその俺に会いに来た目的『あなたの物語はまだ始まっていない』というのは一体どういうこと?」
「そのままだよ、仁。あなたが主役の物語はまだ始まっていないということ」
ボズはあたかも「当然のことでしょ?」と言わんばかりの表情で繰り返し伝えてくる。
「そんなわけないよ! だって、俺今生きてるじゃん! やりたいこともちゃんとやってきてるし」
「やりたいこと? それってどんなこと?」
「たとえば……大好きなことを仕事にしたり、有名な人たちとの人脈をつくれたり、高級マンションに住んだり、好きなことをやれるだけのお金も手に入れれたし。それに、大好きな女性とも結婚もできたしね! こうなりたいと思っていた夢を全部叶えてきたぞ!」
そうだ。これまでたくさん夢を叶えてきたさ。四年前の自分とは変わったんだ。
「なるほど~、たくさん手に入れてきたんだ。で、仁は、本当はどうなりたいの?」
「どうなりたい……って。だから、お金とか仕事とか……」
「それらは全部仁自身ではないよね? 全部あなたではない外部のものでは?」
「た、確かに。でも……」
納得はできない。
けれど……自分自身のことに関して、本当はどうなのだろうか?
「だって、現に昨夜その大好きな女性からは嫌われたと感じたのでは?」
「なんでそんことまでボズは知ってるの!?」
さっきからこいつの発言には驚かされてばかりだ。本当に咲夜の知り合いじゃないのか?
「仁からはそのときの感情がダダ漏れで、感じようとしなくても感じちゃうよ~。『自分は加害者ではなく、被害者なんだ』っていうオーラでね」
「そ、それは!?」
ぐぅの音も出なかった。
反論して自分の正当性をいうことはできたかもしれないけど、確かにボズの言う通りだった。少なくともワクワクしたり、楽しんでいる自分は今はいない。
口喧嘩すらさせてもらえなかった咲夜に対する怒りや不満を感じてはいるけど、実際に咲夜の方はどう感じているんだろう?
「それは彼女に聴いてみないとわからないね。ただ一つ言えるのが、さっき仁が全て手に入れたものたちが全部なくなったとしたら、あなたはどうなるの? あなたの物語はそこで終わってしまうの?」
どうなんだろう?
そんなこと考えてもいなかった。そういった起きてもいないことは考えずにおこうと思ってひたすら行動してきたから、今がある。だから……
「たらればの話は考えないようにしてるんだ、ボズ。というか、目先のことで言えばボズがここにいることを咲夜にどうやって納得させればいいの? ただでさえ今怒ってるのに、これ以上怒る要因を作りたくないんだけど」
なんとか自分を保つために、仁は話をそらすことにした。
「あ、それは大丈夫! そもそも、自分自身を感じて向き合い続けている人はこっちの世界ではほとんどいないって聴いてるし♪ 仮に見えたとしても、コスプレしてると思われるくらいじゃないかな?」
「そうなんだ~。じゃあどうして俺は見えるの?」
「それは、今はオレの力のおかげかな。まだ仁は、ようやく自分と向き合おうとする一歩を踏み出そうとしている段階だから。
自分自身で自分と向き合うって決めたとき、それだけで何かが変わるけどね」
そう言いながら、ボズは本棚に向かい本をあさり始め、一冊の本を手に取る。
「仁はよくこの四年で熱心に勉強もしたし、仕事もしたし、その気合の入りっぷりは凄いと思う! そんな仁の底力をオレは使わせてもらってるしね。でも、今は気持ちがぜ~んぶ外に向いちゃってるから、エネルギーは一方的に発散されっぱなし。そうなると、どうなると思う?」
「外にエネルギーが一方的に出ちゃってるということは、中身が空っぽになる……」
頭の中に、タイヤがパンクしているのに必死こいて空気を入れようとしているイメージが浮かびあがる。
「そう、中身! つまり、君自身のエネルギーは常に枯渇状態。だから、『必要以上に外からエネルギーを補給しなきゃ』という発想になり、また外からのエネルギーを求める、という悪循環が続く原因になってるんだよ。自分以外のものから得られるものは有限だし、そもそも外に働きかけても必ずしも自分の思い通りになるかどうかはわからない。そうすると……」
「ますます外への意識が強くなって、内側にはますます目を向けなくなってくる……」
「正解! さっすが仁だね」
「じゃあどうすれば……ってもう7時!? 早く支度して、会社に行かなくちゃ!」
フッと目線が置き時計に目がいき、時間を確認してみると、もういつもなら仕事に行く準備をする時間だ。
「咲夜のことは大丈夫なの?」
「確かに咲夜のことは大事だけど、まずは明日に控えているプロジェクトの準備を完成させないとね! とりあえず、本は好きに読んでもいいけど、ちゃんと元の位置に戻しておいてな、ボズ」
そう言いながら、スーツに着替えて会社に行く支度を整えることにした。部屋を出てみたら、テーブルの上は昨日のままで、リビングには妻はいないようだ。寝室をノックしてみても応答はなかったから、顔を合わせないように先に出たのかもしれない。
そのことを実感したとき、無性に寂しい気持ちになった。支度ができて、玄関まで向かってみてもやっぱり妻はいない。いつもは朝起きると笑顔で挨拶をしてくれて、出かけるときはどんなに朝早くても玄関まで見送ってくれた。
それだから、どんなに疲れたときや辛いときでも、笑顔で出社できていたけれど、たった数分の時間がなくなっただけでも個人的には大ダメージだということが、初めて実感できた。
「とは言え、いつまでも落ち込んではいられない! 明日の資料が今日中に完成しないと、咲夜と話し合いをするどころではないし……明日のプロジェクトが始動してから、一度賢さんに相談に行くことにしよう」
賢さんとは、アニキの古くからの友人で、神奈川県横浜市で開業している辺見漢方薬局のオーナー。アニキの健康面を全面的にサポートしている。アニキが東京で開いたプライベートご縁会のときに仁はアニキから辺見のことを紹介してもらい、それ以降交流を持つようになる。仁も含めてみんなからは「賢さん」と呼ばれ親しまれている。
それ以来、俺や咲夜もアニキと同様に健康面をサポートしてもらっていて、光恵さんと同じように良き相談相手にもなってもらっている。
「賢さんは今回のプロジェクトの相談役でもあるしね。うん、そうしよう!」
妻のことは一旦頭の片隅に置いて、無理やり笑顔を作って顔を両手でバシバシ叩いて、気を取り直して出勤することにした。
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