第4話 変わりたい気持ち

二〇〇九年三月十三日午後十一時十五分


「勢いよく飛び出してきたのはいいけど、一体どうなるやら。でも、もう向かっているから仕方ないっか」


 大阪に向かう夜行バスの中で、そう独り言をつぶやいてみた。



 なぜ大阪に向かっているのかというと、先日ご縁を頂いたアニキに直接会いに行くため。あのあと帰り際に挨拶を兼ねて声をかけたところ、話の流れで「アニキがいるときなら会社訪問しても良い」ということを聴いた。

 ならばと、「次はいつなら会社にいますか?」と確認したら、なんと来週の金曜日ならいるという話を聴き、「このチャンスを逃したら勿体無い!」と思いその日に行く約束を取り付けることに成功したのだった。


「まだ会社で有給がとれるかわからなかったのに、やってみるもんだなぁ」


 結局危惧していた会社の有休も無事にとれて、大阪に行くためのバスも確保できた。これまで東京から大阪までバスで行ったことがなかったけど、意外に調べてみると日程によっては結構気軽に行けることが判明。バス代往復より新幹線代片道の方が高いくらいだった。

 お金の心配もしていたけれど、飲み会二回分で大阪まで行き来できると思うと、思っていたような心配事は一切起きなかったので安心した。

 夜行バスは大阪駅近くに停車した。さすがに八時間も夜行バスを乗り続けるのはしんどかったけど、慣れてしまえばどうってことなさそう。


 でも、着いて早速問題発生!

 ココは大阪駅のどの辺り!?


 普段からほとんど道を他の人に尋ねることはしないのでオロオロしていたら、バスを降りた乗客がゾロゾロと歩いて向かっている先があることに気付き、さすがに朝は寒さが厳しいので、素知らぬ顔をしてついていくことに。


 そのままあっちこっち迷いながら移動して、ようやく目的地である心斎橋にある立志社に到着した。


「案外なるようになるんだな~」


 そうつぶやきながら建物の入口前に立つ。

 立志社の入っている建物は一棟建てで、一階が受付と会議室、二階が実習室、三階がセッションルームとなっている。

 受付を済ませて、セッションルームの一室で待たせてもらうことになった。


 トントン

「失礼します! お、仁くんよく来たね」

「はい、正木社長! 本日はお時間を頂きありがとうございます!」

「ハハハッ! 社長はいらないよ。社員もみんなアニキって呼んでるから、仁くんもアニキって呼んでもらえへんかな?」

「わ、わかりました! どうしてもまだ目上の方を「さん」「先輩」付け以外で呼んだことがないので慣れないですが、善処します」

「そんなにかしこまらなくてええよ」


 そう言って現れたアニキはスーツ姿ではなく、スポーツ選手がウォーミングアップの時に着ているような白のジャージ上下を着ていて、なんか職場とジャージ姿のアニキとのギャップを感じた。

 そんな自分の感じていることがわかっているかのようにアニキは和やかに笑っていていたが、


「聴きたいこともいろいろあるやろうけど……じゃあ、ひとまず移動しますかっ」


 と、突然の振りにビックリした!


「えっ、どちらへ!? ここでお話いただけるのではないのですか?」

「そやねん。そのつもりだったけど、仁くんはコーチングに興味あるんやろ? だったら現場に一緒についてきてもらって、生で体験してもらった方が早いと思ってね。どうかな、仁くん?」

「えっ、いや、え~と。ありがとうございます! といいますか恐縮過ぎて、え~っと……とにかくよろしくお願いいたしますっ!」

「ああ、こちらこそよろしゅうな! さて、じゃあ俺の車で移動するから先に建物の前で待っててもらえんかな?」

「建物の前でですね、わかりました!」


 なんかここに来ることが決まったとき並に、あっという間に話が決まりすぎて嬉しすぎるんだけど、上手く行き過ぎて逆にそれが怖いかも。とは言え、こんな美味しいチャンスをみすみす逃したくもないし。あぁ、とは言え……。


「おーい、仁くん。きこえてるかー、もしもーし?」

「えっ!? あ、アニキ! いつの間に!?」

「いつの間に、というか五分くらい車の中で待ってたんやけど、仁くんがあまりにもこっちに気付いてくれへんからさ(笑)」

「ご、ごめんなさい! ついこの状況が嬉しすぎるので、そのことを考えていたら」

「そうか、そうやったんや。まぁ、とにかく車に乗ってな。早速現場に直行するぞ~」

「わかりました! 急いで乗ります!」

(やってしまったー!)


 そんな失態を早速してしまったものの、車の中でのアニキとの会話は本当に刺激的というか楽しかった。


「なぜ本社なのに、社員専用の机がないのか?」

「なぜアニキはジャージ姿で出社したのか?」

「コーチングってどういうことをするんですか?」

「そもそも、なぜ自分をお仕事の現場に誘ってくれたのか?」


 などなど。一度質問をしだしたら止まらなくなってしまい、ずっと質問攻めだったけれど、アニキは全く嫌な顔を一つせず出し惜しみなく質問に答えてくれたし、そこから付随していろんなことを教えてくれた。


「もうすぐ現場の高校に到着するよ。ジャージを一つ貸すから更衣室で着替えてきてもらえるかな? 俺は先に体育館に行っているからさ」

「了解しました! では、ちょっと着替えてきますね」


 そう、今回のアニキの仕事上の役割は『高校バレーボール部のフィジカル面とメンタル面のコーチ』である。

 あらゆる面で部員のサポートをする立場ということはわかったけれど、そもそもコーチってどういうことをするのかを車の中で聴いてみた。


「アニキ、コーチングって実際どんなことするんですか?」

「コーチング自体に具体的な形はないんやけど、聴いたり、質問したりしながら、人との信頼関係を築いたり、目の前の人の可能性を引き出す手法の一つだよ。

 それとは対照的に、ティーチングというのが一般的な学校教育と同様にやり方・方法を直接教えること。

 どちらが良いとか悪いとかではなく、必要に応じて使い分ける感じやな」

「たとえば、アニキだったらどんなときにコーチングをして、どんなときならティーチングをしますか?」

「そうやなぁ。たとえば、仁くんが初めて訪れたデパートでいきなり火事になったとする」

「えっ!? いきなり火事ですか(笑)」

「そう! となると、早急に避難しないといけないよね? そのときに、もし店員さんに「各自の判断で行動してください!」と指示されたらどう? 避難できそう?」


 アニキの言われたことを、目をつぶってイメージしてみる。

 これまで火事の現場を直接見たことはないが、とにかく緊急事態に見舞われたとき、その指示で自分は動くことができそうだろうか。


「……いえいえ、できそうな気がしないです。そもそも非常階段の位置も知らないですし、出火地点も知らなければ各自の判断で行動だなんてとてもじゃないけどできそうもないです」

「せやな。俺もそう思う。じゃあ今度は逆に仁くんがそのデパートの現場責任者だったとする。そうしたら、毎日の社員への対応を仁くんならどうする?」

「現場責任者ですよね? だったら、社員の現状を確認して状況に応じて指導したり、相談に乗ったり、臨機応変に対応すると思います」


(それくらいのこと、誰でもそうするんじゃないのか?)

仁はそう思った。


「そう、つまりその人の状況に応じて必要になる対応が異なるってことやねん。先ほどの話の前者では、全く知識や経験がない人に対しては話を聴くというよりも、実際にその方法を教えることが優先される、というわけやな」

「なるほど。確かにスポーツでも最初はやり方やルールを教えてもらわないと楽しめないですし、上手くなれないですしね。そういったときはティーチングが必要になりますね。そして、慣れてきて実際に試合に出られるようになったときには確かに教えてもらうというよりも、自分たちで考えてプレーをする機会をつくってもらっていた気がします」


仁は高校から始めたバレーボールのことを思い出してみて、そう答える。


「そうか、仁くんもスポーツをやっていたんやな。何のスポーツをやってたん?」

「小学生のときは水泳、サッカー。中学生のときはバスケットボール。高校生・大学生・院生のときはバレーボールをやっていました。今は何もしていないんですが……」


 ずっと運動が大好きだった仁は、他にもフットサルをやっていたが、社会人になってからというもの、滅多に体を動かさなくなっていた。


「おっ、なら今日はすごく仁くんにとっても楽しい一日になるかもね! なんせ今日は高校の女子バレーボール部にコーチングをしにいくんやから」

「そうなんですね! わぁ、楽しみだな~♪」


 そう、例えプレーができなくてもバレーボールを触らせてもらえるだけでも嬉しいし、あの雰囲気をもう一度味わえるだけでなんか救われる気がする。



「「「「アニキ、ありがとうございました!」」」」

「本日もありがとうございました、正木コーチ! 仁くんもいろいろ手伝ってくれてありがとう」

「こちらこそありがとうございます、監督。みんなの笑顔を見るだけでこちらが元気をもらっている気がするよ。それでは監督、次回また来月に伺いますのでよろしくお願いしますね。みんなもそれまで元気でなー!」


 あっという間の三時間だった。

 部活をやっていたときは、早く練習が終わらないかなっていつも時計ばかり気にしていたけれど、一時間がものすごく長く感じていたことを思い出した。

 でも、今日は本当にあっという間で、選手たちも活き活きとプレーをしていて、自分のように時間を気にしている選手は誰ひとりいなかった。

 こういった場創りをする仕事があるんだという興味以上に、アニキの相手と接するときの人柄を客観的にも見せてもらえて本当に良かった。


「仁くん、今日は手伝ってくれてありがとうな! 監督も選手も喜んでくれてほんま良かったよ」

「いえ、こちらこそこんな貴重な場に同伴させていただけて本当にラッキーでした! ありがとうございます、アニキ! 会社を休んできてやっぱり正解でした!」


 いやぁ、久しぶりに気持ちの良い汗がかけて、声もたくさん出せて、最高に今気分が良いぜ。


「そっか、喜んでもらえてよかったよ。飲み会のときとはまるで別人のような仁くんも見れたしね」

「あははは。スポーツやっているときは素の自分でいれている気がして、周りが見えなくなってしまうくらい夢中になるスイッチが入ってしまうみたいです。おかげでスパルタ教育って後輩や同期に言われてしまったこともありましたし」


 会社までの帰りの車の中で今日の振り返り中。アニキの問いかけ一つ一つが、最近は思い出すこともなかったことを思い出すキッカケにいつの間にかなっていた。


「そうなん? でもほんまに楽しそうにプレーをしたり、選手と話をしたりしていたし。あのときは選手とどういったこと話してたん?」

「最初はこちらから学校生活について聴いていたんですが、逆にぼくの学生時代のことや今のことを聴かれて、それに答えていた感じです。特に三年生のみんなは進路のことで悩んでいたみたいなので」

「へぇ~。ちなみに仁くんはそうやって聴くこととか教えることとか好きなん?」

「好き…だと思います。なので、大学時代には家庭教師をやっていました。

 けれど、正直会社に入ってから話すのが下手だと思うようになり、そういったことは苦手としてきたんですが嫌いではなかったみたいです。そういえば、小さい頃からスポーツにしろ、勉強にしろ、好きで教える側にまわることが多かったので、そのときの影響が強いのかもしれません」


 (家庭教師かぁ。彼は元気にしているだろうか?)


 仁は大学時代に初めて受けもった生徒のことを、久しぶりに思い出した。


「そうなんかぁ。今の職場ではどうなん? まだ入社したてだから、教わる側かな?」

「そうですね、まだ二年目なのでようやく仕事をやれるようになった感じです。やりがいのある仕事ですし、先輩社員や同期もみんないい人ばかりなんです!」

「それは良い会社に入ったんやね! じゃあ毎日は充実してるんかな?」


 (充実…)

 そのフレーズを聴くと、仁はウッと胸が締め付けられる感じがする。


「充実している、といえば充実しているのかもしれません。いつも朝早くから終電ギリギリまで仕事漬けですし。だけど……」

「だけど?」

「なんかやりがいはあるし、人にも恵まれているけれど、ワクワクしてこないんです。」

「それは何でなん?」


 何で?


「……先輩社員を見て仕事をワクワクしている人がいないんです。なんか自分と同じようにやらされている感じがして。それと全く正反対なくらい、アニキはワクワクしながらお仕事をされているのが傍から見ても伝わってきましたし。アニキは最初から仕事を好きでワクワクやれていたんですか?」

「最初は好きにもなれなかったし、ワクワクやれなかったこともあったよ。むしろその時は周りの人や環境のせいでそうできないと思っていたくらいやったしな」


 今のアニキからすると、とても意外な感じがした。というか、まさしく今の自分がそんな状態だ。好きでやれていないのもワクワクしてこないのも、周りの人や環境のせいにしてしまっているし。


「じゃあ、アニキはどうやって今のような感じになっていけたんですか? そこが知りたいです!」

「聴きたい?」

「はい、是非!」

「実は大したことはしてないんよ。ただ自分の好きなこと・やりたいを仕事にしただけかな。もちろんいきなりそうなれたわけではないんやけどね」

「『好きなことを仕事にするといい』って就活のときに読んだ本でも書いてありましたが、そういったことが可能なのはごく一部の人たちだけかと思っていました」


 そう思ってしまうのは仕方ないだろう。

 だって、周りの大人で好きで仕事をしている感じがする人とは、これまで出逢ってこなかったのだから。


「確かに『好きなことを仕事にするといい』とは思うけど、だからと言って厳密に言うと『好きなことを仕事にするって決めること』かな」


 ん?

 どういうことだ?


 仁はアニキが言った言葉をもう一度頭の中でリフレインしてみたが、意味がよくわからなかった。


「何が違うんですか? どちらも同じように聞こえるんですが」

「ごめんごめん。もうちょっとわかりやすく言うと、『どんな状況でも、お金払ってでもやりたい』という強い気持ちを『好き』と置き換えてもらってもいいかな。俺の場合は、今の仕事をどんな状況でもやりたいと思ったし、実際独立した当初一年間はまったく仕事がなくてね。経済的にはボロボロだった。何度も途中で諦めそうになった。でも、途中で諦めることができなかった。なんでだと思う、仁くん?」

「諦められないくらい……好きだったからですか?」


 そんなこと、俺にもあるのだろうか?


「そうやね。もうちょっと詳しく言うと、自分で選択して決めた仕事だったからかな。だから、途中で諦めようと思っても諦められなかった。最初はそれが辛いって感じてたし好きだとは思えていなかったけれど、続けていたらいつの間にか楽しいって感じられるようになって。気が付いたら仕事が順調になってきた感じやった」

「そうだったんですね。好きなことで今仕事ができる人は、そうやって自分で仕事を決めてきたから今でも続けられているんですね!」

「全員がそういったわけではないと思うけどね。でも、どんな場面でも自分で決めて、続けている人は結果的に仕事を好きに思っている人が多いのかもしれへんね」


 なるほど~。確かに。いろんな形があってもいいのかも。今まではこうしないと上手くいかない。こうすると上手くいく。というような二択しかないと思っていたけれど、いろんな選択肢がある方が何か知らないけれどワクワクしてくる感じがしてきたぞ。


「おっ、また良い表情してるね、仁くん。何考えていたん?」

「あ、顔に出てました? 実は、今まで好きな仕事かどうかが大切なんじゃないかという発想で、とても窮屈だったんですが、アニキの話を聴いていたらいろんな選択肢があって、それを自分で決める生き方があるって知ったら、何かワクワクしてきまして♪」


 そうこの感じ。

 決められた選択を押し付けられるんじゃなくて、自分で感じた選択肢の中から選んでいける感覚。

 この感覚を初めて味わったのは、さっき思い出した家庭教師のときだったなぁ。あのときは本当に楽しかった。


「うんうん、やっぱり仁くんはそういった生き方がしたいんやな」

「やっぱりとは??」

「実は、先日会った交流会は視察もかねていたんよ。東京支部設立のために必要な人材をね。その基準は、何をしているとか、どんな地位にいるとか関係なくコミュニケーションを図れて、かつ自分で何かしていくことが好きな人だったんだ。そうしたら、他の人と群れないでいる面白そうな若者がいるじゃない」


 仁はアニキの話を聴いていくうちに思い当たる人物が思い浮かび、運転しているアニキの方を驚いて振り向く。


「まさかそれって……」

「そう、そのまさか♪ 話してみたらやっぱりって。でも、その時に全部判断できる訳ないから、最後は自分からアクション起こせる人が欲しいかなってね。実際に名刺交換してコンタクトをとってくれたのは、仁くんただ一人だけだったしね。しかも、仕事を休んででも会いに来てくれるやん」


 前方を見ながらだか、嬉しそうに話すアニキの横顔を見て、嬉しさのあまり仁の瞳から自然と涙がこぼれていった。


「そう…だったのですね! もうアニキと会って話してから、もっともっと話したいと思い、いてもたってもいられなくなりまして……でも、ぼくってそんな一面見せていましたっけ?」

「ん~。話している内容とか、スキル的なことではなくて。そう感じたってところやな。で、どうかな?」

「そう感じた……んですね。でも、なんかすごく嬉しいです。といいますか、あまりにも突然の嬉しいお誘いでなんといったらいいのか……」


恥ずかしそうにしている仁をアニキは見て、一旦路上に車を一時停車して、改めて仁と向き合って想いを伝えることにした。


「ははは、そうやよな! 正直なことを言うと、仕事をするまではその考えはまだ保留のつもりだった。でも、実際にさっき一緒に働いてみて、こいつとなら一緒に働いてみたいって思った! 一緒に仕事をしないか、仁くん」

「はい、是非一緒に働かせてください! 改めてこれからよろしくお願いします、アニキ!」


 もうそこまで直球で言われたら、断わったり保留にしたりする気も起きなかった。

 今勤めている会社のこととか、その後の生活のこととか、親の報告とか。先のことを考えると不安な気持ちになるけど、「今の自分を、そしてモヤモヤとした現状をなんとかして変えたい!」ってずっと強く思ってきたから、今日初めてその一歩を自分で決断できた気がして嬉しかった。


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