第3話 師匠との出逢い
二〇〇九年三月六日午前六時
♪♪~ ♪♪♪~ ♪ ♪~♪♪
「あれ、もう朝? いつの間に眠っていたんだろう」
ボサボサの髪の毛をクシャクシャにしながら、仁はベッドから起き上がった。いつもは目覚ましが鳴ってもなかなか起き上がらなかったけど、今朝は不思議とパッと起きることができたことに、自分でもビックリしている。
せっかくだから、いつもより早目に寮を出て会社に向かうことにする。普段はサンロード商店街を抜けてショートカットして吉祥寺駅に向かっていたが、今日はなんだかいつもと違う陽の当たる道を通りたくなって、わざわざ遠回りして駅に向かった。
(おっ、こんなところに美味しそうなラーメン屋があるぞ!
遠くまで自転車の空気入れにいっていたけど、家の近くにサイクリングショップあるじゃん♪)
今までと何ら自分の置かれている状況は変わっていないのにも関わらず、昨日までとは全く見える景色が変わった感じ。こんなウキウキとした感覚で出勤するのは初めてかも。
「お先に失礼いたします!」
仕事もあっという間に終わり、同じ部署のみんなに向かって挨拶をして、久しぶりに十八時半前に退出した。
松山は少し前に「用事があるから」と言って先に出ていたので、これからJR秋葉原駅中央改札口で合流することに。
集合場所に着いたら、松山がスーツを着ている男女と一緒にいるのを見つけた。
「まつやまー、お待たせっ!」
「おっ、さすが仁! 時間ピッタリだな。じゃあみんなで会場に行くとしますか」
山手線に乗って会場に向かう最中に、松山と一緒にいた男女とも話をする機会を得た。どうやら自分と同じように松山に誘われたようで、松山の大学時代の先輩達のようだ。
大学を卒業したら先輩や後輩どころか、同期とも全く会う機会もなかったので、卒業後もそういった関係が築けている松山のことがますます羨ましく思えると同時に、嫉妬心が湧いてきてしまった。
(いかん、いかん。そんな松山に嫉妬してもどうしようもないだろ、おれ)
湧き上がってきた想いを無理やり打ち消して、なんとか笑顔で会話を続けた。
時間ギリギリに会場のあるビルに着き、エレベーターに乗って六階へ。六階について矢印に従って会場に向かうと一〇〇人くらい収納できる部屋にたどり着いた。
受付を済ませて部屋の中に進んで行くと五、六人で一固まりの島ができていて、すでに七〇人以上の方がその周りで話をしていた。
ちょうど四人が座れる島があったので、そこに座ることにした。
(それにしてもすごい人だなぁ。絶対に浮いちゃうこと決定だな、こりゃあ)
いつからか人がたくさんいるところでは話すことが億劫になり、同じ席にいながら自然と傍観者になることが多くなっていた。だから、当然大勢での飲み会では行っても楽しめない自分がいた。
(でも、今回は四人で来ているし、このメンバーとだけだったら何とかなるかも)
そんなことを思っていたら、交流会が乾杯の挨拶とともにスタート。ひとまず一緒に来たメンバーとの会話を楽しんだ。
しばらく経ったら、松山が自分たちに「他のグループと交流しないか」と誘ってくれた。その気持ちは嬉しかったが、あれだけ昨日ワクワクした気持ちは完全に消沈してしまっていたので、正直全く気持ちが乗らなかった。
「ありがとう、松山。でも、おれはもうちょっとここでゆっくりしてから行くよ」
「そうか! じゃあ三人で先に行ってるから、気が向いたら来いよ」
「あぁ、わかったよ!」
「ふぅ、とは言いつつも、あんまり合流するつもりもないんだけどな」
「そないに不機嫌そうに食べていると、折角の旨い料理も無駄になるぞ?」
「えっ!?」
ぼやきながらご飯を食べていたら、突然後ろから空いている椅子に座った男性から笑顔で声をかけられた。
男性は四〇代前後で、関西弁からすると出身は関西の方かも。服装はスーツではなくTシャツの下に黒色の長袖を重ね着していて、紺色のジーンズを履いていた。サラリーマンかもしれないけど、今日は休みなのかもしれない。表情は笑顔で、とても親しみやすい印象を受けた。
「え、あ、ごめんなさい! 大勢の中は慣れていないので」
「そうなん? そうは見えへんかったけどな」
ギクッ!?
確かに自分の発言には若干誤りがある。『慣れていない』のではなくて、『苦手になった』という表現の方が正確かもしれない。
「昔はよくみんなの輪を率先して作る方だったのですが、いつの間にか苦手になってまして」
「そうなんや。昔はどんな感じだったん?」
「実際に高校生時代まではよく学級委員をやったり、班に分かれれば率先して班長を引き受けたり、どちらかというと大勢の中でこそ自分を出そうとする子だったと思うんです……」
「そうそう、パッと初めて君を見たときそんな印象を受けたんやんな。だからか、気になって声を掛けたんや」
これまでは自分からあまり話さないことまで喋ってしまっていることに、ハッと気がつく。
しかも、初対面の人に。
「そうだったのですね、ありがとうございます。ご挨拶が遅れましたが、ぼくは梅里仁といいます。あなたのお名前は?」
「おれは正木浩志、みんなからアニキって呼ばれているから、仁くんもそう呼んでくれんかな?」
「アニキさんですね、よろしくお願いします!」
「いやいや、さんはいらんよ! そのままアニキで!」
「じゃ、じゃあ。アニキ」
「おぅ、よろしくな仁くん!」
「はい! よろしくお願いします、アニキ」
いきなり初対面であだ名をそのまま呼ぶことにはかなり抵抗があった。特に年上の方に対しては。なぜなら、ずっと運動部に所属していたので、先輩には必ず『~さん』『~先輩』と呼んでいたから。
でも、なぜかアニキに対しては今までよりは抵抗感なく、あだ名で呼ぶことができた。どちらかというと、『アニキ』というとヤクザの印象があって、それで一瞬ひるんでしまった。
(でも、なぜこんなに話しやすいんだろう?)
その原因は良くわからないけど、とにかく話しやすい印象だけは最初からある気がする。
「それで、仁くんは大勢の中にいることが苦手になったん?」
そんなことを考えていたら、アニキが質問をしてきてくれた。
「それがその後いろいろあって、それが原因なのかわからないのですが、自分を出すのがいつの間にか怖くなったんです。だから、大勢の中で生き生きしている友人がとても羨ましくて」
「さっき話していた彼かな?」
「はい。会社の同期で一番仲が良いんです。ぼくは社外に友人や知人はほとんどいないんですが、彼は社内にも社外にも顔が広くて……」
「それが羨ましい?」
アニキにそう聞かれて、フッと松山の方を見た。早速今日出逢った人たちと一〇人くらいで輪になって、楽しそうに話しているようだ。しかも、みんなが松山の方に体を向けていて、もう中心になっている感じ。
「はい、羨ましいと同時に、自分にないものを持っている彼に嫉妬心も最近出てきて。今も彼の方を見ただけで、腹の中がモヤモヤしてきちゃってます。親友なのに、そんな風に思っちゃダメだと思ってはいるのですが、なかなかそうはいかなくて」
「それは辛いなぁ」
「もう、いつもそんな感じです。彼と話しているときはすごく楽しいから一緒に行動するのは楽しみな一方で、大勢いると今みたいな状態になってしまって」
松山の方を見てみると、彼の周りには相変わらず人だかりができていて、その中心に彼がいるような気がする。
『さすがだな』と思う反面、やはり『羨ましい』と思う。そして、そのあとはその思ったことがよくないと思って否定して、また落ち込む。仁は再びその思考のループにはまっていることに、本人でも気づいていないようだ。
「本当に彼のことが好きなんや」
「えっ!?」
「ははは! もちろん仁くんの想像していた意味じゃなくてなっ!」
「あ、あははは! そうですよね! もうビックリしましたよー。でも、確かに人として好きなのかもしれません。彼がいなかったら社内で孤立してしまっていた気がします」
「そうなん?」
「なんとなくですが、そんな感じがしてます。もう少し自分から色々働きかけられたらいいのですが、恥ずかしいというよりはなんかもっと別の何かで動けなくなってしまっているような」
(そう。その『別の何か』なんだ。今でも朝礼のときに大勢の前でスピーチするときは、緊張はするけど、別に嫌な気がしないでできているし。ということは……)
話しながら、今は頭の中でいつも以上に高速で考え始めていた。そんな自分に対して、アニキは声を掛けるのを待っていてくれた。
「……もしかしたら、『恥ずかしい』という感情よりも『自分を出すことへの恐れ』なのかもしれません」
五分くらい経った頃、ふっと言葉が降りてきてアニキにそう話していた。と言うか、こんなこと普段から誰にも話したことがなかったので、そう口走っている自分にびっくりした。
でも、なんかその言葉を出しただけで、全身の疲れがふっと抜けたような感じがして、なんか心地よい感じになってきたような気がする。
「うん、良い笑顔になったね! なにか自分の中でわかった感じかな?」
「はい! なぜだかよくわかりませんが、とても気持ちが楽になりました! 話を聴いてくださりありがとうございます、アニキ」
たった数分の出来事だったのに、何かこれまで溜まっていた、溜めてしまっていた何かがすっと抜けていった感じがする。
「どういたしまして。でも、おれは相槌をうっていただけで、仁くん自身が発話思考で解決していったんよ」
「発話思考? 発話思考って何ですか?」
「発話思考とは、話しているうちに自分の考えや思いが整理されていく思考のことで、たとえば、今回の時のように話しているうちに問題が解決しちゃったことや、アイディアが閃いたことあるんちゃう?」
アニキに質問されて、これまでのことを思い出してみる。
大学、就活、就職……。
「あ、確かに! そういったことはこれまでもありました。でも、それは信頼している間柄での話で」
「じゃあ、話してくれたってことは俺のことも信頼してくれたん?」
確かに、アニキにはなぜかいつの間にか普段話したくない自分の思いを話してしまっていた。ますます今の自分の状態がわからなくなってきた。
「はははっ! そんなに悩まなくても良いんよ、仁くん。君は自分の力で答えを導き出せる力があるんだから、その力をまずは自分が信じてあげないとね!」
「……そうですね、自信はないですがそう思ってみます」
「こらこら。自信がなかったら、自分を信じられないぞ?」
「あっ!? 確かに(笑)」
「もしまだ自分のことを信じられなかったら、無理に信じることはないぞ。その代わり、仁くんのことはおれが一〇〇%信じるから。そんな俺のことをまず信じることから始めてみーへんか?」
「ありがとうございます! アニキの言葉、とっても嬉しいです!」
嬉しいなんてもんじゃない。むしろ、今まで自信を持とうとすればするほど、それを裏切るような結果を目の前にして余計に自信を喪失してきたくらいだ。初対面の相手のこともこうやって信じてあげられるアニキがすごいと思った。『どうしたら、アニキのようになれるんだろう?』そんなことを考えている自分がいた。
「また何かあったらいつでも連絡してな! この名刺に連絡先を載せているから」
と言って、名刺を渡してくれて、(立志社の社長さんなんだ!?)と思った途端に緊張してきた。
「仁くん、そんなに緊張しなくてもええよ! 実は去年大阪に設立したばかりの人財育成会社でね。社長だけど、スーツを着るのがどうも苦手でね」
「わかります! ぼくもスーツを着るのはいまだに苦手で」
「せやな! まぁ気兼ねなく連絡してな」
「はい、ありがとうございます!」
そう言い交わした後、アニキは席を離れて他の席に向かった。
(あぁ、びっくりしたぁ。まさか本当に社長さんに会えるなんて! しかも、初対面でこんなに心が開ける大人に出逢ったのは初めてかも! こんな大人に自分もなりたいなぁ)
結局この後何があったかは覚えていなくて、帰宅してからもアニキに会えた興奮で終始いっぱいだった。
『何かが変わっていく』
そんな感覚にワクワクしながら、ベッドでゴロゴロしていたらいつの間にか眠ってしまっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます