第2話 迷子
二〇〇九年三月五日午後十時
「はぁ、今日も終電間近かぁ」
時刻は夜の十一時。梅里仁は仕事がようやく終わって、椅子に座ったまま大きく背伸びした。
JR秋葉原駅と平行して走っている首都高速道路(昭和通り)。昭和通り沿いに並ぶビル群の一つに、仁の務めている会社OTC株式会社のビルが建っている。OTCはIT企業として東証一部上場していて、現在自社開発している基幹業務ソフトの大企業へのシェア率が約九割を占めて、完全に市場を独占している。
環境系の大学院に進学した仁は博士課程に進むか、就職するかどうか迷った末に就職することを決めた。就職活動当初はもちろん環境問題に携われる仕事を探していた。しかし、実際にいろんな説明会に参加してみてわかったことが、どの企業も『今の環境を破壊することが前提』での都市開発だったり、地域開発だったりしていて、環境に対する向き合う姿勢がどうしても納得できなくて、途中で環境系企業に就職することを断念した。
とはいえ、今までずっと一つの分野に絞って就活していたため、今度は幅広くとにかく自分がピンっとくる仕事を探して、できるだけ多くの合同説明会に参加して話を聴いてまわった。
その反面、修士論文を作成するためにはできれば年度内に内定をゲットしたかったので、悠長に説明会ばっかり受ける訳にもいかず、かと言って、ピンっと来る仕事もなかなかなく正直焦っていた。
そんなとき、たまたまいつもは読まずに削除していた就職サイトからのメールにピンっと来るフレーズを見つけて、「ここは面白そうかも」と思って説明会に参加。それが今勤めている会社との出逢いだった。
実際に参加してみたら、どうやら他の説明会や選考のときよりもとても雰囲気が良くて、待遇も良かった。説明会が終わってからの質問会にも先輩社員が親切に応対してもらえたので、「仕事内容うんぬんよりもこの人たちと働いてみたい」と思い、選考に進むことを決めた。
それからの就活は本当に楽しくて、他の企業の選考を受けるようになり、実際に書類選考で落ちても落ち込みを引きずることもなくなっていた。最終的には無事にOTCから内定を頂けたのは良かったけれど、なんか就活がこれで終わってしまう寂しさも感じたのを今でも覚えている。
会社は研修体制もバッチリ整っていて、内定者研修は内定式が終わると同時に始まり、入社式前から半年間の新入社員研修も開始された。住まいは横浜から東京の吉祥寺にある会社の寮に引っ越して、新生活が始まった。
研修は丸一日ビッシリあって正直しんどかったけれど、同期の仲間たちと半年間乗り切って、これまで一緒に学んできた新入社員はそれぞれの部署に配属が決まった。
「バラバラに別れるんだ」と実感したときとても寂しい気持ちになったが、これから仕事が本格的に始まる緊張感もあって、気持ちをすぐに切り換えることにした。
それから半年経った今、面倒見の良い先輩社員や上司のおかげでなんとか仕事も覚えてきた。その中からやりがいも見つけてきたが、どこかでくすぶっている自分がいるのを時々感じる。
毎日夜遅くまで働いて、お酒は飲めないから居酒屋にはとことん縁がなく、家と会社の往復。時々気分転換に大好物のラーメンを食べに行くのが唯一の気分転換。
それ以外は特に変化がなく、付き合う人も変わらず、ある意味安定していている生活に楽しさを感じることができずにいた。
『思い切って会社辞めよっかな』と何度そのフレーズが頭の中をよぎったか。
でも、結局辞めてどうこうするあてもなければ、「その会社に三年勤めてみなければ適性どうこうや、楽しさはわからない」と周りの大人たちに言われてきて、確かにそれも一理あると思い、ますます悶々とする日々が日に日に増えていって今に至っている。
「仁、これから駅前のラーメンを食べにいかないか?」
そんなことを思い出していたら、同じ部署に配属になった同期の松山からラーメンの誘いを受けた。
「おっ、いいねっ! 今日は久しぶりに冷えてるし、今から行けば終電にはなんとか間に合いそうだし、久しぶりに行くかっ!」
そう松山に答えてから、さっさと帰り支度をしてビルの外に出た。もう夜十一時にもかかわらず、相変わらずアキバの街は人でごった返し。
ほとんどお店はまだシャッターは閉まっていなくて、街は眩しいくらいに人工的な光で満ち溢れている。
秋葉原駅前にある麺屋武蔵はいつも行列ができるくらいの繁盛店で、オススメするお店の一つだ。武蔵はチェーン店だが、どのお店も味や麺が違い、どこも好きではあるが、やっぱりここか渋谷の武蔵かな。そう思いつつ、松山と共にお店に向かった。
松山とは内定研修から気が合い、それ以来同期の中では一番仲が良い。外食に行くといったらほとんどが松山とである。しかし、松山は人脈が広く、会社の先輩方とも食事にいったり、社外の人たちとも幅広く付き合っていたりして、それでいてとても仲間想いなため、自然とみんなに好かれるタイプ。
それに対して自分は、ここぞっていう時は動けるがそれ以外はどうも控え目になってしまい、そんな松山を尊敬しつつも、羨ましくも思っている。
駅に向かう人波に乗っていき、歩いて五分くらいのところにあるお店に到着。さすがにもう夜遅いからか行列は出来てはいないが、ほぼ満席。たまたま席が二席空いていたので、食券を買ってからそこに松山と一緒に座ってラーメンを注文した。
「そういえば、仁は明日の金曜夜、空いてる?」
「明日の夜? 急だなぁ、う~んと。うん、その日はすぐにあがる予定でいたから時間は空いてるけど、何かあるん?」
「そうそう! その日に知人からある飲み会に誘われて参加しようと思うんだけど、仁も一緒にどうかな?」
「飲み会かぁ、ほとんど飲めないからなぁ」
「そんなこと全然気にしなくても大丈夫だって! 明日の飲み会は単なる飲み会というよりは異業種交流会に近いからさっ。なんか知人の話では、全国を駆け回っているような社長さんも参加するらしいぞ」
「へぇ~、敷居の低い会に社長さんでも参加するんだね」
「そうだよなぁ。で、どうする? もし参加するなら知人にその旨伝えておくけど」
正直ものすごく興味があった。
これまで社長という肩書きの人と会って話したことはほとんどなく、話したことがあるのはうちの会社の社長くらいだった。話したといっても、ほんの挨拶程度だけど。
お酒が飲めないことに対してまだ抵抗感はあったけれど、今回の場合はなぜか興味の方が勝っている感じがする。
「ラーメン大盛り二つ、お待ちどうさまです!」という威勢の良い掛け声のあと、まずは二人ともラーメンを受け取った。
「じゃあ俺も参加するよ! 誘ってくれた方にもよろしく伝えておいてよ!」
「おっ、仁も一緒に行ってくれるなら心強いよ! じゃあ、伝えておくな。十九時に田町だから、十八時半には秋葉原駅を出発する感じで」
「了解。誘ってくれてありがとうな、松山」
そうお礼を言ったら、松山は早速ラーメンを食べ始めていて、『気にすんな』というような気さくな笑顔で謝辞を受け取ってくれた。
ラーメンをさっと美味しく食べ終えて、二人で寮のある吉祥寺に帰ってきた。「じゃあ、また明日な」とお互い言ってから別れて、一〇一号室の自室にようやく帰宅。
「ふぅ、疲れた~」
帰ったらすぐにさっとシャワーを浴びて、バタッとそのままベッドに倒れ込んだ。
いつもは疲れた感じだけで終わるけど、今日は久しぶりのワクワク感に浸っていることができている。そのことがなんだか無性に嬉しい。
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