第7話 運命が決まる日

 楠木勢到着。

 大塔宮はそう伝え聞いた。

しかし、出迎えてみると供廻ともまわりはわずかに百騎余りと見える。

これでは今までのぞうぞうの衆と変わらないではないかと思ったのは言うまでもない。


「正成殿」


 と、まだ息荒い正成を呼び止めると、この宮としては珍しく二の句をためらった。


「これは大塔宮様。おんみずからのお出迎え、この正成恐悦至極に存じます」


「う、うむ。主上に謁する前に訊ねておきたき儀があるのだ」


「軍勢の事にございますれば大半を河内赤坂に残してございます」


「赤坂とな」


「はい。帝に拝謁した後はすぐさま彼の地へ駆け戻り、そこで戦を起こします」


 大塔宮には正成の真意が判らない。

だが、目の前で柔和に微笑むこの男を見ていると、絶対の自信が感じられるような気がする。


「……判った。正成殿の策略、主上の前でれき出来るように取計ろう」


「ありがとうございます」


 戦地笠置の行在所あんざいしょは、きゅうごしらえの為か御簾みす越しにはっきりとりゅうがんの拝めるほどであった。

 ために最初、公卿たちが正成の拝謁を許さぬ気であったと後に大塔宮から伝えられた。

 この件は、後醍醐天皇が「自らの夢のお告げによって召し出した者である。是非にも会うておかねば」としたので、これを許されたようである。

 謁見は廷臣ていしんたちの罵倒で始まった。


「主上お旗揚より幾日経っておるか」


「何はなくとも駆けつけてこそ忠義ではないか」


「それを恐れ多くも主上の勅を待ってやって来るとは何事か」


「しかも、聞けばわずか百騎ほどの軍勢しか伴って来なかったというではないか」


 正成はじっと平伏したまま聞いている。

 帝もまた、目を細めて聞いていた。

 いや、罵倒の言葉を浴び続けている正成を見つめているようだ。


「その方すぐさま河内へ取って返し、兵を集めて来やれ。その方ならば簡単に一千や二千は集めて来られよう」


 そこまで言われてさすがの正成も苦い顔をした。

 確かに正成の徳と実力を持ってすれば、それくらいの兵力を集める事は難しくはないだろう。

 だが、それは戦の為に集められる人々である。

 人を殺し合う為に集められるのだ。

 一体この廷臣たちは人の命をなんだと思っているのか。

 と、それが正成のじゅうめんの理由であった。

 正成は思い出す。

 あの日、叡山で大塔宮は彼らが戦を算術で計っていると言った。

 そして思う。

 ここまで民草の命を軽視しているのかと。

 思うとまた、あの不安が心をよぎった。

 帝のご親政で本当に万民の為の政が行えるのだろうかと。

 正成の渋面は、正面から見据えていた帝のお気の付くところとなった。


「もうよい。何ぞ思う所あっての事であろう」


 と、廷臣たちを鎮め、改めて正成に自らお声を掛けられた。


「多門兵衛と申したの。それ程兵を集めるのが嫌か」


 正成はさらに体をかがめて、上ずる声を抑えるようにゆっくりと言葉を選ぶ。


「合戦は、命のやり取りにございます。望まぬ者に無理強いはいたしたくございません」


 廷臣たちはすぐさまその言葉を聞き咎めた。


「望まぬものとは何事。主上のお旗揚を望まぬ者がおると申すか」


「そうではございませんが、仮にも敵は坂東の荒武者。命惜しき者、覚悟無き者を寄せ集めても太刀打ち出来ません。旗色悪しと見ればたちまちのうちに蜘蛛の子を散らすが如くなりましょう」


「ではその方、連れてきた覚悟の百騎で笠置を守ると申すのだな」


「いえ、河内にて挙兵致す所存」


「なんと」


「本日は、錦の御旗を頂戴致したく参上仕った次第にございます」


 廷臣たちは再び騒ぎ出した。

 主上をお守りせずして何とする。

 我らが命に従え。

 というのが主なものだった。

 正成はそれらに答えず、穏やかな眼差しで御簾越しに帝を見上げた。

 河内赤坂で挙兵する旨は、大塔宮が既に帝にお伝え下さっている筈である。

 彼は帝のご決断を待った。

 帝はそっと大塔宮へ目配せして廷臣たちを黙らせると、再び正成に声を掛ける。


「皆には口を挟ませぬ故、思う所を包み隠さず申し述べよ」


 河内の新興土豪の一人に過ぎない楠木党の当主正成にとって、まさにうんじょうの人たるきんじょうの帝が人を介さず、しかも二度にわたってお言葉を掛けて下された。

 それは異例中の異例事であった。

 帝のお心に「夢のお告げ」という神秘的な効果の影響が多分にあったものかも知れない。

 しかしそれは正成の心にいかずちのような衝撃を伴って、感動と興奮を与えたに違いない。

 あるいはこの事が、正成のその後の運命を決定づけたと言えるかも知れない。

 正成は瞳に凛とした輝きを宿し、自信に満ちた落ち着きのある声で語り始めた。


「坂東の武者は、武力においては精強無比でございましょう。失礼ながら、笠置に籠る軍勢では六波羅軍にさえ劣るかとお見受けします。武力だけではとても敵いません。しかし、知略をもって事に当たれば、その限りではございません。孫子の兵法に『勝ちを知るに五あり』と申します。すなわち『戦うべきと戦わざるとを知る者は勝つ。しゅうの用をる者は勝つ。上下欲を同じうする者は勝つ。りょを以てりょを待つ者は勝つ。将ののうにしてくんぎょせざる者は勝つ。故に曰く、彼を知りて己を知れば、百戦してあやうからず』と。倒幕までには幾度いくたびも合戦に及びましょうが、いちいちの勝敗をお気に掛けられませぬよう。北条氏を滅ぼすまでは、正成一人未だ生きて世にあると聞こえる限り、聖運せいうんは必ず開くとおぼし召し下さいますよう、よろしくお願い申し上げまする」


 正成の言もまた、後醍醐天皇の行動を決定づけたのだが、それは後に譲ろう。

 帝はそれを聞くと、かねて用意していたのであろう。

 流れる水に菊をあしらった御旗と、一振りの太刀を与え下された。

 拝謁が終わると再び大塔宮が正成をおとのうた。


「正成殿には確たる勝算がおありなのか」


 正成は、いつもの柔和な表情で穏やかに答えた。


「確たるものなどございませんが、笠置だけでは勝てぬと、それだけは知れております」


「笠置は落ちると」


「はい。天然の要害にはございますが、笠置一つで鎌倉方の全軍を引き受けられるとは到底思えません。なにより、いつまでもひとところに籠っていては北条高時は討てません。笠置に集まるのではなく、各地で挙兵する事が討幕には必要なのです」


「それが楠木の知略か」


「悪党の知略ですな。大塔宮様。笠置陥落の際は、この楠木の赤坂城をお頼り下さいますように」


「判った。主上にも伝えておこう」

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