第6話 常磐木の夢

「帝のご謀叛が六波羅に知られたと言うのは本当ですか」


 水分の館にやって来た正季は、挨拶もそこそこに上がり込んで来た。


「お前もご謀叛と言うのか、正季」


「なんの話ですか」


「いや、たいした事ではない」


 謀叛とは、家臣が主君に対して背く事を言う。

 とすれば、この国の頂点である筈の天皇が謀叛を起こす事が出来よう筈がないではないか。

 ──と、正成は言いたかったのである。

 たとえこの国を実効支配しているのが得宗高時であっても、大塔宮との会見で語った通り北条氏は鎌倉幕府の執権職にあるに過ぎない。

 とすれば、その主筋である征夷大将軍を任命する天皇に対しては形の上では陪臣ばいしんと言う事になる。

 字義じぎだけを突き詰めるならば「帝御謀叛」とはおかしな表現であると言えよう。


「噂は本当なのですか」


 正季が改めて問い直す。


「本当だ。たびで二度目という事になる。帝にも何かしらの沙汰が及ぼう」


「ではいよいよ」


 この弟にはすべてを話してある。

 故にこの若い弟は「いざ聖戦」とはやり立っているのだろう。

 が、正成はまだ動くつもりはない。

 正成のもとには、正中の変の前に一度日野俊基が訪れたきりである。

 都で偶然にも再会したが、その時は二言三言言葉を交わしたに過ぎず、以来正式な使者は来ていない。

 正成は大義を名分とする為に、帝よりの正式な使者が召し出しに来るまで決起しないと決めていた。


「いずれ帝がお召し下さろう。いよいよ赤坂城の戦支度を本格化せねばなるまいのう」


 正成には宮方の戦力として楠木の名が数えられているとの計算がある。

 再会した俊基が念を押した事や大塔宮が率直に倒幕の意見を求めてきた事で、確信に近いものを持っている。

 それでも時折「もしや」の思いが脳裏をかすめはするが、彼の戦略は帝からの招集を前提に練られていた。

 時代が動き出した。

 それは正成の時代であったと言える。

 後醍醐天皇は六波羅勢から逃れ、夜陰に乗じて京を離れた。

 途中ざんいん師賢もろたかを身代わりとして比叡山へ登らせ、自らは南都(奈良)へと向かわれた。

 帝はその後東大寺からじゅせん金胎こんたいへ逃れ、かさの山で遂に錦の御旗をお立てなされた。

 六波羅軍はまず北嶺比叡山を攻めた。

 帝ぎょうこうと気負った僧兵は、当初散々に六波羅軍を蹴散らしたが、やがて叡山におられる帝が実は身代わりであったと知れて戦意を失う。

 大塔宮らがすぐさま叡山を抜け帝が挙兵した笠置へと合流すると、噂を聞きつけた反鎌倉の兵が続々と集まってきた。

 こうなると六波羅だけで手に負える事態ではなくなる。

 鎌倉への動員がかけられる事となった。

 そうなると今度は二千を数えるまでになっていた笠置軍の方が心細い。

 何せ相手は十万とも二十万騎とも喧伝する坂東の荒武者どもである。

 味方で頼るは正中の変以前からの宮方である足助重範を筆頭として数えるほどしかいない。

 後はまとまりのない小集団の寄せ集めである。

 心労の玉体を横たえた帝が、南に枝葉が繁った常磐ときわの夢を見たのはそんな頃である。

 太平記の記述はここにおいて劇的に正成を登場させる。

 登場と同時に帝のご信頼篤く、自由な行動を許されて抜群の功を立てられるようになるのだが、階級身分にうるさい公家衆がそれを簡単に許すとは考えにくい。

 楠木氏自身「たちばな氏」の末裔であるような記述を残してはいるが、可能性は極めて薄い。

 少なくとも笠置挙兵時点での公家衆にとっては、身分卑しき河内の土豪以上の何者でもなかったであろう。

 やはり、事前に楠木一党を戦力として期待していたものと考えるのが自然である。

 では、後醍醐天皇は果たしてくだんの夢を見なかったのか。

 おそらくは太平記の記述に近い夢を見たのではないだろうか。

 感受性、想像力豊かな時代である。

 まして、その機微をでる貴人の事、まだ見ぬ正成に対しての思い入れが心象イメージとして表現された結果が、例の夢だったのだろうと思う。

 はた、と目覚めた後醍醐天皇は「そういえば、俊基朝臣あそんが申しておった楠木なる土豪がまだ合力しておらぬではないか」と思し召し、早速に近臣を呼び出した。


「──という次第である」


 帝よりの勅使万里小路までのこうじちゅうごん藤房ふじふさの仰々しい長口上を慎んで受けた正成は、すぐさま笠置へ駆けつけた。

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