第10話 楠木再起
楠木党が実効支配していた河内領内は、紀州の御家人
河内に入った彼は、たった数百で八万騎もの鎌倉勢を防いだ赤坂の堅城をそのままに、より強固に建て直し始めた。
それを横目で見ながら、地下に潜った楠木党は、様々に活躍してゆく。
まずは都で帝のご消息を探り当てると、これは正成の読んだ通り、遠流と決まったようである。
それを確認すると、次々と籠城に加わらせなかった者を集めて、籠城中の外の様子を聴き取った。
再起の際には、敵方も前回のようには正成の術中にはまってくれないだろう。
正成の用いているのは「奇略」である。
一度受けた罠は、必ず警戒される。
用心している相手には、望んだ効果は得られない。
同じ攻めで同じ戦果を期待するのは虫が良過ぎるという事を、正成は肝に銘じている。
が、外からあって相手の行動、様子が知れていれば、それはそれでやりようが違ってくるとも思っていた。
うまく思案すれば、相手の用心を逆手にとって仕掛けに誘い込めるかもしれない。
誘い込めれば、前回以上に的確に効果が引き出せるのではないかと考えていたのである。
「で、兄様には、その思案がつくのですか」
「ついた」
事も無げな返答に、今回の赤坂挙兵では城外担当であった恩地左近など、神仏でも仰ぐように正成を見上げる。
「新しい奇略などもいくつか思いついたし、討幕の目処もついた。少なくとも六波羅どもは都より追い出せよう。本来なら我ら楠木一党、帝と共に再起を期してこの金剛山にいるはずだったが、致し方あるまい。後は大塔宮様次第だな」
「正成様。またご籠城のおつもりなのでしょうが、籠られるお城はいかがいたすおつもりですか」
左近の問いに正成は、眼下で完成しつつある赤坂城を指差した
「湯浅の入道殿が、用意してくれておるではないか」
間髪入れずに正季が言う。
「これは以外ですな。兄様は、目的の場所に目的に適った城を築くのだと思っておりましたよ」
「それは既に縄張りも済ませておる。いつでも築城出来るが、あそこに敵方の城があるのはちと困る。それに、正成の知略で、難攻不落と誉れの高い赤坂城を落とせば、楠木再挙は一層衝撃的な響きをもって轟く事になろう」
自らが造った城を「難攻不落の誉れ高い」などと呼ぶのには、多少の気恥ずかしさを感じたのだろう。
赤坂から大切に抱えて来た菊水の御旗を二人の前に拡げて見せた。
「長い戦になるぞ。左近、その方は河内を駆け回って、百姓や馬借たち、他の悪党どもを味方とせよ」
「もとより河内の民は皆、お味方にございます」
「正季は赤坂城に籠った精鋭五百を核に使って、悪党働きせよ。まずは入道の赤坂城の前に姿を現せ。その折、兵は一兵たりとも損ずるな」
「相手は、臨戦の構えで籠ってしまいませんか。どのように落とす気ですか」
「なに、河内の百姓は奴らになど食料を渡さん。そのように左近が仕向ける。その後はわしより得意であろう」
「悪党働きですか。湯浅の本領から来る荷を奪えと言う事ですね」
「その間、正成様は何をなさるのですか」
正成は、金剛山の峰に視線を向けると野良仕事でもするかのような穏やかな口調でこう答えた。
「千早城の普請場を指図する。再び東国から大軍が来るまでに、完成させねばならんからの。その後は大塔宮様がこの正成に呼応して、ご決起するのを待つだけだ」
正成は、卓抜した戦略眼を持っている。
それは的確な情報収集能力と、集めた情報の冷静かつ緻密な分析力に負うところが大きい。
どちらが欠けていても先を見誤る事になるだろう。
自身を含めた大将格三人の役割は、適材適所の見本のようでもあった。
赤坂攻防をくぐり抜けて来た精兵を必要充分に含めた一団は、正季の指揮の下で抜群の活躍をみせ、瞬く間に河内の湯浅党を恐慌させた。
局地戦での戦術という点においては、正季の方が兄よりも
彼は、絶えず赤坂城を窺って見せた。
その都度兵を入れ替えて、ある時は悪党として、またある時は楠木の残党として、事ある毎に城に火矢を放ってみたり、夜中に鬨の声を上げてみせる。
別の機会では河内近在の豪族や悪党と計らって、領内で小競り合いの真似をしてみせたりと心を休ませない。
その間に言われた通り、糧道を封鎖して紀州からの兵糧などの荷を奪い去る。
やがて正季は、頃合いを見計らって兵粮代わりに武具を隠した荷を運ぶ人夫に化けた一団と、これを襲うに見せかけた一団とに兵を分けると赤坂城の前にこれ見よがしに展開させた。
城方としては窮乏していた食糧である。
また奪われてはたまらぬと、城兵を迎えに出して襲撃部隊を追い散らす。
手薄な城内へまんまと入り込んだ楠木兵は、荷の中に隠していた武具を取り出すと、城内を縦横に暴れ回ったのだからたまらない。
結局、湯浅入道以下散り散りとなって紀州へ逃れて行った。
長い領内経営の賜物であった左近の斡旋力も、一連の軍事行動を側面から支援していた効果は計り知れない。
それは正季指揮下の楠木軍の威勢に他の悪党、豪族が
拠点の戻った楠木軍は、これも瞬く間の事に河内から北条勢力を駆逐する。
勢いをかった楠木軍は和泉の国まで切り従えて、いよいよ千早城の築城を本格化させた。
和泉で暴れたのも正成の遠謀である。
前線が和泉にあれば、千早の普請を妨害される事もないと考えたのだ。
後醍醐天皇を隠岐へ流して一息ついたつもりでいた六波羅にとって、それは青天の
自刃して果てたとされていた楠木正成が、河内赤坂城で再び錦旗を掲げたというのであるから、六波羅内での衝撃が尋常ではなかったことなど想像に難くない。
湯浅入道が攻撃を受けていたのは知っていた。
が、それは正成を慕う残党程度のもので、いずれ収まるであろうなどと楽観視していたものである。
それが定仏は退散し、新築成った赤坂城にあろうことかあの楠木多聞兵衛正成本人が、菊水の御旗を翻して挙兵したとなると、一大事どころでは済まされない。
六波羅では、天王寺付近に終結して京を窺う素振りを見せる楠木軍に対峙すべく、畿内の御家人を大動員して防備を固める。
正成がしてやったりとほくそ笑むのが、目に浮かぶようだ。
彼は、正季から六波羅軍が京を出陣したという報せを受けるまで千早の普請に専念する事が出来た。
天王寺近辺は、楠木軍に都合のよい地形になっている。
いや、正成が都合のよい場所を選んで出張っているのだから当然ともいえよう。
鎌倉方は古い合戦作法しか知らない。
たいした策もなく、敵に数倍する兵力で一揉みに蹴散らす気でいる事も都合が良かった。
正成は六波羅軍の正面には橋を挟んで彼自身を先頭に、百姓たちでさえ嘲りそうな姿をさせたわずかな兵を対峙させ、主力を要所に伏せる。
案に違わず数を
不意を突かれて浮き足立つと、かえって大軍は
手柄を競って統制もなく突撃してきた軍勢は、これも統制なく我先に川向こうの陣へと戻ろうと焦り、ある者は討たれ、ある者は水に溺れて京へと逃げ帰って行った。
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