第16話

 フライパンは弱火で均等に温めた。そこに、あらかじめタレに漬け込んでおいた400グラムの分厚い牛ヒレ肉を乗せる。細胞膜、筋膜が収縮し、細胞外の代謝物がアクとして流れ出る。タンパク質の凝固が始まる。


 ラムダはステーキを焼いていた。故郷では生き物を、全て生で食す。血の一滴たりとも無駄にはしないように、どんな生き物でも綺麗に解体できるのが、子供の頃からの自慢だった。


 カイから連絡が途絶えた時、ラムダは独断で後を追った。最初にたどり着いたのはアメリカの田舎町だった。現地の言語や文化を覚え、そして料理も覚えた。


 特に糖分は、衝撃的な発見だった。最初に食べたキャラメルキャンディーの甘さを、今でも思い出す。


 強火でさっと焼き色をつけてから、早いタイミングで弱火にする。様子を見ながら、フライパンを火元から外し、余熱で火を入れ仕上げた。安物ばかりで良い器がないが、仕方がない。


 テーブルに着席し、ナイフとフォークでステーキを切り分け、一切れを口に運ぶ。水分をたっぷり残したレアな焼き加減。肉汁が口いっぱいに広がった。


 目の前に、川瀬蒼という女が座っている。睡眠薬は良く効いていて、まだ、覚醒する気配はない。


 女を人質にして、はたしてカイはやってくるのだろうか。逃げたいのなら、どこにでも逃げ、潜伏することができただろうし、タウと闘う必要もなかった。カイは、我々と闘うこと自体が目的なのか、それとも地球人を守りたいのだろうか。


 もう一口、食べる。これを食べても光球にはならない。量も少ないし、血もない、肉は焼いてしまった。


 光球は、生き物の新鮮な血と肉を取り込むことで、体内で結晶化される力だ。


 我々は生き物を食らい、力を身につける。光球を用いれば得手不得手はあるが、身体の一部を変化させたり、爆発させることもできる。他の星へと移動する船を造る者さえいた。


 数多くの光球を身に宿せば、その分だけ力が使える。だが良いことばかりではなかった。光球を宿した者は、血が泥のように黒く濁り、硬化する。血液の硬化を防ぐためには、大量の水を接種しなければならない。


 バランスドアクアリウムに視線を移す。生態系のバランスが整った美しい世界。カイが何を考えているのか、なんとなくラムダには分かった。このアクアリウムにメッセージを込めていたとするならば、それは批判だ。我々は生態系のバランスを崩す、大食らいであると。


 確かに、その通りだろう。光球による力は、生命維持に必要なものではないし、光球の力を得たいがために、必要以上に奪ってきた。だが、奪うことを後悔したことはない。度重なる戦争に勝つために、力は必要だったのだ。綺麗事ではなく、力を得たおかげで生き延びてきたという事実があるだけだ。


 にわか雨だったのだろう。激しい雨音は、すでに止んでいた。ラムダはステーキを食べ終え、立ち上がった。


 蒼を揺さぶり、覚醒させる。手は後ろで縛ってあった。自分が置かれている状況を理解し、蒼は目を大きく見開いた。


「来たぞ」


 ラムダの言葉に「なにが?」と言おうとしたのだろう。けれど声は掠れ、「が」の一音が辛うじて聞き取れるくらいだった。


「お待ちかねの人さ」


 ラムダは蒼を立たせ、背中を押して、外に出た。

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