第2話

 蒼は迎えに来た母親の軽自動車に乗って帰って行った。


 車を見届けてから、武史は居酒屋に横付けしておいたロードスポーツタイプのバイクに跨がった。シャッターが降り、静まりかえった商店街を走ると、やがて、暗く輪郭だけとなった山々が存在感を増し、武史を囲んだ。


 国道に出た。周囲は延々と畑が並ぶだけで、家の灯りはほとんど見えない。すれ違う車も無かった。ゆるやかなカーブが右、左と続き、少し山道に入った所に、武史の家はあった。


 築100年以上の平屋の古民家で、もともとは売りに出ていた物件だが、あまりの立地の悪さに買い手が付かず、格安の賃料で借りている。


 入口の引き戸を開けると、ガレージのような広い土間があり、バイクを入れることができた。


 土間の奥はキッチンになっていて、後から据え付けたコンロ、シンクと冷蔵庫が並んでいる。床は板張りで、風通しの良い大きな部屋には、二人用のダイニングテーブルとイスが置いてあるが、テレビは無かった。


 代わりに大きな水槽が、家主のような佇まいで置いてある。


 武史は水槽の中の熱帯魚を少し眺めてから、カーキ色のツナギに着替え、外に出た。


***


 国道沿いにしばらく歩き、土留めのためのコンクリートを乗り越え、今度は道がない山の斜面を、木々の間を縫うように進んでいく。明かりが届かない森の中でも、ハッキリと見えているかのように、武史の歩は緩まなかった。


 草を踏む足音が、リズムよく暗闇に響く。3、40分ほど歩いただろうか、急に森が開け、月明かりが辺りを照らした。


 足下の生い茂った草が途切れる。石が敷き詰められていて、その上を、赤く汚れた鋼の棒が一直線に並んでいた。廃線になったレールだ。


 森の中をすり抜けるように、湿った風が吹いた。武史はその風に違和感を覚えた。立ち止まり、身を屈めて、線路の先を睨みつけるように凝視する。


 石が動く音、生き物の気配、息づかいを感じる。


 武史が左手を胸のあたりで返し、意識を集中させると、手のひらからビー玉ほどの大きさの、薄ぼんやりとした光の球体が浮かび上がる。光球は左手を離れ、まるで意志を持ったかのように、空中を滑るように飛んだ。


 武史はゆっくり目を閉じる。光球から見た周辺のイメージが、頭の中に直接流れてくる。


 レールの先、古いトンネルの前を、一匹の犬がうろついている。首輪もしておらず、毛は泥で黒く汚れていた。


 野良犬だろう。吠えられると面倒だな。


 目を開き、武史は再び、線路を歩いていく。


 右腕に力を込めると、肘から先の前腕が、沸騰した泡のように隆起し、黒く変色していく。二つ息を吐くと、膨らんだ右腕が、巨大な鉤爪のような形状になった。


 トンネルの前の野良犬は、すぐに、近づく人影に気がついたが、吠えるわけでもなく逃げるわけでもなく、じっと武史を見つめて動かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る