3月3日(120分:「霧雨」「寝ぼけ眼」「42」)

 頭痛で目が覚めた。

 寝ぼけ眼で天井を見ながら、昨日の酒宴を思い返す。きっかけは打ち合わせから返ってきた部下の顔だった。出かけたときのハキハキとした表情がまるで消えてしまって、葬式に参列するかのような顔だった。

 聞いてみれば打ち合わせのところで『ホンネ』を口にしてしまって顧客を怒らせてしまった、という。部下が相手をしている客はいわゆるよくない客で、もとは吉田の客だったが、部下が育ってきたので任せていたのだった。

 むちゃぶりは当たり前。スケジュールもまるで考えていない。

 そういう意味では、しょうもないことでトラブルになることは分かっていたし、準備はいつもできていた。謝る準備もそうだが、『ホンネ』がどれだけ正しいかを示す準備である。

 部下が戻ってきた後は予定していた仕事を全て放って打ち合わせの準備に費やした。相手はいわばホーミング機能付きの嵐のようなもので、相応の準備が必要だった。吉田と部下にとっては正当性を訴えるためのものだが、客は十中八九、喧嘩を売られた、と思うはずだからだった。

 客と打ち合わせの予定を調整し、取締役はじめ吉田の上席にこれから何をするのかを話した上で、そして最後に嵐に巻き込まれたことをねぎらうのと、次の打ち合わせに向けた決起会ということで、飲みに行くことにしたのだった。





 あの客の酷さは吉田もよく知っていた。はじめは部下の不満を聞いてうんうん頷いていたのが、話を聞くにつれて自身の記憶もよみがえってきたのである。アルコールも手伝って、結局は皆が皆で文句を言い合う回になったのである。

 酒が進む進む。

 家に帰ってきたことまでは覚えていた。ドアを開けて、閉じて、靴を脱いだ。その後が思い出せない。ベッドの中に寝ているからひとまずはいつものルーチンをこなしたのだろう。しかし肌のべとつく感じ、風呂には入っていないようだった。

 吉田は立ち上がるなり窓を開けて外の様子を眺める。細かい粒がかすかな風に大きく揺られて波打っていた。

 吉田拓真、四十二歳の誕生日である。

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