皿の上に潜むもの(120分:「銃口」「コズミックホラー」「チョコレート」)

 XXXX年XX月XX日。

 私の目の前にはチョコレートらしきものが白い皿に一枚横たえられている。小さなブロックが縦に五、横に十二と連なる板チョコレートの形状をした物体である。

 私とそのチョコレートを取り囲む形で、無数の銃口がこちらを向いていた。それら銃口は口々に、


「口にせよ」

「喰らえ」


と私に指図をしてくるのだ。その状況下で、銃口の恫喝と目の前のものを口にしてしまいたい強い衝動と戦わなければならなかった。





 始まりは昼の券売機である。私が食堂に入ったときには間違いなく人がいた。券売機に並ぶ学生の姿もあった。一人、また一人と食券を購入してゆくのを待つ中、ひどく暖房がきいていているのを感じた。過剰な暖房は冷たいそばやうどんを食べたい気分にさせるのだ。口の中は冷たいものを食べる口になっていて、当然、食券機を前にした時には冷たい料理を探すのだった。


 しかし、どうだろう。いざ券売機を前にしたらたちどころに寒気を感じるようになった。急な変化に驚いてあたりを見回してみれば人っ子一人いなくなっていた。私の前に食券を買っていた学生はどこに行ったのだ? 奥に見える窓の外はすっかり暗くなってしまっていた。日が暮れるほどの長蛇の列があったわけではない。たった数人の列だ。数人が食券を買うために数時間も費やすとは考えられない。


 しかし空腹にはかてない、とりあえず暖かい料理をさっさと食べてしまおうと思って食券に金を入れるものの、そのほとんどが売れ切れになってしまっていた。ひとつだけ、中央の、対応する料理名が一切書かれていないボタンだけに赤いランプがつくのだった。


 返金ボタンも見当たらない。金を入れた時点でそのボタンを押す以外の選択肢はなくなってしまっていたのだ。


 ボタンを押して出てきたのは何も印刷されていない食券。お釣りも出てこない。つまりは、私の千円は何の料理にも取り替えられない食券に成り下がってしまったのである。


 これで不満が貯まるのは当然の成り行きである。私はその足で食堂のカウンターへ出向いて文句を言おうと考えていた。料理人の白い服をした人をカウンター越しに認めるなり、食券を差し出して不平のたけをぶちまけようとした。


 しかし。


 料理人は食券を受け取るなり一枚の板チョコレートを出してきたのである。私の感情に日を注ぐその行動には反射的に言葉が吹き出すのだが、そのときにはすでに料理人の姿は全く見えなくて、まるで初めから誰もそこにはいなかったと思わせる雰囲気さえあった。どの調理器具も使われた形跡がなかった。


 吐き出したくても吐き出す先のない感情が体内で渦巻く中、チョコレートの乗った皿を受け取った後にすることと言えばどこかのテーブルに座ることだった。曲がりなりにも料理を受け取って、しかも返品も出来ない状況、チョコレートを食べるしかなかった。


 テーブルに腰掛けていざチョコレートを食べることにしたわけだが、このときになっておかしいことに気がついた。いざそれと向かい合ってみるととても美味しそうに見えて、あながち千円という価格も間違っていないように感じられた。芳醇な香りと色艶には視界がぐらついてしまう程だった。


 匂いをかぎたくて、チョコレートを近づけようとしたところで表面が動いているように見えた。チョコレートの輪郭がぼやけているように見えたのだ。


 食してしまいたい欲求は絶えず強まってゆく。私の違和感を確かめようと近づければより一層口にしてしまいたくなった。


 もう我慢できないというその瞬間、私は見てしまった。チョコレート色の微細な触手がうごめいている事を。一つ一つが意思を持っているかのように絡み合い、のたうち回り、一体のチョコレートを作り上げているのだ。


 食欲と同時に生まれる嫌悪と恐怖。手にしていた皿を投げ出した。テーブルの上を滑って床に転げ落ちるはずのそれは、しかし、数本の触手がテーブルにしがみつくことで難を逃れたのだった。テーブルの縁からぶら下がる格好となったそれは、ウィンチで持ち上げるようにのぼってきて、触手を足のように使ってテーブルの中央に戻ってきたのだった。


 舌打ちをするような声が聞こえたのはこのときだった。


 はっとしてチョコレート様の何かから顔を上げれば、私の周りには銃口だけが姿を表していたのだった。テーブルの真上からスポットライトが当たっているようになっていて、それと、テーブルと周りの床、銃口。スポットライトの範囲に収まらないところは漆黒になっていて、まるで何もないかのように見えた。





 XXXX年XX月XX日。

 私はそれを食してしまったのか? 私には分からない。食べていないことを信じたい。気がついたときには研究室の床で倒れていたらしい。研究室を訪れた学生が救急車を読んでくれたらしく、退院した後で聞いた話なのだ。


 体の容態はよくなかったらしい。まるで何日も食事が出来ていないかのような栄養失調に危険域に達する直前の脱水状態だったらしい。体重も、その時の二週間前ぐらいに計ったときと比べてみれば、二十キロも体重が落ちてしまっていた。短期間で栄養失調になるわ体重は激減するわと不思議なことばかりが起きているのだ。


 そう言えば、今日もラーメンと定食とうどんを昼食したのだが、未だ腹が空いている。

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