原始の司書(120分:「バベルの図書館」「アザレア」「指先」)

 この図書館ができてから何世紀が経ったろうか。

 いつ建物ができあがったのか、いつ全ての棚の全ての段に蔵書が収められたのか、いつ無限に増築され、また、いつ無限に蔵書が産み出されているのか。何もかもが分からないが、アルファベットで表現できるものは無限に存在するのがこの図書館、バベルの図書館である。


 私のような頻繁に出たり入ったりする者は少なかった。が、私ほど若い人間が立ち入るのは見たことがなかった。いつ死んでしまってもおかしくないような偉大な学者が認知症になってさまよいこむことのほうが多い。現に数分前に数学の重鎮を巨大な迷宮から救い出したところだった。


 私がなぜここに出入りするかって? 私は学者だからだ。何の学者なのか、と言われてしまうとなかなかに答えづらいのだが、誤解を恐れずに述べるのであればバベルの図書館の学者である。この図書館に存在する物事を明らかにしてゆくのが私の使命だ。





 私が対象としているのは司書だった。ほらそこ、首をかしげない。謎だらけの図書館は司書も謎だらけだ。私が師事していた教授が言うには、人とは別の何かが司書をしているという。


「おはよう学者さん。今日も彼女を探すのですか」

「ええ、お話を伺いたいと思いましてね」

「気が長いお方なこと」


 司書たちとは当たり前のように会話することができるが、たしかにどこか、人ではない雰囲気を漂わせているのだ。中には死霊のような司書だったり、精霊のように空を飛び回る司書もいる。人とはかけ離れた司書たちが一同に会すると、バベルの図書館は人間のためのものではないと思えてしまう。


 それらはしかし、始めから異形だったわけではなかった。ほとんどは人間で、いつしか図書館に魅入られて異形となるのだ。教授から私はそう教わったし、実際、教授は『魅入られて』しまって、どこかへ消えてしまった。


 元人間たちが司書をしているこの図書館だが、その中でも生粋の司書というのがいる。教授でもその存在を知らなかった司書、私は『彼女』を探し出したいのだ。





 X10Y−13区画。バベルの図書館の中では地下層の深いエリアである。学者たちはめったに立ち入らない区画であり、並の司書でも立ち入ることが出来ない場所だった。立ち入れるのは命知らずか図書館に見初められて完全な異形となった者だけである。


 私はもちろん前者である。


 まるで登山をするような装備で図書館にアタックしている。巨大なバッグの中には数日分の食料と調理グッズ、テントに寝袋。加えて研究のための道具だ。移動するだけでも一苦労だった。

 この区画にやってくるまでですでに二日が立っていた。何を思ったのか、面白がって一体の司書が私の周りをフラフラ飛び回りながらついてきていた。


「ねえねえ学者さん、今日はこんな『田舎』までどうしたの?」

「アザレアの司書さんを探しているんです、名前は不確かですが」

「ああ、あの押し花を本に挟んでいく」

「そう」

「あたしあの人苦手。あの人の周りは鉛みたいに重たくて近づきたくない」

「だとしたら、ついてこないほうがいいんじゃないですか。いつか会いますよ」

「それはいやなんだけどなあ」


 彼女は好奇心に負けるタイプだった。




 エリア捜索四日目。そろそろ戻ることを考えなければならない。


 アザレアの押し花を本に挿してゆく司書。根拠はどこにもないが、この図書館が存在していた頃からずっと蔵書を守り続けてきた司書だという認識とそれが正しいという確信だけがずっとあった。


 アザレアの押し花を探して、司書の痕跡を追う。今回の探索で見つけた押し花は五本。今までも何度か彼女の捜索を行ったことがあったが、これほど押し花を見つけたことは初めてだった。


 押し花を本にさす司書の姿を見たのも、今回が初めてだった。


 人が魅入られて異形の司書となるという前提からアザレアの司書はひどく醜悪な、人間の尺度で測れないような見た目をしているものと思ったが。


 何とも儚い雰囲気だった。華奢な見た目がそう思わせたのか、上から下まで真っ白なローブをまとっているからか、それとも、真っ白な顔が見えたからか。


「あなたは、どちら様?」


 気付いたときには逃げていなくなってしまったが、空飛ぶ司書が口にしていたような鉛の空気は感じられなかった。


「まあ、わたくしがさしていた押し花を持っていってしまわれたのはあなたでございましたか」

「私はあなたを探していたんです、司書さん」

「わざわざわたくしにですか? いかがいたしましたか。蔵書をお探しで?」

「いろいろと聞きたいことはあるのですが、まずは、イシドロ・アセベード教授がどこにいるのか教えてください。この図書館に入って戻ってこないのです」

「ああ、あのお方ですね、お安いごようでございます。わたくしども、原始の司書へのご用命としては最適ですね」


 司書が本にさしかけていた押し花を引き抜いて私の方に迫ってくる。彼女の姿を正面で見ると、どうしてだろう、先程の印象とは全く異なっていて。同じ司書か? 体の震えが止まらなくなってしまっていた。本能的な戦慄が足首から頭のてっぺんまで駆け巡るのだ。


「イシドロ・アセベード様でしたら、これでございます」


 司書の指先にある押し花を、彼女は目の前に突き出してきた。

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