舟の中にいる(120分:「方舟」「何もない部屋」「映画」)
天井までの高さのあるカプセルホテル。あるいは人が立てるぐらいの深さの棺桶。どうしてこの場にいるのか、何をしているのか。何度も自らに問いかけても答えは出なければ記憶も呼び起こされない。
両腕を横に広げると手首が当たるぐらいの幅、奥行きは辛うじて横になれるほど。立ち上がることはできるけれど、腕をまっすぐ上げることはできない。
空間の広さを試したのはいつのことか。男はガリガリにやせ細って動く気力も失っていた。食べ物を食べた記憶がなかった。水を飲んだ記憶がなかった。
この狭小な空間のみが男に与えられた自由だった。壁に背を持たれて床に腰を下ろす格好の男。極限まで細くなった体には硬い壁や床があたって痛かった。耳をすませば壁の向こう側に何かがいるような雰囲気を耳にするものの、空間から出る方法はなかった。外に存在する雰囲気は男に食料を与えてくれなかった。
仮に部屋としよう。部屋の半分はモニタだった。壁も床も天井も、モニタとして映像が映るようになっていた。まさに男が座ったその瞬間に 映像が始まった。
「これは、外で起きている出来事をそのまま流しています」
女性の声がしたかと思えば部屋の半分が宇宙空間に変化した。正面に見えるのはユーラシア大陸だと別の映像で説明があった気がした。正面でゆったりと回る惑星は地球だったか。
男には地球という概念がよく分からなかった。部屋に入る前はどうだったのか、どれだけ時間を費やしても思い出せなかった。過去に流れた映像から得たものを総合すれば、男も地球にいたらしい。
宇宙から見た地球の光景の他に見たものといえば、街をまるごと飲み込む巨大な洪水だった。避難に間に合わなかあった諸々を飲み込み、避難したと説明があった人々の一団も飲み込んでいった。高台で言葉を失っている人や、目の前で波に飲まれた人を追いかけようとして止められている人、そんな光景を空に漂って眺めていた。
ある時は人の目を通して戦場を駆けまわった。女性の説明を聞きながらある兵士の前で起きる惨状を体験するのだ。塹壕から少しだけ顔を出して銃を撃ち、移動をすれば目の前に爆弾は落ちてくるわ目の前で人が木っ端微塵になるわで気持ち悪くて仕方なかった。
部屋に轟音が襲いかかってきて男の思考は遮られた。
「こうして、原子爆弾という凶悪な爆弾が世界中に落とされたのです」
大陸の隅から巨大な丸い雲が立て続けに発生した。轟音と共に産まれる雲は衝撃波を撒き散らしながら大きくなり、まるでそれがさらなる雲を呼び起こしているようだった。
爆音に次ぐ爆音に頭がいたくなりつつある中で、はたと映像が途切れた。激しい音の後の凪には依然として爆音が響いているように感じられた。
真っ暗に鳴った部屋を徐々に明るくするのは『いつもの』アニメーションだった。ある舟職人の冒険譚、自然と動物をこよなく愛する職人に予言が下る。『数日後に大水が森を襲って動物たちを殺してしまうだろう』。これを知らされた職人は舟を作って動物たちを乗せ、命を守ったのだ。
何度も何度も見せられて、徐々に部屋が明るくなる雰囲気だけで何が流れるのか見当がついた。何となくでそれが見られるようになってからこれが摺りこみであることを理解した。男は動物だった。洪水にあたる何かがあって、舟に乗っているのだと。
同時に男はこの部屋を作った舟職人は無能であることも理解した。物語の中の職人は動物を守った。男はいつ力尽きるか分からない。『洪水』に巻き込まれようとも、無能な職人のごっこ遊びに巻き込まれることも、男には変わらないことなのである。
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